ゼイリブのレビュー・感想・評価
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奴らは生きている。俺たちは眠っている。(資本主義社会に制動装置を)
80年代、レーガン大統領により福祉や医療予算は削減。税制は持てる者ばかりが有利に。更には経済政策を市場競争原理に任せた結果、富裕層と貧困層の二極化に拍車がかかる事となる。
本作は、特権階級や金満家達の目に見えぬ支配が、人々の自由を奪っている事実に対するカーペンター監督の怒りそのものだ。
通俗的な商業主義は、マスメディアを活用して至るところでサブリミナルメッセージを送っているに等しい。
人々は作られた流行に踊らされ、物質欲や承認欲求に駆られて、思考停止したままひたすら消費に走る。
その姿は、もはや資本主義の奴隷だ。
(ファッションやオシャレの流行は言わずもがなだが、行き過ぎた健康志向やグルメ情報、SNSやスマホゲームなども、危ない、危ない・・・)
カーペンター監督は決して資本主義を否定してはいない。
西部劇とプロレスを愛する彼は、むしろ生粋の愛国者であろう。
しかし、彼は自由を奪う「権威」への反抗者でもある。
一部の超富裕層が金で政治も経済も思いのままにして、大衆は思考力を奪われ、消費によって金を貢ぎ続ける奴隷になっているような「金が全てを支配する世界」には決して服従しない!
カーペンター監督は「眠らされている人々」の目を少しでも覚ましたいという願いを込め「資本主義が暴走しない為の制動装置(ブレーキ)としてこの映画を作ったのであろう。作中のサングラスこそが「ゼイリブ」本作そのものなのである。
作中の彼ら(They)は特定呼称で呼ばれることはないが、エンドロールにてエイリアンではなく「グール(屍食鬼)」と命名されている。
富裕層・貧困層に二極化された社会では、金を媒介として、貧困層の食べ物も生活も時間も労働も、富裕層が吸い上げ喰らっているに等しい、という監督の熱い怒りが表れたネーミングだ。
(今回、息子に誘われて久しぶりに観たが、なんでこんな作品知ってるの?と思ったら、30周年記念でデジタルリマスター版が出たのですね。
ネットで密やかなブームになったり、ネオナチが勝手に反ユダヤのインターネットミームとして拡散しちゃったり、一部で話題になっているらしいですね。
まぁ、息子が惹かれた情報&動機は「撮影中にガチファイトになってしまい、顔が腫れあがって数ヶ月撮影がストップしたと聞く、そんないわく付きの喧嘩シーンを見てみたい」というものだったけれど。
うむ。良いね。男の子!
殴り合いに約6分も使っちゃう、カーペンターをカーペンターたらしめる象徴的なシーンね。
頭デッカチのカルト情報に影響受けるよりもシンプルでずっとよいわ(笑)
王道の大作と違い、カーペンター監督の好きなものばかりが様々に形を変えつつ不条理に詰まっているのがカーペンター流。
野暮ったくもあるその独特さが、えもいわれぬ魅力となっているのだから、こういうのもアートセンスの一種なのだろうね。)
さて、お隣韓国は超格差社会、無限競争社会に陥って大変な事になっているが、日本の未来はどうか?
2015年の国連サミットではSDGs(持続可能な開発目標)が採択された。
資本主義は利益市場主義からの転換を果たせるだろうか?
日本もアメリカの顔色ばかり伺うのではなく、今こそ自らサングラスをかけてみる勇気が必要だ。本職プロレスラー、ロディ・パイパーのガチなスープレックスを貰う前に!
グラス掛けろよ!掛けねえよ!
