スイミング・プールのレビュー・感想・評価
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70~75点ぐらい。面白かった♪
シャーロット・ランプリングとリュディヴィーヌ・サニエが出てるミステリーって事で鑑賞。 前から気になってたんだけど、やっと観れた。 黒地に青でクレジットが出て、哀愁ある妖しい音楽が流れ、最初から引き込まれました。 けっこうエロイです(笑) 終盤30分ぐらいからは予想しない展開に… 最後は考察を要します。 終わったあとも、なんだったんだろう?と心に引っかかる。 ミステリー好きに、オススメします。
見た。
とても難解な映画。普通に見ても理解できないと思います。
後で調べた所によると、別荘での出来事はほぼ全て主人公の創作。
男の娘は本当はあんなにハチャメチャな人物ではなく、美貌でもなかった。
だから最後のシーンで、全然違う顔の女性が娘として出てくる、
というのが真相のようです。
硬派の、女たちの怪談。
フランソワ・オゾンは カメラが良い。 屋外の景色はもちろん、室内の光もすべてが計算し尽くされている。 緑も、 家も、 道も、 水も、オゾンの狙う演出にそれら万象が従っているようだ。 映画館ではなく、自宅のモニターで映画を観ると、スクリーンに投影される拡大された、そして色味と輪郭がボヤケてしまった映画館の残念な景色ではなく、液晶の画面で画角がクッキリするのがなお良い。 モニターで鑑賞すれば、オゾンが多用する直線がよりよく判る。 そこをまたさらに斜めに走る直線が、まるで刃物の振り下ろされた跡のように画角を鋭く切り取っていることがよく判る。 直線のぶっちがいをバックにした登場人物たちの投げかける人間たちへの視線の鋭さが、より一層あれで鮮明になる。 ふしだら娘ジュリーを題材に利用して、盗作まがいの原稿書きの筆が進むイギリス女。 予想もしていなかった南欧でのジュリーとの出会いが、作家サラのスランプを助けてくれるわけで。 仕事だけでなく、サラの人生のスランプをも変えてくれるわけで。 ・・・・・・・・・・・・ 僕はシャルロット・ランブリングのサスペンス顔が苦手。 とにかくあの鎹(かすがい)のような口と、他人を見下げる灰色の目の半眼、三白眼が苦手なんです。 「わたしを離さないで」では、“人間を養殖する施設の番人”となったランブリング女史。人間の命をとことんまで追い詰めて、絶望の淵に突き落としてしまうあの妖女の顔には、耐えられないほどの恐ろしさを覚えるし、 「さざなみ」では、“ラスト3分の衝撃”という映画宣伝の謳い文句。高まる恐怖。迫るラスト・・ 恥ずかしいけれど怖じ気付いて、ついに僕はデッキを止めて、DVDをレンタル屋に返してしまった思い出があるのです (だから僕は結末は知らずじまいで、笑)。 ランブリングのあの口。あの目。 台詞を発していない時の、彼女の唇の動きと呪詛の表情が、僕は例えようもないほど怖い。 ・・・・・・・・・・・・・ 【分かったこと】 作家サラと、こじらせ娘のジュリー。 【本作の大筋】は? 何のことはない、世代を超えて、彼女たち=女のことを愛さない“ある男”への報復と、そのために肌感覚で共感し合った女たち二人の結託。 サラの“人恋しい気持ち”に応えない編集者=チャールズ・ダンス。 その(遊び人の)チャールズ・ダンスを父親に持ち、父親がいつも不在だったことの寂しさと、母親を不幸な死に至らしめたその男への憎しみ。 (中年男を漁るのはその反動)。 サラとジュリーは、寂しさと心の傷で説明不要で触れ合ったのですよね。 そんな単純なストーリーなんだけれど、名優が演じて名匠が撮ると、これが大変な物になるという見本ですね。 ジュリーの泣いて暴れる錯乱をついに抱きしめ、 ジュリーの母親がクローゼットに遺した赤いワンピースをまとって、 女たちの胸の想いを引き裂くように、真一文字に乳房をかき晒して、作男に見せつけるサラの立ち姿。 サラの母親に成り代わり、プールサイドに母親の亡霊を呼び戻し、サラとジュリーは男たちを地面に葬る。 「ジュリー!本当のことを言うのよ!」。サラの叫び。 ジュリーの美しいヌードには縦一文字の手術痕。子供時代に受けた深い傷手イタデを閉じ込められた跡。 縫い合わされて、口を封じられた傷の跡が。 これは、硬派な怪談でした。 アルモドバルは、土臭く女を描き、 オゾンは、実にスタイリッシュに女を描写します。 シャルロット・ランプリングのこと、少し好きになりました。 ·
何回観てもわからない、それが最高!!!
