「東ドイツの監視・密告社会を自己批判と救済の視点から総括」善き人のためのソナタ 徒然草枕さんの映画レビュー(感想・評価)
東ドイツの監視・密告社会を自己批判と救済の視点から総括
ドイツは第二次大戦中はユダヤ人ホロコーストを行い、戦後は東側で歴史上類を見ない徹底的な国民監視・密告社会を組織していた。ともに世界史に残るおぞましい事実である。
ホロコーストについては、世界各国で原因を分析し批判する映画がつくられてきたが、監視・密告社会についてはそのような総括モノがあるのかどうか、よくわからない。恐らくかなり少ないのではなかろうか。本作は、そうした監視・密告社会の総括、自己批判を企図した数少ない映画の一つだ。
映画は秘密警察(シュタージ)職員の監視担当者を主人公に、毎日規則正しく生真面目に、淡々と個人的感情も交えず作家とその恋人を盗聴し、監視し続ける日常を描く。周囲の住民からは嫌悪され、性欲は売春婦で処理する最低の生活を送りつつも、彼は党と国家のために自分の生活のほぼすべてを監視に捧げるのである。
監視の結果、体制批判の証拠などが分かると、例えば優秀な演出家でも仕事を剥奪された挙句、自殺に追い込まれる。自殺者が多いので、国はある年から自殺者の統計発表を停止してしまうほどだ。自殺しないまでも、秘密警察に睨まれたら反体制的な人物も震え上がる。
秘密警察の上司は、そのような人物は数か月、収容施設に閉じ込めれば、もう何も言わなくなると自信たっぷりである。
ところが主人公は、監視し続けた作家カップルに知らずに影響され、好意ばかりか憧れのようなものを感じ始める。ミイラ取りがミイラになってしまったわけだ。その結果、監視報告に虚偽を記載するようになり、作家が反体制グループと協力して西側に機密を暴露すると、それをむしろ隠蔽する努力を払う。
むろん機密が暴露されれば、当然、作家たちに嫌疑がかけられ、主人公にも疑いの目が向けられる。その中で作家の恋人は国家幹部に身体を委ねたうえ、最後には自分を守るため、作家が機密を暴露した証拠の隠し場所さえ明かしてしまう。作家を売る密告屋と化すのである。監視社会の怖さがひしひしと感じられるシーンだ。
ところが主人公はその証拠までも隠蔽してやり、その結果、作家は逮捕されない代わりに、自分が懲罰的な業務部門に追いやられてしまう。
ベルリンの壁が崩れたのはそれから4年半後だった。映画は主人公の内面など何一つ、説明しようとせず、統一ドイツでチラシ配りで細々と生計を営む主人公を映す。他方、作家は自分が逮捕されずに済んだ陰に主人公の計らいがあったことを知り、監視社会を告発する書籍の巻頭に彼への謝辞を捧げるのだった。
映画を通じて浮かび上がってくるのは、東ドイツの監視・密告社会を自己批判する視点と、自己を犠牲にして監視対象を守ろうとした人物を描くことにより救済を希求する視点である。
この社会に対する総括の視点として、それで十分か否かは議論の余地のあるところだろう。監視と密告社会は国民全員の相互不信を招いたであろうに、その割に安易に救済されてしまっていいのか、という気がしないでもない。