名作だと聞いていたのと今週のおそ松さん3期でパロディされていたことも相まって鑑賞。
予想以上に面白かったです。特に初めてサングラスを掛けて見る町の景色は最高に不気味で記憶に残るワンシーンでした。僕らも考えなしに言われるがままに生活していると他の権力者たちの思う壺なのかなと考えさせらましたしね。
そしてそのシーンと同じくらい記憶に残っており笑ったのは、そう!サングラス掛けろ掛けねえ乱闘ですね。もう本当は監督この乱闘を撮りたくてこの作品を作ったんじゃねえかってくらい長いしかっこいいです。ちなみにやられる芝居をして助け起こした相手を殴るのは最高に笑いました。ダウンさせねえと気が済まないのかよって。
終わり方も割と好きです。まさかあんなシーンで終わるとは...あの女性はトラウマだろうな。
短いので気楽に見れますし、考えさせられアクションもかっこいい最高の映画です。古き良きアメリカが好きって方も全人類是非ご覧ください。
社会の自文化を疑うことの必要性と決して近未来ではないことを痛感するリアルなSF
大学の講義の一環で鑑賞。貧富の激しい現代には実は異星人が牛耳っていて…というSFサスペンス。この映画が作られたのが1988年だと言うが、それを感じさせない撮影技術と洗練された音楽、そして、今の社会とも相違点があまりないという先見性にも驚かされた。
不景気で失業者が続出しているなか、ネイダはなんとか、工事現場の仕事を手にする。フランクとともに、ホームレスが肩身を寄せあって過ごすキャンプへと流れ着く。そこでサングラスを見つけたことでストーリーが動き出す。街を出歩いて見えてくるものは、社会の消費されていく気運と、異星人とエリートによって作られた世界。エリートは異星人から選ばれる様に、従順に日々を暮らしている。つまり、サングラス=異文化の流入の可視化できるアイテムなのである。だからといって、それを教えさせるために、5分以上も殴りあうことはないと思うが…笑。同時に進む、排除主義もフィクションには見えない。キャンプの破壊や富の冷笑、従順と働くエリートとの対比は、当時から何ら変わっていない現代を揶揄している。何より、テレビがもたらす作品の効果は、大きな意味を持っている。メディアは万人に情報を与え、影響をもたらす。同時に、認知を都合よくすることも出来る。その危うさと宣伝的な利用を刷り込むことで、一層のリアルを感じさせている。
当たり前のように作り出されている自文化も、実は1枚フィルターを通すと、排除へのシグナルや格差拡大の一因をつくっているのかもしれない。我々も一度、あらゆる物事に距離を取って見る必要がある気がする。メディアから多くの情報を取り入れることが出来る今、サングラスは自身の手で掛けるしかないのかもしれない。
時代を感じさせない面白さ
職を求め各地を転々とするナダはドヤ街で世界を侵略しつつある存在について知ることになり…。
カルト的人気を持つ80年代のSF映画。徹底した社会批判もさることながら、ワイルドで格好いいと思っていた主人公が想像以上のクレイジーさを発揮してくれる序盤など見所が多い作品でした。
ただのB級映画の戯言だったのに 21世紀の現代に於いては、私たちにどのような態度でこの事態に臨むのかを突きつけてくるのです
名作です
完全にB級映画ですが、内容は21世紀になっても現代性を一層増しています
監督が意図した単なる消費社会への批判のレベルを超えて政治的な意味合いまで持っているように、21世紀の私たちの目には映るのです
人間になりすましているゾンビのような宇宙人は、観る人の考え方ひとつでいろいろな記号に置き換えられるのです
例えば、
よく陰謀史観で語られる世界征服を目論む某民族のことであるととか、
マスゴミや政財界を金で買収し、不公正な競争をして世界の覇権を握ろうとしている東洋の大国のことだとか
はたまた、日本なら我が国を乗っ取ろうとする隣国の某民族だとか・・・
ネットウヨクそのものの見方といえるでしょう
逆にマスゴミを操って国民を洗脳し国を右傾化させて他国を侵略する国家にしようと目論む軍国主義者だととらえる左翼の見方をする人もあるかも知れません
つまりあの眼鏡は、ものの見方を変えることで、社会や政治はいかようにも違うようにみえるという比喩なのです
そして主人公達がやっていることは、左右どちらの見方であっても同じです
そのような過激思想に凝り固まり無差別殺人を起こす狂暴なテロリスト集団です
では、どうあるべきなのか
彼らに是々非々で損得だけでつきあうのか?
