ホテル・ルワンダのレビュー・感想・評価
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フツ族とツチ族の戦い
黒人同士の差別。日本以外の外国人は人種が多い分差別したがるのかなぁ?。いや、日本人は又、1つの人種だからか、違う形の人間を見ると怖がるし(笑)。ホテルの支配人の男性がツチ族1200人以上を助けた話。いつの時代も差別は消えねーわ(╥﹏╥)。
「私」と「彼ら」をつなぐ力
「ホテル・ルワンダ」はルワンダ虐殺時、勤務するホテルで何人もの人々を匿った実在の人物のストーリーだ。
歴史上に残る悲惨な出来事をモチーフにした映画は数多く製作されているが、大きく分けて2つのパターンがあると思う。
1つは激動と混乱の中に生まれるドラマ、極限状態での人間性を問う物語。戦争映画は大体これに分類される。
もう1つは世界中にこの事実を伝え、後世の人間として何を学び、いかに行動すべきかを問う物語。実話ベースの映画はこちらに含まれると思っている。
「ホテル・ルワンダ」は間違いなく後者の映画だ。
虐殺の事実、陰惨な光景はぼかすことなく描かれていて、今映し出されている映像はまぎれもなく本当にあった出来事なのだと突きつける。
しかし、ルワンダは遠い。距離的にも心理的にも遠い。自分達と地続きの、同じ時を生きている人だと実感するには、その距離はとても埋めがたい。
そこで私たちと彼らを繋いでくれるのが、ルワンダに滞在していた外国人たちである。取材に来ている記者やカメラマン、赤十字のボランティア、平和維持軍の軍人。
たまたま滞在していた彼らが、私たちとルワンダの架け橋になってくれる。彼らは私たちの代わりに疑問点を訊ねたり、やるせない想いを打ち明けたりしてくれる。
彼らの目線、彼らの振る舞いを通して、私たちはルワンダの人々からそっと手を握られるのだ。「どうかルワンダを思って欲しい」と。
虐殺の存在を知れば、その原因を知りたいと思う。原因を知れば、悲劇を繰り返さない方法を考えようと思うだろう。そうして少しずつでも「私たち」と「彼ら」の距離が近くなれば、世界はルワンダを無視できなくなる。
それはとてもささやかな関係だが、ゼロではない。少なくとも、私には手を握られた感覚があったのだから。
ルワンダだけでなく、今後世界中のどこかで同じような悲劇が起きたとき。きっとこの映画は私たちと世界の架け橋になってくれる。
実話
100万人近くの人が虐殺された実話。
しかも1994年という最近のお話。
以下ネットから引用↓
1994年4月、フツ族とツチ族の民族対立に端を発するルワンダ虐殺(ジェノサイド)が発生しました。 きっかけとなったのは、フツ族出身の大統領ハビャリマナ氏の飛行機が何者かによって撃墜されたこと。 これを皮切りに、ツチ族に対する虐殺が開始されました。
同じ国なのにこんなに虐殺されるんだという驚き。
100万人は多すぎる。
ルワンダというあまり主要じゃない国で起こると、世界は沈黙するというのも残酷だった。
軍の偉い人が、戦犯として逮捕されるという認識が無かったのにもびっくり。
どのようにして国が再興したのかが気になる。
主人公の支配人
は、みんなを救おうとするスーパーマンですが、映画では、いろいろ悩んだり、人間らしい弱さを見せます。
ところが、実際の支配人は、そんな姿を全く見せない真のスーパーマンだったそうです。(それでは映画にならないから、人間らしい弱さを脚色したとか)
過激なシーンもありますが、人間の素晴らしさを感じさせる作品です。
私はこの映画を見るまで、「ルワンダ」がどこにあるのか、また、どんなことがあったのか全く知りませんでした。
知ること、知ろうとすることの大切さを学びました。
追記
NHK「なぜ隣人を殺したのか」という番組があった。虐殺の3年後に放送されたものらしい。
見ていて背筋がぞっーとなった。
殺戮を煽ったラジオの恐ろしさを伝える番組だったが、今でも(そして日本でも)充分起こり得ることだと感じた。
背筋が寒くなるような番組だった。
実話をもとに、人間の闇と光を描いた作品。
感動なんて言葉では言い表せない。胸に棘が刺さったような感覚。目を背けたい、でも背けちゃいけない、背けられない。
窮地に立たされた一般市民が何をするか、
世界が、この国で起こっていることに何をしたか、
私ならどうするのだろうと考えるととても重い。
「自衛権?」実はこれほど怖いものはないと思う。
「やらなければやられる」その煽られた恐怖感で一気に加速したジェノサイド。
それを煽ったラジオ放送。
徐々にそれが日常化して、正義化して、英雄化されていく様。
簡単に手に入る鉈。どこから来るのか?
