「子供の頃の見方と変わっていた。」千と千尋の神隠し 葵須さんの映画レビュー(感想・評価)
子供の頃の見方と変わっていた。
子供の頃この作品を映画館で見て、千尋に感情移入して見ていたのを思い出す。カオナシに対しては憎めない所をあいまいながらも感じていて、エンディングが流れる中ですごい作品に圧倒された感覚を味わっていたと。そんな日の約20年後にもう一度見返すことになっての感想である。
見ていくと、全てではないが、多くの場面を思い出しながら見ている事に気付かされた。だから、この後どうなる?というような緊張感や衝撃も無い。それほど、1度か2度ほど過去に見た記憶が印象的に記憶に染み込んでいるんだろう。そう思わされる中で、劇中の表現に対するものの見方の変化(千尋をある程度離れた視点から子供として見ている、カオナシへのより強いシンパシー、劇中で表現されるギミックや日本文化に結び付けられて表現される事柄への注目)を感じていった。
今回、今作品を再度見て、面白いと思ったのだが、しかし、子供の頃に見た時感じたはずの感動は感じられなかった。理由としては、この作品の対象が子供に対してのものであるから(独り身で油屋という会社に初めて就職して社会の洗礼を受ける、という体験は自分にとって新しくない。主人公が子供であり、周りは坊以外は全て大人であるため、言動という点でいえば全ての言動が優しく聞こえる。子供向け作品だろうから当たり前ではあるが、それが、社会に出てある程度たった大人としては、社会はもっと自分に対して無関心でエゴイスティックだよという思いと反発し、『そんなに社会は甘くしてくれない』という感情につながり没入感の邪魔をした)というのが一つあるかもしれない。他には、場面場面の記憶への定着が強すぎて全体的に覚えてしまっていたから再び感動することはできなかった、というのがあると思う。
個々の具体的な映像表現で印象ぶかかったのは、白竜の空を泳ぐ姿の遠景が、今回の視聴においてもリアルだと感じた事と、銭婆の家に案内した1つ目ランプが静寂の暗い夜の中でピコピコ音を出しながら近づいてくる様子にもリアルを感じた事だ。
最後に、今回今作を見ることで得た感想により今まで若い時期に見てきたジブリ映画へのぼんやりした印象により現在ジブリと宮崎駿を漠然と評価していた事に気づかされた。そして、今作のような主人公が思春期前の人物である作品はあまり見てこなかった(思いつくのはハリーポッターの賢者の石くらいか)ということもも確認した。その気づきをもって、今後ジブリを始めとするファンタジー界隈に限らず創作物とのかかわり合いをより気づきある良いものにしていきたい。