ディア・ハンター

ALLTIME BEST

劇場公開日:

ディア・ハンター

解説

ベトナム戦争で心身に深い傷を負った男たちの苦悩と友情、そして戦争の狂気を描き、第51回アカデミー賞で作品賞、監督賞、助演男優賞など5部門を制した戦争ドラマ。1974年の「サンダーボルト」で長編監督デビューし、2作目の監督作となった本作で大きな成功を収めたマイケル・チミノがメガホンをとった。主演のロバート・デ・ニーロ、本作でアカデミー助演男優賞を受賞したクリストファー・ウォーケン、これが遺作となったジョン・カザールらに加え、当時デビュー間もないメリル・ストリープが出演。ストリープもアカデミー助演女優賞にノミネートされた。60年代末、ペンシルバニアの製鋼所で働くマイケル、ニック、スティーブンたちは休日になると鹿狩りを楽しんでいた。やがてマイケルたちは徴兵され、ベトナムへ。彼らは戦場で再会するが、捕虜となり、残酷なな拷問ゲームを強要される。マイケルの機転で脱出に成功するが、その後ニックは行方不明に。マイケルは彼を捜すが……。日本では1979年に劇場初公開。2018年、製作40周年を記念して4Kデジタル修復版が公開。

1978年製作/184分/PG12/アメリカ
原題または英題:The Deer Hunter
配給:KADOKAWA
劇場公開日:2018年12月14日

その他の公開日:1979年3月17日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

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受賞歴

第36回 ゴールデングローブ賞(1979年)

受賞

最優秀監督賞 マイケル・チミノ

ノミネート

最優秀作品賞(ドラマ)  
最優秀主演男優賞(ドラマ) ロバート・デ・ニーロ
最優秀助演男優賞 クリストファー・ウォーケン
最優秀助演女優賞 メリル・ストリープ
最優秀脚本賞 デリック・ウォッシュバーン
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映画レビュー

