善き人のためのソナタのレビュー・感想・評価
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よくぞこのタイトルを付けて下さった
これが映画としても文学であっても素晴らしいタイトルです。「この曲を本気で聴いた人は悪人にはなれない」――それほどの音楽を聴いたことがあるだろうか。それほど、音楽を本気で聞いたことがあるだろうか――。最後の本屋の店員さんとの遣り取り、「これは贈り物ですか」「いいえ、私のための本です」――シリアスジョークとして上手すぎます。ズシッと心に刺さりました。
その他、監視社会の問題としても心に重く響きます。たかが、自殺者に関する文書を書いただけで、家宅捜索したり尋問したりする情報統制の下らなさ。こういう下らないシステムはますます力を増して永続するでしょう。今度はネットやスマホを利用して、AIが情報をまとめ上げて報告する。この映画のように、観察者が手心を加えてくれるような、そんな善意は起こりえないと思います。任務を命じられたAI、もとい、任務しか知らないAIは、善意や悪意、人権蹂躙の問題など、理解しようが無いでしょうから。
政治批判などしても仕方が無いですね。これを機に、「1984」を関連作品として読書を挑戦して映画も観てみようと思います。
ヒトラーは『いまわの際』に曰わった『100年後に復活する』と。
先ずは、ベルリンが西ドイツにとっては飛び地と言う事。その点を理解すべきだ。
西ベルリンと東ベルリンと言うが、それは都市の事である。国家は東西ドイツである。多分、この主人公は、東ベルリンで生活をしている。西ベルリンと対峙しているが、しかし、東ベルリンは西ベルリンの様に壁で閉鎖されている訳では無い。東ベルリンから東ドイツの別の場所へは、国家の都合の範囲で自由に行けるはずだ。資本主義側の西ベルリンこそ、四方を壁で囲われた閉鎖社会なのである。つまり、西ベルリンはゲットー見たいな都市なのだ。その点を西側がプロパガンダしないのは何故か?それは兎も角『東西ドイツ♥』の国境は、『ベルリン』よりも遥かに西側に位置する。西ベルリンへの交通は『空路』しかない。『西ベルリンへの鉄道』は『全て閉鎖』されている。だから、人道的に許されない。また、私が想像するに、閉鎖された西ベルリン市民への監視もシュタージはやっている。東ベルリンから西ベルリンへの亡命が困難な理由もそこにある。この映画の変態爺の利己的色欲たけが巾を聞かせていた訳では無い。勿論、西ドイツ側も逆スパイの活動は行っていた。
それは兎も角、ナチスドイツが崩壊して、イデオロギー的に右側の人間は淘汰された。しかし、残った左側の人間がナチスドイツと同じ事をする。
つまり、右でも左でも東ドイツは同じ事をした訳である。しかし、同じ戦争に負けた日本はどうなったのか?左の人達が政権をにぎった気配が無い。つまり、日本は分断されなかったので、真ん中か右と言うことなのだろうか?
右も左もないとは思うが、日本人には言いたいね『人のふり見て、我がふりなおせ』って。ヒトラー見たいな人達が日本には残っているのかもしれない。
ドイツ統一がまだ40年と言うが、日本だって、まだ、75年。ヒトラーは『いまわの際』に曰わった『100年後に復活する』と。
1回でチャラ?
無慈悲な秘密警察。
寝る時間も与えず、尋問いや、拷問。
学生に講義する時でさえ、反論すればばつ印。
常に人を疑い、信頼できるのは…?
そんな生活、さぞかし疲れるだろうなぁ、と。
最後は作家さん救ったが、それまでに捕まった人達のことを思うと、天邪鬼な自分は複雑な気持ち。
急に芸術に目覚めた?
彼女が美し過ぎたから?
1人の芸術家を救った陰で幾多の人達が消されたのかと。
悲しい歴史である。
白と黒の間
冒頭で尋問の極意を講義しているヴィースラーが、学生から意見され、さりげなく卓上の学生名簿の名前にバツを付ける。この時のヴィースラーは、後に自分にバツが付くなど想像していない。彼は白か黒か、明確に分けられるし、その判断力に自信を持っている。まさか、白と黒の間に、たっぷりとたゆたうグレーがあるなんて!