タキシードの男のように
あきらめて日々を生き、主人公をテロリストとして撃つのか?
屋上で銃を構える女性のように
何も知りたくないと決め込むのか?
主人公を殴る相棒のように
それとも主人公のように無差別殺人を目指すテロリストになるのか?
ただのB級映画の戯言だったのに
21世紀の現代に於いては、私たちにどのような態度でこの事態に臨むのかを突きつけてくるのです
これぞ名作と言わずして、何を名作と呼ぶのか
このゼイリブの世界が現実化している
それが21世紀の現代なのです
買え、従え、寝ろまでは良かったが...。
サングラスをかけると表記がみえる、人間にばけてる奴がわかるのは、面白い感じがしてすごい良かったが...。もうちょっと仲間を増やし、宇宙人と戦って欲しかったと感じてしまう作品だった...。ラリアットやナックルパート、バックドロップ、ブレンバスターには笑ったけども...。
プロレスみたいな泥臭いアクション映画だと自分は感じてしまった...。この作品を好きな人には申し訳ないが...。
SFのカルト的なアクションぽい表現がもうちょっとあったんではないかと感じた...。
ハシゴを外す勇気
ジョン・カーペンター監督作は「遊星からの物体X」から観たけど、この方の作品好きだわ~。
音楽がまず良い!
そして、空気読まずにはしごを外しまくるとこ、主役は元より準主役級の人たちも惜しげもなく死ぬとこが最高だ。
今作をおっぱいで締めたとこもブラボー。
プロレス技が炸裂!
どうして30年前に見ておかなかったのか、とても悔やまれる。それほどまで素晴らしい作品、ジョン・カーペンター監督の最高峰であろうと感じるほど凄いものに出会えたのだ。
エイリアンによる単純な地球侵略というSF作品ととらえることももちろんアリだが、その内容に含まれたサブリミナル効果による貧困、中産階級の誘惑という点が、現代に登場したトランプという政治家を予見していたような作品だったのだ。
ホームレスの主人公ネイダがたどり着いた工事現場での仕事、そしてドヤ街と表記されていたホームレス村。仕事が終わると、労働者たちは屋外に置かれたテレビを鑑賞している。時折映し出される海賊放送。教会では炊き出しするための台所道具が並べられるが、そこは一晩中聖歌が歌われていたため、興味を持ったネイダがそこを探索する。そこはレジスタントとなった労働者たちのアジトになっていて、ネイダは隠された段ボールからサングラスを拾った。
いきなり警官隊がホームレス村に重機を用いて解体作業が始まる。まったく説明もないこの制圧騒ぎでですでに胸ぐらを掴まれたように憤りを感じるのです。住処を壊され、抗う手段を持たないため、逃げ惑う住民たちの悲鳴がぐさりと胸に突き刺される。80年代、日本ではバブルが始まろうとしていたとき、アメリカではこうも富裕層、貧困層の格差社会があったのだと訴えてくるのです。
ふとサングラスをかけてみたネイダ。モノクロームの世界の中に人間じゃない者がいる!髑髏顔をした人間、さらに広告版や雑誌の文字がOBEY、 WATCH.TV、 SUBMIT、 CONSUME、 SLEEP、と変化しているのだ。文字の中にもサブリミナルが!と、それが徐々にエイリアンによる地球人の洗脳だったことが明らかにされていく・・・