4.0映画オタクがおっさんになって、25年ぶりに本作を観たよ

2018年12月16日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

オレが一番よく映画を観てた時は高校生のころ。特に「ベトナム戦争」と「マフィア」ものにハマっており、友人は「バリバリ伝説」と「あぶ刑事」に対し、「プラトーン」と「アンタッチャブル」ばかり観てた。 まあ、ぶっちゃけ、オレはひねくれたガキだったわけだ。今ではまあ、いい思い出ではある。 久々に一人で会社帰りに映画に行きたい、というと、あっさりOKが出た。さて何を観に行こうか?「ファンタビ」?「来る」? このもと変態高校生が一人で映画を観るんだぜ?そんなわけないじゃん! ・ ・ ・ 「ディア・ハンター4K」 当時誰に対してなのかさっぱりわからないが、「ディア・ハンター」を見て、観終わった達成感に恍惚な表情を浮かべていたころである。だけど、それはあくまで「完走した」という達成感だけであって、正直デ・ニーロがでようが、ロシアンルーレットが恐ろしかろうが、「完走した」だけで得意になってただけである。 さて、25年後。これを劇場でまた観る機会があるのもすごいことだが、これを選択するオレは当時と変わらず変態である。 だが、観終わった印象はさすがに変わった。 意外と長く感じないのだ。特に最初の1時間30分ちかく使う結婚式と鹿狩りが意外とすっきりしている。 これは当時のオレが持っていなかった、マイケルの、ニックへの視線とリンダへの視線に注目できたからでもあり、スタンの、ブーツを貸してくれないマイケルへの「あの」一言がもちろん、その後の展開に緊迫感を与えるからだ。 もちろん、単純に「ゲイ」映画というつもりはない。(おいおい、前回の「ボヘミアン・ラプソディ」に続いてまたこのネタか、というのは本当に偶然である。)。 だが、その視点もコミで、でも財布にひっそりと忍ばしているリンダの写真を持つマイケルの心情もなんとなくわかる。 そしてベトナム。いきなり捕虜になり、いきなりのロシアン・ルーレットの展開は覚えてはいたが、サイゴンでのニックの最初に行った賭場に、先にマイケルが居たことに驚いた。こんなシーンあったんだ! だが、なぜマイケルはあそこにいたのか。そう、25年後のオレが新たに抱いた本作の最大の謎はここだった。 今ではチミノのコメンタリーなど出ているので、そのシーンについて、確認することはできるかもしれない。だがオレはこのたび、こう 解釈した。 1)ニックとの「どちらかが、あるいはどちらとも昇天するかもしれぬ、アツイ打ち合い」が忘れられなかった。 2)マイケルとニックが「戦争の傷」をどう対処したか、の分岐点としての賭場でのマイケルを便宜上登場。 1)について、もちろんマイケルに死ぬ気はない。しかし「1発」に賭ける思いは「鹿狩り」同様、マイケルの信念によるものだ。マイケルは「鹿狩り」に関しては、異常なまでの「神格性」をもって望んでおり、それを満たすのはニックとでないとできない、と序盤に語っており、そのストイックさがロシアン・ルーレットで発揮。 それは、もうイッてしまうほどの事だっただろう。 2)半分冗談、はさておき、2)については、まさしく「ロシアン・ルーレット」こそが彼ら青年の「戦争の傷」をどう癒すかの分岐点。 マイケルにとっては、「ニック(ともに過ごすこと)こそ青春」であり、ロシアン・ルーレットはある意味、それを確認するものだったが、ニックにとってみれば、「ロシアン・ルーレットで勝つことがすべて」とすり替わってしまった。 マイケルにとっては、「ニックとイクこと」が勝ちであり、ニックにとっては、「ロシアン・ルーレットでイク」ことが勝ちになってしまった。 車に乗ったニックは、マイケルが追いかけていることに気付いていなかったのだろうか。それとも。 追記 4Kについて。 正直、過去の「記憶の画質」とあまり変わらないものだったが、まあ、劇場で観れたことで良しとしよう。 追記2 みんな若い。ウォーケンはイキイキ、ピチピチしているし、ストリープも彼女の映画史上最も美しい。 しかし、デ・ニーロ。 特にデ・ニーロが「美しい」。 本作の長さを感じさせなくさせる一番の要因は間違いなくデ・ニーロの存在。 追記3 God Bless America ロシア系移民の彼らにしてみると、ベトナム戦争に行くことこそが、アメリカ人としての誇りを得るもの、アイデンティティを獲得する方法だったわけである。セリフにあるように、その地を離れたかったわけでもなく、ましては敵兵を撃ち殺しに行きたかったわけではない。 そんな彼らの歌う「アメリカ万歳」は「戦争批判」ではない。そこから考えると、マイケル・チミノは「アジア系」に差別的な作品として「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」も含め、言われてきたようだが、「移民」の境遇やその生活に密着した描き方をしてきただけなのが分かる。

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共感した! 12件)
しんざん

4.0The Strangest of the Vietnam War Movies

2020年4月27日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

怖い

興奮

The Deer Hunter is unpredictable. For the first hour which is a wedding scene, I was beginning to wonder if I had been misinformed that this was a Vietnam War movie. The war act comes into play as a metaphor with the Russian roulette game. It's grim and you can see where Vietnam War movies pulled their gruesomeness cues, but The Deer Hunter lives in its own imaginative universe. Somewhat bizarre.

