「これが「地獄」か」美しき運命の傷痕 レティシアさんの映画レビュー(感想・評価)
これが「地獄」か
開巻、カメラは、階段を足早に上る少女の足下を後ろから追いかける。その足取りにはときめきが感じられる。が、少女が開けた扉の向こうには裸の少年と彼女の父親の姿が。瞬時、彼女の目を誰かの手がふさぐ。続いて暗闇に浮かぶタイトロープ。ひな鳥が巣の中で孵る様子を描きながら、その意味を問わずにいられない場所へ我ら観客は引きずり込まれていく。掴みのいい滑り出しである。
「運命」をテーマに、幾多の印象深い秀作を残して逝ったキェシロフスキーの遺稿を、「ノーマンズ・ランド」でその力量を評価された東欧の作家ダニス・タノヴィッチが、映像美豊かに描いた秀作である。
父と母の確執によって深く愛に傷ついた三姉妹の、今の愛が語られる。三人に共通しているのは、愛に対する不安である。愛を得られないのではないか、失うのではないかという怖れが、それぞれの生を生きにくいものにしている。求めれば求めるほど離れていってしまう夫の心を前にして、ますます猜疑心を膨らませ、夜の町に夫を求めて徘徊する長女。異姓への愛に臆病な次女は、夫との争いの中で半身不随になった母に献身的に尽くす日々を送る。父を愛していた三女は、失われた愛を取り戻すかのように、年の離れた教授にひたむきの愛を贈り、疎まれている。
彼女たちの心の軌跡が、巧みな映像と仕掛けによって描かれていく。長女の住まいも、夫を探して歩くアパルトメントも、螺旋階段である。その暗示するものは、「堂々巡りの人生」か。不眠の次女に、安眠をもたらす鉄路の反復音は、母なるものの鼓動か。三女の語る「王女メディア」の子殺しの物語も、愛の狂おしさを伝える。
ラスト、父の真実に触れ、その復権を求めて母に向かい合う三人の前に差し出された母のメモは、「私は後悔していない」。愛憎裏表。人のエゴの激しさよ。原題は「地獄」。