「これも一つの生き様で、彼我に差等はないはず。」海の上のピアニスト talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
これも一つの生き様で、彼我に差等はないはず。
88枚の鍵盤に限られるピアノの世界とは違って、その枚数には限りのないこの世の中を生きるには、相応の困難を覚悟はしなければならなかった―。結局は、そういうことでしょうか。
本作のナインティーン・ハンドレットにとっては。
その生き様の是非を巡っては多様な意見がありそうですけれども。
しかし、困難には果敢にチャレンジするのが一つの生き方とするのであれば、それと等価の視点を持って、彼のような生き方も「あり」として、是認されて良いのてはないでしょうか。
ともすれば「頑張れ」「前向きに」「まずは最初の一歩を踏み出せ」と激励され、その激励が却(かえ)って重荷となって、心が折れそうにすらなってしまうことも、この世の中では、あるのではないでしょうか。
本作のナインティーン・ハンドレットのような生き様が共感を呼ぶのも、そういう現実社会へのアンチ・テーゼが含まれている故のことと断言したら、それは評論子の独断というものでしょうか。
ナインティーン・ハンドレットだって、豪華客船の中では乗客(富裕層)の名誉心や欲望といった醜い現実と向き合い、本船が病院船に転用されてからは、死に向かう傷病兵という戦争の苛烈な現実と向かい合っていたわけですから、彼が船を降りなかったことをさして、いわゆる「後ろ向きである」とか、「現実逃避である」との批判は、当たらないのではないかと、評論子は思います。
彼の生き様と、他の生き様との間に、差異を見出すべきではないとも思います。評論子は。
本作は、午前十時の映画祭13の一本として鑑賞したものでした。
観終わって…。
そのシリーズの一本に恥じない、深い共感が残る秀作であったと思います。
評論子は。
りかさん、コメントありがとうございました。『福田村…』は、重すぎて、なかなかレビューが書けないでいました。(汗)
本作のナインティーンハンドレットの生き様に接して幸せな気分になるのは、私もまったく同感です。
同僚の娘さんが
長く長く、ずっと引きこもりをしています。
一年に一回ほど、短い手紙を書いて、お菓子を付けて、その友人に託してその娘さんへ渡しています。
僕も引きこもりをしていたこと、そして自分のペースは自分にしか分からないのだからゆっくりしていてぜんぜんOKなのだと書き送ったら
手作りのチョコレートケーキを焼いてくれました。
いまだに名前を教えてくれない娘さんだけれど。
「海の上のピアニスト」は、誰がこのストーリーを観るかによって、そこから受ける意味合いとパワーが変わる物語でしょうね。