セブンのレビュー・感想・評価
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今や“名無しさん“が世の中に一杯
30年ぶりに見た、と言っても前回はVHSのレンタルビデオで、今や名監督として揺るぎない地位を確立したデビッドフィンチャー監督の「エイリアン3」に続く2作目、この後に大好きな「ファイトクラブ」、「ベンジャミン・バトン」、「ドラゴンタトゥーの女」を撮るんだから物凄く大好きな監督です。
七つの大罪になぞらえて世に原罪を問う、と言っても被害者は利権政治家とか大富豪とか汚職警官とか大罪を象徴するような人選でもなく、ちょっと目についた犯罪を犯している訳でもないどこにでも居るような不快な者達、となると単に自分が犯した悪行を正当化する意味を自分勝手に後付けしただけなんじゃないの?というのが物語の中心、そんな不快な街に無関心を装うサマセット刑事、この街で犯罪者と戦い功を成そうとやって来たミルズ刑事、我慢ならず反社会的行動を起こしたジョーン・ドゥの三者の物語。“ジョーン・ドゥ“という日本で言えば「山田太郎」のような印象の薄い“どこにでもある“代表名。それって匿名みたいな、いわゆる“名無しさん“と同じような物、と言うことは簡単に言うと
「目に入った不快なものに我慢ならず大仰な理由をつけて過剰なまでに報復する匿名“名無しさん“」って、正に「現代のSNSの有り様」と気づきました。
国内上映が1995年、日本ではインターネットプロバイダが一般庶民向けに5千円程度で出始めた頃、掲示板といえば国内ニフティーサーブか海外ニュースグループがあり、当時からネットケンカやネットアラシやネットストーカーはおりましたがこの映画は当然そんなネット社会をベースに草稿した訳ではないでしょう。30年前見た当時はこの映画のことをどこにでもある不快さを罪として罰を与えるが如く猟奇的殺人に及ぶ「過剰な制裁」に対する恐怖と愉快犯でもない動機不明な「不気味な犯人像」に対する恐怖を感じさせる傑作だと思った訳ですが、匿名の人が「過剰な制裁」ではなく「妥当な制裁」を加える道具が発明されたら世の中はどうなるのでしょう。
インターネット上の数々のSNSサービスには「傲慢」「強欲」「嫉妬」「憤怒」「暴食」「怠惰」「色欲」に該当するような政治家、実業家、批評家や芸能人など山ほど居て、その何倍もアンチがどこのSNSでも“正義の鉄槌““不快の報復“の名の下に身勝手な「妥当な制裁」=アンチコメントを加えるジョーン・ドゥで溢れ返りエスカレートしては一線を超え誹謗中傷まで発展し訴訟沙汰になるケースもあり、苦々しく思いながらも「どうなのこの国?」と無関心を装うサマセット刑事が居て、「論破論破ハイ論破」の如く論客として功を成したいミルズ刑事が今日も現れる。この映画がネット社会を予見したものでないのならジョーン・ドゥは特異な人間ではなくどこにでも居る人、ただ行き過ぎちゃっただけと言う人間の本質論と警告の話だったのかも知れません。30年前は特異な犯罪者が社会を振り回すお話の印象、今見るとどこにでも居る一線を超えてしまったアンチ野郎の内の1人、見方も恐怖の捉え方も180度変わってしまいました。
私が日常で不快に思うのは駐車場の一方通行を逆走する車(強欲)とか挨拶もしない無愛想なコンビニアルバイト(傲慢)とか回転寿司のシャリが作り置きなのかパッサパサな時(怠惰)とかダイエット中で食べれない時にラーメンの行列を見かけた(嫉妬)とか、それでもまあ制裁や報復を与えることもないし、逆に不快を与えていると思えたのは電車にギリ飛び乗ったら女性専用車両でした(色欲)とかスパゲティはすすらないと食べれない(暴食)とかなどなど、結局“不快“は人から貰うし人に与えるしそこはお互い様、普通に有り得ることなら怒ってもしょうがないと憤怒を沈めるのがアンガーマネージメントの肝かなと思っています。新幹線で赤子が泣くのは普通に有り得ること、眠りたいなら耳栓は準備しておかなきゃですね。
ただし、映画館でカバンからお菓子の入ったビニール袋出してシャカシャカシャカシャカ、シャカシャカシャカシャカ言わしてる奴、アレだけは絶対に許せません!(憤怒)
師匠、申し訳ありませんでした。
公開時、忙しくて劇場鑑賞できない時期で、初見はビデオ鑑賞だった。
エイリアン3で散々な目にあったフィンチャーの起死回生の作品で、当時から評判だったオープニングが素晴らしく、クリエイターのカイル・クーパー(名前を聞くとツインピークスをどうしても連想する)の仕事に感嘆した。
