スミス都へ行くのレビュー・感想・評価
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あからさまな対立構図の作り方によってリアリティが薄くなっている印象
『或る夜の出来事』のフランク・キャプラ監督の映画ということで鑑賞。
お上りさんの新任議員スミスが、ワシントンDCの名所を巡りながらアメリカの自由と民主主義の理念に感化されていく様子が、後の信念に基づいた熱い演説につながっていくところが良かった。
また、議会で緊張しながらキャンプ場設立の法案について演説するシーン、そして初めは冷たかった秘書サンダースが、純粋な彼に好感を持つようになり、最大の理解者&支援者になっていく展開も熱い。
しかし観ていて少し冷めるのが、中盤からのキャンプ場建設法案でスミスが私腹を肥やしていると糾弾されるシーン。問題の真偽の追及そっちのけで、腐敗した議員VS純粋なスミス&新聞記者&子供達の対立構図を、あからさまに作っていて、少しリアリティが薄い印象となった。
アメリカ建国の失われた大義の復活を願うヒューマンドラマの名作
理想主義を衒いなく謳い上げ、現実の巨悪に対峙する説得力と爽快感を映画の世界で貫徹したフランク・キャプラ監督渾身の傑作。製作されたのはフォードの「駅馬車」やヴィクター・フレミングの「風と共に去りぬ」と同じく1939年で、日本公開は2年後の1941年10月でした。淀川長治さんのお話では日米開戦直前まで上映されていて、その公開期間はとても短く2ヵ月あまり。開戦の前の日までの映画館は、もうアメリカ映画が観られなくなるという危機感を持った人たちと思われて、どこも超満員だったと言います。この戦前時代の作品で個人的に印象深いのは田坂具隆監督の「五人の斥候兵」や「土と兵隊」、それとドイツのカール・リッター監督の「最後の一兵まで」の戦争映画にあるナショナリズムのプロパガンダです。このキャプラが求め描いた純真なパトリオティズムと比べて、日独とアメリカの大きな違いを感じてしまいます。勿論戦争映画と一般映画では比較にならないのですが、この新米上院議員ジェフ・スミスを主人公にした民主主義の不滅を願うストーリーには、アメリカの魂を鼓舞する意図が明確にあり、感動的なクライマックスを構築していて魅せられました。社会背景は政治腐敗と大資本の支配下という形骸化した民主主義に陥ったアメリカで、国家創設の憲法の理念と当時の大統領の記念碑が過去の遺物化し観光地扱いの現実でした。映画の中でそれを、“失われた大義”と言っています。独立宣言やリンカーンの民主主義の精神を改めて語る政治家はいなくなってしまった。ルイス・R・フォスターの原作『モンタナから来た紳士』から創作されたこの脚本は、ダム建設に絡む腐敗告発のリアルさ、そして議会妨害のラストで展開する孤軍奮闘の主人公と新聞・ラジオのマスメディアすべてを掌握しスミス一人を集中して弾圧する新聞社社主ジム・テイラーとの攻防を大胆に描き切っています。当時としても勇気ある内容でしょう。80年以上経った今、このような鋭い政治批判とマスコミ暴露をハリウッドが映画化できるのかと思うと、難しいのではないかと思います。
この作品で特に注目したい点は、大きく二つあります。一つはジーン・アーサー演じるクラリッサ・サンダース秘書の優秀な仕事振りとスミスに寄せる恋愛心情の描き方の繊細さでした。西部の田舎の自然を愛するボーイスカウトのリーダーが突如としてアメリカ連邦上院議員に選出される序章は、テイラーの傀儡となるホッパー州知事の8人の子沢山の設定からキャプラタッチ全開です。歓送会で少年たちから記念の鞄をプレゼントされて、意気揚々とワシントンに着いたスミスは、先ずペイン上院議員から令嬢スーザンを紹介されます。この都会的に洗練されたスーザンの美貌の虜になるスミスに対して、秘書サンダースが退職を考えているのが巧みな設定と言えるでしょう。