スカイ・クロラ The Sky Crawlersのレビュー・感想・評価
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映像作家押井守・感情的場面転換という高等テクニック
森博嗣原作、押井守監督作品。
【ストーリー】
複数の民間軍事会社が戦線でしのぎを削りあう欧州戦線。
僻地の小さな基地に、新たなるパイロットが着任する。
彼の名は函南優一、戦闘機に乗って戦うために生まれた人間——キルドレ——だった。
後部の二重反転プロペラを推力として空を飛ぶプッシャ式対空戦闘機"散香"に乗り、つぎつぎと敵を落とす優一。
だが彼らの防空網に「ティーチャ」と呼ばれる、敵軍エース機が現れる。
キルドレたちをもしのぐ空中格闘技術をもつティーチャ。
同僚パイロットの湯田川も落とされた。
「ティーチャは、大人になったキルドレなんだ」
嘘か誠か、ティーチャには多くのウワサが飛び交っていた。
かつて森博嗣が押井守作品『アヴァロン』を褒めたことから、監督が嗚呼ありがたやとオファーに応じたとどっかで読みました。
元名古屋大学助教授の森博嗣が、趣味のラジコン飛行機で作った機体に動きを再現させて書いた原作シリーズの『スカイ・クロラ』『ナ・バ・テア』の二冊を元に作られてます。
原作挿絵は知る人ぞ知る鶴田謙二。そうあの『チャイナさんの憂鬱』を描いた鶴謙です。
ちなみにスカイ・クロラは"Sky Crawlers"、ナ・バ・テアは"None But Air"のカタカナ表記。
作中の専門用語も語尾に長音を使わないあたり、小癪にオシャレな感じです。
自分は押井守も森博嗣も過去にさかのぼって網羅するぐらいにはファンなので、ついでに鶴謙のマンガ本集めるぐらいには好きなので、そら見に行きますわな。
で、
「あ、こっちの押井守か」
となりますわな。
こっちっていうと「天使の卵」や「人狼 JIN-ROH」の方。
まあ早い話が、悲劇的結末にいたる物語なのです。
森博嗣という作家は、そのキャリアからわかるとおりの理系で、自分の感情や気持ちにすごく真摯でナイーブな反面、社会の構造や他人の心に無頓着な性質が、この作品にもそこかしこにあらわれています。
このへん押井守も似たような性分のせいか、そこがうまく働いて、設定のややこしい原作をきれいにシェイプして、非常に透明感のある作品に仕上げています。
「スカイ・クロラは唯一、自分が全てをコントロールできた作品」
と言う押井守。
見てもらいたいのは、場面転換。
多くの演出家が、ただロング撮ってそこから人物映すだけでシーン変化の説明を終えがちですが、ぼくらの押井守はそんな工夫のないことしやしません。
最初にあらかじめシーンに与えたい印象を、アングルや色調やガジェットでもって提示し、それからドラマに入るという周到なテクニックを使います。
個人的には、強い影響が見えるタルコフスキー監督よりも、そのテクニックは優れていると感じます。
自分が悲劇が苦手なのもあって、最初に見たときは正直「あちゃー、見ちゃったよこれ」という気分になりましたが、その後くり返し見る度に演出の上手さに気づいて、押井守を語る上では外せない一作だと思うようになりました。
ただ、感想は何回見てもそんなに変わらないんですけどね。
これはまあ、印象操作が上手くいっている証左でもありますが。
もひとつ、近年になって監督は
「この作品は僕の色気が入ってる」
ともおっしゃってますけど、そっちは分かんないや(笑)
つづき作るなら、キャラデザに鶴田謙二を入れてください。
そして上着はだけて上半身水着姿で整備する女の子を入れてくれたら、その意見に絶賛賛成します。
すき すき 大すき
突然レビューしたくなったので書きます。
私はこの映画でスカイクロラシリーズが好きになりましたが、原作小説は1行も読んだことがありません、そして現在の私は小説を読める精神状況にありません。でも書きたいので書きます
詳しい設定はウィキペディアを参考にして書いています。間違い多々あります。妄想沢山入ってます。ごめんね
とても長い乱文です。ごめんなさい
物語は、ある飛行場に新しいパイロットが着任することでスタートされる。
だが、映画のスタート「掴み」は余りにも劇的な、3vs1(うろ覚えw)凄まじい空中戦から始まるのだ。