軍は本当に救うのか。
個人の判断。国としての判断。世界としての判断。
一度制圧しても、力のバランスによって再び起こりかねない惨劇。
「ある日隣人が突然私を殺しに来る」なんて書くとホラーのようだけど、実話。
DVD特典の、監督とモデルとなったルセサバギナ氏の対談で、終始ルセサバギナ氏は「実際は映画よりひどかった」というメッセージを発していたように、事実を追いながらも、監督のメッセージを明確に出した作品になっている。「皆に観てもらいたかった」から、あえてエンターテイメント的に演出したそうな。
スプラッター的な直接描写はない。その様子を見た側、その場にいる恐怖の演技他でそれを想像させる。
そんな中に挟み込まれる子どもたちの歌と踊り。
ポール氏達の物腰の柔らかさ。
テュベ氏のほっとさせる雰囲気(コメディアンだそうですね)
緊張感続く展開に、ちょっと息抜きができる。
だからこそ、余計に、このジェノサイドが虚しく、やるせなく心に響く。
監督の意図のもとに切り取られた印象的なエピソードが丁寧に要領よく構成されている。
事実をすべて描き込むのではなく、ポール氏に起こることを中心に。だから、ポール氏目線の様々な感情ー絶望感・焦り、それでもの足掻きに共感しやすくなっている。
ニュース制作者。
国連軍の不公平性…。
現場で右往左往するNGO・国連軍の人々のやりきれなさ。
民族紛争の原因・背景…。
外資系のこの”ホテル”に宿泊できるだけの、この国での有力者でありながらも、何もできずに助けを待っている人々。ポール氏目線で描かれているからであろうが。
そんな物語の中で、胸に突き刺さる珠玉の言葉が散りばめられている。
職務に誇りを持ち、家族を愛しているごく普通の男が巻き込まれた出来事。
初めから信念に基づいて多くの人々を匿ったわけではない。迷い、恐怖、絶望…。妻の、隣人の、避難してくる人々の、信頼・懇願。あんな目を向けられて、あんな極限状態で、私はその期待に応えられるのだろうか…。
そして、あのジャーナリストだったら?
国連軍の将校だったら?
NGO職員なら?
ニュースの視聴者として?
オープニングのリズム感溢れる音楽が耳を離れない。子どものお遊戯も印象的。もともとルワンダはこんな豊かな文化を持った国。なのに、何故…。
フツ族とツチ族の争い。単純なものではない。虐げて、虐げられて…その繰り返し。それも、元々あった争いではない。植民地支配者の思惑により根付けられたものがこじれて…。
何かのひょっとした拍子に立場が簡単に入れ替わる。同じ大地に住む同じ顔した民族の争い。アフリカだけではない。アジア以外の国の人からすれば、日本人と周辺の国の人は「同じ顔した民族」。海外を旅行・住んで、何度チャーニーズやコリアンに間違えられたことか。ヨーロッパの地域紛争だって、私からすれば「同じ顔した人々の争い」他人にはわからぬ確執がマグマのように横たわりメンメンと続いている。
何故ジェノサイド?子どもまで?NGO職員が言う。「だって残しておいたら、その子が大きくなって殺しに来るかもしれない」やらねばやられる。やらねば、周りから異端者扱いされて自分が仲間からやられる。そんな恐怖感から正常に判断なんかできない。何が善で何が悪なのか。ルワンダだけじゃない。『硫黄島からの手紙』にあったようにヒステリー状態での自決・アカ狩…日本にだってあった。ヨーロッパやアメリカだって魔女狩りとか…。いや、いじめだって同じ構図。コロナの恐怖にあおりを受けた自粛ポリスも…。
こんな事態に何かせねば。
「国連軍が助けに来る」確かにね。一時的な生命確保・暴走抑止にはとても力強い味方。映画の中で国連軍将校が「何もできない」とおっしゃっていたけど、駐留しているだけでも抑止力になる。
でも、力でだけで解決したいじめは、時間が経つと必ず再燃する。そんな紛争は世界中でたくさん例がある。国連軍送れば解決という問題ではない。
何が紛争を長引かせているのか、この後この国はどうなっていくのか、この映画を見て皆で語り合う。自問自答する。歴史を学ぶ、情報を集める。それが第1歩。