スミスが地元の渓谷を国立のキャンプ場にする法案作成は、既にダム建設予定の別の法案の不正を知っていたサンダースの最後の賭けでもあったのです。このスミスを利用して彼女なりの復讐を果たす法案提出の議場シーンでは、新聞記者ディズ・ムーアに予言した通りのペイン議員とテイラーの部下の慌てぶりが面白い。そしてサンダースの正義感と新米議員を指導する能力の高さがあって展開する物語は、スミスを議会欠席させるためにスーザンから協力を頼まれるサンダースの立場の弱さが、次第に嫉妬を含めた恋愛感情を抱いていきます。ここでムーアを演じるトーマス・ミッチェルが損な役回りで存在感を出していました。スーザンへの腹いせから結婚を求められたムーアは、事務所に戻ったサンダースが法案のカラクリの全てを怒りに任せてスミスにぶつけるところに居合わせます。しかし、事務室から廊下に出て泣き崩れるサンダースの姿をみて彼女の真意を察するのです。この男と女の三人の心理のきめ細やかさ。と言って、スミスにはまだ彼女の思いに気付くほどの余裕が無いのが、また彼らしくていい。スミス一人では成し遂げられない方法論を伝授するサンダース秘書の存在があって展開する脚本のハリウッド映画らしさ、それは男の純真さを才能の1つとして認める女性を影の主人公にしている人間ドラマとしての面白さであり、深さでもあるのです。スミスをドン・キホーテとあだ名するサンダース秘書の慧眼が勝利した政治映画とも捉えられるからです。
もう一つの注目すべきは、クライマックスの議事妨害の議場と新聞などのメディア操作の地元のカットバックの映画的な表現です。このテレビのない時代の首都ワシントンとスミスの地元西部の静と動の対比が、どう決着するかの盛り上げ方を的確且つ簡潔なモンタージュで見事に描写されています。テイラーがスミスに冤罪の罠を仕掛ける公聴会を挟んで、マイナスから立ち上がるスミスの25時間ぶっ通し演説の無謀ともいえる作戦の目的は、地元の人たちに戦う姿を伝えたかったに過ぎません。しかし、テイラーのマスコミ独占と徹底的な非難のキャンペーンによって、スミスの真意は全く伝わらない。民主主義においてマスコミの扇動が如何に恐ろしいかが判ります。またそれによって民衆が簡単に洗脳される事実も加わります。最後の手段として、スミスを慕うボーイスカウトの少年たちが機関紙を発行し、街にばら撒く抵抗を見せます。ここで個人的に衝撃的なシーンがありました。それは少年たちを妨害するテイラーの手先の大人たちが新聞紙を奪うだけでなく、少年たちが乗る車をトラックで襲うカットです。映画だからこのような表現が出来るとも言えますが、これが現実に起こらないとも限らない。そう思わせるキャプラ監督始め制作に携わったスタッフ・キャストの真剣さが感じられます。
最後議場にスミス排斥の大量の電報や手紙が持ち込まれて、スミスがそれを一つひとつに目を通し絶望するシーンの悲愴感は、民主主義の敗北そのものです。そこでハリー・ケリー演じる上院議長がスミスと眼を合わせ微笑むカットの意味は、キャプラ監督の視点がこの議長にあるからでしょう。そして現実には権力者の資金援助と情報操作によって大統領候補にまで上り詰めた上院議員が、“正義に寝返る”ことは滅多にないでしょう。ペイン上院議員がスミスの父親と盟友で、かつて失われた大義のために青春期を送った彼個人の良心の呵責で劇的逆転劇を演出しています。
主演ジェームズ・スチュアートの文字通りの熱演は、ジェフ・スミスの正義感と一途さと共に田舎青年の純朴さや鈍感さも表現していて、理想的なアメリカ男性像を映画に遺しています。本来主演扱いのジーン・アーサーは、スチュアートの8歳年上のサイレント時代から活躍したベテラン美人女優。キャプラ映画では、「オペラ・ハット」「我が家の楽園」にも出演してスチュアートとの相性もいいですね。西部劇の名作「シェーン」の名演も忘れ難く、ハリウッドを代表する女優の一人に挙げるべき人でした。資本家ジム・テイラーを演じたエドワード・アーノルドもスミスのスチュアートと対峙して貫禄の存在感です。ホッパー州知事のガイ・キビーのユーモラスな言動は作品中唯一の息抜きできる存在で、キャプラ演出の妙を感じます。そして、トーマス・ミッチェルとハリー・ケリーの地味なキャスティングまで登場人物の充実度は非常に高いと言えます。
