「【人が人であること】」海の上のピアニスト ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【人が人であること】
久しぶりに観て、懐かしさの他に「幸福のラザロ」にも通じる感覚を覚える。
世の中は便利になる一方だし、情報の量も、取捨選択するのが大変なほど莫大だ。
だが、実は個人の自由で豊かな想像力の入り込む余地は少なくなり、窮屈になって、閉塞感さえ感じられらる。
それだけじゃなく、ネットの中は繋がるどころか、罵詈雑言が飛び交い、攻撃的な空間が存在したりする。
地上に降り立ったことのない1900は、摩天楼の街並みに違和感を覚える。
航海の度に出会った人々の数は、実は大変な多さで、それぞれに様々なドラマや人生があったのだ。
そして、1900の人生も出会いという意味では、地上に生活する人達と。何ら劣ったところはなかったはずだ。
人が、それぞれ人らしくあることに、住む場所や育った場所が、絶対的な影響力を持つとは信じたくない。
周りの人間の言うことに正しいところがあるかもしれない。
でも、自分の声にも耳を傾けることも大切だ。
それは、分かってはいる。
しかし、ラザロが現代社会に存在する意味を見出すことなく去ってしまったように、1900の運命も切なく悲しい。
ぎすぎすした現代には寓話は不要なのだろうか?
寓話的なストーリーの主人公は消えるしかないのだろうか?
改めて、この作品を観て、いや、そんなことはないのだと感じた。
ラザロも1900も、実は、僕達の心の中に住んでいるはずだ。
レビューを読ませていただいて、
タラップを降りかけて立ち止まり、そして船に戻って行った1900の姿を思い出しました。
なるほど・・そうですよね!
自分の領域、自分の世界、自分の時間。それを守っていて“船を降りないこと”が敗者の残念な姿だと、僕もどこかで思っていたかもしれません。
まだ手にしていない何物かに目を奪われて、世の中の情報の濁流に何とかして乗ろうとするこの自分こそ、自分のありかたを見失った情報中毒者、漂泊者であったかもしれません。
寓話って真理を突いて来ますねー
ありがとうございました。