その仕事に負けず本編も、細部までこだわった設定、美術、照明、撮影、演者と凄いクオリティーだった。
カイル・クーパー以外の情報を入れずに見たので内容も強烈だった。
もちろんその鬱的結末にやられた訳だが、
序盤から隙のない演出と映像を味わいながら鑑賞したなかで、私にとってこの映画が只者では無い認定をして興奮したのは、ジョン・ドゥの住居にたどり着いたミルズとサマセットに真っ直ぐ伸びた廊下の先で、買い物の紙袋を持った人物(ジョン・ドゥ)がおもむろに銃撃するシーンでした。
このショットの瞬間、傑作認定しました。中々出来ない演出と構図とタイミングだったので、SE7ENと言えばまずここを思い出します。
その後のジョン・ドゥの出頭シーンにも度肝抜かれましたし、ドラマ『アンナチュラル』のあるシーンで「おーSE7ENやん」と野木亜紀子氏を知るきっかけにもなってます。
今回の初の劇場鑑賞、おまけにIMAXでつくづく映画は劇場大画面で観るものと痛感しました。
DVDも持ってるし何度も観てる筈なんですが、やはり情報量が違っててはっとする事が多かったです。
映像の細部まで再認識させられたのは勿論ですが、演者の細かい表情のダイレクトな伝わり方は、やはり劇場でIMAXだからだと思いました。
ただ今回1番驚いたのは、エンドロールで流れるDavid Bowieの『The Hearts Filthy Lesson』で、いつも鑑賞時に本作内容のヘビーさに引きずられて聞き流してたのか、Bowieの曲と認識してませんでした。
確か収録アルバムの方を先に聴いてるにもかかわらず、全く今回まで結びついてませんでした。
おまけにアルバムコンセプトも猟奇殺人で、それも知ってる筈なのにです。
心の師の1人のDavid Bowieには空に向かって謝りました。
そんなこんなで、
やはり映画は映画館で観るべきだと本当に思いましたし、私の中のこの作品の評価も上がりました。
初見を劇場で観ておきたかったと後悔した次第です。
映画の記憶
当時も映画館で鑑賞。ブラッドピットおせおせ時代で、かっこいいのにいわゆる『イケメン』役は避けるなぁ。と。
衝撃のラストの場面とBPの表情と揺れる家とパルトロウとケビンスペイシーが怖い人。そして雨が記憶に残ってた。傘ささないのかなと思ったり。
大人になってからみるとより怖く、重く感じた。そしてここまでやってるBPがわりと軽く思われてたことにびっくりした。やっぱりかっこよかったし😌
時代が巡って色々なものが変わったり便利になっても人の感情や欲、罪は何も変わらないのだと思ったし、根本的には100年前からも変わらないのだろうなと。日々くよくよしてることも多かれ少なかれ皆がとおることなのかなと。
コロナ以降大作映画がなかったり、映画が日本に来なかったり、今後ハリウッドがどうなっていくかもわからない。昔は良かったという人にはなりたくないけど、もっと「映画!」という新作映画が観られるといいな。
とはいえ、30年後の2025年にこの映画を満席の映画館で観るとは思わなくて、なんだか感激した。
グロいの苦手な方は要注意
映画館で見たかったが、もうすぐ終わり。行かれないのでこれをきっかけに配信で鑑賞。
20年以上前に一度見ており詳細は忘れたが、結末だけは覚えていた。
全体的に暗く、雨降る日、捜査する建物の雰囲気、妻グウィネスの不安気な顔などを断片的に覚えていたが、何と言ってもラストの荒野で叫ぶブラピ!が強く印象に残っている。
今回は7つの大罪、7日目に、あと2つ…の意味がちゃんとわかった。おぞましすぎる。。
猟奇的殺人の映画は色々あるが、被害者の姿がこれはかなり気持ち悪かった。
あとちょっとで退職なのに大事件に関わる事になったモーガン・フリーマンも気の毒だが、最後の数日間自分から延長を申し出、新参者ブラピに加勢する頼もしく重要な役どころ。
名無しの権兵衛ジョン・ドゥ、Kスペイシーの登場が短いのに強烈だった。
以下余談。
出てくる文献のうち、「カンタベリー物語」
スティングのアルバムTen Summoner’s Talesもこれ由来。学生時代習ったがちゃんと読んどきゃよかった。
逆エンドクレジットは、古いが「バード・オン・ワイヤー」(1990・M ギブソン)も同じスタイルでした。
公開された時代はKスペイシー、Gパルトロウ出演作をいくつか見たけど、今出てないもんね、色々残念。
そういや当時、ブラピとGパルトロウって実生活でも付き合ってましたよね。
とうとう観てしまったよ、SE7EN
2月4日(火)
昨年から続く、極私的劇場公開時見逃して再公開で初見の名作・話題作シリーズ。