東ドイツは社会主義だが、地位の高い人は民主主義だろうが、共産主義だろうが、関係なく利己主義である。利己党でも立ち上げればいいんじゃ? 勝ち気できれいな女が、この国のエラい自分になびかない。くそー、権力を使ってオレの言いなりにしてやる。こりゃ女、オレ様の力を思い知ったか~。いや、マジでゲスいな。
ドライマンは辛抱強い。現状、芸術表現に縛りがあると承知していても、西に逃亡しようとか、心を病むとかはない。あくまでも国のために作品を作り、発表する。穏健である。ドライマンがよく組んでいた舞台演出家のイェルスカは、仕事を干され(民間事業はないんでしょうね)、仲間内のパーティーに来ても、誰からも話しかけられずに一人読書をする。ドライマンはイェルスカを励ます。イェルスカはドライマンの友情は理解するが、すでに絶望している。そして、イェルスカはドライマンに「善き人のためのソナタ」の楽譜を贈る。
ドライマンの部屋を盗聴するヴィースラーは、最初は彼を黒だと決めてかかっていた。だけど、ピアノの音で、彼の感情は決壊し、灰色の海を泳ぎ始めた。そして、危険を承知でドライマンを守った。自分を犠牲にして。バツ印を付けられたヴィースラーは、以後、国家から見向きもされない。ラスト、自分への謝辞が印刷された本を、自分のために買う。その表情は変わらないが、心の中には美しい調べが満ち満ちているかもしれない。
監督は、フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。30歳前でこんな重厚な作品を撮れるなんて、人生5周めだろうか。すごいの一言。ちなみに身長2m。貴族の末裔。またまたすごい。
BS松竹東急の放送を鑑賞。
僅か40年前の東ドイツで
冷戦時代の東ドイツ、シュタージ( 国家保安省 )職員ヴィースラー大尉を演じたウルリッヒ・ミューエの抑えた演技に引き込まれた。
翻弄される女優クリスタ( マルティナ・ゲデック )に心を痛め、芸術家に対する思想統制に苦悩する劇作家ゲオルクをセバスチャン・コッホが好演。
ウルリッヒ・ミューエの憂を帯びた瞳…ラストシーンが沁みる。
ー感謝を込めて
HGW X X /7に捧げる
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
東ドイツの監視・密告社会を自己批判と救済の視点から総括
ドイツは第二次大戦中はユダヤ人ホロコーストを行い、戦後は東側で歴史上類を見ない徹底的な国民監視・密告社会を組織していた。ともに世界史に残るおぞましい事実である。
ホロコーストについては、世界各国で原因を分析し批判する映画がつくられてきたが、監視・密告社会についてはそのような総括モノがあるのかどうか、よくわからない。恐らくかなり少ないのではなかろうか。本作は、そうした監視・密告社会の総括、自己批判を企図した数少ない映画の一つだ。
映画は秘密警察(シュタージ)職員の監視担当者を主人公に、毎日規則正しく生真面目に、淡々と個人的感情も交えず作家とその恋人を盗聴し、監視し続ける日常を描く。周囲の住民からは嫌悪され、性欲は売春婦で処理する最低の生活を送りつつも、彼は党と国家のために自分の生活のほぼすべてを監視に捧げるのである。
監視の結果、体制批判の証拠などが分かると、例えば優秀な演出家でも仕事を剥奪された挙句、自殺に追い込まれる。自殺者が多いので、国はある年から自殺者の統計発表を停止してしまうほどだ。自殺しないまでも、秘密警察に睨まれたら反体制的な人物も震え上がる。
秘密警察の上司は、そのような人物は数か月、収容施設に閉じ込めれば、もう何も言わなくなると自信たっぷりである。
ところが主人公は、監視し続けた作家カップルに知らずに影響され、好意ばかりか憧れのようなものを感じ始める。ミイラ取りがミイラになってしまったわけだ。その結果、監視報告に虚偽を記載するようになり、作家が反体制グループと協力して西側に機密を暴露すると、それをむしろ隠蔽する努力を払う。
むろん機密が暴露されれば、当然、作家たちに嫌疑がかけられ、主人公にも疑いの目が向けられる。その中で作家の恋人は国家幹部に身体を委ねたうえ、最後には自分を守るため、作家が機密を暴露した証拠の隠し場所さえ明かしてしまう。作家を売る密告屋と化すのである。監視社会の怖さがひしひしと感じられるシーンだ。
ところが主人公はその証拠までも隠蔽してやり、その結果、作家は逮捕されない代わりに、自分が懲罰的な業務部門に追いやられてしまう。
