「舞台劇の重厚さと誘拐犯追跡のサスペンス映画が合体した黒澤現代劇の傑作」天国と地獄 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
舞台劇の重厚さと誘拐犯追跡のサスペンス映画が合体した黒澤現代劇の傑作
誘拐事件に巻き込まれたある会社重役の良心と野心の葛藤から犯人逮捕までのサスペンスを終始重々しく緊迫感のある演出で創作された黒澤現代劇の傑作。脚本はアメリカの推理小説家エド・マクベインの『87分署シリーズ』の第10作『キングの身代金』(1959年)を原案とし、身代金3000万円(現在の価値に換算すると約4億円)と引き換えに誘拐された少年を救出する前半の骨子になっていて、後半の犯人を泳がせ共犯者殺人を立証する捜査はオリジナルの創作と言います。この2部構成の表現法と映画論法の対比にこそ、この作品の面白さと不確実性が絶妙に絡んで独特な社会派映画の特徴を強烈に印象付けることになりました。
前半の主人公は製靴会社ナショナル・シューズの工場担当常務の権藤金吾で、自分の持ち株比率28%に抵当や借金で工面した5000万円(現在の価値で約7億円)を投資しその後47%まで引き上げ、次期株主総会で会社乗っ取りを計る野望の男。現社長と馬場専務ら3人の重役を合わせた株比率の46%とギリギリの社内攻防戦に挑む、その大事な決断の時に息子純を誘拐したと犯人から電話をもらう。このお金と数の力が支配する資本主義の分かり易い見取り図に裂け目を入れるのが、後半の主人公竹内銀次郎という、貧しい家庭で育つも内科医師になろうとして努力したであろうインターンの青年。しかし、そんな彼が何故誘拐犯罪に手を染め、資産家に見えた権藤に膨大な身代金を要求して憎悪を募らせるのか、その真意の全容は分からない。完全犯罪に至るような巧妙な作戦を練る頭脳と、逮捕されれば仕事もそれまでの努力もすべて失うリスクを考慮しない無謀さに矛盾が残ります。時代背景は、戦後の高度成長を象徴する東京オリンピック開催と新幹線開通を翌年に控えた躍動の日本社会。焼け野原の最貧国から18年足らずで急激に経済復興して、富める者と貧しい者との格差が顕著になるのは、ある程度仕方ない。1960年の所得倍増計画から右肩上がりが継続し中流階級が増えた時代の流れを顧みれば、もう少し我慢して仕事に邁進していれば報われていたはずです。仮に竹内を24歳と仮定すると、生まれは1939年の戦前で小学校入学が1945年の終戦の年になります。戦前の教育を全て否定され、アメリカから与えられた民主主義の洗脳を受けた最初の年代です。日米安保条約で政治・社会が混乱した1960年には成人になり、社会に対して意見と批判を持つ自立に目覚める年頃でした。自由と平等を標榜する民主主義教育の理想を学びながら、現実の貧困に一個人でどう対処すべきなのか。しかも凶悪犯罪ほど、その動機の本当の理由を他人が理解することは難しい。これは黒澤監督始め脚本家の人たちアヴァンゲール(戦前派)の大人世代が共通して抱いたアプレゲール(戦後派)世代の若者に対する、理解不能の世代断絶を意味しているとみても興味深いかも知れません。
丘の上に建つ権藤金吾の瀟洒な邸宅の応接間を舞台にした、身代金を準備するまでの黒澤演出は、ミステリー小説を戯曲化した演劇そのものでした。屋外が映されるのは、権藤に追い払われた重役3人が車で去るショットに西部劇扮装遊びに夢中の子供2人が現れるところと、刑事が百貨店の店員に扮装して権藤宅に忍び込むショットだけで、サスペンスフルな密室劇になっています。見知らぬ男からの電話で権藤の息子純が誘拐された衝撃と身代金3000万円の要求に戦慄が走るも、その居間に純が現れて一端悪戯かと安堵する意外な展開から緊張感が始まります。