セブンのレビュー・感想・評価
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セブンってそういうことかぁ。
今更ですが観ました。ネタバレなしで。
バッドエンド作品とは聞いていましたが、観終わった後はなんとも言えないやるせなさというか、希望のない終わり方ですね。ブラピ宛に宅急便が来た時点で、胎児の死体か、妻の首とは予想できましたが。。まさか、まさか、、と思いながら観てました。
ストーリーは非常に良くできています。七つの大罪に準えて連続殺人事件が起き、その犯人を追うのが若手刑事のブラッド・ピットとベテランのモーガン・フリーマン。
大食、強欲、怠惰、肉欲、高慢の被害者はどれも酷い死に方をしており、確実に残り2件の憤怒と嫉妬の殺人も行われると予想される中、犯人(ケビン・スペイシー)が出頭してきます。犯人曰く、2つの死体は別の場所に隠しているとのこと。ナーンにもない砂漠に連れてこられたと思ったら、前述の通り宅急便が。2体の死体のうち1体はブラピの妻を、そしてもう1体はブラピに殺される自分自身のことを指していたのでした。
って、そんなこと思いつくか?96年の映画とは思えない、、今見ても色あせない完成度の高い作品です。
印象には残ったし嫌いではないが…
下の方にがっつりネタバレあります。
ホラーチックではあるが物凄い名作みたいに言われていたので、いずれは見ようと思っていたところ、ちょうど地上波でやっていたので見ました。
普段ホラーは(好き好んでは)見ませんが、たまたまやってたら見るとか、極稀に懐かしの『IT』とか『ポルターガイスト』とかは見たくなります。グロも脅かし系も特に好きではないのですが、唯一ホラー系?グロ系?でも見るのがサスペンス・スリラーみたいな「事件のついでに気分の悪いシーンがありますよ」程度のもの。
今作もその類(といってもグロくもないし幽霊も出てきません)ですが、先に言っておくとこのお話のメインは「謎解き」ではありません。まぁ一応、それなりにカテゴライズがサスペンスなので謎はありますし、出てくる刑事たちが謎解きはしてるんですが、見ている我々が「誰が犯人?」とか「どうやって殺した?」とか謎解きをするタイプのストーリーではありません。
メインは「人間が悪に染まる瞬間」というテーマなので、「人間って怖いよね」的なホラー。それってホラーっていうのか?って感じですが、昔はホラーの中にスプラッターもグロもお化けも全部含まれてたので、多分ホラーだったんでしょう。今だったら映画.comのカテゴライズ通りサスペンススリラーになるんでしょうね。
映画.comのあらすじでも「殺人事件が続いた後、驚愕の事態が…」と書いているので、殺人事件よりもこの「驚愕の事態」の方が重要なわけですが、自分にとってはこの「驚愕の事実」の方がめちゃくちゃどうでも良くて、物凄い肩透かしでした。
正直、このラストを「どんでん返し」と呼び、「どんでん返しが成功したか否か」だけで評価をつけるとしたら、☆1.5〜2で上等かなという感じ。
ただ、そのラストまでの惹きつけ方が非常に上手く、「どうしてそのラストになったのか」が、ただ傍観しているだけの我々にも無理なく受け入れられるような話の展開が秀逸でした。
そして、常に「何かが起きそう」と思わせるような陰気な雰囲気が薄らと漂っており、この撮り方もとても上手かったと思います。
個人的に好みのストーリーではなかったし、上にも書いた通り「どんでん返し」に関しては完全に肩透かしだったにも関わらず、印象に残る映画だったのでこの評価です。
あらすじ:
定年まで1週間で、辞めた後のことばかり考えている殺人課のサマセットのところに、自らの希望で殺人課に異動してきた血気盛んな若者ミルズがやってくる。同時に不可思議な殺人事件が起き、担当にされそうになったサマセットは一度は拒否するが、ミルズは自分の力を誇示しようと「自分がやる」と言い張り、それを見たサマセットはミルズと共に現場へ向かう。ミルズは決して無能な新人というわけではなかったが、「殺人課では素人同然だから自分に従うこと」と言い含め、2件3件と起こる奇妙な殺人事件に関連性を感じたサマセットは、仕方なくその後もミルズと組むことに。だがミルズの一見ちゃらんぽらんな態度の裏に、強い正義感を隠していることを感じ取ったサマセットは、その純粋過ぎる正義感に危機感を覚え、全ての問題を解決できると思うなと忠告する。しかし世の中は良くなると信じてやまないミルズは、七つの大罪をなぞるように起こる殺人事件を必ず止めてやると意気込み、犯人を追い詰める。漸く犯人を逮捕した2人だったが、犯人はミルズのプロフィールや妻の秘密まで把握しており…
思ったのが、タイトルにもなっている『セブン(作品内ではSe7enと表記)』がキリスト教カトリックの教えでいう「七つの大罪」を表しているとのことで、ハッキリ言ってキリスト教に大した興味のないほとんどの日本人には身に迫った恐怖を感じられないという、致命的な欠陥がある気がします。
現在は欧米でも無神論者が増えているとのことですが、この映画は1995年制作。当時はまだまだ欧米でキリスト教信者は多かったことでしょう。なので恐らく(悪魔が出てくる映画で失神するレベルの)キリスト教信者だったら「わ~怖い~!」どころでない恐怖を感じたのかもしれません。
↓以下がっつりネタバレ↓
このお話は「純粋過ぎる若い正義漢ミルズ」と「世の中見過ぎて諦めきってる歳寄りサマセット」と「世の中のことも自分たちのことも良くしようと努力せず無関心な有象無象(殺される人々)」と「それを赦せず悪魔に身を落とした男ジョン・ドゥ(犯人)」の4つの存在に焦点を当てたもので、それぞれにハッキリとした立場があり、またその立場がガラリと変わるラストが印象的な作品です。
…と書きましたが、自分にはラストは特に印象的ではなかったです。というのも、自分は特にキリスト教に興味はないし、ミルズの性格的に多分ラストこうなるだろうなぁと想像もできてたし、潜在的な恐怖みたいなものが湧かなかったのが原因だと思います。
また、見る時誰に感情移入して見ていたかによっても、ラストの衝撃度は違う気がします。
映画の作りとしてはサマセットとミルズのダブル主人公なので、当然そのどちらかに感情移入するようにできていると思うのですが、サマセットはどちらかというと「無関心な有象無象」に近く、ミルズはあろうことか「それを赦せず悪魔になったジョン・ドゥ」に近いんですよね。
なので、観客のほとんどはサマセット目線で、頑張ってるミルズを他人事のように見てたのではないかと思います。
サマセットはミルズの影響を受けて徐々に世の中に無関心ではいられなくなり、ミルズは犯人の影響を受けて世の中に失望し、犯人は結局自分の希望を叶えるラストですが、ミルズがキレやすい性格の時点で、ある程度このラストは想像できます。あの後ミルズは刑事としてはもうやっていけないでしょうから、ジョン・ドゥの後を辿るのではないでしょうか。アメリカでは割と法律を無視して「私刑」を振りかざすキャラ(ヒーローものを除いても)の出てくる話が多い気がしますが、これもそうなる気がします。というか、それを見越してジョン・ドゥはこのラストを理想としたのではないかと思います。
…だからといって、自分は「だから何?」という感じだったので、うーん、やっぱり「上手い撮り方の映画だったなぁ!」「凄かったなぁ!」というすげーつまんない感想しか出てこないのが残念。
ミルズの熱血加減、日本の漫画なんかでよく主人公にあてがわれるような性格だったので、そういう意味ではラストにショックを受けた人はいるかもしれません。主人公=純粋という設定が多いので、その純粋が悪に染まるというラストは確かに珍しいと言えば珍しいし、普通は悪に染まったとしてもその後救済ストーリーがあったりするので。
ただ、印象に残る映画にするにはこれで良かったと思います。実際、こうして何年も語り継がれてるわけですし。