三人はプッシャ型の戦闘機を駆り、一人は、トラクタ型の戦闘機を駆っての、激烈な空中戦。
3vs1、この文だけで想像すると、余りにも一方的である戦闘結果が想起されるが、その三人はあっけなく叩き落される。(一機は退避したっけ?うろおぼえw)
僕はこのシーンが好き過ぎて何回も見直してる。(昨日も見た)
「警戒!上方に敵機!退避せよ!」
エンジンの爆音。
雲が晴れて、飛行機が飛行機に向かって攻撃する 空中戦が始まる。
僕は、このセリフを敵機に追われ始めている友軍機に対していち早く気づいた味方が、必死に警告している。と解釈している。(空中戦とは、大抵目にも止まらぬ速さで展開されるので、ホントは何が何だか分からないし、このシーンは空中戦の最後の最後を描いているのかもしれない)
追いかけられている飛行機の翼の両端から白い線が出る。失速の兆候である。このパイロットは判断ミスしている。
失速によって空中に固定されてしまった飛行機が滅多打ちされて穴だらけになる。もう駄目。
「コントロール出来ない。脱出する。」
搭乗者が脱出して、パラシュート降下を開始したと思ったら、戻って来た敵機がその搭乗者を蜂の巣にする。
その後、敵機がもう一機の後ろに着く。仲間が駆けつける。敵機を挟んだ。「ティーチャを撃墜する。」射撃する。敵機は難なく回避して、急減速して後ろに着いてくる。敵の動きが余りにも速すぎる。反応出来ない。撃墜される。「NOOOOO」
最後の一機は見逃される。空中戦は終わった。
カメラはその敵機が降下していくのを舐め回す様に映す。
銀色の機体がキラキラしている。独特のエンジン音が耳にこびりつく。
その後音楽が始まって、物語が本格的に始動する。
何どもこのシーンを見ているうちに、私はこの空中戦の展開に強烈な違和感を感じ始めた。
第1にこの「ティーチャ」は圧倒的劣勢の空中戦を楽しんでいる様に見えた。
最初の飛行機は、おそらく「一撃離脱戦法」で撃墜されている。(正確に言うと全く違うかもしれない。まだまだ不完全な私の知識による、個人的分析です。)
一撃離脱戦法とは、噛み砕いて言うと、「U」の字の様な感じだ。「U」の底に居る敵機に対して、自分が「U」の字を描いて攻撃する。
タイミングを見計らい、一気に降下して、一瞬射撃して、すぐさま上昇。
こうすることで、敵の対応する隙を与えず、かつ、攻撃に失敗したとしても、攻撃した自分の機体は、降下したエネルギーで速度が乗っていて、下にいた敵機は、原則的に追いつけない。(離脱していく敵機に無理に追いつくこうとして、着いていくと、間違いなく敵機より素早く失速する。)
先の文で、私はこのパイロットは判断ミスをした。と書いた。
敵機は上から降ってきた!と味方が突然言い出す。その通信のコンマ数秒後に、敵が後ろに突如として現れる。反射的に操縦桿を引いて、上昇してしまい、失速し、落とされる。
一撃離脱戦法から逃げるには、自分も一緒に降下するしか方法が無い。左右に旋回すると機体からエネルギーが奪われてしまい速度が落ちる。上昇などもってのほか。速度が落ちた飛行機は、空中で自分の意思で動かせなくなる。失速して空中に「固定」されてしまう。
圧倒的な速度差があると、失速した機体はそれを撃つ機体から見ると、「止まっている様に」見える。簡単に弾を注ぎ込める。
彼は究極の判断に何故失敗したのか?
答えは余りにも簡単である。「不意打ち」と「恐怖」による思考停止。
2つの飛行機を瞬く間に撃墜した敵機は「ティーチャ」と固有名詞で呼ばれている。これは機体のコードネームでは無い。劇中で何回も再登場する正体不明の謎の存在。
黒いチーターの絵が機種に描かれているこの飛行機の名前は「スカイリィJ2」である。
この映画世界の典型的飛行機は、プロペラが後ろに着いている、プッシャ型。
この型式の航空機は、我々の現実世界では余り一般的では無い。映画を観た時「変な飛行機」と思った人が沢山いるでしょう。
プッシャ型が沢山出て来るのは、多分監督の性癖だからだと思う。(私は確信している)
言いたい事は、要するに、「ティーチャ」の「スカイリィJ2」はこの世界で「浮いている」そして、それに空中戦を挑む者は、この「ティーチャ」にとてつもない恐怖の感情を抱いている。と言う事
何故「怖い」のか?