政治的な内容と人間ドラマの絶妙な配分によるキャプラ監督が求め描いたアメリカの魂の復活劇。民主主義のあり方を説いた素晴らしいヒューマンドラマの名作でした。そして改めて思うのは、どんな政治家や資本家がいようと結局マスメディアだけでも中立で平等で、自由の権利と義務を果たし、民衆に真実を伝えていけば限りなく民主主義の社会に近づくという事です。映画もその一つの責務を負うことを、個人的に願っています。
追記
2024年のアメリカ大統領選のマスコミ報道を見ると、この映画の希少性に気付かれると思います。映画は虚構の世界だけれど、良い映画の作家には、人間の真実、社会の真実について真摯な考察と熱量があります。それが時代を超えて残っていくのだと、このキャプラ作品が証明しています。 2024年 11月 15日
もっともフランク・キャプラ監督らしい名作‼️
「オペラ・ハット」と並んでフランク・キャプラ監督が人間の善意の素晴らしさを描いた理想主義映画の最高作の一本ですね‼️ある州の権力者たちが、操り人形としてボーイスカウト団長のスミスを政治家に仕立て上げるが、理想と正義の男スミスは、権力者たちの不正を暴くため、議会で大演説をする・・・‼️この映画史に残る24時間ぶっ続けの演説シーンがスゴい‼️キャプラ監督の話術の頂点とも言える素晴らしい演出‼️ジェームズ・スチュワートの生涯最高の名演‼️ボロボロになっても演説を続けるスミスの姿にはホント心を打たれます‼️女秘書を演じるジーン・アーサーもホントに魅力的‼️初見以来、何十回観たか分からない映画‼️現代の政治家の皆さんたちに是非観てもらいたいですね‼️
圧倒的なわかり易さ 圧倒的な面白さ
絶対安全牌キャプラ先生第一の傑作の誉れが高い傑作です。
テンポ高速、ストーリーのメリハリ、エピソードのバラエティーも抜群、何より善悪の区別がハッキリし過ぎて小気味よ過ぎます。
スチュアート先輩の本国での圧倒的な人気と信頼感は日本では想像を超えているようですが、本人曰く尊敬する監督はキャプラとヒッチ、とのこと。
確かに二人共に先輩の長所を最高次元まで押し上げますね。
おもしろかった
NHK教育テレビで日曜夜9時から放送していた「名画劇場」で鑑賞。
主役が若き日のジェームズスチュワートだったとは、このサイトで初めて知った。
アメリカの「草の根民主主義」の理解に役立つ。
驚くべきは本作は日本では昭和16年12月7日迄劇場公開されていたことだ。
日米開戦を決めた指導者達は、おそらく本作を観てないだろうが、もし見ていたら、開戦に慎重になったのではと思う。
選挙前になったら必立候補者が観れるようにしてほしい
と思ってしまうほど素朴で国民のためになることをしたいと真っ直ぐに考えている人間が不正だらけの政治家の渦の中で戦う話だった。秘書の女性が上手にスミスに助言して頼りになってカッコよかった。声にもたまに少し掠れるような高い声が魅力があって好きになった。
議長が初めから最後まで中立なのがとても好感もててよかった。それぞれが自分の役割を一生懸命果たしている感じがした。
スミスが偏向報道する記者地を殴りに行くところリアルであったら大変なことになるけど好きなシーン
信念を貫くドン・キホーテに乾杯。