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共感した! 1件)
Dan Knighton

5.0若い頃には受け取れなかったこと

2024年11月26日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

中学生か高校生の頃、テレビで観た時の記憶をひっぱり出しながら数十年ぶりに鑑賞。 見事に、ロシアンルーレットのシーンとテーマ曲しか覚えてなかった。 若き日の自分は、この映画で語られている多くを受け取れなかったが、年を取ると、それなりに物の見方が変わることを実感できるのも、映画鑑賞の面白味の一つだよなと自分を納得させる。 まず、主人公のマイケルたちが「ロシア系アメリカ人」であったことに驚いた。 あの時期、ベトナムでの米ソの代理戦争という側面から、国内にも軍の中にも、マイケルたちを敵対民族ととらえるアメリカ国民も居ただろう。ただ、彼らの祖先がロシア革命以前に渡米して来たとすれば、事情はもっと複雑で、彼ら自身は反ソとも言える。ただし、ロシア正教会などの施設や、結婚式でのロシア民謡など、彼らの民族的なアイデンティティの発露を見た周辺のアメリカ人たちの目には、そうした事情はすっ飛ばされて映るのかもしれず…。マイケルたちは、自覚がなくとも、よりアメリカに忠誠を誓う姿を見せなければという思いに駆られて、その結果が出征に前向きなシーンにつながっているのかなと思った。 それに、彼らがついている職業は、どうみても、労働条件がよいとは言い難い製造業(鉄鋼業)やサービス業で、中々厳しい様子が伺える。アメリカは移民の国で「アメリカンドリーム」もあるのだろうが、移民全てが対等な立場にはないことが、こうした中で当たり前に描かれてもいる。今年の大統領選挙でも、移民問題が争点の一つだったが、安い労働力として非正規移民を雇う資本家と、それによって賃金を抑えられたり、仕事を失ったりするとして、トランプがターゲットにしたのは、まさに彼らのような人々の数十年後なのだろうと思った。(場所も、激戦区の一つ、ペンシルベニア州だし…) そのマイケルたちが、ラストシーンで亡くなったニックを偲んで仲間たちで歌うのは、ゴッド・ブレス・アメリカ。 あくまで自分たちはアメリカ人なんだと、自身を鼓舞するかのような痛々しさを感じつつ、そのシーンにはグッと掴まれるものがあった。 マイケル自身の性的指向についての表現も、今だから理解できる。リンダに惹かれつつも、こちらが違和感を感じるほど、積極的なアクションを起こさないマイケル。それは、単に奥手というのではなく、リンダの向こうにニックを感じていたからで、マイケルが本当に好きだったのは、ニックだったのだろうということは、中高生の頃は思いもしなかったことだ。友に「ゲイなのか?」とからかわれて、ヘソを曲げるシーンもさりげなく描かれていて、脚本のうまさにうなった。 そして、ベトナムの戦場でのエピソードを挟んで、2度出てくる鹿狩りのシーン。 高温多湿のベトナムの戦場と、冷涼で静謐な山岳地帯との対比に加え、鹿を狙い通り仕留める出征前と、仕留めずに逃す復員後の対比が味わい深い。自然と「命」や「祈り」ということを考えさせられた。 自分の記憶の中では、戦場の場面は、地獄の黙示録のイメージの方が圧倒的に強かったのだが、戦場から離れた歓楽街の様子も含めて、人の根源的な欲望や狂気という点では、こちらの作品の方がよりリアルに思えた。 長いし、重いし、何度でも繰り返し観たいという映画ではないけれど、また時間をおいて観た時の自分の感想が気になる作品。

