パッチギ! LOVE&PEACE : インタビュー
井筒和幸監督インタビュー 佐藤睦雄
――「1」のとき、キャラクターについて細かにメモしていたりしたわけですね。
「脚本の羽原(大介)くんと2人で考えて、アンソンやキョンジャはどう生きていくのがいいか、深く考えたわけやね。あと、プロデューサーの李(リ・ボンウ)さんも交えてね」
――1世のリ・アンソンの父親が日本に来るまでを描かなかったのはどうしてですか?
アンソンやキョンジャのキャラクターは前作のときから
深く考えられていた
「時間切れ! “生きる”ので精一杯。“生き延びる”ので精一杯。でも、生き延びる話やからね。日本へ来て、この兄妹を生むわけやけどね(笑)」
――それは「パッチギ!3」で描かれるんですか?
「分からへん。反響を見てからやろね(笑)。やる気が出たらやるかも知れへんし」
――芸能界の描写が面白いですね。
「芸能界は“風俗”を映し出しますよね。若いタレントの卵ってああいうとこ(大磯ロングビーチで行われる「オールスター水泳大会」)へ行くじゃないですか。芸能界ってああいうところでしょう? (俳優やプロデューサーに)モデルがいるかって? あれは全部特定の誰かではなくて、誰かの“集合体”だよ」
――シネカノンで製作することの美点は?
「居心地が良くて、撮りやすい。(李さんは)非常に適確な助言をしてくれるし、映画の方向を分かってくれるし、むしろ指導してくれてますよ。それがプロデューサーの仕事なんだけど、放置したり、放棄するプロデューサーはいっぱいいるけど、企画段階から助言してくれるし、本当にやりやすいですね。ゴーサインも何もないんですよ。『じゃ、次はアボジ(父)の話をやるか』って。そっから綿密な調査が始まるわけです。ウソの話は作りたくないからね。ウソのない映画を作るのは映画人の役目ですよ」
日本人の知らない在日の人々の苦難を描く
――ソウルに戦争記念館があって、朝鮮戦争の展示物がたくさんありますけど、在日の方はあの戦争でも学徒動員されたりして、大戦の5年後また戦争を経験するんですよね。
「もう、ごっついですよ。日本人はほとんど(その事実を)知らないけど、日本人が平和を浴びていたころ、在日の方はまたとんでもない戦争に巻き込まれたりしているわけ。それは凄惨な運命ですね。南北に分かれて戦うことは、日本が日韓併合とかいって植民地化したことが遠因ですよ。遠因があるから結果があるわけで……」
――東京の枝川の場面に、ドン・シーゲル監督の「突破口!」のポスターとかありますね。
「あれね、トリビア! (公開されたのは)あの年(74年)ですよ。アンディ・ウォーホル監修の『悪魔のはらわた』も隣に貼ってあるけど、映画だと1秒ぐらいしか映っていないので、あっちは見えないかもしれないけど、『突破口!』ははっきり見えるでしょ。それと浅草の映画館で75年の正月に見るのが、ブルース・リーの『ドラゴンへの道』。当時ヌンチャクがブームになったでしょ。映画も時代の“風俗”を映し出すんだね」