米国公開30周年を記念しての4K修復版IMAX公開で29年前の劇場公開時から見逃したままだった「セブン」を浦和のIMAXで。
友人のライターSは「セブン」の映画パンフに解説を書いたそうだ。「7つの大罪やダンテの「神曲」とか読んで勉強になった」と言っていた。そうだよね、私も映画のレビュー書くのだって何か調べると色々と知る事があったりする。
雨が降り続く街の分署に赴任して来たミルズ(ブラッド・ピット)は退職まであと1週間のベテラン刑事サマセット(モーガン・フリーマン)とコンビを組む。
おしゃべりで感情的なミルズを冷静で寡黙なサマセットは最初は疎ましく思うが、連続殺人事件が起こる中で協力して事件を解決しょうとするのだが、…。
ミルズの妻トレーシー(グイネス・パルトロウ)は、サマセットを自宅の夕食に招く。後日、赴任したばかりで知人がいないため、サマセットに相談をする。
5つの殺人事件が7つの大罪に習ったものであるため、サマセットはFBIを使って違法に情報を入手し犯人とおぼしき男のアパートを訪ねるが、部屋に戻って来た男と遭遇しミルズは彼を追う(クレジットにはBピット、Mフリーマン、Kスペイシーのダブルが出るが、この激しいチェイスシーンだと思われる)。追いついたが頭を殴られ倒れたミルズに犯人は頭に拳銃を押し付けるが引金を引かずに逃走する。
このチェイスから重くるしかった雰囲気が変わる。ずっと降っていた雨が止み、雨上がりに血塗れの犯人ジョン・ドゥ(ケビン・スペイシー)が自首してくるのだが、ここから残り2つの殺人が。
ミルズとサマセットの二人だけを同行させれば残り2つの死体のありかを教える、さもなければ永久に死体のありかは分からないとの条件で3人は車に乗って警察を出てジョンの指定する場所へ向かうのだった。そこに箱が運ばれて来て……。
散々惨殺された被害者を見せておきながらラストで運ばれて来た箱の中を見せない演出、最後の殺人の後の後味の悪さ。
サマセットの台詞で映画は結ばれる。
「アーネスト・ヘミングウェイは言った。
「この世界は素晴らしい。闘う価値がある。」後半には賛成だ。」
確かに「この世界は素晴らしい」とは言い難いラストだった。直ぐにはレビューが書けなかった。
おまけ
記者会見する地方検事タルボットが懐かしのリチャード・ラウンドツリーだった。「黒いジャガー」シャフトである。2023年に亡くなったんですね。
IMAXの必要あったか?
若い頃に見なかったが、IMAXでやると聞いたこと、ショータイムセブンを観る前にセブンを観ようと考えて鑑賞。気持ち悪い映像は苦手だが、今の映画より、30年前の映画の方がまだソフトだった。今作ったら生首映して、R15にしたはず。映像がキレイになり迫力はあったが、この映画の世界観は、汚れたままの方が良かったように思う。
若きブラピと年齢不詳のフリーマンの演技は良かった。こんな世界で子供を産むのかと迷う所で、今の世界の方が戦争や貧困、犯罪や感染症とあり、もっと迷っただろうなと思う。
IMAX上映に感謝
前知識なしで臨みました。
ストーリーが秀逸でめちゃくちゃおもしろかった。
あとから思いかえすと、
トレイシー殺して配送の手配して自首するまで仕事早すぎない…?!とか考えてしまうけど。
ジョン・ドゥがレクター先生とは違った知的サイコスリラーでよかった。
もうひとつの罪
凝らした目と澄ました耳で感じてきたものをサマセットの無言の表情が深く重く語る
ミルズの若い勢いと正義感に押し殺す何か
トレーシーとの会話のあと胸を抉り返された何か
ジョン・ドゥの言い分に呑み込んでいく何か
人の常にあるという7つの大罪を裁く事件を追い詰めながら、彼はその身をもって 8つ目の罪に気がついてしまったのだと思う
あまりにも多くのこの世の業に立ち向かい続けた人生は
己の葛藤を拒絶し何があろうと戻ることもできない道を突き進んだ
語ることも許しを乞うこともなく孤独を背負って生きていく
唯一の罪滅ぼしだと覚悟したようなラストの言葉に、照明がついたあとも真っ暗な夜の波打ち際にひとり置かれたようだった
得がたいバランス
ブラピもグウィネスもケビン・スペイシーも、あの頃だけの儚い美しさを湛えていて、そういったものとストーリーの奇妙さがうまくパッケージングされている。/サマセット絶対怪しいでしょ、と思ったが、調べてみるとどうやらそれは少数派というか穿った見方というかそういうものらしく、葛藤を抱えながらそれを表には見せない理性的な賢者、みたいな人を胡散臭く(というか生きづらそうに)見てしまう自分の側の問題なのかなと思った。
Madness,Madness!