1992年ノーベル平和賞受賞のグァテマラ女性リゴベルタ・メンチュウさんが経験したのと同じような虐殺から逃れて、グァテマラに留まって生活改善に尽力されていた女性が言っていた。「自分達のことは自分達で決める。もう、他の国の人々に翻弄されるのは嫌。でも、この国で何が起こっているか、全世界の人に知ってほしい。そうすれば軍(虐殺者)達は好き勝手なことはできない」
うん、それならできる。ニュースだって全てを載せることはできない。でも皆が関心持てば取り上げざるを負えない。政治家だって動かざるを負えない。それが世界を動かす。世界は、未来は私達が作る。(フェアトレードだって今は当たり前になってきた。)
1人の力は小さい。でも何もできないわけではない。
この映画のポール氏しかり。
この映画の日本での配給がかなった経過しかり。1人1人の声が事態を動かす。
いじめは、加害者と被害者と傍観者の三層構造になっていると良く言われる。傍観者が無関心だったり、黙殺したり、煽る方向に動くといじめはエスカレートする。けれど、雨降って地固まる程度の喧嘩が、いじめにエスカレートしないように見守り、ガス抜きし、解決策探るように動くならヒートアップしないと思うのは楽観的?
きな臭い話が勃発している今だからこそ、そんな意味合いも込めて、多くの人に観て、考えてほしい映画です。
☆ ☆ ☆
と、昔書いたレビューを引っ張り出して書き直したけれど…
改めて、『ホテルルワンダ』をチェックしたら、
ルセサバギナ氏が2020年に逮捕され、2021年9月に、テロ容疑で有罪判決を受けたというニュースを読んだ。
ベルギー政府とUSAが声明出したそうだけれど、日本では…。この映画comにもニュースになっていないし…。
日本の人権に対する意識の低さを改めて認識させられたし、
知らなかった自分も情けない…。
身近に起こるいじめ問題とかに忙殺されていたというのは言い訳…。
ルセサバギナ氏みたいにまずは足元の問題からというのも言い訳か?
でも、とりあえず、できることからやろうと、改めて誓うことにした。全部はできないもの…。
☆ ☆ ☆
《おまけ》
ルセサバギナ氏の片腕のような役やっていらしたテュベさん、他の映画にも出ないかなあ。見ているとほっとするの。いつまでも観ていたい。
国際協力について考えさせられる作品
こんにちは、キムマッスル尚美(なおみ)さんです。
この作品はルワンダの内戦による大量虐殺を描いた映画です。
ホテルの副支配人が1200人もの命を救う、実話をもとにしたストーリー。
虐殺が起こり始めた1994年なんてつい最近のことです。
映画の残虐なシーンは遠くから撮っているので、映画の迫力としては欠けていると言えるかもしれません。
しかし、目を背けることなく全体を通して最後まで観てもらいたいという監督の強い意志を感じました。
日本ではあまり良く知られていない問題をこの作品で知ることができます、
平和な日本に住んでいると日本の当たり前が世界の当たり前と勘違いをしている自分がいました。
この作品には、虐殺で生き残られた多くのルワンダの方々がエキストラとして出演されていると聞きました。
その当時ことを語ること、過去体験したような場面に自らを投じる事・・・どれも想像を絶する辛さの筈です。
それでも事実を世界に伝えたいという彼ら、彼女らの思いを大切にし改めて、今の日本の平和がすべてではなく、今でのこのような現実が世界であることを1人でも多くの方が知ること、国際協力について、いち日本人である自分が何ができるのか?について大きく考えさせられました。
私自身いまの自分でもできることに目を向け行動していくと決めました。
平和な国に生まれたことが、改めて幸せに感じられた
私には、やっぱり、どうしても、民族対立の核の部分がわからない。
見た目では全く区別のつかない、昨日まで仲良く暮らしていた二つの民族が、どうしてある日突然殺しあったりするのか。
当事者以外がそれを理解できなきゃ、この問題は解決できないのだろうけど、出来ることなら理解したくないと思ってしまった。
そんな民族対立の構造はおいておいて、主人公が危機的状況においてもホテルマンであろうとしたことに感動した。
「砂漠のオアシス」であること。
それが究極のサービスなんだろうなぁ。
機転の利く頭の良さと、人を思いやる心と。