空中戦シーンに戻る。
最初に撃ち落とされた飛行機から、搭乗員が脱出する。それが一瞬で血煙になる。
このシーンはあり得ない!
一撃離脱戦法の解説で書いた通り、攻撃を終えた飛行機は急速に敵機から遠ざからなければならない。このシーンの場合は、敵機が複数なので、尚更この流れを意識しなければならない。
敵機はまだ2機残っている。何をしてくるか分からない。
それから、敵機の後ろを犬の様に追いかける「ドッグファイト」に移行するなどもってのほか。厳禁である。でも、「ティーチャー」は、その空中戦に於ける、「禁忌」をやすやすと破っている。
その後、彼はわざと敵機に「挟まれる」
現実のパイロットだったら絶対しない行為。
余りにも「ティーチャ」の思考は挑戦的、というか「意味不明」だ。
撃ち落とした敵機のパイロットを、わざわざ戻ってきて、残酷に射殺する。この行為は現実だと、交戦法規でしてはならない事になっている。
私はこれを見て、自分が遊んでいる、対人の対戦ゲームで時折出くわすある事象を思い出した。
私が壁に隠れているのに、敵の弾が当たって、死ぬ。不自然に思った私は、キルカメラを見る。
私を殺した敵は不自然な動きをして私を殺している。これを見て、「私は「チーター」に殺された。」と確信する。
「チーター」とはゲームでズルをする人である。簡単に言うと、サッカーで、ゴールキーパーでもないのに、自分だけ手を使ってプレイする感じだ。
この行為をするものが居ると、どんなゲームでも「つまらなくなる」。真剣勝負では無いから。私はゲームをやめて別の事をしだす。
この例え話しは正確ではない。
私がしていたのは「遊び」だ、不快だったらすぐゲームを消せる。
でも劇中の三人は違う。
あのシーンでは、私が全く想像出来ない、途轍も無い恐怖が三人を襲っている。
空中戦は身体に凄い負荷が掛る。
ジェットコースターを操縦してる感じだ。
機体を自分が行きたい方向に向けると、自分の身体に強烈な「G」が掛る。
ジェットコースターに乗った時とは比べものにならない変な感覚の、凄まじい正体不明の力が体に掛る。
息が苦しくなってくる。はぁはぁ。
逃げても逃げても逃げられない!殺される!
「G」で身体の血液が掻き回される!
意識が遠のく。自分が何をしているのか一瞬わからなくなる。
サバンナの荒野で、必死に走って逃げる!チーターが全速力で襲いかかってくる!
設定によると、確か、ティーチャーは、「大人」で、そのティーチャーに叩き落された飛行機のパイロットはキルドレ「子供」だ。(ホントに合ってんのか?w)
要は、彼らは「チート」を使っている大人のゲーマーに「弄ばれた」。
彼らは「ティーチャー」に絶対勝てない。
彼らは「永遠の子供」。
それを「ティーチャ」が「遊び」で叩き落す。
ティーチャは自分の力に溺れている。彼は大きい「子供」だ。
この映画の最後に、主人公は「ティーチャ」を撃墜しようとして、返り討ちに合う。
映画最初の空中戦で「ティーチャ」がキルドレに対して行なった最低最悪な「チート行為」
主人公はそれよりも酷い状況に晒される。
徹底的に弄ばれ、最後は現実的でない動きをする「ティーチャ」の猛射によって、彼の機体は粉砕される。
恐らく「ティーチャ」は「キルドレ」の考える事が全て分かるのだろう。
自分も子供だから。
追記と妄想。(長いよ)
スカイ・クロラ←日本訳:空を這うものたち(合ってんのか?w)
ティーチャ(チーター)←「地上最速」の動物
必死に空を「這う」者たちを、「チーター」は容赦なく狩る。
スカイリィJ2って目茶苦茶カッコイイよね。
昔日本には「J2M」という飛行機が合ったんだよ。
このJ2Mというのは日本海軍が定めた管理番号で、真名を「雷電」と言う。三菱製。
500機位しか生産されてないし、不具合も多かった。
でも、日本に爆弾を運んできたボーイングB29の乗組員はこの機体を「JACK」と呼んで、とっても怖がっていた。
この「雷電」は長い間飛べないけど、当時の日本戦闘機で一番の上昇力を発揮出来たんだ。
