ボルベール 帰郷のレビュー・感想・評価
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本来重いはずのストーリーをラテン気質に描く
ジャケットの雰囲気からは何となくちょっとチープなイメージが漂っていたが、アカデミー賞外国語映画賞スペイン代表作品ということで鑑賞。
思ったよりも全然良かった。ストーリーとしてはかなり重いものだが、全体を通してとても明るくカラッと描かれているのが好印象。これがラテン気質というものか。そして情熱の「赤」が画面所々に映えているのも、本作を大いに盛り立てている。
そして当然、主演のペネロペ・クルスも存在感抜群で、彼女の主演作品の中ではこの役が一番のはまり役なのではと思えるほどの良い演技。その他出演女優さんも皆芯があって魅力的だ。スペイン女性っていいな。今さらながら憧れてしまう。
ディテールを掘り下げるとツッコミどころ満載ではあるが、観るととても前向きになれる気持ちの良い作品だ。
女の敵は?
前評判を入れずに鑑賞。
いつもの変態がナリを潜めて、悲惨だし逆境極まりない女たちが、むしろ力強く輝く、女たちの人生賛歌。
賛歌と言うにはあまりにも、な過去を抱える者たちだが、それを常に抱きつつも人生をすてはしない。
極端な女性礼賛とも見えなくもない。
しかしそこまでに昇華してみせる手腕はやはり素晴らしい。
女の敵は女だなんて、女同士が仲良くしてると都合の悪い輩が植えつけてきた
嫌なイメージじゃないのか?
タイトルから、捨て去った故郷を
想うこととすぐに連想するが
いいことも悪いことも、全てを
収束する存在=母=故郷とも
言えるだろう。
この映画をみて少なくとも帰省したくはならない。
でもどんな人生でもいいんだなと受け止めて貰えるように感じる。
この映画が概念としての母親であるかのよう。
実際に描かれるのはそんな母親とは異なるものなのに。
不思議な魅力に溢れている。
三部作の中でも異質な作品
若い頃、火事で両親を失った姉妹が、それぞれ大きな出来事に巻き込まれる。
色彩豊かな映像の中、たくましく懸命に、時に醜く生きる女性を女優陣が好演。
アルモドバル監督の女性賛歌三部作の完結編。
悶絶するような出生の過去や行き違い、誤解、無理解等、様々な混沌を経てもなお、
人にとって母親は真っ先に帰るべき原点である。
その泣きたくなるほどありきたりの現実は同時に、人に赦しを与える。
三部作の中でも、異質な作品。
「女の血」とでも言えようか、姉妹、母娘という関係のある種の悪魔性は、
男性陣にとってただただ命を捧げるしかないほど畏怖の対象でもある。
10か月という長い期間、自らの体内に命を宿し、母親になるべくしてなる女性と、
自らに言い聞かせる、思い込むという方法でしか父親になれない男性との、
笑っちゃうほどの圧倒的な差であろう。
しかし、ペレロペ・クルスが違和感を覚えるほどの美しさ。
瞬間的だが、画づらが滑稽に見える時があるくらい、端正な顔立ちは、
女優としてはやや不幸かもしれない。
ものすごかった
アルモドバルはどうしてこうも
入り組んだ物語を上手く構成できるのだろう。
私的にかなり飲み込みが難しくて
入り組んでいるように感じるのだが。
いつだって予期せぬ展開を見せられる。
本当に想像もできない。
(結末を知って、冒頭に戻れば、そういうことか、とわかるのだけど)
今作も、
ボケた叔母の死と、娘の父殺しが
こんな形で繋がるなんて思いも寄らなかった。
自分の母親と同じ立場になった娘が、
母親の気持ちを理解していく。
その過程がうまかったし、他の登場人物も
余すことなく、取りこぼさず描き切っていた。
しかし、料理屋の男の件はなんだったんだろう、
あの映画クルーたちはただのモブなのね。
特にお気に入りのキャラクターは、
姉のお友達?の嬢の女性。
あのワゴンで川に行くまでの軽妙な会話。
どちらも必要以上に踏み込まない関係性なのが、
大人でもあるし、信頼の証でも会って、よかったですな。
会話もお洒落だったよ。
「幽霊は泣かないんだから」
それにしても
ペネロペ・クルスのあの神秘的なお顔と瞳はすごい。
女は娘で母で叔母で姪で姉や妹で祖母でそれぞれに忙しい、あ、妻もあった?