リュディヴィーヌサニエの映画の中で1番好き。フランソワオゾンの映画の中でも1番好き。 何回観ても、どんなに注意深く観ても、今回こそは絶対見破ったるねんと意気込んで観ても、全くわからん。どれが本当の出来事?誰が実在の人物?全くわからないのは、やっぱりそもそも正解が用意されてないからだろう。現実と虚構の境界は、スイミングプールの水面のゆらめきのように曖昧だ。 ここまで曖昧な映画って実はあまり無いように思っていて、観るたびに不思議な感覚になる。いつの間にか眠ってしまったときに見るぼんやりした夢のような感覚。この体験はこの映画でしかできないと思う。 あとはやっぱりリュディヴィーヌサニエがめちゃくちゃ可愛い。舌ったらずな喋り方と成熟した大人の身体のギャップがめちゃくちゃ魅力的。奔放でオープンに見えるのに終始ミステリアスで、捉えどころが無い、まさにスイミングプールの水面に見え隠れするような存在だ。ただ若い美女なら誰でも良いってだけではなく、彼女が演じるからこそこんなに魅力的なキャラクターになっていると思う。
謎は残る・・・いい意味で
いつ殺人事件が起きるんだ?!と中盤過ぎるまでイライラ感が増すばかり・・・そして、いよいよ犯人は誰だ?!と、想像力・推理力という脳内の片隅に格納されたモノを引き出すと同時に“偉大なる謎”によって奈落の底へ突き落とされたような感じ・・・ もしかして自分だけ理解できなかったのか、頭が悪かったのじゃないだろうか、と心配したけど、皆さん謎だったみたいですね・・・ホッ。とにかくストーリーそのものを謎のまま残して、観客にアレコレと想像させるのが狙いの映画(原作も似たようなものか?)でした。しかし、誰も文句を言わないところは、さすがオゾン監督なのだ。 終盤、フランクの死体を物置小屋で発見したのに、その後、プールサイドでのジュリーとフランクの濡れ場シーンに戻り、プールのそばにサラとジュリー共同で死体を埋めるという映像。果たして、どちらかが小説の中味、若しくはサラの妄想であろうことが想像できたが、ラストになってまた混乱してしまう。ジュリーではなくジュリアという歯の矯正ソバカス娘が編集長ジョンの本当の娘。別荘だって全くの別物だったということは、全てが小説に書かれていることなのでしょう。後から色々と考えた結果、「ジュリーは自由奔放、ふしだらすぎて毛嫌いすべき娘」だったが、自分にも落ち度があり、愛情の足りない性格を直して最終的には「憎むべきはジョンであって、娘のジュリーには罪はない」と考え始めた。それが二つの死体の意味するところであり、最初は「ジュリーが殺したんだわ!」くらいの気持ちだったのに、「一緒に死体を埋めましょう」と協力的に、そして使用人に死体を発見されそうになったら、自ら体を張って出た!と、このように偏屈で高慢な小説家が徐々に愛情溢れるくらい精神的に成長する過程を表現したのではないでしょうか。そうして、ちょっとだけジョンを裏切った形で出版社を変え、「スイミングプール」を発表した。 全体的には、エロチックシーンやシャーロット・ランプリングのきわどいヌードも全て綺麗なプールサイドの中に溶け込んでしまい、いやらしさが感じられない・・・これが良かった。 【2004年11月映画館にて】
【ミステリアス&エロティックムービー。今作は、様々な解釈を観客側に投げかけるフランソワ・オゾン監督のストーリーテリングと、シャーロット・ランプリングの孤高の姿に魅入られる、イヤミスの秀作でもある。】
■執筆に行き詰まったイギリスの推理作家・サラ・モートン(シャーロット・ランプリング)は、出版社社長のジョン(チャールズ・ダンス)が所有する南フランスの別荘を訪れて気分一新を図り、新作執筆に取り組もうとする。 だが社長の娘・ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)が現れ、静寂は破られる。 全裸でプールを泳ぎ男を連れ込むジュリーに触発されたサラは、やがて彼女をモデルに物語を紡ぎ出す。 ◆感想<Caution! 内容に触れています。> ・行き詰った、笑顔が一切ないシャーロット・ランプリングの灰色の眼が、印象的である。 ー 今作当時、50歳半ばだった彼女の存在感がこの映画を支えているのは間違いない。その後の展開で、時に笑みを浮かべるシーンがあるが、彼女の眼は一切笑っていない。ラストシーンを除いて・・。- ・サラ・モートンと対照的に描かれるのは、ジョンの娘、ジュリー(リュディヴィーヌ・サニエ)である。トップレスは当たり前で、夜な夜な男を連れ込む日々。 ー だが、彼女にも秘密があった。父譲りの秘密が・・。