「哲学的な寓話と観るべき作品」チャンス しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
哲学的な寓話と観るべき作品
住み込みで働く庭師のチャンスは、主人の死により家も仕事も失う。
家を出たチャンスが町を彷徨うシーンに流れるのは「ツァラトゥストラはかく語りき」。つい昨年、「2001年宇宙の旅」を観たばかりだったので、関連があるのかと調べてみたら思わぬ発見があった。
この映画自体がニーチェの著作「ツァラトゥストラはかく語りき」を土台にしているのだ。
ニーチェの著作は、山に籠っていたツァラトゥストラが、神の死を知って山から下りて、人々に教えを施すというものだ。
日本の作品紹介を読むと、「善人が無垢な心で周囲の人々を魅了し、成功していく物語」といったものが多いが、実際に観た印象は相当異なる。邦題も、そういうミスリードを誘ってはいないか。
本作は、非常に哲学的で暗喩に満ちた寓話と観るべきだろう。原題はBeing There、ハイデッガーの「存在と時間」から取られたとのことである。
チャンスは何らかの知的障害があるようだ(情緒障害もあるようにも見える)。
冒頭、主人の死を、同じ使用人仲間のルイーズから教えられるシーン。しかしチャンスは理解が出来ない。ルイーズはチャンスの反応に腹を立てて彼を叱るが、すぐに我に返り「大きな声を出して悪かった」と詫びるのだ。つまり、ルイーズは、「チャンスは主人の死を理解出来ない人」と捉えていることになる。
それから、チャンスが自分のことを語る場面で、「物心ついた時から庭師をしていて、家から外に出してもらえなかった」と言うセリフがある。何らかの事情でチャンスは引き取られ、外に出さないように育てられた、ということだろう。
そして、彼は読み書きが出来ない。チャンスが育った家はそこそこ裕福な家だが、学校には通わず、教育を受けてこなかった、ということである。
チャンスはテレビを観ることに強いこだわりを持っている。自閉症スペクトラムを思わせる。
チャンスは庭仕事のことしかわからない。しかし、周囲の人には彼の言葉が予言めいたもののように聞こえる。最後にはチャンスは次期大統領とも目されるようになる。
物語の舞台はワシントン。アメリカの政治の中心地である。
チャンスの言葉に踊らされるマスコミ。マスコミに踊らされる人たち。ところが、そのマスコミの権威すら、もはやなくなっていることも示唆される。FBIやCIAは情報操作をやっている。出世欲にとらわれた弁護士。理性や秩序を喪ったワシントンの様子は、まさしくニーチェが考えた神の死んだ世界であろう。
そこに表れたチャンスの存在は果たして何なのか?
ラスト、浅い池を歩くチャンスは水上を歩くようである。まるで神のように。
当時40代半ばのシャーリー・マクレーンが気品と可愛らしさの同居する女性を演じていて魅力的だ。