劇場公開日 1981年1月

「"人生とは心の姿なり"」チャンス 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0"人生とは心の姿なり"

2022年2月4日
iPhoneアプリから投稿

チャンスは素朴な善人だが、周囲の裕福な人々は彼の言葉のすべてを神の言葉のように礼賛する。反対に、彼がちょっと頭の弱いただの庭師だということを知る人々は、彼の言葉に悪意さえ見出す。

誰の見解が正しいとか間違ってるとかそういうことはどうでもいい。というか人によってバラつきがあることこそが本質だ。チャンスは多くを語らない。彼が大事にしているのは庭とテレビだけで、それ以外のことにはあまり関心がない。何を考えているのかよくわからない。だから誰もが彼を好きなように理解する。よくわからないからこそ、自分の好きなように編集することができる。

こうやって書くとなんだか悪いことのような気がするけど、誰もがやっていることだ。いくらひっくり返そうが顕微鏡で覗き込もうが人の本心なんてものは見えないから、限られた言葉や所作の節々を線で繋いで出来上がった虚構を、我々はとりあえず「あなた」とか「君」とか呼んでいる。

チャンスと出会うさまざまな登場人物に心境の変化が訪れるが、それはチャンスと向き合った結果というより、チャンスを通じて自分自身と向き合った結果という感じがする。

だからチャンスとの出会いによって必ずしも善の方向に上昇していった者ばかりではない。ラストシーンでベンの棺を運んでいた権力の亡者たちなどがいい例だ。

一方でベンはチャンスとの出会いによって自分の死を乗り越えることができた。ただしこれはベンが生来的にそういう精神的素地を有していたからだと思う。あと金持ちだったから。

おそらくベンはそういうことも薄々悟っていて、だからこそ彼の遺書の結びには「人生とは心の姿なり」という一節があったのだろう。たとえば微積分を知らない人がいたとして、その人が微積分を問いている人を見たところで「この人は微積分が解ける人だ」という所感を得ることはできない。

チャンスはある種の超越的存在だったから「彼をサンドバッグにして自己を知る」みたいなコミュニケーションの取り方がそこまでグロテスクに見えなかったけど、現実世界に彼はいない。ハナから「自分を知るために相手を利用しよう」みたいな魂胆で他者に臨むのはよくないなぁと思った。

因果