内容は、とある田舎に住む正直な青年がひょんな事から上院議員となり、アメリカ合衆国の国会の中で繰り広げられる陰惨な足の引っ張り合いと汚職に立ち向かう物語。好きな言葉は『この国では記念碑だけが口先の如く言われている!』国会演説で聞かれる言葉は諦観を感じ残念な思いが伝わってきます。『そんな馬鹿な人達がこの世界を造った』皆が理想を望みながらも時間と共に勇気が磨耗し挫折する思いに一石を投じる言葉。好きな場面は、議長が長い演説の途中で笑い顔をスミスに投げかける所。希望として応援したい📣気持ちの表れが主人公スミスの力になった事を思うと元気になれます。みんなの初志を思い出して立ち返るシーンは見ものです。これが当時アメリカ🇺🇸の自由と平等と民主主義に対する希望なんだと感じると参考になります。ベスト&ブライテスト思想はこの映画の後30年後に裏切られる事になりますが。。。色々と考えさせられ嘘でも元気を与えてくれる映画の痛いほどの思想は感慨深かったです。
社会(公民)の勉強に
フィリバスターという政治手法によって、相手の良心を呼び覚まし、不正を暴くことに成功するポロティカルラブコメ。
弱気になった主人公を叱咤激励し、知恵をつけて、全面的にバックアップする秘書さんがとても頼もしかった。
最近観た昔の名作
見逃していた名作と言われている作品の一つ。やはり傑作だった。珍しく、同じ日に2回見てしまったが、何度も見てみたい映画だ。特に自分が落ち込んだ時に。
どうも自分はこういう正義のために闘う人を描いた物語には弱いんだな。
最後は十中八九ハッピーエンドになるとわかっていても、(倒れる直前の)彼の演説は感動する。とどめの故郷からの彼を非難する電報を見たときの彼の落胆ぶりと、その様子を見た秘書のクラリッサ・サンダースが「やめて」と泣いたときはこちらも泣けlてしまった。結局、彼を陥れた張本人(ペイン)が自分が不正を働いたと真実を話すのだが、ひねりやどんでん返しのない、やや安直すぎる結末だが、それが自然に納得できるのは、スミスのペインに対する演説が実に説得力のある、いわば迫真の演技だったためでもあろう。
主人公はスミスだが、彼と同じくらい重要な人物だったのがサンダースで、最初はそうでもなかったが、次第にいい女性だなと感じでくる(顔も内面も)。彼女がいなかったら、彼は戦わずして故郷に帰ってたであろう。最初の方で、彼女のおかげで、アメリカで法案が国会で成立される手順がよくわかった(今も同じかどうかはわからないが)。それに演技もうまい。特に表情だけで彼女が今何を感じているかがはっきりとわかるところが素晴らしい。
一つ不満を挙げるとすれば、最後のペインの発言でスミスが正しかったと証明されるが、スミスが過労で失神したまますぐにエンドロールになってしまうこと。もうちょっと引き伸ばして、余韻を楽しませて欲しかった。例えば、スミスがサンダースにプロポースするとか・・・
※印象に残ったセリフ
(スミスがサンダースに言った、元は彼の父の教え)
周りにある驚異を見落とすな。木も石も星もすべて自然の驚異に満ちている。暗いトンネルから光の中に出ると感動するね。いつもその感動を抱いて生きていくんだよ。
メディアを自在に扱える巨悪と民主的法律と女性秘書を頼りに闘う新米議員を描く米国映画の王道
闘う相手エドワード・アーノルド演ずるジム・テイラーの悪玉としてのスケールがなかなか凄い。ダム建設がらみの巨額の不正のみならず、州知事は勿論、次期大統領候補の地元上院議員、殆どの上院議員も味方につけ、偽証も自在で犯罪を捏造して主人公ジェムズ・スチュアートを責め立てる。あらゆる新聞も、地元市民の民意も、全て金と人脈の力で、主人公を潰す方向で動かす。悪として凄みとリアリティがあり、もしかしてこれ、実在モデルが有るのか。
その巨悪を前にして、一度は故郷に逃げ帰ろうとした見るからに頼りない主人公が、ベテラン女性秘書ジーンアーサーにリンカーン銅像の前で説得され、闘う決意を示す。ヒーロー然としていないところが実に上手く、まさにアメリカの理想的な個と個の姿。
秘書に教えられたフィリバスターの上院規則により24時間の演説を実施し、ぶっ倒れる
ジェムズ・スチュアート、及びただ一人応援するかの見える議長の姿勢は、米国民主主義の奥の深さを体現か。最後でも結局、上院議員の多くを味方にすることはできなかったが、傍聴者及び議事進行を援助する少年たちを味方につけ、地元上院議員に残っていた良心には訴えられ証言を引き出せ、辛うじて勝利。