ベルリンの壁が崩れたのはそれから4年半後だった。映画は主人公の内面など何一つ、説明しようとせず、統一ドイツでチラシ配りで細々と生計を営む主人公を映す。他方、作家は自分が逮捕されずに済んだ陰に主人公の計らいがあったことを知り、監視社会を告発する書籍の巻頭に彼への謝辞を捧げるのだった。
映画を通じて浮かび上がってくるのは、東ドイツの監視・密告社会を自己批判する視点と、自己を犠牲にして監視対象を守ろうとした人物を描くことにより救済を希求する視点である。
この社会に対する総括の視点として、それで十分か否かは議論の余地のあるところだろう。監視と密告社会は国民全員の相互不信を招いたであろうに、その割に安易に救済されてしまっていいのか、という気がしないでもない。
善き人であることは抗えない
感銘を受けた。ライフタイムベスト映画のひとつになりそうなくらい。思いがけず。ゲルハルトリヒター→ある画家の数奇な運命→善き人のためのソナタ、と同じ監督作品、ドナースマルク監督作品しかもデビュー作?卒業制作?本当かわからないですがそうだとしたら奇跡的なすごい作品でとにかくこの流れで偶然にも見ることができて感謝しかない。
シュタージに支配される重苦しい東ドイツ、おそらく当時の様子がしっかり描写されているのだろう。シュタージのえげつなさ、厳しさと、意外にも無防備なところがある市民。
芸術を愛し人を恋人を仲間を愛し美しいものを愛する人たちを監視するなか、とくにピアノソナタを盗聴器越しに聞いたときの電撃。少しずつ、生きる喜び愛する喜び人間的な感情に触れ震え満たされていくウィスラー大尉。
互いを信じたり疑ったリヒター慰めたりしながら、創作に、変化を起こすことに励むドライマンたち。
保身のため恋人を裏切るクリスタを自らの職業立場を忘れて今のあなたはあなたではないと励ますウィスラー大尉。
最後の本屋のシーンまでじわじわと、誰もが当たり前に持って要るはずの感情を少しずつ動かされて、今は落ちぶれた人生となったウィスラー大尉の、無駄ではなかった彼の人生、組織体制への裏切り人間性つまり芸術への回帰。
全ての人が善き人のためのソナタを聞くことが出会うことができますように。
そしてこのような美しい映画に出会えたことに感謝。
1984年の東ドイツの話で国家保安局シュタージの局員ヴィースラー(...
1984年の東ドイツの話で国家保安局シュタージの局員ヴィースラー(ハゲ)が、反体制の劇作家ドライマンとその同棲相手の女優クリスタを完全監視する話。壁中に張り巡らせたマイクで部屋中の隅々まで音を拾い、その行動を記録。交替する仲間もいて24時間監視し続ける。何時何分にエッチしたとかまで事細かく書かれていて、終盤の方でドライマンがその自分自身の記録を読むのだが、なんとも冷静。自分だったら発狂するわ。
秘密警察のマシーンだった男が劇作家の人生を知ることによって、監視マシーンじゃなくなってしまう所がキモでヴィースラーがちょっとだけドライマンを助けたりもする。すぐバレるけど。
ドライマンが自分の行動記録が改竄されている事に気がついて、それをキッカケに本を書く。
命令よりも自分の良心に従ってしまったハゲは左遷でどうでもいいような雑用の部署に送られ、冴えない日々。
ドライマンの本を手にとるヴィースラー。
感謝をこめてHGW XX7(ハゲのこと)に捧ぐ
時を経て届いた心の返信。
「いや私のための本だ」
凄くスッキリした顔で再び自分を見つけたようなエンディング。泣けた。
人の歩むべき道を優しく教えてくれるドイツ映画
旧東ドイツの秘密警察の盗聴、諜報、尋問などの国家ぐるみの闇の実態が興味深い。それが単なる告発ものの暴露映画ではなく、国家保安省(シュタージ)の男が盗聴で任務する過程で徐々に自由思想と芸術に影響を受け、社会主義体制の国家に反する裏切り行為を行い、ひとりの反体制思想の劇作家を救う人道主義になっているのがユニーク且つロマンチックである。劇作家の愛人が薬物中毒の意思の弱さから密告をしてしまい贖罪に苛まれるサブストーリーと調和して、人間の救済に対する作者の信念を感じることが出来る。ラストの真実を知った劇作家が、恩人の元保安省の男に面会せず、小説の序文で謝意を添えるカットの、映画ならではのフィナーレに感動して胸が熱くなる。時代や社会に惑わされない、人の歩むべき道を教えてくれる、美しく心優しい映画でした。
謝意の劇中本が原作?