ひとつ最も残念に感じたのは、ミルズの妻トレイシーの生首や赤ん坊の死体を映さなかったこと。
確か年齢制限なかったと思うので、バッチリ見えるように映せないのはわかる(ていうか別にガッツリ生首見たくはない)んですが、「本当にトレイシーは殺されたんだ」とこちらも恐怖を感じられる演出をしてほしかったです。
そういう意味で、監督の無意識なのかわかりませんが、やはりミルズよりサマセットに感情移入するように作られていたような気がします。
箱の中を直視しないまでも、せめて箱の隅についた大量の血とか、血まみれのトレイシーの髪の毛とかだけでも見せてくれれば、狼狽えるミルズに感情移入できたと思うんですが、如何せん箱の中を見たサマセットがハッとする演技だけ。ミルズの狼狽える演技が完全にアホっぽく見えて、自分はこの大事な場面で白けてしまいました。
せめてミルズが箱の中を見てしまって発狂したならまだしも、見たのはサマセットだけです。これならミルズが犯人を殺しかねないと予想がついてたサマセットなら、後で自分が恨まれたとしても「箱の中身はトレイシーじゃなかった」と嘘を吐くんじゃないかな。箱はだいぶ遠くにあって、ミルズは確認できないわけですから。
脚本を書いたアンドリュー・ウォーカーは有名になる前ニューヨークに住んでおり、ニューヨークでは毎日のように犯罪が起きるのに、それを見て見ぬふりする人々にだいぶ辟易していたようで、その時の鬱屈とした気持ちや、悪よりむしろ「人々の無関心」に対する憎しみを強く感じます。
終盤でミルズとサマセットは、「まだ見つかっていない死体の場所を教える」と言う犯人を連れ、車で現場まで向かいます。車内で「自分が世の中を良くした」「無関心だった人々も心を改めるだろう」と満足げに語る犯人に、ミルズは「どんなに酷い事件も、2か月も経てば皆忘れる」と吐き捨てます。しかし、犯人はそれにこう答えます。
「まだ全て終わってはいない。全てが終われば、結末は理解されずとも、人々は認めざるを得なくなる」
この言葉通り、妻と子供を殺されたミルズが逆上して犯人を射殺してしまったことにより、犯人の目的も何者だったのかもわからないまま事件は幕を閉じます。
「何もわからなかった」事件は、犯人が死んで一見終わったように見えても、その後もずっと興味を持たれ続けるのは想像に難くありません。しかも逆上して犯人を殺害したのは警察官。現実にあれば、歴史に残る事件になるのでしょう。
そしてミルズに影響されていたサマセットも、元の無関心、心を閉じた人間に逆戻り。救いがないですね。
犯人の思惑通りに全てが進んだストーリーで、ストーリー展開も緻密で、目を惹きつける映像、飽きさせないスピード感もあり、映画としてはとてつもなく質の良い作品だったのですが…本当に本当に、自分には「だから何?」のラストでした。何でや。
鬼才の作家性が爆発した、サスペンス映画の金字塔。
雨の降り続ける陰鬱な街を舞台に繰り広げられる「七つの大罪」をモチーフにした猟奇的殺人を解決する為、熱血刑事ミルズと老練な刑事サマセットが真相を追い求めるというサスペンス・スリラー。
監督は『エイリアン3』の、鬼才と称される映像作家デヴィッド・フィンチャー。
主人公ミルズを演じたのは『トゥルー・ロマンス』『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』の、後のオスカー俳優ブラッド・ピット。
ミルズの相棒サマセットを演じたのは『ショーシャンクの空に』『アウトブレイク』の、伝説的名優モーガン・フリーマン。
ミルズの妻トレイシー役には『フック』の、後のオスカー女優グゥイネス・パルトロー。
狂気の犯人ジョン・ドゥを演じたのは『ワーキング・ガール』『アウトブレイク』の、レジェンド名優サー・ケヴィン・スペイシー。
第5回 MTVムービー・アワードにおいて作品賞を受賞!
10年以上前に鑑賞した際、高校生だった自分にとんでもない衝撃を残した作品。
久しぶりに鑑賞したが、話の筋や衝撃的なクライマックスを知っている状態でも十分に楽しめた!