いろんな箇所に表れる赤=アルモドバルカラーは応援と励ましの色だった。女優がまとう普段着衣装がそれぞれの個性と用途に合って心が和んだり死を悼んだり仕事モードになったり。とにかく女の手はいつも働いて動いている。ペネロペの衣装、その中でも映画クルーのために料理する場面のエプロンはドンピシャリだった。明るい色と模様で細身、形はシンプル、紐がすごく細いやつ。日本では紐が細いのを殆ど見つけられない。もさっと幅広の紐でレースとかヒラヒラとか不用なものが多く柄もダサい。もともとエプロンあんまり使わないけど。
笑えるシーンが沢山あった。キッチン床の夥しい血を大量のキッチンペーパーに吸わせるところ。それからモップで拭き取るところ。冷凍庫うまく使った!キッチン知り尽くしているから大丈夫!顔についてた血を指摘されて「女はいろいろあるのよ」
「ママのおならの匂いがする」。復活したママがキッチンで娘(ペネロペ)に「あんた、昔からそんなに胸大きかった?何か入れた?」死んだと思ってたのに、幽霊かと思ってたのに、本当のママとの再会後にそういう日常的会話がいきなりできるのが共感できて笑った。
風が強い田舎町だから風力発電のバカでかい風車が山ほどあってぐるぐる回っている。ドン・キホーテが立ち向かう風車の現代版?あの風力発電はかすかに波長だか何かを出していて近隣に住んでいる人は頭痛とか鬱になると宮古島のタクシーの運転手さんから聞いたことがある。
女同士が血縁があってもなくてもかたまっていて挨拶でほっぺたキスを沢山して、助け合ったりズケズケと物言う関係がとても羨ましい。男は威張らず陰に居てするべき仕事をこなしてさえいればすべてが潤滑にうまくいくのだ。娘に手を出す男ってなんなんだ?そばの木の幹に生年と没年を刻むのは優しさではなく、女達が総出でお墓の掃除をする習わしから死者への思いとして自然にしたことなんだと思う。
ライムンダ(ペネロペ)、パウラ(ライムンダの娘)、ソール(ライムンダの姉)、ママ(ライムンダ&ソールの母)、アウグスティーナ(ベリーショートの友人)、パウラ(ライムンダ&ソールの叔母、ライムンダ&ソール姉妹の母の姉)。これらの役を演じた6名の女優は皆、個性際だち適役だった。
【”様々な女性の赦し。”今作は、信じ難き酷い出来事に会いつつも、手段を問わず自分の人生を切り開いていく逞しき女性達に捧げられた賛歌である。男はどう足掻いても、女性には敵わないのである。】
ー 今作は、様々な女性の赦しを描いている。
そしてペドロ・アルモドバル監督の新作の「パラレル・マザーズ」と同じように、酷い出来事を経験しつつも、それを乗り越え、逞しく生きる女性達を見事に描いている。
なによりも、前半はコミカル&ミステリアス要素を絡めながら、後半は女性の逞しさにフォーカスして行くペドロ・アルモドバル監督の脚本の凄さに驚いた作品である。
■15歳の娘パウラと失業した夫パコを養うため、忙しなく働くライムンダ(ペネロペ・クルス)。
そんなある日、娘のパウラが自分を犯そうとした父を台所で刺し殺してしまったのだ。
娘を守るため夫の死体の始末をしている最中に、パウラ叔母の急死の知らせが届く。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・前半は、ライムンダの愚かしき夫の所業に、”刺し殺されて当たり前だ!”と思っていたら、怒涛の様なストーリー展開にやや、ボーゼンとする。
ー ライムンダが、夫の死体を友人のエミリオが経営している、一時閉店し、鍵を託されたレストランの冷凍庫に入れ、ヤレヤレと思っていたら、突然近くで映画を撮影していたスタッフから、“ランチ、30人前”を頼まれ、引き受ける姿に、”エエッ、そんな状況でエミリオに相談もせずに、ランチ、引き受けちゃうんですかい!”とビックリする。
が、ライムンダは、知り合いの女性達からカナーリ、強引に食材を譲り受け、何故か生き生きと30人前のランチを作り、提供する。
