スイミング・プールのレビュー・感想・評価
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あまり面白くはないけれど
あまり面白くはないけれど、見入ってしまった。
ジュリーとジュリーの母親、父親、主人公、男たちとの関係が、はっきりとは描かれず、目線や態度でわかる。
ジュリーもまた本を書くのか。今後のお父さんとの関係が気になる。
あと最後どうしてジュリーがサラに気づかず素通りしたのか、わからない。
現実と妄想が曖昧で観客を翻弄する映画
終盤にそこまでのシーンには妄想が混ざってるとわかるのだけど、どこが現実でどこが妄想なのか如何様にも解釈できるようになっていて観客を翻弄するタイプの映画。
デビットリンチ監督の作品などとは違い、緻密に計算して観客を煙に巻いている感じが好きになれなかった。
二人の女性描写に目が離せない
洒落たミステリー作品、映像も美しい。対比する二人の女性、若さと自由に満ちている少女と、彼女に嫉妬と羨望が入り混じった感情を覚える女流作家サラ、二人の女性描写が興味をそそります。特にシャーロット・ランプリングのちょっとした表情の変化、けっこうどきどきしながら見入りました。ストーリー後半は不思議な展開、現実か妄想か?観る人の想像に委ねている感じです。
独特の間がある。
結末の謎について、全体に散りばめられた伏線も含め、何度も見て考えたい作品。 サニエ演じるジュリーの開放的で寂しさの滲む気性や、ランプリング演じるサラの堅いがジュリーに惹かれていくところ、フランスのまさにバカンスといったゆったりした気候•雰囲気など、各所に魅力が溢れる。 サニエがとにかく可愛くミステリアスで良い。
フランソワ・オゾンの仕掛けるミステリー。
英国の人気ミステリィ作家、サラ・モートンは新作を書けずにいた。出版社の社長ジョンは南仏の別荘で執筆を進める。あとから行くというジョンの言葉を信じて一人プロバァンスに向かう。避暑地の環境に意欲を掻き立てられたサラは執筆に取り掛かろうとした夜、突然ジョンの娘だというジュリーが現れる。プールで裸で泳いだり、酔っ払って男を連れ込んだりと自由奔放なジュリーに苛立ちを隠せないサラ。しかし、彼女のお腹に傷があるのに気付いたり、父親ジョンとの会話や、母親の所在に関する話しなどから、ジュリーに興味を持ち彼女のことを調べて書き始める。そして起こる殺人。ラストの意味は何だろう?ジュリーはいったい誰に手を振っていたのか? 観るものにいろんな解釈、想像が出来るオゾンの仕掛け。 ミステリー好きにはおススメの作品です。
各キャストの魅力はあるがストーリー????
これがフランス映画さって言われても・・・的な映画です。いやー他のレビュアーも書いていますがはっきりいってストーリー本当によくわかりません。
小説書くためにフランスに行った先で奔放な編集長の娘と出くわすんですが
最後は殺人犯しちゃうし、その本人と編集者であった娘は別人だったリで正直誰がみても同じ感想でしょうが、リュディビーヌ・サニエのみずみすしい肢体は非常にセクシーです。ここだけかな。
ラストは 、はぁ?!………
見た後にここまで頭に
ハテナが現れたのは正直初めてです😓
笑
ストーリーはラストまでスムーズに、そして官能的に進んで行きます〜
ここで個人的にオゾンさんが凄いなぁーっと思ったのは、
若い女優さん(名前は知らん)の裸が結構あります💦
それが凄くキレいなので、おばさん(8人の女にも出てた人)がとても醜く映る。
この描写がとても
印象的でした。
ところがどっこい、
この後におばさんが脱ぐわけ! 最初は凄いビックリした💦
でも何故かあの醜い描写が、消えて おばさんが綺麗に見える!そして若い女優(サニエやった?)が少し劣ろえて見える。
これは 僕だけかな?!