映画のキャッチコピーに「この曲を本気で聴いた者は悪人になれない」とありますがゲルト大尉が劇作家のドレイマンを助けたのは彼の恋人クリスタに横恋慕するヘムプフ大臣の好色な陰謀、上司や仲間の下劣さに嫌気がさしたからでしょう。
確かに本作の録音技術は秀逸で音楽シーンの音色の生々しさは格別ですが曲の演奏も短く曲が主題を担っているとは思えませんでした。かといって表現の自由と闘った演劇人のレジスタンス物語でもありませんね、政治弾圧に名を借りた下劣な品性の権力者の悪行は普遍的に存在するとみた方が良いかもしれません。
ドナースマルク監督33歳、西独出身なので東独の内情は壁の崩壊後に4年も調べてオリジナル脚本を仕上げたようです、映画にも出てきましたが当時の政府資料が閲覧できるとは驚きました。役者の名演にも助けられたのでしょうが初の長編デビュー作とは思えぬ重厚さ、才能が光っています。
ことの真相を知ったドレイマンがゲルト大尉に逢って礼を言おうとしますが思いとどまります、2年後に本の形で謝意を表しますが痺れます。メール配達人に落ちぶれた彼をおもんばかったのかもしれませんし、月並みな礼では済まないと悟ったのでしょうか、その本が巡り巡って映画の原作めいて、主題の巡るソナタ形式にも思えました・・。いつもながらドイツ映画は渋いですね。
集中して観ないと置いていかれる
作品内の状況下、立場は敵と味方の関係ですが音楽によって心を通ずるという、物語の核となるストーリーが素晴らしい…のですが、肝心のピアノ演奏があまり印象に残らないというか、感動出来なかったよぉ〜!
ただ、主人公の葛藤、そして重苦しい雰囲気の中、進むストーリー展開は良かった!
何より、最後のさりげないニクイ演出。最高でした!
恐怖政治の下で関係のない人をかばうということ
総合:75点
ストーリー: 75
キャスト: 75
演出: 80
ビジュアル: 75
音楽: 70
恐怖政治が支配する東ドイツの秘密警察のヴィースラー大尉。党には忠実であるが非常に寡黙で孤独な男がある危険人物の監視を命じられ、それを通じて芸術や自由に触れる。それは彼の生活にはない想像もしなかった新鮮なものだった。
それが彼を少しずつ変えるのだが、当時の政治体制を考えれば彼の行動は本当にきわめて危険な行為である。そして実際に彼は多くを失い、ドイツ統一後も孤独にほそぼそと生活をしていく。最後の出版された本に書かれた彼への伝言が、本当に彼の行為と人生を救ってくれたのならばいいが。
イイ!
長く、内容も難しい映画だが、長さを感じなかった。
主人公の葛藤がよくわかる作品である。
良い現実も理不尽な現実も淡々を受け入れ、自分のなかで懸命に消化しようとしている心の変化が丁寧に描かれていた。また、時間の経過も加味して描かれていたので、現実味があって非常に良かった。特に、ラスト・シーンは、いい意味で、何ともいえない気分になる。
30代前半の才人監督
監督のフローリアン・ヘンケル~(以下略 本名はこれでもカットしているようで。長え名前!)の齢は30代の前半。ぶっちゃけ私と同い年であるが、同世代の人という感情が欠片も持てないほど深い知性と洞察力を以て脚本を書き、抑制された重みのある演出を見せる。長きに渡り活躍が見込める才人だ。
惜しむらくは、主人公(U.ミューエ、ご冥福を祈る)が『善き人のためのソナタ』で変わるシーンがあまりに唐突な感があること。映画のキーとなるシーンなので、その違和感がかなり惜しい。
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