こんな狂った結末の映画を、こんなにも巧く面白く作る人たちって狂ってる。
結末を知っているにも関わらず、(いや知っているからこそか)心臓が止まりそうになるくらいドキドキした。
結末や殺され方があまりにもインパクトが強すぎて忘れてたけど、老刑事と若い刑事の関わり方や追跡シーンなど、あそこへ持っていくまでがとても巧く描かれていて息つく暇もない。
劇場、IMAXは格別。まさにBE PART OF ONE.
部屋を訪れたジョン・ドゥーにトレーシーが命乞いをするシーンがあったように記憶していたが、想像してただけなんだ。見せなくてもそこまで想像させられるほど強烈だったということか。
ブラッド・ピッドはもちろんカッコいいけど、モーガン・フリーマンが実に格好良い。
ブラビのファンが刑事アクションものくらいな感じで観に行ったら、しばらく立ち直れないだろうな。
レビューのタイトルは午前中に「戦場にかける橋」を観たから、この言葉しか浮かばなかった。
さすが大画面+4K HDR高画質+高音質で見応えあり。話は薄いが映画パッケージの成功例。この映画のファンは必見。
今年、正月映画なかったじゃん。それってやべぇよね。コロナ状態継続中アメリカ映画ネタ切れのおかげで『赤血球vs白血球』や『海のインデアン』でお茶を濁さなければならない日本映画館市場。配給はマジでちゃんと考えた方がいいよ。
まっ、業界人でもなんでもない俺は、
「どうでもいいけど。」
30周年かよ。「はえーなぁー。」「20年かと思ったよ。」
30年前と云えば「パルトロー」が脱いだり、「セロン」が一生懸命ケツ出してた頃だよな。
てなもんで、『おっ、「パルトロー」が出たじゃん。また脱ぐのかー?』とか期待してたら『くびチョンパ』かよ!「なんだよー!」なんて残念がっていたな。
30年前の映画なのにスター俳優の顔がほぼ変わらないじゃないの。
「ニューラインシネマ」ロゴマークの輪郭を見た時点ではあまり精細に対して攻め込んではいないかと思ったが攻め過ぎるとソニーのテレビみたいな人の顔が『切り絵』になり『映画』としてのフィルム感にこだわっているんだなと納得してみた。
なんてったって今回の見せ場は「色」と「音」。画面中の色の細かなグラデーションには感動した。特に『フリーマン』の顔の肌色を観てみろ。肌色がベタッと潰れてないでしょ。色のグラデーションが細かいから立体的に見える。さすがに家での民生AVシステムでは出しにくいだろう。池袋のIMAXで観るとどうなるか?