まぁとりあえず
謎が多い作品だったので、原作を読んでみまぁーす💪💪💪
不思議な世界に浸りたい時はこの映画をお勧めします😲
アラカルト気分で観てください
フランソワ・オゾン監督はフランス人で、フォワグラや羊チーズのような味わいのある映画ばかり作る人です。全部の映画を観たわけではありませんが、観た作品すべてには生と死のコントラスト、さらにどちらかというと死の調味料の方が強い、観てて気だるくなってくる映画ばかりつくります。 本作も同様。しかし他と違うのは、今作はアガサ・クリスティっぽいサスペンス仕立てなのです。 療養でイギリスの初老作家が訪れたフランスの友人宅で出会うフランス人の若い女性(これがすごくキッチュでいい)が、不意に犯した殺人を二人で隠ぺいしようとする筋立てです。そしてここからの展開が摩訶不思議になり、最後は結局あの殺人はなんだったの!?という感じで終わります。 こじんまりとした作品ながら、主演の女優陣が素晴らしい。 気だるい時に、疲れさせない展開で、じんわりと時間が流れていき、それでいて思ったほど残らない消化のいい映画を観たい時に最適です。好感のもてる一品作品。
良しも悪しきも2人の女。
この作品には相対する女が2人登場する。中年の女と若い女、イギリス人とフランス人、知性的な女と官能的な女、上品な女と下品な女、神経質な女と奔放な女、覗く女と見られる女・・・。この女たち、サラとジュリー。
サラを演じるシャーロット・ランプリングは、私の大好きな女優。若い頃の彼女は儚げで、哀しげな、“霧の精”のような女性だった。その瞳を見たとたん、彼女は私の女神<ミューズ>になった。後年、年を重ねた彼女は、その人間離れした雰囲気から、徐々に“生きた”大人の女性へと変貌していき、今まさに、ノリにノっている大女優となっている。前作『まぼろし』で、はじめてオゾン監督とタッグを組んだ彼女は、愛する人を突然失った女性の心理をエレガントに繊細に演じた。そして本作では、ハイミスのミステリ作家のイメージどおり、ギスギスしていて、不機嫌、ファッションセンスも皆無の“油っけのない女”。男からすると到底お付き合いはごめんこうむりたいと思わせる女。冒頭のサラは、口をヘの字に曲げたとってもイヤな奴。作品は売れているが、編集長(明確にはされていないが、2人は過去に愛人関係にあったと私は確信している)だっていいかげん彼女にはうんざりしている様子。彼は、ご機嫌をとるためと、厄介払いのために、自分の別荘(プール付き)に滞在することを彼女に勧める。
所は暗いロンドンから、光溢れる南仏のリゾート地へ!青い空、木々の緑、憧れの南フランス!彼女のバカンスは静けさの中に満ち足りて進み始めた。しかし彼女1人の世界を、邪魔する者が現れる。編集長の娘ジュリーである。ジュリー演じるリュディヴィーヌ・サニエもオゾン作品には欠かせない若手女優。前作『8人の女』では、まだ幼さの残る末っ子を演じていたが、本作の彼女の官能的な美しさはどうだろう!これぞとばかりに見せびらかせられる肉体。ひきしまった肢体、ツンとはった豊かな乳房、みずみずしい小麦色の肌・・・・。それは官能美を超えた、正に神が創りたもうた女性美そのもの。その若々しい肉体に対して、中年女の肉体は、節くれだち、シミが浮き、なまっちろいハリのない肌・・・。悲しいかな、やはり若さに勝てるものはないのか・・・。
私はさらに、この2人の指先に注目してみた。作家であるサラは、キーボードを打つ指先がよくクローズアップされる。ゴツゴツしていて、あまり手入れされていないまるで男の手のようだ。それからジュリーの指は、このテの女によくある、黒っぽいマニュキュアをしているが、そのマニュキュアがはげかけている。本当にオシャレに気を使う人は、指先まで美しいものだが、ジュリーのようなはすっぱな女には、指先まで神経がゆきどとかない。このあたりの役作り、さすがである。
この相反する2人、反発しあう仲から、徐々に変化を見せる。サラは作家としての本能からか、まるでストーカーのようにジュリーの行動を観察しはじめる。そしてジュリーも見られていることに気づきながら、サラに好意を持ち始める。このあたりから2人の間に母子のような絆が生まれ、その絆がやがて起きる殺人事件によって、共犯者のそれになる。見かけとは逆に、幼い頃亡くした母への愛に飢えているジュリーは、サラの中に母を求め、自分の殻に閉じこもっていたサラは、南仏の光の中で、次第に官能の扉を開きはじめる。クライマックスで、何と彼女は全裸で男を誘惑するのだ。さえなかった肉体は、このとき、本物の成熟した女性への肉体に変化する。表面からではなく内面から滲み出る官能。このときの彼女の神々しさ、美しさ!
そして迎えるラストシーンで、「売れる本」しか出版しない編集長と対峙する彼女は、艶然とした微笑を浮かべ、物腰も自信に溢れた優雅なものに。彼女は自分の作品に対しても、人生に対しても、成熟した本物の大人の女性への自信をとりもどしたのである。取り残された編集長は、きつねにつままれたようにキョトンとするばかり。しかし、ここでキョトンとするのは彼だけではなく、オゾン監督が最後の最後までとっておいたトリックのため、見ているわれわれもきつねにつままれた状態にさせられる。このラストシーンで我々は再び謎に満ちた南仏のプール・サイドに引き戻されてしまう。空の青さを写し取ってきらめく水面のごとく、現実と虚構が入り混じり、冷たい水に入った時の、冷たさと心地よさそのままにオゾン・マジックに浸り、心地よい謎を抱えて夢見心地で映画館を後にできるのである。夏の午後のスイミング・プールのような、この不思議な感覚にいつまでも浸っていたい―――。
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