逞しいなあ・・。コメディかな・・。-
・中盤は、火事で死んだと思われたライムンダの両親の話に移行して行くが、母、イレーネがパウラ叔母の所にいるのでは・・、とミステリアスなトーンに変わって行く。
そして、ボケてしまったパウラ叔母の面倒を見ていた、アウグスティナが、火事と同じタイミングで忽然と姿を消した事が、明かになってくる。
・すると、イレーネが実は生きていて、パウラ叔母が亡くなった後に、ライムンダの姉、ソーレの家に匿われているシーンが、可なりコミカルに描かれる。
ー イレーネは美容室を営むソーレの家で”ロシア人”として暮らすことになる。序でに言うと、イレーネが使ったトイレの後に入ったライムンダが”おならの匂いがした!”と言う件はクスクス笑える。-
・だが、ここから何故、イレーネが生きていたのか。何故、イレーネはこっそりライムンダの顔を見て、涙していたのかが、明かになっていく過程はヒューマンドラマである。
イレーネの夫は、アウグスティナの母親と関係を持っていただけでなく、ナント、ライムンダを犯していたのである。故に、娘のパウラはライムンダにとっては、妹でもあるのである。
ー 怒涛の人間関係である。そして、ここに又愚かしき男(劇中では描かれない)が居たのである。ライムンダの強気な性格が分かった気がする。だって、普通だったら心折れるでしょう・・。-
■イレーネが、ライムンダに涙ながらに自分の夫がしたことを、詫びるシーン。それを受け入れ赦すライムンダ。
又、ライムンダが、夫を埋めた”夫が好きだった土地”に娘パウラを連れて行くシーンも、彼女の夫に対する赦しであろう。
<怒涛の如き、ストーリー展開の物語であるが、この作品から立ち上がって来る言葉は
”信じ難き、酷い出来事に会いつつも、手段を問わず自分の人生を切り開いていく女性達の逞しさを描いている。”と言う事に尽きると思った作品である。>
クソ男と逞しい女性たち
百花繚乱。色鮮やかな世界で綴られる 、その生き様。
赤と黒。他にも散りばめられる色彩。色使いが独特で印象的で、雄弁に語る映画。
エンディングにも美しい花模様が咲き乱れる。エンディングまで必見です。
そんなエンディングを観ながら、ライムンダが主人公なものの、いろいろな生き様の、いろいろな性格・佇まいの、いろいろな美しさを持つ女性を描きだした映画かと思ってしまう。
女性たちの輝き。生活のために働き詰めの中年女性なのだけれど、蘭のような華やかさを持つライムンダ。ひっそりと隠れて生きているのだけれど、白髪。皺まで美しい薔薇のようなイレーネ。野に咲く百合のようなソーレ。……なんと美しい事よ。
目を引くライムンダの衣装だけでなく、母が何気にワンピースに合わせるカーディガン、地味目の姉の地味だけど色彩の美しいエプロンと服の組み合わせ、アグスティナの髪型…そういう小道具?までがその人物がどういう人か語りだす。
それでいながら、祖母、母(=ライムンダ)とその姉、娘、実家の隣人だけでなく、ライムンダのレストラン他を助ける隣人達のなんと地に足付いた生活模様。
たくましくももろく。もろくもたくましい。
いるいるああいう女性たちというのが満載。
シーンの一つ一つは本当に丁寧に作られていて、ある臭いが話の展開のキーになるとか、葬式を巡るやりとりとか、生活感あふれ、かつ笑ってしまうようなエピソード満載。つい隣の家で起きている日常を垣間見ている気分にさせる役者の演技力。カンヌでの受賞も納得。
だが、話の大筋はとんでもない事件が幾つも仕組まれていて…。う~ん、このネタだと私は泣くはずなのに何故か泣けない。
えっと、そこで死んだはずの母を受け入れるの?無邪気な姉や娘はまだ解るけど、いろいろな葛藤をもっているライムンダも? アグスティナは自分の母をイレーネに殺されたと疑っているのに、看護人としてイレーネを受け入れるの?