武装も強力だった。
でも生産量がとても少ないから実際に「雷電」と闘った者は少ないと思う。(零戦なんて一万機も作られてる。こっちの方が良く目にしただろう)
「スカイリィJ2」とは全然違う、ずんぐりむっくりな形の「J2M」が、自分のB29の上に居る事に気付いた搭乗員は、こう叫ぶ。
「警戒!上方に敵機!退避せよ!」
この映画は細かすぎる。最高の映画。
ネタバレあり コメント許可 ボタンの仕様がわからず、イライラする
キルドレは死ぬことにした。 この退屈さを受け入れられるのであれば、あなたも立派なオシイスト。
レシプロ戦闘機に乗り日夜戦いを続ける「キルドレ」と呼ばれる青年たちの灰色の日常を描き出した戦争ドラマ。
監督は『うる星やつら』シリーズや『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』シリーズの、巨匠・押井守。
感情表現が希薄な新任パイロット、函南優一の声を演じるのは『誰も知らない』『硫黄島からの手紙』の加瀬亮。
優一たちが行きつけにしているダイナーのマスターの声を演じるのは『ウォーターボーイズ』シリーズや『ピンポン』の竹中直人。
脚本監修を務めるのは『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』で知られる映画監督の行定勲。
いやぁ、退屈!!
こんなに退屈なアニメ映画はないんじゃないかというくらい退屈な作品。
しかし、だからこれが悪い映画なのかと言われるとそこにはNOと言いたい。
押井守作品のファンのことを「オシイスト」なんて呼んだりしますが、我々オシイストにとってこの程度の退屈さはなんでもないことなんです。むしろ「面白かったらどうしよう…」くらいの感じで作品を見ますからね。そんなんもう異常者やんと自分でも思いますが、この退屈さを求めて我々は押井の映画を観てるんです。もしこの作品の退屈さを許容できたのなら、あなたも立派なオシイスト👏
原作は小説家・森博嗣による同名小説。未読だから映画との差異は不明だが、まあ押井守のことだから大枠だけ原作をなぞってあとはほぼオリジナルみたいな作り方を今回もしてるんだろう。
ただ、不思議に思ったのは登場人物の名前。ヒロイン・草薙水素の名前は『攻殻機動隊』シリーズの主人公である草薙素子にクリソツだし、謎の人物・クリタジンロウのファーストネームは押井が脚本を手がけたアニメ映画『人狼 JIN-ROH』(2000)と響きが一緒。流石にこれは偶然とは思えない。
もしかして森博嗣先生もオシイスト?
手元にあった「押井守の映画 50年50本」(押井守 著、2020年8月、立東舎)や「創造元年1968」(笠井潔/押井守 著、2016年10月、作品社)をペラペラ捲ってみると、なかなか興味深い事が書いてある。
まず押井監督は興行的には不振だったことを認めつつも、この作品のことをめちゃくちゃ気に入っている模様。
本当に納得のできるアニメ映画が作れたのは本作が初めてであり、それ以前の作品は全て習作であると言い切っている。また機会があればディレクターズ・カット版を作りたいとのこと。半端じゃない入れ込み方である。
押井が本作でやりたかったのは「時間」を表現すること。ここで言う「時間」とは2時間とか3時間とか言う客観的な時間ではなく、映画自体が持つ主観的な時間のこと。監督が意識的に作り出す時間のことなんだとか。
押井曰く、映画においてセリフやアクションの最中は時間は流れていない。その合間にこそ映画の時間は流れる。アニメーションは絵の連なりなので、セリフやアクションがない時間というのは存在しない。それはただの静止画になってしまうから。
本作ではそこに切り込んでおり、「何も起きない時間」というアニメーションが最も不得手としているものを表現しようとした、とのことである。静止画に見えるような静かなシーンでも、本物の人間がとるような無意識な動きをキャラクターに取り入れる。そうすることで静止しているようでしていない、ダラっとした時間の流れを表現することに成功している。