あと「音」だ。「色」と同じく広いレンジなので深みある「音」なので緊張感が倍増。
ラストのクライマックスの『ずずっずー』とか『ぐーぉ・ぐーぉ』とかの音がおどろおどろしい音楽が何気に聴こえてくるが、ノイズを感じず自然に耳にすることができていわゆる『没入感』を体験できる。これまでIMAX映画をあまり褒めなかったが、それだけ今回のレストアチームはいい仕事をしたということだろうな。
「またあれだろ、IMAXったってピントボケボケ、色破綻とかしてんだろ。」なんて思っていたがいい方向に裏切られた。
ーまとめー
いや、そんなに『面白い』映画じゃねぇんだよ。『フリーマン』の演技に引きずられた他の演技者、そこに『けびん』が絡み演出、構図、カメラ技術、セット美術、編集、音楽全てがパッケージ化され映画としての重厚感を完成させた映画の成功例。
3月に4Kブルーレイが出るが、アマゾンで¥5千800。3年待って¥3千以下か?。本作のファンは俺が言わなくても観るだろうが映画館で¥2千円出しても損しない出来。できれば池袋のGTで観た方が良いかも。
ー蛇足ー
この映画上映後に『デビット ボウイ』が来たのよ。(武道館、最後だっけか?)映画のエンドタイトルを歌うのか?と思ったが歌わなかったな。 というよりなんか前座で日本の『ぼうい』出てきて3、40分位なんかやってたけど客の女の子達が「キャーキャー」言って盛り上がってたけど本物の『ボウイ』が出てきたら「キャーキャー」が無くなりおざなりの手拍子でただ立って観てるだけで、以前観た『横浜スタジアム公演』とは違い全然盛り上がってなかった。『客寄せ』で『ぼうい』を前座にしたのと高いギャラでレコード会社移籍したツケで音楽の方向性を見失った感じの『ボウイ』のコンサートはなんか淋しかった記憶がある。
タイトルなし(ネタバレ)
全く中だるみしないままラストまで観られた。ただ、最後のブラピの葛藤、ジョンを撃ちたい気持ちと撃ちたくない気持ち、後者の方の根拠が弱くないか?と、どうしても引っ掛かる。愛する妻(とお腹の中の子)を無惨に殺したジョンを殺したい衝動はよく分かる。ただその衝動を食いとめる理由が、「ジョンの思い通りになってしまうから」だけなのか?自分も七つの大罪の一員となりジョンの計画の完遂に一役買ってしまうということへの抵抗が、ジョンを殺したい衝動と並ぶほど大きいものだろうか?正直あれほどの葛藤には感情移入できなかった。殺して当然だと思う。良い作品だったけどそこだけどうしてもすっきりしなかった。
ストーリー、役者、映像、演出からクレジットに至るまでハイレベルな傑作
劇場公開時鑑賞。DVDにて再鑑賞。IMAXにて再度鑑賞。
冒頭のカイル・クーパーによるタイトルバックでもうつかみはバッチリ。あまりのかっこよさに気を取られていると、画面上で行われていることの恐ろしさをつい見逃してしまうので注意しないといけない。
エンドクレジットも通常とは逆に上から下に流れるので、気持ち悪いことこの上ない。
ギャガやニューラインまで一緒に「カッコいいもの」認定していた時期もあった。
「七つの大罪」を(日本で)厨二心をくすぐる概念に昇華/堕落させた立役者/元凶だと思っている。ローレンス・サンダーズの大罪シリーズは傑作だと思うけど、ミステリファン以外に広く読まれていたわけではないだろうし。
この陰惨なストーリーを彩る美術や撮影など細かいところもバッチリハマっている。陰惨な殺害方法の数々は後年『ソウ』を観た時ふと思い出された。
逡巡するブラピの演技好き。上司がハートマン軍曹。疲れた妻感満載のグゥイネス、ただただこちらの理解の範疇外にあるジョン・ドゥ(出頭時の「今、殺ってきました」と言わんばかりの様子とか、車内でのミルズへの挑発的な態度とか)などなど印象に残るものは数えきれない。極上の地獄めぐりである。
IMAX2Kにて。
周囲の環境音(街中、警察署内など)がよりクリアに聞こえた…気がする、多分。
タイトルバックの演出(何度観てもカッコいいよ、カイル・クーパー)やずーっと雨の暗く薄汚れた映像を考えると、そんなに綺麗な画質じゃない方が合っているとは思う。綺麗に薄汚れているのもそれはそれでありだけど。
そういえば二人実際に交際していたんだよなあ。
報われない
bad end of bad end.
