劇場公開日 2023年12月1日

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「ぬるま湯の中でゆでられる蛙にならない為に」戦場のピアニスト とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0ぬるま湯の中でゆでられる蛙にならない為に

2021年11月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

怖い

知的

何を知った気になっていたのだろう…。

ナチスによるホロコーストを描いた映画。
アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所等を訪問して、現地のガイドからいろいろなお話を伺い、知った気になっていた。
映画・漫画・本で知った気になっていた。

けれど…。

平和な生活。それが、次々に発令される法律で、いつの間にか職を奪われ、生活の場を限定され、尊厳を傷つけられ、命すらも奪われる状況に陥っていってしまった。何がどうして?気がついた時には遅かった。その状況が淡々と展開していく。その中で生きる人々の変容が淡々と綴られていく。ドイツ軍に占領されて、いきなりユダヤ狩りが始まったのではなくて、少しずつ追いつめられていく様子に驚愕した。
 この状況を止めるために何ができたのだろう。ユダヤの方々に、ユダヤ以外の方々に。ユダヤ以外の方々にとっては「この程度」の決定だったのか。ドイツ軍に占領されていたからポーランドの人たちには何もできない状況だったのか。とはいえ、坂を転がる雪だるまのごとく、気がついたら止まらなくなっていた。命かけてレジスタンスしなければいけない状況になっていた。
 ぬるま湯に入れられた蛙は湯の温度が上がってきてもわからずに、結局ゆでられても、逃げ出すこともなく死ぬと聞いた。
 次々に法令が発令されて追いつめられた様子に、そんな蛙をイメージしてしまった。
 次々にきな臭くなってくる日本も、それほど重大じゃないと思っていたら、いつの間にかこのホロコースト・戦争に巻き込まれたように抜き差しならない状態になるのではと、この映画を見ながら怖くなった。

そんな尋常ならざる状況に翻弄される主人公。
 普通に生きていただけの市民の一人。
 幸いたくさんの人々のお陰で生き延びられた。ユダヤ教には詳しくないけど、宗教的に自死は禁止されているのだと思っていた。生への執着というより、どにかく生きるしかない。何のために生きるのか、このまま野たれ死ぬのか。良いことが起こるとは思えない状況。涙を流して泣くことすら拒否するような、感情が鈍麻してしまう世界。観ているだけで苦しくなった。”ピアニスト”というアイデンティティがあったから精神崩壊せずに生き延びられたのか。そう考えると、クライマックスでの演奏に身震いした。生きる屍から生還した瞬間。
 「主人公が、有名でファンをたくさん持つピアニストだから助けられた」というレビューも拝見する。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所行きの列車に乗らないように、主人公を引っ張った人の動機はそうなのかもしれない。
 けれど、無名の普通の人々を匿い、助けた記録はたくさん存在する。実話、もしくは実話をベースにした映画もたくさん制作発表されている。そして何より有名な『アンネの日記』。アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所で、ユダヤの方の身代わりになってお亡くなりになられたコルベ神父(刑に服された部屋が、アウシュビッツ=ピルケナウ強制収容所に残っている)。
 この映画は、シュピルマン氏の自伝をもとに脚色されている。だが、主人公を通して、映画で目にするナチスの行為は、監督自らが経験したものではないのか。父によって逃がされ、両親・姉と離れ、終戦まで一人で生き延びた少年。ローティーン(終戦時12歳)の少年に何ができたのだろう。ロマン少年と映画の主人公が重なって見える。映画でのシュピルマン氏を描いたかに見せて、ご自身の経験を描いたかのような。

そんな主人公の周りの人々。
 より安全に生きるために、権力におもねる人々。
 一粒のキャラメルを割ったように、「助け合って」をしようとした人々。
 なす術もない人々。
 命かけてレジスタンスする人々。
 「逃げるよりも、生き伸びるのがつらい」逃げるって天国に逃げるってこと?
 主人公が狂言回しのように、この異常事態で起こる様々なことや人が点描される。

そんな中での出会い。
ある方に教えていただいたが、ドイツの将校を誤解していた。
 日本語字幕では、終盤現れるドイツの将校の、主人公への言葉使いが命令口調で乱暴だけれど、映画では日本語で言うところの丁寧語を使って、将校は主人公に話しかけているのだそうだ(ex字幕では「お前」と主人公に呼びかけるが、ドイツ語の台詞では「貴方」」と言っている)。他のドイツ兵は差別的な言葉使いを使って家畜か何かのように扱っていたのに、あの将校は、主人公のピアノを聴く前から丁寧語で呼びかけ、主人公を一人の紳士として扱っていた。それが日本語訳では表現されていないので、将校に対するイメージが違ってくる。
                 (教えていただきましてありがとうございました。)
 尤も、日本語訳のミスがあっても、彼が、自分がドイツ軍であることを嫌悪しているのは伝わってくる(細かく言うと彼はナチ親衛隊ではなく、強制的に軍に駆り出された人、本来の職業は教師)。

原作未読。原作を読んだ方からこの映画はほぼ原作に忠実と聞く。
 ただ、数点変えてある。そのうちの一つ、終盤出てくるドイツ将校は、主人公を助けただけではなく、何人も助けている。シュピルマン氏をはじめ、彼に助けられた人が助命嘆願を重ねていたが救えなかったというのに、この映画の中ではその様子が描かれない。それどころか、恩人の懇願に対して何もしなかった主人公と誤解している人すらいる。
 なぜ、監督はそんな描き方をしたのだろう?戦争終結後に二つ目のクライマックスを描く必要はないと考えたのだろうか。ならば、あんな形で将校を再登場させずに、エンディングの字幕で説明すれば良いだけの話だ。
 つい監督が『シンドラーのリスト』の監督を断ったところと関連付けてしまいたくなる。
 ここに、監督の怒りのようなものが表現されているように深読みしてしまう。
 善意あるドイツ人が、数名のユダヤ人を救ったからといって罪滅ぼしにはならないと。
 ドイツ・ソ連と力関係が変転しただけで、同じことの繰り返しなのだと。
そして、
 そもそも、このような異常事態を起こしてしまった大人への怒り…。
 これは、天災ではなく、事故でもなく、一人の狂気によるものでもなく、彼の台頭を許してしまったことによる大勢の人による人災なのだと。

ぬるま湯の中でゆでられていく蛙にならないためにはどうしたらいいのか、
政治への無関心の代償は何なのか、
希望が見えない中でどう自分を保っていくのか、
人への尊厳を究極の状態の中でどう表現していくのか、
人との繋がりとか、
芸術の持つ力だとか、
壮絶なる経験とどう折り合いをつけ、相手をどう許すのか、
とか
いろいろなことを考えさせられ、心を大きく揺さぶられた。

とみいじょん