- ・ある日、彼女の”恋人”フランクが失踪する。プールサイドには、僅かな血痕が・・。 ー それを見たシャーロット・ランプリング演じるサラ・モートンは、”全てを知っていると思われるマルセルをベッドに誘惑する・・。” 重ねて書くが、当時シャーロット・ランプリングは50代である。 だが、秘密を暴くために、マルセルを誘惑する時の、淫蕩な表情・・。 そこまでして、本を書くのかという想いもあるが、エロティック過ぎます・・、シャーロット姉さん・・。- ・ここからは推測であるが、ジュリーが恋人をプールサイドで撲殺したように、出版社社長のジョンもかつて、妻を同じ場所で撲殺したのであろうことは、容易に想像が出来る。 <そして、新作を書き上げたサラ・モートンは、出版社社長のジョンに新作を読ませる。 困惑した表情のジョンは”君の作風と違う・・”と出版を躊躇う表情を浮かべるが、サラは”もう他の出版社で本を出したの・・”と”笑顔で”その本をジョンの前に差し出す・・。 今作は、怖い怖い、イヤミスの秀作である。> ■今作を鑑賞した理由は、この映画レビューサイトを牽引する方に今作の存在を教えて貰ったからである。 シャーロット・ランプリング主演で、監督がフランソワ・オゾンと知った時点で、寝不足が続く日が続くが、迷うことなく鑑賞した。 結論から言えば、とても面白かった。 改めて、感謝を申し上げる次第である。 このレビューサイトの一番良い所は、知らなかった作品の存在を他のレビュアーさんから教えて戴き、その作品を鑑賞した時に得られる満足感を感じる事だと思う。 多くのレビュアーの方々から、お勧めの作品を紹介して頂いているが、ナカナカ鑑賞出来ない作品もある。 だが、そういった情報交流は、実に有難いと思うのである。
面白い構成の話だと思った
最初観終わった時は、よくわからなくて
何度も録画していたラストの方の映像を見直して
思った、私なりの解釈
ジュリーとジュリアは別人
ジュリアはジョンの実在する娘だが
ジュリーは、ミステリ作家サラが
ジュリアを見ながら想像で作り上げた別人格の
実在しないキャラクター
実際はジュリアは、性に開放的な奔放な娘ではなく
彼女にそういう妄想を重ねてジュリーとして見ていた
サラにとっては、「殺人と捜査」が核のミステリ作家と
しての殻を破りたい、読者や出版社から要求される
手堅いミステリではなく自由な発想で作品を書きたい
という欲求の現れがジュリーの言動という形で現れた、
という事ではないかと思う
誰とでも寝るジュリー=読者や出版社の意向に
合わせて創作するサラ
フランクを殺すジュリー=そういう意向という鎖から
解き放たれたいというサラの願望の実現
なので、フランクは現実には存在していないし
殺されていない
殺人は「スイミング・プール」という本の中で起きた
出来事
この映画そのものの内容が「スイミング・プール」
という作家サラ(ジュリーの母=この場合はサラ、の
創作が元というややこしい設定だが)の想像の産物、
と考えると、つじつまが合うと思う
面白い構成の話だと思った
追記:
プールに浮かぶ木の葉やゴミ=好まぬ読者や出版社の
象徴、
何度もサラが十字架を取り外す場面は
がんじがらめの自分を解放させたい欲求の
現れかな、と
***************
・・・ぶっちゃけた話、スポンサーからくどくど
観客に受ける映画、金になる映画を作れ、と言われて
キレた監督が、裸だしゃあいいんだろと
開き直って、作家の話にかこつけて憂さ晴らし
したような気がしなくもない
凝った娯楽映画。サラが素敵
色んな要素が織り込まれていて、シリアスそうに見えつつ、ユーモラスな場面もあり、見せ場もあちこちに作ってある。娯楽映画だとは思うけれど、凝っていて面白い。
全体の構造は、ストーリーが、二重の入れ子式になっていて、その境目はいまひとつハッキリしないようだ。観ているといつの間にかサラの創作である内側のストーリーに引き込まれている。終盤で、またいつの間にか外側に戻ってきている。これはサラのつくり話だよというヒントは与えてくれているようだけれど、いまひとつハッキリとはしない。そのため、色々な解釈が可能になってくると思うけれど、それは楽しめるポイントでもあり、粋だと思う。
サラは、冒頭では、いやな女だとな、こんなふうになりたくないものだ、と感じたけれど、終盤に近づく頃には大好きになってしまった。管理人の男を受け入れる場面では少し驚いたけれど、人間としても女としても優しさを感じさせて、それはそれでなかなかいい。
サラに限らずジュリーなどもそうだけれど、ステレオタイプの人物の登場で終わらせず、人間の中味の面白さや意外さに焦点を当てているところがいい。