殆ど負け戦であったところは、現実味が有り、骨太く上手いストーリー展開に思えた。米国民主主義を貫くには、それを称えるだけではダメで、個人個人の命懸けの闘いがいることを、分かりやすく示したエンタテインメントでもある作品で、これを産み出すフランク・キャプラ等の作り手の方々に痛く敬意を覚えた。
一生懸命さや真面目さで世界を変えられるかもと思える映画
この映画を見ると一生懸命さや真面目さで世界を変えられるかもしれないと思う。
金と権力と策謀が渦巻くワシントン。
「騙された方が悪い」とうそぶく、やり手の政治家たち。
スチュワートは問う。
「なんでだますの?」「一生懸命はだめなの?」と。
ただただ、まっすぐ前を見るスチュワートの前に、上院まで上り詰めたやり手の政治家たちが思う。
自分たちが何のために政治家になったか。そもそも何がしたかったか。
カメラワークも殆どなく、上映時間の80%方はずっと演壇を写すだけ。それなのに一時も目が離せない。
壮大なセットもなく、美しい豪華女優がでるわけでもない。ずーっと演壇を見続ける不思議な映画と言えば不思議な映画。
でもどんな、ハリウッド大作より、忘れ得ぬ思いが残る映画。
しかし、タイトルの邦訳はひどい
作品のせいではないので減点せず。
今の時代に共感は難しい
腐敗した政治家に立ち向かうアメリカの理想を信じる若者という単純化した構図が痛快に思える時代もあったのだろう。
アメリカのいまの状況が状況だけに、これを美しいストーリーとして見ることは出来なかった。
学校で見せるべき
スミス都へ行く
ただもう感動です
その言葉しか有りません
このような素晴らしい映画を観ることができたこと幸せです
スレ切った現代ではこの映画を
何を青臭いと初めの頃のクラリッサと同じ感覚で切って捨てる人もあると思いますが、それでもなお感動を人に与える力は何十年もの歴史の流れても風雪に耐えうるあの白亜の議事堂のようにいささかも揺るぎはしません
本作品を撮ったキャプラ監督の技量に感服するばかり
本当に偉大です
悪役の名前がテイラ
テイラーメイドなのさの台詞を使うため?
思わずニヤリとなりました
腐敗しない権力を
国会議員や大臣の資質は、発言や行動に問題があったときに問われるが、普段、国会議員としての活動が少なく、議員の顔や氏名が世間に浸透していないのも資質を欠く証拠ではないか。政府が多くの法案を提出する日本に対して、米では議員立法も多いらしい。法律が多すぎても困るが、日本を向上させる案を多数持っていなければ、誰がなっても何も変わらない。
フランク・キャプラの名人技的な見せかた
若いジェームズ・ステュアートの未熟な演技も上手くハマり、フランク・キャプラの名人技的な見せかたに引き込まれるが・・・。
後半の陰謀論的超展開についていけず。
いつの時代も世の中をこの映画のように解釈してしまう人はいるのだろう。
50点
現在の日本の政治家たちへ
『スミス都へ行く』が政治家の映画だとは思わなかった。純粋な人物が周囲の助けも得て、巨悪に立ち向かう議会映画である。最後の最後にペインの良心が戻る所が大事だった所である。慣れてしまった人達をこそ動かせる事。または慣れてしまっている人達が気づく事。そうして動く。直近で思い出すのは、山本太郎議員が安倍晋三総理たちに立ち向かったような時を思い出したが、この映画と違うのは、安倍晋三総理たちは、変わらなかったと言う事であり、東日本大震災の経験後でさえ、日本はトップダウンで変わる事が出来なかった。こういう風に書くと反自民かと単純に思われてしまうような所こそが、頭が固着してしまった人達ばかりの日本という訳なのだ。そんな意図では無い。そんな人は与党だろうが野党だろうが、政治活動家だろうが蔓延した。昭和14年当時にアメリカが悩んでこのような映画が出来ていたのだから。それから別のこの国で随分月日が経過した
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