ブラッド・ピット演じるミルズは乱暴で感情的だが、情熱に燃える若い刑事。
対するモーガン・フリーマン演じるサマセットは知的で穏やかだが、犯罪の蔓延るこの街に嫌気がさしている定年間近の刑事を演じている。
いつものブラピといつものモーガン・フリーマンといった感じで意外性はないが、安定感は抜群なキャスティング。
対照的な2人の刑事が、事件を追いながら交流を深めていくというバディ・ムービーとしても良くできていて楽しめます。
舞台となる雨の降りしきる陰鬱な街は、『バットマン』のゴッサムシティや、『ブレードランナー』のLAを思い起こさせる。何かとんでもなく邪悪なことが起きる気配がプンプンしている…
「銀残し」というテクニックで撮られた映像は、明暗のコントラストが非常にハッキリと現れており芸術的でカッコ良い。作品の持つ恐ろしさや狂気性を際立たせてくれている。
猟奇的な連続殺人が次々起こる展開に加え、ニアミスした犯人とのアクションシーンまである、観客を飽きさせないサービス精神旺盛な映画でもある。
とにかくテンポが良いので、作品の内容に反して爽やかさや子気味良さすら感じる。
無関心さが美徳とされる世界に嫌気がさしているサマセットと、自らの罪に無関心な市民に対して罰を与えようとするジョン・ドゥは、立場こそ違うが相似的なキャラクターとして設定されているところが面白いと感じた。
キリスト教的宗教観を持つ作品だが、キリスト教徒でなくとも共感することのできる作品。
とにかく作品のクオリティが高いので楽しめるのだが、内容が内容だけに繰り返して観るのはかなりしんどい。
クライマックスの展開は好き嫌いが分かれるかもしれないが、「7つの大罪」がモチーフである以上、「憤怒」の罪に対する罰により、7人の被害者が揃ったところで幕を下ろすというのは非常にスマートだなと個人的には感じます。
この上ない後味の悪さ
暴食 強欲 怠惰 肉欲 傲慢 嫉妬 憤怒
完璧に計算され尽くした脚本。
最後の最後で観客を唖然とさせる結末。
そしてこの上ない不快感。
今でこそBADENDな結末の映画は増えてきたけど
当時はそこまでなかった気がする。
動のブラッド・ピット
静のモーガン・フリーマン
このコンビがまたいいバランスでたまらない。
そして犯人役のケヴィン・スペイシー。
必ず相手の1歩先を見極めている冷静さ。
デヴィッド・フィンチャー恐るべし。
7つの大罪
こんにちは、LEOです。
本日「セブン」を観ました。
またNetflixで何かないかなー?と探していてたまたま見つけた作品となります。
内容ですが、定年間近の刑事と新人刑事が異常者の殺人犯を追い詰める話となります。序盤はどうやって犯人に行き着くのだろう?と思っていましたが、ある時から急展開。
その後、妻からの電話がありましたよ?で嫌な予感はずっとしていましたが、クライマックスやはりというような展開となってしまいました。
内容はかなり面白いし、のめり込んで観れる作品でした。ただ、かなりのバッドエンドなのでそういうのが苦手な人は...と言う感じです。
是非面白かったのでお時間がある方は見て見てはいかがでしょうか?