もちろん作品の中ではエイリアンなのだが、これは時の政権プロパガンダを揶揄してのこと。当時はレーガンだったが、トランプが使うアメリカ・ファーストと同じものが含まれていた。いや、アメリカだけではない。今の日本のアベ様だって、同じ催眠効果を使っている。“消費して経済を豊かに、結婚して子供を産みなさい、新しい法律ができたから従ってください、とにかく政府に服従してください”、なのだ。エイリアンたちは甘い言葉で中産階級の人間を誘い、昇進、昇給させ、甘い汁を吸わせて自分たちの言いなりになる人間を増やしていく。気持ち悪くてとんでもないエイリアンに武闘家として孤軍奮闘する主人公ネイダ。黒人の友達フランクにも、とにかくサングラスをかけさせ、世の中のことを教えてやろうとするが、頑なに拒み続けるフランク。ここで7分にも及ぶケンカが始まるのだが、元レスラーでもあるネイダ役ロディ・パイパーの殴り合い+プロレス技が炸裂するのだ。バックドロップ、スープレックス、ラリアット・・・。賛否両論あるこの無駄とも思えるシーンですが、このシーンがあってこそ記憶に残る映画になったのだと感じます。
ホリーが勤めるケーブル54という胡散臭いテレビ局。ここがエイリアンのアジトだったのだが、多分、地球上のあらゆる地域に拠点があったに違いない。普通のアクション映画のような終盤だったけど、序盤からの高揚感は失われることがなかった。もっとシュールなエンディングだったら、5点じゃ足りないくらいだったかもしれません。
興味深い
この映画が、当時人気があったということが興味深い。
この頃、全米が二極化し、下の側の人間には「どうして?」という思いが渦巻いていたのだろうか。「自分達には仕事がないのにTVや広告は消費を煽るばかり。いったいどうなっているんだ!」と思っているところへこの映画だったのだろうか?
前半の、何かはわからないのだが、何か起きている感じと、主人公を取り囲む時代の感じの描き方は上手だなあと思う。特に音楽は、背景音のように「こういう感じだよ」とリードし続ける。現代でこれを観ると、リードし過ぎという感じが強いが、当時は受けたんだろうな。
そしてストーリーとしては破天荒な、ひとりだけで侵入者(らしき者)を撃ちまくる展開。
アンダーグラウンドに仲間はいたものの、出会ったその日に体制側(?)の襲撃を受けて崩壊というスピード感というか、短絡的というか、無力感というか。「それでも俺はやる」という男気で結末まで突っ走るという、たとえは悪いが、安っぽいマンガのようなストーリーがたまらなかったのでしょうか。
自分が見終わった時の最初の思いは「金をしっかりかけて撮った、小学校の学芸会みたいだ」
でした。
それでも、金損した感じがないところが、カルトたるところなのかな。
学んできました
ゼイリブのエイリアン(及び彼らと結託して貧乏人から搾取する富裕層)は、80年代当時第三世界から搾取をし、資源が枯渇すると次の開発途上国 へ移動していった先進国の象徴である、とする説がありました。なるほど。
レーガン大統領夫妻は高価な品の消費も好み、「彼らの高級品への嗜好はこの 10年の派手な散財を正当化し、80年代文化の貧者への冷淡な態度を正当化」した。国の借金は増え、貧富の差が広がり、多くの家族がレーガン着任時よりも 貧しくなっていった。
財務相長官を務めた ドナルド・リーガンは、レーガンのことを「幻想と妄想の達人」と評していたそ うだ。このレーガン評は、『ゼイリブ』においてエイリアンによる催眠術にかか り消費社会にどっぷりつかった人間を思い起こさせる。との説も。
そしてサングラスをかけると見えてくる広告に書かれていたことは、TVのサブリミナル効果を暗示するものという説もありました。
(サブリミナル効果自体は、報告者自身が実験結果がねつ造だったことを報告した(1962)にもかかわらず、先進国各国では、大衆の恐怖感に対応すべく、サブリミナル広告が禁じられているというもの)
見た皆様へ
同作のメッセージを、ユダヤによるメディア操作や秘密の権力に関するものだと解釈しているネオナチの考え方に、同感しないように。監督は、そんなことは言っていません。
高画質・高音質で蘇ったゼイリブ
加速する資本主義、それに飼いならされ洗脳されていく国民。
トランプ・安倍政権下の今見ても…いや今だからこそ、作品が放つテーマが突き刺さる!