やっぱりサービスマンって素敵だね。
ルワンダ大虐殺の悲劇
ポール・ルセサバギナの自伝を基にしたルワンダ大虐殺の悲劇の中の一筋の光明を描いた物語。
ルワンダ屈指の豪華4つ星ホテルが難民救済所と化し主人公の支配人の機転と要領で人々を守り抜いた奇跡の実話。
国連軍もいるのですが部下を10人も殺されても民間人の凌辱や虐殺が横行しても手出しができません、当時の国連のPKOの責任者はガーナ出身で後に事務総長になった人物ですが内政干渉に極端に抑圧的でした、現地の部隊長は見るに見かねて独断で支援を尽くしてくれますが所詮、多勢に無勢、頼れるのは袖の下で繋いだ将軍とのコネとは現実的・・。
主人公が悲劇を撮影した英国人ジャーナリストに「これを見てくれれば世界が助けてくれる」と礼をいうと「同情はするが行動はしないだろう」と無慈悲な答え、これまた現実、身につまされます。
結局、ツチ族のルワンダ愛国戦線 (RPF) が制圧するまでの100日間は耐えるだけの日々でした。
インドのパキスタンとの対立構図を招いたのも英国の統治政策でしたがルワンダの民族対立も元はと言えばベルギー統治下で部族分けや偏重を進めたことが要因でしょう。
人は何か不条理なことに突き当たると自分の不幸を他人のせいにしがちです、怖いのは雑誌やラジオなどのメディアがプロパガンダとして対立の扇動に一役かってしまうことでしょう。アメリカの大統領選挙報道を見て、相も変わらずの様相に唖然とするばかりです。
幸いにも今のルワンダは外資にも恵まれアフリカの奇跡と呼ばれるほど復興、近代化が進んでいるようですが9月に気になる報道(BBC)がありました、ベルギーで暮らしていた筈のポール・ルセサバギナさんがドバイ空港で拉致されルワンダの刑務所に収監されているとのこと、反政府運動の容疑らしいですが否認しています、続報が気になりますね・・。
何故このような虐殺が起こったのか。
凄い映画だった。
何故このような虐殺が起こったのか、そこがわかる内容があったらな~!と思った。
こんなに簡単に人を殺せる理由を知りたい。
ホアキン目当てで観たので、ちょっとしか出てなくて残念。
見よう見ようと思って
見よう見ようと思ってずっと手付かずだった作品。
感動作という事前インプットがあると、自分なりの予想ができてしまって、まあ今度でいっか、となりやすい。それが、まあ、この作品の場合は何年もの期間それが続いたという。。
良作ですね。
今見ても、この題材が特異だなと思う点は、これ対立の構図が黒人対黒人で、しかもアフリカの国ということ。よく題材として取り上げられる黒人差別問題とは、そのあたりが違うしより複雑でもある。
複雑というのが、眼前の対立が黒人対黒人の民族間のこととはいえ、やはりその向こう側に白人(あるいは欧米)のアフリカ黒人に対する視線があるというところ。大量虐殺が行なわれていることを知りながら、アクションに移さない。内政干渉うんたらあるがその哀しさをテーマとして含んでいるように思われる。
絶望に立ち向かった英雄
来年から青年海外協力隊でルワンダに行くことになり、
今まで見ることを避けてきたこの映画を手に取った。
ルワンダ大虐殺。それは今から25年ほど前、つい最近の出来事である。
この虐殺の犠牲者は数百万人とも言われ、老若男女見境なく殺された。
この事件の何より怖いところは、加害者のほとんどが民兵であるということだ。
昨日まで立ち話をしていた隣人が、ナタを持って殺しにやってくる。
そんなありえない出来事が、町中で起こっていたのだ。
オーナーの男は最初から市民ををホテルに匿い、
自分が国外避難できることになっても、戻ってホテルと多くの市民を守った。
この人の勇気と正義感は本当にすばらしいと思うし感動したが、
それ以上にこの虐殺の異常性、残虐さ、犠牲者の数が衝撃的だった。
ルワンダには、当時を記憶している生存者が多くいる。
一生消えることのない傷を負っている方もいるだろう。
私も協力隊員として、このことを常に胸に刻み、決して忘れてはいけないと思う。
日本人の中にはこれを知らない人もいるだろうが、絶対に見て欲しいと思う。
どうしてイギリスのようにアフリカ連合国にならないの?