狡猾な罠
DVDで鑑賞(字幕)。
キリスト教の「七つの大罪」に見立てた連続猟奇殺人事件が発生。若手刑事のミルズは退職間近のベテラン刑事サマセットとコンビを組んで捜査を開始しましたが、その先には予想もしなかった壮絶な結末が待ち受けていました。
殺人現場は目を背けたくなるほどの凄惨さで、鳥肌が立ちました。これが人間の所業かよ、と…。残虐非道な犯行を繰り返し、見事にミルズたちを翻弄した犯人を演じたケビン・スペイシーが名演だなと思いました。警察に出頭しながらも、最後の瞬間まで罠を仕掛けていた狡猾さに震え上がりました。
※修正(2024/02/18)
名作だったのかなと言う擁護
若手と引退間近の警察、大罪がモチーフの殺人など、今となっては使い古されたものが多い。でもこれが最初だったのかなあ?違うのかなあ?みんな評価高いしそう言うことなのかなあ。ブラピとモーガンフリーマンだから?はじめのブラピとモーガンフリーマンの出勤までの行動の対比なんかは彼らの生活が垣間見えてよかった。かつての名作だから評価されているだけで、今新作として出されるとそうでもないってやつだなあと感じた。無駄が多いのか、視点が足りないのかそう言う雰囲気を感じる。想いが強い人からするとまた違うのだろうが。予備知識なく2019年に見た感想なりよ。
色褪せない名作
公開時のインパクトがすごくて、グウィネスの首をハッキリと覚えてたのに改めて見るとあれ?首うつってない、、、
そこまで思い込むほどのインパクトあるラストシーンでしたね。
ブラッドの泣きの演技も素晴らしいです。
十数年ぶりに視聴
七つの大罪をモチーフにした連続殺人を題材にしたクライムサスペンス。
監督は若き日のデビット・フィンチャー。
まずのっけからオープニングに魅了される。
カイル・クーパーの手がけたこの映像は今見ても魅力的、その後の映画への影響もかなりのものがあるだろう。
銀残しを多用したコントラストの強いビジュアルも印象的だ。
そして何より衝撃的なのはあのクライマックスだろう。
なにせジョン・ドゥの望み通りの結末を迎えるのだから。
苦悩の末ジョンを撃ち殺したミルズ。
彼と行動を共にする中で世界に絶望していたサマセットの心が少しでも動いたのであれば、それがせめてもの救いなのかもしれない。
この世界は素晴らしい。闘う価値がある。
途中までは暗い話しであまり惹かれるものがなかったが、ラストのなんとも言えない緊迫感はたまらなかった。ただもう少しでいいから、後味をよくして欲しかった。
最高のエンド
バッドエンドと言っても大体が、メリーバッドエンドじゃないかとか彼等にとってはハッピーエンドにもなれるという後から色々考えてしまう結末が多いけれど、この映画は完全に胸糞バッドエンドなので好きです。
バッドエンドに関して右に出る作品は無いと言ってもいい。
箱の中身を知るもトレーシーがどういう風に殺され首をパッキングされる犯行を描く事なく、スペイシーの語りでだけで終わるのも良い。
後味の悪い雨のシーンが印象的で、胸糞さが後を引く。フィンチャーの映画は見飽きません。
字幕は戸田奈津子が担当してるのかな?
被害者をガイ者と訳すのは生活の中で余り見かけない表現なので、見るたびに違和感を感じています。
高評価の割には
ストーリ制はしっかりできていて面白いとは思いましたが、そんなに高く評価されるのかな?って感じでした。
期待してみ過ぎてしまったのかなと思います。
最後の7つ目の罪をミルズ本人の手で完璧してしまうという犯人の意図通りになってしまって残念です。
あそこで食いとどまれれば良かったけど、奥さんが殺され、お腹に子供がいたこともその場でわかり、我慢できなかったのですね。
俺は…とあの言いかけたミルズのセリフはなんだったのでしょう。
俺はあの犯人を知っているということでしょうか。
ブラピ、モーガンフリーマン、ケビンスペイシーと出てる人は豪華で演技派なのでしっかりみることができました。
最初のシーンが全て犯人の犯行中の映像だったことを身終えたあとわかって、そこには鳥肌が立ちました。
みんな高評価が多いですが…
もっと犯人の犯罪心理を突き詰めていくかと思いきや、事件は思うように進展せず、最後自首した犯人がペラペラと今まで殺して来た人間をなぜ殺したのかを喋って、やっとそこでなぜあの人たちを殺したのか、犯人にとって殺されるべき理由が明確になる。警察側としては犯人が喋り出すまでどのような関連性で殺されていたかは分からなかった。最後の最後まで犯人の思い通りで警察側が完敗という印象。