7つの大罪になぞらえた殺人を繰り返すサイコキラーと、それを追う刑事たちの物語。ブラッド・ピット演じるミルズ刑事と、モーガン・フリーマン演じる相棒のサマセット刑事は、次々と起こる猟奇的な殺人事件を捜査する。
最初の犠牲者は強欲(Greed)の弁護士。彼はシェイクスピアの『ヴェニスの商人』に登場する”1ポンドの肉”の寓話になぞらえ、身体の一部を切り取られて死亡していた。次に殺されたのは、暴食(Gluttony)の男。彼は無理やり大量の食事を詰め込まれ、内臓破裂で命を落とした。
続いて、ドラッグに溺れ、暴行や盗難を繰り返していた男が怠惰(Sloth)の罪として罰を受ける。彼は1年間ベッドに縛り付けられ、生ける屍のような状態にされた。さらに、娼婦が色欲(Lust)、モデルの女性が傲慢(Pride)に見立てられ、それぞれ凄惨な方法で殺害される。
犯人が残した大罪はあと2つ。刑事たちはさらなる殺人を阻止しようとするが、犯人ジョン・ドウは自ら出頭し、「ある場所へ行けば死体の場所を教える」と取引を持ちかける。
2人が荒野へ向かうと、そこに届いたのはミルズ刑事の妻の生首だった。ジョン・ドウは嫉妬(Envy)に駆られ、ミルズの幸せな家庭を壊すことで自らを罰した。そして、その挑発に乗ったミルズは怒り(Wrath)に駆られ、ジョン・ドウを銃殺する。
これで7つの大罪はすべて完結……のはずだが、どうにもスッキリしない。もしジョン・ドウが「嫉妬」の罪を犯したのなら、彼自身が嫉妬にふさわしい方法で殺されるべきではないのか? また、「怒り」を背負ったミルズ刑事は生きているため、彼の存在が”7つの大罪に見立てた殺人”として完結しているとは言い難い。
極めて悲惨な結末ではあるものの、ジョン・ドウの計画はどこか中途半端なまま終わってしまったように感じる。
コレと気狂いピエロ
は、結末を知っている方が恐怖が増す気がします。
空回りな程元気なフィンチャー、音楽がうるさい位大きい。しかしエンドクレジットをデビッドボウイーの曲の中に収めて潔い。
故いかりや長介さんはモーガンフリーマンを大分参考にしたんでしょうね。
他人の粗探しは自己喪失
ジョンドウはへの怒りが出た。
自分は嫉妬の罪を打ち明け断罪されようと企てたが、そもそも神の啓示を受け特別だと感じ他者を裁く時点で傲慢。
無関心への警鐘が、他者の欠陥に深く関わりすぎて感情的になり、被害者の罪に憤る姿は正に憤怒。
おそらく自身も罪を犯していると気付いていると予想してるが、それらの罪を背負わずに他者に押し付ける行為が怠惰であり、本来なら自ら命を断つべき。
警鐘や使命といった言葉の盾を使って自らの願望、欲求を満たす強欲。
ジョンドウの色欲、暴食はわかりませんでした...
他人ばかり見て比較すると自分を見失って都合の良い解釈、知識の収集をしてしまうものだと考えました。表面化してる情報だけでなく、背景も読み取らないと本質は見えないと実感しました。
あとの部分は賛成だ
こないだ鑑賞してきました🎬
私は結末は知っているものの、通しで見るのは初めてです。
全体に漂う暗く陰鬱な雰囲気、次々に起こる猟奇殺人。
若い刑事ミルズと、ベテランで退職間近のサマセットが組んで犯人を追いますが…。
モーガン・フリーマンは相変わらずいぶし銀の存在感を発揮してますね😀
常に落ち着いていて、説得力のある演技です。
ブラッド・ピットは30年前だけあり、まだアイドル俳優な印象🤔
男前なのはさすがですが😀
ミルズの妻トレーシーを演じたグウィネス・パルトロウは、どことなく幸薄い感じが。
しかし彼女の美しさがより引き立つとも言えますね🤔
後半トレーシーがサマセットに相談するシーン、2人の情感こもった演技が見事でした👍
そしてこの事件の元凶ジョン・ドゥを演じたケヴィン・スペイシー。
血まみれで後ろから2人を呼び止めるシーンに始まり、映画史上最も残酷なラストまでの振る舞い…まさにこの事件の犯人にふさわしい巧みさでした😔
この映画を作ったフィンチャー監督はある意味恐ろしいですね。
「あの箱の中身が映ったカットを見た」
という噂が生まれるのもわかる気がします。
しかし全く救いがないというわけではなく、絶望の中にも希望はある、というメッセージにも感じられます。
スリラー好きの人も、覚悟して見ることを勧めますよ🫡
温故知新
デビッド・フィンチャー
1962年コロラド州デンバー生まれ
ILMのアニメーターを経て映像会社を設立
著名アーティストのMVを作成しながら
1992年に26歳の若さで「エイリアン3」の
監督に抜擢されるがこれは挫折の連続
その次作がこの「セブン」で
大成功を収め名声を手にし
