「スクリーンでなければ味わえない壮大な映像美、しかし致命的な欠陥も...」劔岳 点の記 こもねこさんの映画レビュー(感想・評価)
スクリーンでなければ味わえない壮大な映像美、しかし致命的な欠陥も...
久々にスクリーンで映画を見る醍醐味が味わえた作品だ。画面の中で、立山連峰や日本アルプスの山々の四季が、昨今のCGでは到底不可能な映像美で表現されているのが何より素晴らしかった。中でも、立山連峰から一年にそう何度も見られない富士山の眺望は、スクリーン上とはいえ、大いに感激した。
しかし、それほどの美しい自然美あふれる映画の中で語られる、人間たちの描き方はとても貧弱だ。「こんな大自然の中で人間の存在はちっぽけなもの」と、出演した役者さんや演出スタッフの言葉にもあったが、そのちっぽけな人間がどのように大自然と対峙するのか、という点が致命的な欠陥による演出によって描ききれなていなかったのは不満が残る部分だ。「この作品は自然が中心、人間はその次」と言うのなら、最初からドキュメンタリーを撮ればいいことである。
この映画の致命的な欠陥とは、ナレーションの使い方だ。最初はほとんどないように作られているのか、と思いきや、突然、主演の浅野忠信のナレーションが入ってくると、たいして必要のない、非常に中途半端なタイミングでナレーションが入ってきたのには困惑するばかりだった。
実は、この作品においてナレーション説明というのは重要なファクターになるはずだった。それが顕著なのは、いよいよ剣岳山頂に登るときの雪渓を登山隊が行くシーンだ。この場面、とても緊張感があるはずなのに、あまり説明もなく淡々と登るので、大変さが観客に伝わらない。しかし、たとえばヒマラヤの登頂難攻の山では雪渓のクレパスに落ちるかもしれない、という危険と背中合わせなのだから、当然、剣岳でも同じ危険がある。だから、ナレーションで「思わぬ割れ目に落ちて命を落とすかもしれない。だから、我々はそっと雪渓に足を下ろしながら歩いた」などのような説明があれば、観ている側にも怖さが伝わっていたと思う。観客の大多数は、屈強な登山家などではないのだから、登山の危険性や装備の違い(民間の登山隊と測量隊との装備の違いも説明不足)などナレーション説明が必要な箇所はいっぱいあったのに、それをせず、観客に剣岳の真実を伝えきれていないのは、この作品の欠陥というしかない。
しかしながら、撮影スタッフの苦労はいかばかりだったか、それは尊敬するばかりだ。エンディング・タイトルに役割名をつけず、名前だけを列記していったのには、役割で苦労の区別などつけられないという、監督のスタッフに対するねぎらいの情が感じられた。私はこの作品、もっと脚本に神経をつかっていれば、とてもいい出来に仕上がっていたと思う。だから、木村大作氏の失敗作とは思っていない。今度は、もっといい脚本で映画製作にもう一度、挑戦してほしいと願うばかりだ。