そんなこの映画をスクリーンで観れたのは本当に幸せだ。
友人2人と観劇したユジク阿佐ヶ谷は満席。
関連グッズが並び、壁面いっぱいにゼイリブのチョークアートが描かれていた。
サングラスを巡るおよそ10分間に及ぶプロレスシーンでは客席が笑い声で包まれたりと、劇場ならではの環境で作品を満喫できた。
名作は色褪せない。
現代社会にも通じる名作SF
個人的に生涯のベスト10に入れる程の大好きな名作。この度30周年記念上映を鑑賞したのでレビューを投稿した。
まず、エイリアン侵略&洗脳ものとしての設定が最高で、それをジョンカーペンター監督がいぶし銀の演出で見事に生かしきっている所が本作を名作たらしめている。
主人公ネイダは「ニューヨーク1997」のスネークプリスケンにも通じるとても魅力的な一匹狼なキャラクター。今は亡きロディパイパーの起用も最高のキャスティングだ。
毎度お馴染みジョンカーペンターによるサントラもブルージーで哀愁漂う。
エイリアンは金持ちや政治家、警察等に扮し人間達を洗脳していく。それに対し貧乏人や労働者らが彼らに立ち向かう様は今の現代社会に置き換えて観ても充分伝わるテーマだ。こーした設定を時おりユーモアを交えながらリアルな恐怖感で描いているあたりがとても魅力的だ。
知り合いに勧めてもなかなかわかってもらえないカーペンター作品だが、本作はカーペンター作品の魅力をかなりわかりやすい形で表現されているので初心者には是非ともオススメしたい。
今までDVDやBDで観てきた本作を今回劇場ではじめて観たが、ファンとしてはもう至福のひと時だったとしか言いようがなく、無駄なシーンが一つもない。
長年映画ファンをやってきてジョンカーペンター監督の作品を楽しめる映画ファンでよかったと改めて思った。
祝!30周年!
人を説得する為には相手をボコボコにブン殴るという人生哲学を学べる傑...
人を説得する為には相手をボコボコにブン殴るという人生哲学を学べる傑作。安倍晋三やドナルドトランプを予言していたかのような先見の明大ありの作品。
従え!寝ろ!買え!
観たあとサングラス欲しくなっちゃうやつ。
隣人も家族も友達も人混みもなんだか怪しく思えてしまうやつ。
看板や本の中身が全部ゴシック体の洗脳標識に見えてしまうやつ。
観たあとの現実の日常に侵食してくる恐ろしさが好き。
怪しさを感じる方向がだんだん変わっていくつくりが面白い。結構ショッキングな展開も好き。
「何やお前バケモノやんけ!殺したろ!」といきなり殺戮スイッチの入る主人公ネイダに笑うし、ネイダとフランクのどう考えても長すぎる格闘では爆笑した。
不毛な戦いすぎるでしょう。グラサンかけてあげなさいよ。いや最高だった。
主演が元プロレスラーということで納得。なるほどサービスシーンなのね。
ガイコツ星人たちのビジュアルが本当キモくて好き。
ラストカットも大好き。お色気忘れてたからとりあえずおっぱいねじ込んだろ感。
全編通して楽しかった。
公開30周年記念デジタルリマスター版のリバイバル上映にて。デジタルリマスターの技術もすごくて、非常に観やすかった。
こんなだったんかなー。
なんか今見るとストーリーが雑だなー…。ケンカのシーンも長いしどれも行き当たりばったり的な展開で必然性に欠ける流れが多くて微妙。サングラス越しに見える異星人はたしかに不気味だけどそれだけだった。
OBEY OBEY
静かに始められた侵略、その終盤に気づいた肉体労働者が必死の抵抗で足掻く!
人気絶頂のラヴディ ロディ パイパーがボディースラムで大暴れ!
陰謀論に夢中なネトウヨさんや、トランプ支持の福音派の皆様のバイブル映画です。
公開当時の渋谷東宝以来の鑑賞となります。大スクリーンで堪能してきます。
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