今でも一線級で活躍
「ゲーム」「ファイトクラブ」
「ベンジャミン・バトン」など
傑作のメガホンを握った
父親がライフ誌の記者だったことも
あるのか作中に社会問題を投影する
場面が多い
高校生の時観に行った今作
ほぼそれ以来くらいでしたが
やはり面白かった
やはり名作は寝かせて寝かせて
自分の変化があってから観ると
感慨が変わります
アニメや漫画にオマージュ
されまくったメッセージ性をもつ
サイコサスペンス
今見るとベタすぎて観てらんない
かもと少し思ってしまいましたが
全然そんなことなく
むしろ公開当時ネットのネの字も
なかった世界と今のネット時代の
共通性すら感じました
まず舞台が「どこかの大都市」
で具体的な地名がない
荒れ果てた治安で
凶悪な犯罪が繰り返され
もう1週間で定年を迎え
もうこの凄惨な世界を見るのが
つくづく嫌になっているサマセット
そこへ新任された
犯罪者を捕まえて名を挙げたい
若い刑事ミルズ
そこで起こった「七つの大罪」
を基にした一連の事件
このフィンチャー監督特有の
漠然とした世界観だからこそ
暴食(Gluttony)
強欲(Greed)
怠惰(Sloth)
傲慢(Pride)
色欲(Lust)
嫉妬(Envy)
憤怒(Wrath)
のキリスト教における
「人を死に至らしめる7つの大罪」
の存在感が引き立っているんだなと
今回すごく感じました
欲望のままに他人を攻撃し騙し
逃げ回り際限なく卑猥なコンテンツが
現れ攻撃されたものは憤怒する
それを「仕方が無い」と思うか
「頭がおかしい奴」と思うか
「正さなければならない」と思うか
サマセット・ミルズ・ジョン
この3人で役割が分かれています
そして互いに共感できそうでできない
ネット空間と何ら変わりが
ないものです
フィンチャー監督の先進性には
驚かされるばかり
後にネット社会そのものがテーマの
「ソーシャル・ネットワーク」
も撮ってますしね
確かに粗も感じるとこはあります
トレーシーのサマセットへの
アプローチはなんかつっけんどんだし
傲慢で殺されたモデルも取って付けた
感じ(まぁ予定を急に変えたとは
言ってましたが)
自首したあとの弁護士の要求も
このやりとり録音してたら
まったく無意味じゃんと思って
しまいます
ラストに向けての間に合わせ感は
もう少しじっくりでもとは
思うところはあります
特有のノワールな色調の映像が
リマスターIMAX上映で暗部のトーンが
細かくなったことで印象が変わりました
この映画で名を挙げたケビン・スペイシー
既に新進気鋭で今も活躍するブラッド・ピット
ほんと仕草などからキャラ付けをするのが
この頃から神がかかっています
CGなんかない時代のSFXの到達点
とも言える名作
おすすめです
SE7EN
どこでいつ頃何で見たのかも記憶にないが、何シーンもよく覚えている作品。
今回のリバイバル上映を知り、劇場で観られる機会が訪れた事を喜ぶ自分と、絶対観ない方がいい!と、拒否反応MAXの自分との板挟み。。
で、8割はもう観るって気持ちが固まっているから厄介で、そんなの自分次第なのに、止められなくて困ってしまって泣きそうでした。
ワンワンワン。
結果、やっぱり、
あーーーーーーー(´ཀ`): orz
この後も色々せなあかんのに、もうダウンしてました。。
この作品は、
ブラピの俳優としてのキャリアの転機になった事は間違いないし、当初はサマセット役もミルズ役も他のビッグネームにオファーしたようだが、結局モーガン・フリーマンとブラピが演じる事になったりと、個人的に興味深い作品である。
そして、
レクター博士に並ぶ、卓越した頭脳を持つ、絶対的なシリアルキラーのアイコンになった
ジョン・ドゥ。
彼をケビン・スペイシーが演じた事。
原作、脚本が絶品だった事は言うまでもないが、フィンチャー監督の意地と覚悟の作品で、主要人物がこの3人だった事も絶対的に勝利の要因だったと思う。
だからこそ、時代を超えて語られるあの地獄オチは、見せられた者を絶望に突き落とし、立ち直るまでに数日かかる程のトラウマを植え付ける作品になったのだと思う。
(偶然か必然か、本作でも要となる音楽を担当したのが「羊たちの沈黙」同様ハワード・ショアだった事も鳥肌モノです)
そして、
キリスト教や聖書、信仰心など、一部の人々にとってみれば馴染みのない、関心の薄いテーマ(乱暴に言うと"興味がない"事)を扱っているにも関わらず、実は人間誰しもが持っている"罪"にスポット当てている作品だというのも特筆すべき点だと思う。
誰しもが身に覚えのある、そして無意識に犯している"罪"を扱っている。。
ここぉ!!!