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sow_miya

4.0移民の子孫であることの悲哀と戦争の酷(むご)さ

2024年11月25日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば> 「帰れるかな。」 「ベトナムから?」 「分かるか。俺たちのすべては、この町にあるんだ。」 「このとんでもない(fucking)町が好きだ。」 「俺に万一のことがあったら、必ずここへ連れ帰ってくれないか。約束してくれ。 頼む、これだけは約束してくれ。」 「了解だ。」 戦役でベトナムに赴くニック、マイケル、スティーヴン。 そのスティーヴンの結婚式の様子からすると、彼らはロシア系移民の二世、三世のアメリカ人と言ったところでしょうか。 本作の舞台となっているクレアトン(ペンシルバニア州)ー。 鉄は「産業のコメ」とも言われ、製鉄業は国家の基盤を支える産業なのですけれども。 その一方で、製鉄業の現場という厳しい労働環境で、技術職(技術者)ならいざ知らず、いわゆる3Kのような労務職(現場作業員)を生業としているで(ネイティブのアメリカ人ではなく)、移民が多いのかも知れません。 これからベトナムに赴こうとするスティーヴンが、アンジェラと挙げた結婚式は、玉ねぎのような尖塔が特徴的なロシア正教会の教会で…。 そして、披露宴で、新郎新婦の門出を祝う余興の踊りは、かの有名なロシア民謡のカチューシャでした。 「移民の子」であるという理由だけで、ネイティブのアメリカ人からは、陽に陰に、さぞかし、さまざまな(謂われのない)偏見や差別を受けてきたことでしょう。 同じようにイタリア移民の子だったリー・アイアコッカ氏は、フォード自動車に入社して、セールスエンジニアとして、また開発者に転じてからは、いわゆるベビーブーマー向けの新型車(ツードアクーペ)「マスタング」を開発するなど、同社の業績向上に実績を残したとのことですが、移民の子としての差別から首脳としての座を追われ、ライバル社のクライスラー社の経営に転じたと聞き及びます。 同じく移民の役柄を、これまたイタリア系の血を引くロバート・デ・ニーロが演じているというのも、とても興味深かったと思います。 外面的には平穏でも、例え国籍を得ていて法律上はアメリカ国民ではあっても、ネイティブのアメリカ国民から見れば「部外者」である外国移民としては、積極的に徴兵を志願して、ネイティブのアメリカ人に対してら、自らの愛国心・忠誠心を示す必要があったのだろうと思います。本作でのニック、マイケル、スティーヴンは。 (太平洋戦争でも、多くの日系アメリカ人がアメリカ合衆国への忠誠を示すために進んで同国側の戦闘員として従軍し、暗号の解読など、対日戦に参加したと承知しています。) まして、ベトナム戦争は、単に南北のベトナム間の戦争ではなく、共産主義勢力と資本主義勢力との代理戦争のような紛争。 ピカピカの資本主義国に住まう者として、出自が共産圏であった彼らは、余計に、アメリカ合州国への忠誠を示す必要があった(必要に迫られていた?)のだろうとも思います。 そういうマイケルたちの心中を思うと、やりきれない気持ちにもなってしまいます。 これも、戦争というものの「酷(むご)さ」「無慈悲さ」という側面なのだろうとも思います。 そして、その中でも光るのは、同郷の移民同士の厚い友情-マイケルとニックとが交わした上掲の映画のことばのとおり、残念な結果ではあったとしても、マイケルはニックとの約束を果たし切ったというべきでしょう。 最後の最後には、ニックはマイケルを認識できないほど、心が憔悴しきってしまっていたとしても。 本作は、評論子の「メリル・ストリープ路線」(彼女の出演作品を連続で観て行く)の一作品として観たものでした。 肝心の?彼女の出番こそ、そんなに多くはなかったものの、また良い作品に出会えたことの満足感のほうが、はるかに大きかったことは、言うまでもありません。 午前十時の映画祭シリーズ2のラインナップの一本としても決して見劣りのしない、秀作だったと思います。 評論子は。 (追記) 陰湿な民族差別の中でも、同じようにロシア系移民の子息たちと楽しむ鹿狩りが、彼らの唯一の娯楽で、本作の題名は、そんなところから出ているものでしょう。 趣味・娯楽でやっている鹿の猟師(ディア・ハンター)とベトナム戦争。 同じく銃器を使うことでも、こんなに天地ほどの差があるのかと思いました。 そんな感慨もあった一本でもありました。 評論子には。 (追記) 結婚式で始まり、お葬式で終わる-。 どちらも、人生では大きな節目のセレモニーとして、大きな意味を持っていることは、間違いがありません。 その「ひとつ目」で始まり、「二つ目」で終わるという本作の構成も、一篇の物語としては、優れていたと思います。 (追記) 本当に「余談の余談」なのですけれども。 (映画の評は自由ということで、ひらにご容赦下さい。) リー・アイアコッカ氏をフォード社から放逐した一派の急先鋒が、ロバート・マクナマラという人物とのことです。 お若い方ならともかく、年配の方には、聞き覚えのある名前かとも思います。 はい、そのとおり、当時の国防長官として、ベトナム参戦、戦争遂行に辣腕(?)を振るった方です。 後に、アイアコッカ氏を放逐したことは、フォード社最大の戦略的誤りと認められたと聞き及びますが、アイアコッカ氏の放逐とベトナム敗戦-。 ロバート・マクナマラ氏は、アメリカ史上の大きな二つの失敗の両方に関係した唯一の人物でもあるようです。

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talkie