たまたま5月はジャン・レノ映画祭りとなりました。しかもエンドクレジットを凝視しても出てこない。ようやく観ることのできたホテル・ルワンダなのに、溢れ出る涙をこらえたいがためにジャン・レノのことばかり考えてしまいました。
「アフリカのシンドラー」などという呼び名も正しいのかもしれませんけど、今ひとつピンときません。人の命を救いたいと願う気持ちには変わらないのですが、ポール(ドン・チードル)の取った行動は、ただ家族を救いたいという一念が四つ星ホテルのマネージャーという地位も絡めて徐々に心が変化していったもの。計算ずくではない、魂の叫びを感じ取れるものだったのです。しかも最初は政府軍の将軍への賄賂から始まったものであったり、様々な懐柔策、スパイ衛星といった嘘だったり、切羽詰った人間から生まれた機転の利いた判断だった。
この映画の凄いところは、和平調停、大統領暗殺といった短期間の政変を上から見たまま描くのではなく、あくまでも一般市民からの視点に絞ったところにあるのではないでしょうか。外国人報道陣(ホアキン・フェニックス他)だって、ホテルから遠く離れたところまでは取材に出られないし、運良く撮ったスクープ映像にしても「怖いねと言いながら誰も助けに来ないさ」と現実と一線を引いてしまうマスメディアの弱さを露呈してしまう。こうして、現実にどのような悲惨な状況になっているかわからないリアルタイムの恐怖が客席にまで押し寄せてくるのです。
映像面においても、暴徒化したフツ族民兵の狂気に満ちた形相。朝霧たちこめる道には死体の山。何より怖かったのは一つ10セントで中国から仕入れたという鉈の束だった。なぜ同じ国の人間がここまで対立しなければならないのか・・・悲しくなるほどの宿命にしても、過去の列強による分断があったことを忘れてはならないのかもしれない。国連軍による平和維持活動だけを見ると、大国による内政干渉がなかったようにも映るが、裏には大きな力が働いているものだ。
難民に対して何も力になれない小市民さにもどかしくなるとともに、日本公開を応援する署名をしなかった自分を恥じてしまいます・・・
フツ族とツチ族の民族間抗争
事実に基づいた物語。これが1994年のことなんて初めて知るとともに驚いた。アメリカ、イギリス、フランスも赤の他人事として、助けるどころか事実を知りながらも見て見ぬ振りをしてアフリカ(ルワンダ)人を見捨てる。最後は反乱軍に助けられ、家族とともに生きた。こういった歴史的事実を知って、自分の生き方が変わる。このような映画を「いい映画」というのだと思う。
責任を果たすということ
パニックになっている状況で、ずっしり重い責任を果たす主人公。
面倒臭いから逃げて「どうしようもないんだ」とドヤ顔したり逆切れする人が9.9割だろう。
何故こんなに・・・
どうして。
それを分かろうとするのは難しい。
何かを抱える、守る。
そんなことを重くない感じで語っている。
直視できなかった
看護学生として、参考文献を使って課題レポートを書くために鑑賞しました。なんとなくで手に取ったDVDでしたが、胸が締め付けられるような思いでいっぱいです。これがほんの20年程前の話だなんて全然知りませんでした。特に、車で川沿いを走って、死体を目にするシーンでは、考えさせられることがたくさんありました。このような大虐殺があったことを多くの人に知ってほしいなと思いました。
考えて欲しい。
この映画は、良い悪いで評価するのとは次元が違う存在価値がある。
それは、『歴史を記録し、伝えている』ということ。
悲しいかな、この悲劇について、日本ではあまり報道がされなかった。他のレビュアーが「知らなかった」と書いているのも当然だと思う。報道されなかった理由には色々な説があるけれども(本作の日本公開が危ぶまれた件も非常に違和感がある)、そんな事はどうでも良くて、大切なのは、この映画をみて、考える事だと思う。
20年ちょっと前だけとは信じられない
恥ずかしながらこれだけの人々が殺された大虐殺とは記憶がなかった
見かけだけでは区別のつかない人々がツチ族がフツ族日だけで殺し合うなんてちょっと理解を超えていた
少女がいたとされる殺さないで私ツチ族を辞めるからと言う言葉がなんとも心に刺さった
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