「生きること」千と千尋の神隠し KZKさんの映画レビュー(感想・評価)
生きること
ジブリ作品リバイバル上映として久しぶりに鑑賞した。
いつ、何度見ても興奮させてくれる作品だなと改めて実感。
初めて劇場で見た時はまだ小学校の高学年。当時は最初は気味が悪く怖い印象があったが、これはいくつ歳を重ねても変わらず最初はやはり恐怖を感じてしまう。
でもそれはなぜか。多分千尋がまだ未熟なんだからだと思う。
この作品を観るにあたって多くの人は千尋の視点からこの世界観を楽しむ人が多いんじゃないのかなと思うが、千尋視点で見ると最初はまだまだ千尋は未熟な為目に映るものがすべて恐怖に見えるんだよね。
だから最初のトンネルを入る際にお母さんに寄り添う姿は恐怖から寄り添うわけだ。
この作品の面白いところは最初はホラー感を感じても後半はなんだかファンタジーな作品に見えて来る。
それはおそらく千尋が成長し逞しくなる事で目に映るものが恐怖から好奇心に変わっているからなんだと個人的には思う。後半の銭婆に会いに行くシーンなんかも本来は恐怖に感じてもおかしくないんだけど、あの時の千尋はもう立派な大人であり信頼感がある。だからそのシーンでは安心感が心にあるからホラーに感じる事なくファンタジーな視点で見られてるのかなと思ったりもする。
このホラーからファンタジー、恐怖から好奇心というのはまさに人生に置き換えても同じ事だと思う。
この作品では「生きる事とは働く事」というのが強くメッセージとして伝わってくると勝手に解釈してるのだが、人生働く事、そして何事も挑戦する事も最初はやはり不安や恐怖そのものである。
だが同じ立場、視線でも挑戦する前と挑戦後では全く違う景色で物事を見られることが多々あったりする。
それは不安や恐怖心が消え、自信や強い覚悟に変わったからそう見えるのであろう。
そんな経験を勝手ながらこの作品に投影しながら楽しんで見ると、当初の千尋は転校する不安な気持ちを始めとした恐怖や不安で一杯な状態からスタートし、働く事、そして働いていく事で自信がつき、そして親を助けるという強い覚悟から成長していく事であの世界で生きることが恐怖から好奇心に変わっていったように見えた。
そして最後はスタートと全く同じ母親に寄り添いながらトンネルを抜けるシーンで終わる。
あれは誰もが感じることだが最初の寄り添う意味合いとは全く違うんだよね。ここにこの作品の最大の美しさを感じた。
もちろんこの感想が正しい見方、感じ方なのかは分からない。ただ当たり前のことなんだけど映画作品の1番の魅力は人それぞれ違った感想を抱いたり、また年を重ねたりその時の自分の精神状態によって全然違う感想を抱いたりすることがある。それが映画の楽しさの一つであると思う。
まさにこの作品は人によっていろんな感想があったり、年を重ねて見ると違った感想や捉え方ができたりする。
まさに映画鑑賞の楽しさの醍醐味が詰まった作品の一つだと勝手ながら評している。