「我がポンコツ人生の間にアメリカは火星へ行けるだろうか?」遠い空の向こうに マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
我がポンコツ人生の間にアメリカは火星へ行けるだろうか?
第一宇宙速度と言う約時速28,000kmの速度が出ないと地球を脱出出来ない。
普通の飛行機は約900km
ちなみに音速は1225km
以上のデータから非常に困難な話である事。ソレは間違い無い。
それに挑戦した1957年頃の若者たちの話。
朝鮮戦争とベトナム戦争のはざまで、宇宙開発と言う名目で丁度ロケット開発が切磋琢磨されていた時。結果的にはこの時期がアメリカが平和な時期だったのかもしれない。西洋実存主義的若者はベクトルが外に向かっている。
さて、
こんな状況の中で果たして人類は火星なんかに行けるのだろうか?
2024年ロケットは259回打ち上げて、
成功は233回だそうだ。つまり、26回失敗している。ワープを使ってクリンゴン星へ行くなんて夢の話なのだ。
僕は1957年10月生まれ。スプートニクが打ち上がった約2週間後に生まれた。産んだ人も産ませた人もこの世にはいない。そんな昔の話。人類は未だに月に足を付けただけ。火星なんかにゃ行けないだろ。若しくは行ってどうする?!
クソガキの頃亡父連れられて科学技術館へ行った記憶があった。ソ連のテレシコワが女性最初の宇宙飛行士になって地球を回った年の翌年だった。それを愛の無いAIに具体的な日時を聞いてみた。
『1964年の科学技術館、開館当初、5階C室「宇宙:空間への進出」で、ソ連のスプートニク2号やヴォストークのライカ犬キャビンの模型が展示』と回答された。残念ながら常設なのか、特別なのかがわからなかったが、展示は確かにあった。
ワンころが『キャンキャン』鳴く声とテレシコワの伝記映画が脳裏に焼き付いた
「ヤー・チャイカ(私はカモメ)」
ライカ犬と言うが、正確にはライカと言う犬であり、彼は地球に戻っていない。だから、あのワンころ達は何だったんだろうと考えている。「犬たちは笑わない」と言う映画を見て、近年やっと分かった。
追記 この映画上映の約1年後とんでもない事と一緒に21世紀の幕は切って落とされた。さて、アメリカは火星へ無事に人類を送り込めるだろうか?
追記
1981年3/30糸川英夫先生の講演会を聞きに行った。情熱のある講演会だった。