ここで運転手青木の息子進一が居ないことに気付く大人たちの動揺から、子供たちが保安官の服を交換していたことで犯人が人質を間違えて誘拐したこの事件特有の複雑さがあります。自分の子供が事件に巻き込まれた時は警察に連絡するのを躊躇った権藤が、他人の子供と分かった途端に警察へ通報する人間性、そこには3000万円を手放したくない、否手放せない権藤の追い詰められた状況が支配している。演出で印象的なのは、大阪のホテルへ秘書河西に手付金を持たせ交渉をまとめる電話の前に鳴る置き時計の時報と、妻怜子が呟く“ねえ、大丈夫?私 何だか怖いわ”の台詞です。勿論これは5000万の手付金と残り1億円のお金で会社を乗っ取ろうとする夫権藤金吾を心配して掛ける言葉ですが、同時にこの時に進一少年が拉致されたことを暗示する演劇的な表現です。映画本来の表現ならば、隠れて待ちわびる純少年のカット、進一少年を連れ込み走り去る車のカットなどでカットバックするものです。しかし、これではその後の居間で展開する大人たちの動揺から安堵、そして衝撃の心理表現や、身代金を渡す渡さないの権藤の心の迷いまで重厚に描くことが幾分削がれるでしょう。3000万円の身代金をどうするか逡巡する権藤を中心に、子供の命最優先の妻怜子、会社乗っ取りを他の重役に密告して己の出世しか考えていない秘書河西、息子の生存をただひたすら願う運転手青木、そして誘拐事件の犯人に対して怒り、罪の報いの軽さに憤る戸倉警部ら冷静沈着な刑事が、入れ替わり立ち代わり居間を行き来します。各自の台詞が各登場人物の動きやポジションを決め、この意志と立場を持った言葉で変化する人間模様の深さと面白さ。黒澤演出の考え尽くされた画面構成と人物配置、それを自然に写す斎藤孝雄と中井朝一のカメラワーク、それはシネマスコープとほぼ同じ東宝スコープのワイドスクリーンを生かした演劇映画の完成度を誇ります。敢えて5000万円の小切手のアップ、鞄に匂いと色の細工を施す権藤の手先の動きを映さない。演劇と映画が融合した演出で光るのは、翌朝カーテンを閉め切ったままの不自然さを指摘され遮光カーテンまで全開にするシーンです。戸倉、田口、中尾の刑事がテーブルの下に身を隠すショットがいい。
続く特急第二こだま号に乗って犯人の連絡を待つシーンからは、映画らしいスリリングな黒澤演出が冴えわたります。中尾刑事が列車内を巡回して進一少年が見当たらないことをメモで渡す、そのアップショット。前日から徹夜で紙幣の番号を写して疲労困憊の荒井刑事がうとうとするところで車内放送が掛かる演出の切れ味。鉄橋を過ぎたら洗面所の窓枠の7センチの隙間から3000万円が入った鞄2個を投げ落とせとの犯人からの指示。ここで警察が先頭車両と最後尾の窓から8ミリカメラで共犯者を記録するシーンの映像の迫真性が凄い。流れる映像から見える共犯者と進一少年、鉄橋を挟んで鞄の落とし場所に待機するもう一人の共犯者。列車1編成をチャーターして撮影に挑んだ緊張感がこの短いシークエンスに鮮やかに生かされ、映画でしか表現できないモンタージュの素晴らしさでした。
進一少年が無事解放されて犯人追跡の捜査がメインになる後半では、主人公権藤金吾の会社内の境遇は最小限に抑えられ、抵当に入っていた邸宅が競売に掛けられ全財産を処分する失意のどん底まで追い詰められていきます。進一少年が描いた絵と録音した犯人の電話音声記録からアジトと思われる場所で微かに聴こえる電車の音の特徴から、捜査が進展するシチュエーションがいい。鉄道会社で聞き込み江ノ電と分かるものの、オタクっぽい職員の止まらない解説から荒井刑事が逃げるように立ち去るシーンが可笑しい。そして、多額のお金の犠牲を払った権藤の無念と憤怒に少しでも応えようと、進一を連れてアジトの場所を探す青木の居た堪れない心理も分かります。