解釈は観客次第
オゾンの中でも大好きな作品で、久しぶりに再鑑賞しました。物語は、現実に起こった事ともサラの創作とも取れるので、解釈は観客次第。寒いロンドンから開放的な南仏で、サラとは対極なジュリーが生み出されたとしたら、文芸の極みですよね。シャーロット・ランプリングの気品、リュディビーヌ・サニエの若さ、オゾンの優雅さを上質なサスペンスとしてまとめた素晴らしい作品です。
プールサイドの二組の男と女…妄想が暴走するプールサイド…これこそ「映画」ですね…
①sensualでintriguingなplot.②ヒロインが女流ミステリー作家という設定。③冒頭のギスギス中年女とラストのソフトな美しさの中年女とを演じ分けたシャーロット・ランプリング。初めと終わりとの間に何があった?④リュディビーヌ・サニエとジャン=マリー・ラムールとによるプールサイドのシーンは、これまで観てきた映画の中でも最も淫らなシーンの一つ。⑤ジュリーが現れた夜、その直前にベッドに入ったサラが(物音に?)再度ベッドに起き上がった後、画面が一瞬暗転する。⑥自殺?(ジョンの女癖に悩んで?)何らかの理由で母を失い精神の平衡を失ったジュリーが冒した罪を隠蔽するためマルソルに体を開くサラ。⑦ジョンが女たらしということはジュリーの台詞にあるだけ。⑧ジョンが別荘に一緒に行ってくれない、後を追って来てもくれないことで、彼がサラを最早女としてではなく自分の抱えるベストセラー作家(金を稼いでくれる)としか見ていないことを悟る。⑨以上から、この映画の大半はサラが新しく(ジョンへの面当てに)書いた『スイミング・プール』という小説の話だったという解釈は如何?
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自宅(CS放送)にて鑑賞。ラストで一気に幻想的になるが個人的に嫌いでは無いプロット。南仏のロケーションや天候が印象的に切り撮られておりプールのシーンも綺麗に纏められている。“ジュリー”役のリュディヴィーヌ・サニエは好みが分かれる顔立ち。主演の“サラ・モートン”を演じるシャーロット・ランプリングは知的な印象があり、物憂げな表情が良かったが、妙なダンスが可笑しかった。この二人、惜し気も無い脱ぎっぷり──特にC.ランプリングは'46年生まれなので、本作の製作された'03年当時57歳の計算になる。60/100点。
・鑑賞日:2011年10月2日(日)
ラストに突然のオチにポカン
・上司の薦めで別荘にバカンスにやって来た作家サラの前に上司の娘だというジュリーが現れる、二人は殺人をきっかけに距離が縮まるが‥ ・ほぼ裸で過ごすジュリーの若くて性に奔放さに惹かれるのわかるわー ・ラストのジュリーの顔が変わるのはどういう事か?過去の自分説、愛人の娘説 ・画面の縦割り三分の二を暗い画面で占める部屋から窓の外を望むショットが印象的 ・南仏の眩しい空と雲と林に囲まれたプールつきの家
これぞサスペンス!
衝撃受けました。最後のあの展開には。終わった後の歯痒い感じすごく好きです。え?え!?みたいになりました。こういう映画大好きです。
ここからは私の考察
最後にすれ違った子はジュリアと呼ばれていました。ジュリーが父親のことを男グセが悪いといっていたことからも本妻の子ではなかったんだと思います。恐らく母親は旦那に捨てられて娘と車で自殺しようとしたのかと。その復習という意味も込めてジュリーの母の原稿を置いていったのではないかと思います。原稿を旦那が見た後にジュリアと会った時の顔どことなく浮かない顔をしていたような気がするのもせいかと。ジュリアとすれ違い、父居ますか?と聞くまでの主人公はジュリーの父親に最後の最後まで隠し事をされて居たということなのでしょう。そして隠された全てを知る主人公。
ラストの手を振り合うシーンはまたその後あとにフランスに訪れたのでしょう。その時に居合わせたのはジュリア。しかし主人公はジュリーを懐かしむ。
1つ謎なのは何故、喫茶店の男を殺したのか。これに関しては主人公を守るためとジュリーは言っていました。ここが個人的に一番難解ですね。
最後に、作家が賞を獲るのは痔にかかるようなものってすごい表現だなと思おました、
娘とプールが美しい
憧れの南仏の別荘暮らしで素敵な環境だと思います。 特に娘のジュリーは毎日楽しそうに生きていて良いなと思いました。 展開は少し思わぬ方向へ結末となり、、 何を伝えたかったのかよくわかりませんが、 画的には美しかったように思います。
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