旅立ちの時のレビュー・感想・評価
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負債からの解放?
この映画、旅立ちの時という題だが主人公ダニーが自分で決断するシーンは少ない。音楽学校への進学も自分から強くは主張せず、肝となる旅立ちも自分から言い出さずに家族に背を押される形で果たされる。彼が最も自分を主張するシーンはガールフレンドに自分の複雑な環境を自ら打ち明けるところだろうか。
彼の家族も過激な反戦活動を行っていたとのことだが、作中では政治的な主張や行動をすることはなく逃亡生活を営んでいる。母親は銀行強盗を行おうとするかつての仲間に、大人になるようにと忠告する。かつて青臭い理想のために行動したのは自分が子供だったからと言わんばかりである。
対照的なのがダニーのガールフレンドであり、彼女は自分の両親について、善人ぶっている、他人に関心がない、と辛らつな評価をしている。反面、過激な行動に走ることはなく、数年もすれば自分の仕事や家庭に関心が退行していくのだろうと思わせる。
母親はダニーの進学話を機に、連絡を取っていなかったダニーの祖父に世話を頼むなどこれまでの負債と向き合っていくことになる。個人的にはこのあたりが映画のハイライトではないかと感じた。
総じてこの映画からはイデオロギー的な活動に対する冷めた目線が感じられ、最も印象に残ったのは活動により要らぬ負債を抱え込んだ夫婦が子供を解放しようとする姿であった。
ラスト30分必見の必見
中盤まであまり裕福ではないが、普通の4人家族。
高圧的な父親が、お金にうるさい。
普通の親なら子供の為に惜しまないところにまでケチる。お金が無いなら無いで色々と援助なりお金の出所を探して子供の為になるように努力すると思うが。
知人が12年ぶりに訪ねて来て、銀行強盗?のお誘い?
父親は知人のトランクから銃を探し出し、息子二人を呼んで、
「何事も銃で解決してはいけない。」と
まともに忠告する。
長男のダニーは、音楽の才能があるらしく認めた音楽教師がジュリアードに行くよう勧めるが、本人行きたそうだが、煮え切らない返事。
ダニー一人でジュリアードの試験を受けに行ったが、前の学校の成績を提出しないと合格できないと試験官に告げられ返事を濁し立ち去る。
実は、この家族には秘密があった。
それゆえ各地を転々とする生活が、14年続いているという。
名前もコロコロ変わる、いや、変える。
ダニーに音楽の才能があり実技試験に優秀な力で合格しても、先に進めない。
業を煮やしてて音楽教師が内密に母親に会い、
ダニーの才能がもったいないと告げる。
意を決したかのような母親。
自身の父親に久しぶりに会う。
そして、ダニーを引き取って欲しいと頼む。
ダニーの両親は、爆破事件の犯人で捕まるのが嫌でずーっと14年間子供を連れてFBIから逃げ回っていたのだ。
やはり、子供がいい迷惑。罪は無いのに。
RUNNING ON EMPTY
リバーフェニックスのピアノの才。初めて知った。
このタイトルでは、多分見なかったはずなのだが、原題が[RUNNING ON EMPTY]という興味深いタイトルだったのと、シドニールメット監督作品というのでBSで見る。
内容は非常に興味深いものだった。原作はあるようだが、原作脚本製作総指揮まで、一緒の人だった。作品内のどの人なのだろう。まったく部外者なのか。
ラスト、ダニーがジュリーアード音楽院に行ったのかどうが気になる。もちろんこの展開まで見せられて、やはり行けませんでしたでは、悲しすぎる。
紙で作った鍵盤でピアノの練習をしたということ、母親が教師だったというのも、重要。
大学に提出する学校の成績をでっちあげできるのかも。
FBIに追われた家族が引っ越しを重ねながら逃亡生活をえんえんに続けて行くというのは、現代ではもっと難しくなっているだろうけど、映画製作当時はぎりぎり可能だったのだろう。
ダニー
リヴァーがかっこよすぎる。
だにー(リヴァー)の両親が指名手配中なため、小さい頃から引っ越しばっかりだった家族だが、家族はとても仲良く、ダニーもその弟も良い性格に育った。今回引っ越した場所では、ダニーの音楽の才能も認められ、恋人もでき青春していた。音楽の才能を認められ、音楽の大学を行くことを進められたが、ちゃんとした戸籍?などがないため行くことができない。しかし、両親はダニーの想いを感じとり最後はダニーを置いていった。最後のシーンはとっても泣ける。リヴァーの泣く演技もキスシーンもピアノを弾いてるシーンも見れる。また見たい!
抜群のバランス感覚
長らく警察からの逃亡生活を送ってきたとある家族。しかし息子の進学と恋を転機に家族離散の危機が訪れる。
家族の連帯と自分の未来の狭間で揺れる息子のダニー、ダニーの自立をどうしても許せない父親、親としての責任意識に苛まれる母親、家族より自分を大切にしろとダニーに諭すガールフレンドのローナ。それぞれが己の言い分を互いにぶつけ合う。
しかしそこに序列のようなものはなく、すべての言い分が同じくらいの正しさと誤りを有した人間的なものとして等価値に描かれているように見える。
細かく見ていけば「これはちょっと酷すぎるんじゃないか」という言動もけっこう見受けられるのだが、登場人物がみんな人間臭いせいで「でもまあ仕方ないよな…」という納得のほうが先行してしまう。
たとえば進学を希望するダニーに対して父親が「家族の絆」を盾に反対するシーンなんかは、そこだけ切り取れば毒親の論理そのものだが、前後の振る舞いを鑑みると、それが最愛の息子を繋ぎ止めるための苦肉の最終手段だったことが窺えると何とも言えない気持ちになる。
時にこういう過熱的な描写が随所にありながらも、誰か一人だけが正義あるいは悪にならないよううまくバランス調整されているあたりはさすがのシドニー・ルメットと言ったところか。『十二人の怒れる男』にもそういうバランス感覚が抜群にあった。
最終的には父親がダニーの進学を認め、これによって家族離散(これは単なる離別ではなく、より精神的な繋がりの消失だ)の危機は乗り越えられた。
彼が折れたことには複合的な理由があるだろうが、彼の活動家仲間の男の死はとりわけ大きかっただろう。
男は周囲を省みることなくいつまでも暴力革命の幻想に固執し続けていたが、その結果警察によって無惨に射殺されてしまう。
父親もまた周囲の意見にも耳を貸さず、家族の絆という幻想を保つことにひどく固執していたが、男の末路をラジオで耳にしたことで、この固執が息子にとって良い結果をもたらさないことを察したのではないかと思う。
リバーフェニックスの演技で救われてる作品。俳優自体に責任は無いが、...
リバーフェニックスの演技で救われてる作品。俳優自体に責任は無いが、親子として観るにはあまりにも似てないキャスティングでちょっと冷めてしまう。ラストシーンの別れの際に、車中の弟役の子供が、シーンの重要性を全く理解してない馬鹿面で涙が引っ込んでしまった。
リバーが生きてたら名優として活躍していたんだろうなあと感慨に耽ってしまい、別の意味で切ない。
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