私の感覚だとあり得ないことが、心情変化のプロセスなしに展開する。「なんで死んだふりしていたの?」と母にかみつき、徐々に和解…私だったらこういうプロセスがないとやっていられないけどな…。
そんな私の常識なんてお構いなしの世界。女たちの共同体。男たちが何をしようが、生きていくためには、すべてを内包しつつ、揺るがないとでも言いたいような。
泣かせる為の映画ではなさそう。
冒頭にも書いたさまざまな女(母として、娘としても含む)の生きざまが花開いている映画なんだと思う。
「volver」:スペイン語で戻るとか繰返という意味の動詞。『帰郷』という邦題は一面しか表していないようで腑に落ちない。
けれど、あることで、母との間に葛藤が起こり、姉や近所の人とはうまくやっているけれど、あの秘密も一人で抱えて気張っていたライムンダが、ありのままの自分を受け止めてくれる場所に、再び巡り合い…。”ふるさと”という、現実的な土地を指すのではなく、親に守られていた安心感を思い出せる”ところ”への”帰郷”というのなら、テーマそのものだ。
テーマは劇中で歌われるタンゴの名曲『Volver』。
捨て去りたい過去から逃げても結局は過去が戻ってくる、それにしっかりと向き合うことというより向き合わざるを得なくなる…そう考えると冒頭がお墓のシーンというのがものすごく意味深に思えてくる。
大切のなものを守るため、秘密は墓までもっていく。恐怖に耐えきれなくなる夜もあるけれど。
その想いが、人を強くし、脆くする。でも、そんなことも含めた、ありのままを受け止めてくれる人がいたら…。
『Volver』良い題だ。
とはいえ、この女性達に起こった悲劇は連鎖として繰り返されませんようにという願わずにはいられない。
細かな演出で泣き笑いするけれど─
女性は美しく、強し…
父も夫も変態で、死んで然るべし。母と娘の喧嘩しながらも、強く支え合う関係性をうまく描いている。幽霊ではなかったのか。ペネロペ・クルスの圧倒的な美貌が全編にわたって、映画の色彩と相まって際立つ。
男性に振り回された人生。
ペネロペクルスの美しさが際立っていて、話の中の家族と血がつながって...
ある一時だけ、必要に駆られてオスが出現し、普段は9割のメスで築かれ...
これがペネロペ・クルスか
展開が面白い
男ダメだな
公開当時に劇場で2回も鑑賞した大好きな作品を十数年振りに再鑑賞しました。アルモドバルが母と娘の作品を本格的に撮りだしたのは、「ハイヒール」。女性映画というジャンルを決定付けた「オール・アバウト・マイ・マザー」。そして恐らく映画マニア以外の人にも一番鑑賞されたのがこの「ボルベール」だと思います。私が思う「母と娘」の3部作だとこの3本ではないかなあと。
アルモドバル作品では、娘に手を出す様なクズ男は容赦なく殺されます。そして、女を守る為に女が女を庇い女が女を手伝います。そもそも結婚制度もマチズモもなかった遠い原始時代は、子育てや食事など女性同士で助けあって生活してたんじゃないかと人間の起源を想像してしまいました。だって、原始時代なら父親が誰とか全然関係ないですもの。ノラ猫みたいなもんですよね。
今作に出てくる女性達の生命力の強さと感受性の豊かさを見せつけられると、生物的に男はオマケの性なのかなあ。アルモドバルの作品を見ると理屈抜きで女性である誇りを感じてしまいます。ああ、女に生まれて本当に良かった。日本に住んでるとなくなっちゃうだよなあ「女性の誇り」。アルモドバルの作品を鑑賞して女性の誇りを取り戻しています。
ペネロペクルスの圧倒的存在感
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