ぼくを葬(おく)る : 映画評論・批評
2006年4月25日更新
2006年4月22日よりシャンテシネほかにてロードショー
センチメンタリズムを退け、きれいごとではない真実を描写
自分の死期が近いことを知った人間のドラマといえば、そのほとんどはが主人公への同情を誘い、涙を絞るメロドラマ。しかし、この映画はちょっと違う。センチメンタリズムを嫌い、観客の安易な同情を(少なくとも最初のうちは)拒むのだ。しかし、だからこそ、主人公の「心の旅路」には、きれいごとばかりの映画では描ききれない真実が宿っている。
主人公のロマン(メルビル・プポー)は、31歳という若さで余命3カ月を宣告された、ゲイのフォトグラファー(この設定からして、オゾン監督自身を反映していることは明らか)。彼は突然の死の宣告に怒り、苛立つ。ギクシャクした関係の家族に何も打ち明けないで嫌な態度を取り、恋人をも一方的に突き放してしまう。素直に甘えられるのは、自分とよく似た祖母(ジャンヌ・モロー)ただ一人。自分勝手なやつ、とも思えるが、それは彼がシニカルで屈折した性格ゆえ。そうして自ら追い込んだ孤独の中、「生きる」ことの意味を求め、とことん自分と向き合おうとするロマン。そんな彼の姿が、だんだんと愛おしく思えてくる。監督自身とプポーの正直さが生みだすリアルな感情が、胸に響いて。
いかに死ぬかということは、いかに生きるかということ。だからこそ、自分をこの世界を受け入れて逝くロマンには、死の悲しみより生への慈しみが満ち満ちている。
(若林ゆり)