(はいここ大事ですよテストに出ますよ)
宗教感や人種・性別に関係なく"通じる"
っていうのがポイントだと思う。
(心当たりがある)
観客はミルズの視点で鑑賞し、自らを重ねていたと思うが、正にミルズ自身がこの"七つの大罪"を犯しているのがわかるから恐ろしい!
(だから人は宗教に赦しや救いを求めるのかな。。)
「大食」「強欲」「怠惰」「肉欲」
「高慢」「嫉妬」「憤怒」
=七つの大罪=
クライマックスに向けての車内。
三人の会話の中で、
「この腐った世の中。本当にあいつら(ジョンの被害者)は罪なき人間か?
普通の人々の罪。些細な事だとゆるされ続けている。朝から晩までゆるされ続けている。
だけどもうゆるされない。
私のしてきた事を学べ」
という様なセリフをジョン・ドゥが言いますよね。
それに反論し否定するミルズですが、続けてジョンに
「早く君に見せたいよ。素晴らしい結末を」と言われる。。
(その時のジョンの表情がぁーー!
冷静で、むしろ穏やかで、少しワクワクしている様子なのが余計に恐怖!)
そして
ミルズに「嫉妬」したジョンによって
"七つの大罪"の最後の一つ「憤怒」をミルズが実行してしまう皮肉!
ああああーーー_:(´ཀ`)_:(´ཀ`)
ジョン・ドゥ。。名無しの男。
この身元不明な"匿名の男"によって
七つの大罪が見事に完了する過程を見せられ続けてしまう。もはや苦行です。。
運命の出会いというにはあまりにも残酷な出会いをしてしまうミルズ。
"計画は変更"されてしまった。
それによって、
当初のジョンのシナリオよりも、彼にとっては満足度の高い、完成度の高い結果になってしまう残酷さよ。。orz
"7"という数字にも異常な執着をしていた
ジョン・ドゥ。
事件発覚が月曜日(しかも朝7時!)で、そこから日曜日までの7日間で完遂する事が重要。
【そして死者も7名】
(サマセットも退職まで残り7日なのは偶然か)
綿密に練られた計画。
それも彼のシナリオだったと思う。
そして、
散々たる死の現場は、その罪に対しての強烈な怒りをデザインしているかのようで、言い換えれば彼の"作品"の様だった。
その"自分の作品"をミルズによって完成させる事に"成功"したジョン・ドゥを、ミルズの手によってあの着地で締めくくった、フィンチャー監督の強烈なメッセージに胸がえぐられた。
✔️罪を罪として認識していない、無自覚な我々への警告か?
✔️あの光景に目を逸らしてしまうのは、私が何かしらの罪を犯している証なのか?
と考えると心臓が止まりそうになった。
私達は些細な罪を犯し、ゆるされ続けていたし、ゆるされ続けている。
でも、もう赦されないのだと。。
これからも生き続けなければならないミルズ。
やり場のない怒り、絶望や後悔を抱えたまま、その時が来るまで、ジョン・ドゥの呪縛から抜け出す事は出来ないのだと思うと、想像を絶する未来しか見えない。。
でもこれは私達の事だったりするのかも。。
ジョンは言っていた。
「私のしてきた事を人々は考え、学び、従う。永遠にな」
そして日曜日は晴天なのだ。。
○本作を語る上で外せないのが、こちらも強烈なインパクトを残した、カイル・クーパーの
オープニング映像だろう。
色々な書体、大きさの文字が
"チカチカ点滅"したり
"グラグラ揺れ"たり。。
それに合わせた不協和音。
本編のネタバレにはならない様に、しかし鑑賞後改めて思い返すと、重要なヒントが散りばめられていた事がわかる、こちらも語り継がれるオープニングだった。。
(エンドロールも最高で、はっ!!)
鑑賞後部屋を出る時に、私の前にいたおじさまが、階段を一歩踏み外し転びそうになっていたり、私も持っていた携帯を落としたり、後ろでは水筒?が落ちたようなカーーンって音がしたり、もうみんなヨボヨボでした(°▽°)
バッドエンドはイケるくちですし、見応えたっぷりで、鑑賞料金プラスしても良い位の作品なのですが、、、
アタシ ハ モウ イイカナ (´ཀ`)
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