もちろんこれは西尾鉄也をはじめとするプロダクションI.Gの精鋭アニメーターたちの、繊細で丁寧な技巧があって初めて実現可能なことであり、普通のアニメではまず不可能。超実力派アニメーターを大量に導入して、やらせることは新聞を畳んだりボタンを外したりという細かな日常芝居。贅沢というか無駄遣いというか…。まぁそこが良いんですけどね。
監督が参考にしたのはヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)。この映画に流れている主観的な時間を自分でも実現してみようというのがこの作品の狙いだったようなのだが、面白いのは押井は『パリ、テキサス』のことを「退屈すぎて死にそうになる」と評していること。
退屈すぎると感じる映画を作品作りの反面教師にする、というのはよくわかる。しかし、その映画を参考にして同じような時間感覚を持つ映画を自分で作り出すというのは、はっきり言って完全に狂ってる。
本作は見事に退屈なのだから、押井監督の目論見は成功したということなのだろう。だから納得出来る映画が出来たと自画自賛しているのだろうが、それってオシイスト以外の観客からしてみたらたまったもんじゃないよね💦
まあでも、我々オシイストは押井守のこういうねじくれたところを愛している訳ですが…。
押井監督が構想するディレクターズ・カット版とは、空中戦やアクションシーンを全てカットし、キルドレたちの日常のみを描くというもの。
普通の観客は「そんなもん誰が観たいんだよ…」と思うことだろうが、個人的にその目論見は至極真っ当と思う。
というのも、映画全体のトーンから考えると、確かにこの映画のドッグファイトには取ってつけたかのような不自然さがある。「客寄せのために仕方なく入れました」みたいな白々しさが感じられるのだ。
個人的にこの映画で最高の感覚だと思ったのは、草薙・函南・土岐野の3人がボーリングをするシーン。三者三様のスローイングフォーム、ボールの重さが確かに伝わる重力移動、ボールがリターンしてくるまでの所在無さなど、本当にこのシーンには超絶精緻な作画技術が詰め込まれている。もうこういう細かいアニメの動きが本当に素晴らしく、ここだけで2時間くらいあっても良いんじゃないかというくらい満足してしまった。
現実的なことをあえてアニメで描く、その際に生じる違和感こそがアニメ作品の醍醐味だと思うんです。派手なバトルとかエフェクトなんて二の次三の次。
その日常演技の技術が高ければ高いほど、生じる違和感も強まり快感度数も増す。そういう風にアニメを観ている人間にとって、この映画の演出は本当に眼福です…😋
物語の内容自体は、まあ可もなく不可もなく。
『攻殻機動隊』同様、『ブレードランナー』(1982)みたいな事がやりたかったんだな、という感想。函南とか草薙が逃げ出してたら、それこそまんま『ブレラン』だったよね。
退屈さという点では、オリジナルよりも続編である『ブレードランナー2049』(2017)に近いかも。アンドロイドが妊娠するという展開も一緒だし。
もしかしたらヴィルヌーヴ監督は本作からインスパイアを受けたのかも。実は彼もオシイストなのかも知れない…。
生の実感が湧かない若者の灰色さというのは確かによく表現できていたが、キルドレという設定を上手く扱えていたかは疑問。別にキルドレじゃなくても全然成り立つ話ですよねこれ?
いつまでも子供のまま、というのはモラトリアムのメタファーだというのはわかるのだが、子供/大人の対比が絵としてわかりにくい。函南たちキルドレがあんまり子供に見えない。
日本アニメにおいては、彼らよりももっと幼くデザインされたキャラが普通に戦ったりなんだりしている訳だから、このキャラデザで「僕らは子供です」と言われても説得力がない。子供ということを強調したいのであればもっと頭身を低くするとか、ショタ声の声優をキャラに当てがうとか、もう一工夫が必要だったんじゃないか?