ラストダンボールが届いた時に、奥さんの頭かお腹の中の子どものどちらかかなーという想像ができてしまった。私がハッピーエンド好きだからかもしれないけど、ブラピ、撃ってほしくなかったなー…。
月曜から日曜までずっと陰鬱な雨ばかりだったのが、犯人のすべての説教が完了するその日は、綺麗な夕日が差し込む鉄塔が並ぶ場所で、映画の雰囲気や空気はとてもいいと思います。
キャッチ・ヒッチコック・イフ・ユー・キャン
僕にとって、あらゆる意味において特別な映画。
中学三年のときに初めてまともに観たサスペンス映画が『セブン』でなかったら、マジな話、僕の人生はずいぶん違うものになっていたはずだ。
この映画は、僕が初めて本気で好きになった映画でもあった。思えば人生のその時点において、僕の映画への嗜好は基本的な方向性を決定づけられたのだろう。
僕にサスペンス映画の楽しさを教えてくれたのはデヴィッド・フィンチャーであり、その傾向を加速させたのがヒッチコックだった。
『セブン』のおかげで、僕は猟奇殺人を扱ったサイコ・サスペンス映画をレンタルビデオ店で見つけると反射的に借りる特異体質になってしまい、掃いて捨てるほどのクズ映画を観るはめにもなったのだが、その負を補って有り余るほど、この映画は素晴らしい。
何十回観たかわからないし、語りつくせない魅力を感じる。
まず、やけに暗い部屋、完璧なカットの切り返し(特にブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが酒場で語るシーンの両者の切り返しは奇跡的に美しい)、ポイントで降らせる雨、湿った質感の闇の美しさと、図書館の緑のライトに象徴される逆説的な光の存在感、恐ろしいほど正確なカメラ・ワークという、この時点で既に完成と言って然るべきフィンチャー・アプローチ。
ベテランと若手、王道ながらも完璧な、ピットとフリーマンのキャスティングの楽しさ。過度に踏み込みすぎず、しかし的確に人間を映す、キャラクター描写の巧みさ。
描き方によってはいくらでも単調になり得たはずなのに、巧みに操作され、終始弛緩を許さない流麗なプロット。
七つの大罪、七日間の捜査、それが「怒り」の罪で完結する「セブン」の様式美。本作のラストは、とってつけたようないわゆる「ラストの衝撃」的なそれではなく、大胆な結末を見事に作品の様式美に回収した。その上で、誰しもが肯定せざるを得ないような激烈な感情に身を任せた殺人を是とするか否かという究極の問いを、さりげなく観客に突きつける、サスペンスとしての心地よい底意地の悪さ。
本来リアリティーもクソもないはずの犯人像を、力技で押し切ったケビン・スペイシー=ジョン・ドゥの圧倒的に完成された異常な説得力。
一方で、やけにリアルな登場人物たちの「日常」、極めて自然でありふれた「切実」を提示する、その神がかり的なバランス感覚。例えば、バーでフリーマンに語るピットの迷いと若い意志力。「あんたはそう(世の中が最低だと)思うから引退するんじゃない。引退するからそう思いたいんだ。けど、俺はそうは言わない。言えない」。あるいは、ピットに尋問を受けた風俗店経営者の、「こんな仕事で楽しいか?」という問いに対する答え。「いいや。楽しかねえ。それが人生だろ。違うか?」。そして、ピットの妻に妊娠を告げられたフリーマンの過去。「その日、生まれて初めて怖くなった。『こんな世界に子どもを生むのか』と。それで、彼女に『よそう』と……正直、今でも思うが、あの決断は間違っていなかった。ただ、もし違う決断をしていればと思わない日は、一日もない」。
そして何よりも、おそらくヒッチコックを神と崇めるであろうデヴィッド・フィンチャーという若き男が紡ぎ出した、精密で、破壊的で、暴力的で、魅惑的に美しいカットの力。
ヒッチコックの時代であれ、我々が突き抜けたSF技術を獲得した現代であれ、映画の根本にあるのはカットの力だ。
何もかもが、完璧だ。僕はサスペンス映画というものに、これ以上は何も望めない。
僕は二十歳のときに、こんなメモを残している。
「現代サスペンス映画は、『セブン』でヒッチコックに追いついたのだと思う」。
未熟なメモではあるが、その考えは、今でも変わっていない。
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