田口刑事と荒井刑事が追い掛け、偶然青木親子と出会うところの映画的な映像処理の巧さ。その前に車のリアガラスから景色を眺め記憶を思い起こす進一少年のシーンもいい。お父さんと声を上げ、僕あそこでおしっこしたよ、の台詞が可笑しい。そこから徐々に江の島が島に見えない角度の高台に辿り着く細かさ。しかし、そこでヘロイン中毒で死んでいる共犯者カップルが見つかる意外な展開から、映画は麻薬中毒に陥った人間の闇世界に入っていきます。ここで興味深いのは、警察が共犯者の死を報道しないようマスコミへ協力依頼することでした。更に犯人に危機感を与えるために番号を記録した1000円紙幣が見つかったとの嘘の報道を流すことも加えます。鞄の写真も記事にあり、慌てふためく犯人竹内の動揺振り。ここで注目に値する、寄り過ぎたカメラワークの演出がありました。前半には一切なかったアップショットを後半でも必要最小限に抑えたカメラワークを貫いてきて、犯人竹内が札束を鞄から風呂敷に移し、鞄を段ボールに入れてひもで縛る緊迫のシーンを、意図してありきたりな絵の構図に収めていないのです。これは説明ショットではなく、余裕が無くなった竹内の感情の混乱を表現する映画的な表現です。ここで思わず唸るくらい、見事な演出と撮影でした。鞄が病院の焼却炉で燃やされ、モノクロ映像に牡丹色の煙が引き立つ権藤邸から街を見下ろす眺望ショット。ここでは秘書河西が恩着せがましく権藤に重役のポストの話を持ってくるも、男のプライドから権藤が相手にしない場面がいい。進一が描いた犯人の絵を観ているときに、純少年が煙にいち早く気付くところも巧い。そしてついに権藤邸の近くに住むインターンの竹内銀次郎に行きつく捜査の最終段階にきて、直ぐに逮捕せず江の島のアジトに誘き寄せる作戦の巧妙さ。捕まえた後の刑罰に殺人罪を加えるだけに行うトリックまで、理に適った展開で閉めます。
しかし、この後半で最も素晴らしいのは、犯人竹内を演じた山崎努の演技でした。1960年に映画デビューもこの作品で一躍注目されたのは当然でしょう。三船敏郎始め当時の名立たる男優たちが数多く出演する黒澤映画の中にあって、一際存在感のある演技を見せます。特に最後の拘置所で権藤と面会するシーンの、笑みを見せても淋しく、嘆きを虚勢で誤魔化しているような、死刑の恐怖に慄いていないと言い張るも、何も確実な事は一つもない竹内という犯罪者の曖昧さゆえの怖さ。ただ一つ明らかなのは、彼の根源には憎しみの感情しかなく、その憎悪に支配された地獄を生きていたことだけです。金網を掴み、震える身体を抑えながら言い訳ばかり言い、頭を抱えて発狂する竹内の惨めな姿を山崎が雄弁に演じ切っています。黒澤監督も認めたこの熱演で映画のラストカット、シャッターが下ろされるエンディングも見事でした。
主演三船敏郎、助演仲代達矢の重厚な演技が作品を締め、曲者秘書役の三橋達也も巧い。青木運転手役の佐田豊は適役の好演、刑事役では志村喬に藤田進、土屋嘉男、名古屋章。新聞記者に千秋実、北村和夫、それに37歳頃の大滝秀治がいました。仲代達也と行動を共にする石山健二郎、木村功、加藤武の其々のキャラクターもほど良く絡み、会社重役に伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎と錚々たる男優陣です。紅一点の香川京子は、「悪い奴ほどよく眠る」の役より単調で、もっと物語に加わって貰いたかったと少し心残り。誘拐される進一役は、小津安二郎監督の「お早よう」で次男坊を好演した島津雅彦でした。純役江木俊夫はその後アイドルグループ・フォーリーブスで人気スターに。私の年代ではテレビドラマ「マグマ大使」が懐かしい。