もう一つ気になったのは終盤の説明台詞。
戦争の実態やキルドレの正体、クリタジンロウという人物についてなど、ほとんど説明がなされないまま物語は進んでいく。ただ、物語の端々で描かれている事柄から観客としては大体こういうことなんだな、という推測はできるし、その推測はおおかた当たっている。
わざわざ草薙や三ツ矢に怒涛の説明台詞を喋らせてしまったせいで、それまでのシャープな語り口が急にブサイクなものになってしまった。もう少し観客の読解力を信用してほしい。
本作を最後に、押井はアニメ映画の監督をしていない。
この映画がコケたせいでなかなか撮らせてもらえなくなったのかもしれないし、本人に興味がなくなったのかもしれない。
ただ一つ言えるのは、押井の戦場は実写ではなくアニメの世界であるということ。ただただつまらないだけの実写映画を撮ってる暇があったら、つまらないけど中身の詰まったアニメ映画を撮ってくれ!!
…「タバコを吸わない上司は信用しないことにしてる」って、それ宮崎駿のことを意識したセリフですよね。本当に押井は宮さんの事が大好きなのね〜…😏
ただ切ない。暗く、救いがなく、でも、なぜか惹かれる。美しい作品。
高校生の時に見た衝撃的な作品でした。
当時の私にとっては、何一つ救いがなく、ただただ暗い作品で、
切なく終始胸が苦しかったのですが、
曲調や劇中画の美しさや儚さに心を打たれたのか、
私の中でこの作品を超えるアニメがありません。
思い出に残る作品です!
作品の意図を考えていくと夜が明けてしまいそう
わたしはなにをみたんだろう
どういった内容だった?どうだった?おもしろかった?と聞かれて
なかなか言葉に詰まる作品も少ない。
おもしろい か おもしろくない か
基本的どちらかに所属するものだから。
この作品はどちらにもならない。
好きか嫌いかで言えば、好き。
面白いかと言われると、それは微妙かもしれない。
戦闘機から見える空の青さと、
アニメとは思えない動き、
その割にはキャラクターの喜怒哀楽が見えにくくて、
淡々と進んでいくから気持ちを測りにくい。
説明がされない分、自分での理解が必須になるけれど、
マッチを折る仕草や新聞のたたみ方で
なるほどと思う伏線は張ってあった。
戦うために作られて、ぼんやりとした記憶しか持たない彼らを
いつも歩いている道は同じでも
そこにある景色は違う。それではダメなのかと問う。
それは生きるということではないのかと。
それでも、それを言いながらも
何かが変わるまでこの地獄で生きろと言う。
絶対に倒せないと分かっていても
そこにむかっていく彼の気持ちを、
彼女のまえにまた現れる、違う彼を
待っていたと告げる彼女の顔は以前とは全然違っていた。
エンドロールが終わるまで考えて考えても
結局答えの出ない質問を投げかけられたような気がする。
心の中になにか棘を残していくような、
静かでかなしい、明日への物語。
わかる人にだけわかればいい
「キルドレ」という言葉の意味ややってる戦争のことについてなど解説無しには分からない設定があるにも関わらず、一切解説が無いまま後半(ほぼラスト)まで話が進むので置いてきぼりにされた感が半端無かったです。
だからなにやら「キルドレ」という少年(青年)兵たちがよくわからない戦争だか擬似戦争だかに参加して飛行機で撃ち合いしているだけの話にしか見えない。
設定解説セリフが満載なのも萎えるけど、それにしてもこれはあまりにひどいな、と感じました。
後半でやっと解説して頂いても今更って感じ。
他にも菊地凛子の声や演技がキャラにあっていないことや三ツ矢?のメンヘラ具合にイライラし、自分的にはまったく見る価値の無い映画でした。
約2時間の本作が半分程終わった時から残り何分かを逐一確認していました。
早く終わってほしくて堪らなかったです。
本作の監督の作品は二度と見ません。
あまりに不親切。
わかる人にだけわかればいいと思っているのがありありと伝わってきて、なんだか軽んじられているようにさえ感じ、不愉快でした。
押井監督が反戦映画を作った。&禁煙者は見ない方が・・・
見た印象は題名の通です。
特に主人公と大人との会話は皮肉に満ちています。
武器を抱えて生まれ来る子はいません
これも皮肉の一つだと思いますが、暇さえあれば煙草すってます。
禁煙中の人は見ない方がいいです。
話が戦争だけどライト
戦争を永遠に年を取らない若者から描いた作品です。
1番印象的だったのは、永遠に繰り返される悲劇に対する絶望に対して、毎日同じことは何一つないという希望の言葉でした。
