トーク・トゥ・ハーのレビュー・感想・評価
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彼女と話させてあげたい。
献身的な愛とストーカーの愛。薄氷の関係。
家族だったら、「会わさない」同じ行動だったと思います。
でも、彼が居ないと目覚めなかったのも事実だけど…
分からなかった…
ストーカー=献身的な愛?一目惚れしたバレエダンサーが事故により四年間植物状態となり、看護師として献身的に話し掛け、看病するが、行き過ぎ、妊娠させてしまう。。恐ろしい一方的な愛。事故まで仕組んでいたら、ありがちな単なるストーカー映画だが、この映画は違った。一つはマルコの存在。恋人が同様に植物状態になり、結局死んでしまい、孤独であったマルコと友情が芽生えるのは、何とも言えない余韻がある。妊娠したことにより、植物状態から目覚めるのは何とも皮肉だが、死ぬ前に彼女の無事、真実を知ってほしかった気もするし、彼を許せない気持ちもある。複雑な映画、結局分からない。
歪んだ愛情表現
元々好きだった女性が事故で植物人間になり、
その介護をした男性がその子を献身に介護。
と思いきや、なんと意識がない彼女をごうかんして妊娠させてしまった。
驚きの結末に不思議な気持ち。
わかるような・・わからないような・・
気持ちはわかる気もしますが、犯罪といえば犯罪ですし・・気持ちが真剣でもしちゃいけないことはありますし・・難しい。 初めて観た時はレオノール・ワトリング目当てでしたから・・あ、今もそうかな(笑)
何という映画をペドロ・アルモドバルは撮るのだろう。映画が終わった瞬間、頭で考えるより先に心が震えた。正に映画の持つ力、そしてその力を持った映画。
①よくこんな脚本が書けるものだ。しかしあらすじを語ってもこの映画の力の10分の1も伝わらないだろう。映画とは脚本、役者、カメラ、音楽、美術、衣装、編集そして演出、これらが渾然一体となった総合芸術だ。そしてそれに対峙した人間の感性を揺さぶるものだ。この映画の場合、殆どは悲しみというものだけれど、それだけではない。②映画はmotion pictureだからあくまで目で見えるもの、耳で聞こえるもので成り立っている。でもそこから喚起されるものは目に見えない。言葉にするのはある意味心を檻に閉じ込めるみたいなものだろう。③この歳になっても一本の映画にこれだけ感動できることが嬉しいとともに、この感動は死ぬまで忘れないだろう。③アリシアのバレエ教師役で懐かしジェラルディン・チャッブリンが出てきたのが嬉しかった。あとこの映画で何故「Night of the Hunter」と、最後で愛する女性のヴァギナに入ってみてそれきり出てこなかった男を主人公にした創作の「縮み行く男」について語るのことも沢山あるはずだ。
よかった
ヒロインの女性器に小さくなった主人公が体ごと入り込む幻想的な面白い場面があって、あれが性交だったのかなと思ったが、時期が合わないような気がする。そう考えるともっとずっと前からやっていたのだろうか。複数回やっていたのかもしれない。
結局子どもがどうなったのか不明だった。健やかに成長していて欲しい。
寝たきりの女性
この男性にとっては、患者でしょう。
身体をふき髪を洗って、洋服を着せて返事もないのに話し掛ける事、数年感。
自分が犯したせいでこの女性と離れる運命に。
一方的な愛ですね。気色悪いな、というのが第一印象です。
ピナバウシュが出てきました。
究極の愛とストーカーの境界線は・・・
一目ぼれした童貞の青年が植物人間になった女性を数年も世話する話なのだが、一方的な盲目的愛は彼女には届かない。やがて彼女への愛が傾倒過ぎた時、主人公は彼女と交わり(レイプ)し子供を宿して刑務所に入れられるのだがそのせいで彼女は目覚める。しかし、恋焦がれる彼女と離ればなれになった主人公は自殺してしまう。これを純愛と呼べるのであろうか?彼女が意識があれば恋もあるかもしれないが、一般の人には気持ち悪いストーカーかオタクにしか見えないかもしれない。多分この監督はこのテーマを観る側に強烈に突きつける。確かに元恋人でさへ4,5年もの世話はできない。食べていくために仕事もあれば、周りの声や肉親の願いもあるかもしれない。しかし彼はそれをやってのける。
無意識の女性と交わるのは犯罪かもしれないが彼にとってはそれも愛の形なのかもしれない。私には理解しがたいがそれを映像で語りかけてくるこの作品、考えさせられる一作です。しかし、観たら暗くなる事確実。
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