個人的にはキレている登場人物を見ると、どこかで安心する自分がいるようにも思えた。
戦争なのに話が淡泊なので、戦争として重くするか、戦争でなくて軽くするか、どちらかにした方が話としてはすっきりするように思えた。
きれいだけど心に何か残る映画を見たい人にオススメである。
(他人のレビューで印象的だったこと)
自分の生を確認するかのように相手に介入するエロスがある。
オシイズム全開
やばいです。この映画。
期待していなかったんですが、まじで感動しました。エンドロール始まってもテレビから離れられず、最後までスクリーンに釘付けです。(おかげでエンドロール後の映像も見ることができました。押井作品は大好きでほぼ全作品見ていますが、敢えて台詞を押さえ、押井的な空気を楽しませるオシイズムが全開のこの作品。ファンじゃないヒトには受けないのでしょう。低興行収入、低評価なのもそういう意味では仕方ないのかもしれません。それでも、この映画のメッセージは心にずんと響くし、登場人物の苦悩もダイレクトに伝わってきます。
奇しくも彼の代表作の攻殻機動隊の草薙素子と、ビジュアルも名前もかぶる草薙水素。(スカイクロラの原作者は特に意識したわけではないようです。)その内面での共通性も彼の作品の中では普遍的に思われます。自身の存在意義に苦悩する水素=素子。菊池凛子の演技もぐっと来ます。俳優陣でいえば、主人公の函南優一役の加瀬亮の演技も淡々としていますが、個人的にはかなりよかったです。
原作は読んでいませんが、スカイウォーカー(skaywalker=空を歩くヒト)をもじったと思われるスカイクロラ(Crawler=空を這うヒトorはいはい歩きをするヒト)の意味がエンディングで理解できます。ちなみに最後の出撃時に函南は字幕で「ティーチャーを撃墜する」と言っていますが、実際の台詞では英語で別のことを言っています。注意して聞いてみてください。
評価が低くて、公開からかなりたって鑑賞したこの作品ですが、個人的には日本のアニメ界にとっては金字塔となる作品と思います。多くの人に見てもらいたい作品です。(もっと評価上がってほしい映画です。)
「カンナミ・ユーイチ」と「クサナギ・スイト」
映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」(押井守監督)から。
アニメなのに、妙なリアル感があり、楽しめた。
吹き替えに、声優ではなく俳優を抜擢したことで話題になったが、
たしかに、その効果はあった気がする。
さて、今回の気になる一言は、主人公の名前。
戦闘機のパイロット「函南」、基地の女性司令官「草薙」。
静岡県民でないと、何とも思わないかもしれない。
どちらも静岡県にある地名で、エンドロールで気が付いた。
「田方郡函南町」「静岡市駿河区草薙」(草薙球場)・・
メモした台詞より、この名前に引っかかってしまった。
是非、監督に「主人公の名前」の由来を聞いてみたいと思う。
日本の映画なのに字幕が出て、
「了解」をわざわざ「諒解」とした意図も聞いてみたい。
エンドロール後に、また新たな物語の展開が・・。
終わった・・と思って帰ると損します。お気をつけて。
映像は素晴らしいけど、原作とは別の物語
映画化されると知った日から、もう本当に楽しみにしていた。
森作品の中でも特にこのスカイ・クロラシリーズが好きで、原作は何度読み返したかわからない。
今回残念だった点は、キルドレが空を飛ぶのが、彼らにとってどれだけの意味があるか、が描かれていなかった。
空にいてこそ初めて命を感じ、それ以外は価値がない、飛ぶためだけに生きる彼ら(少なくともカンナミとスイトは)の、その一番大切な描写がなければただ無気力なだけの子供に見えてしまう。
空中戦も、映像はとても素晴らしかったと思います。
ただ、操作する人間の描写がなかった。
実際原作では一機落とすにもドラマがあり、そこが見所でもある。鮮やかなまでの空中戦を期待していた身としては、本当に残念でした。
カンナミとスイトの関係性も、恋愛描写にはしてほしくなかった。最後のシーンでも、彼を愛していた?と好きだった?ではだいぶ意味合いが異なる。
全体的にストーリーを追ってはいたけど、原作スカイクロラとはまったく別の物語であり、別の物語として観たならきっと普通に素敵な映画だったと思いますが、長年の原作ファンとしては残念でなりませんでした。
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