「完成度を高めるだけが面白い作品を生むとは限らない」千と千尋の神隠し マツドンさんの映画レビュー(感想・評価)
完成度を高めるだけが面白い作品を生むとは限らない
見たのは久しぶりで2度目。
いろいろと発見がある、というのは楽しいですね。
不思議な世界に、どうしても、
そこに何かの意味を見出したくなってしまうのが、人の常なのですが、
宮崎駿が描きたかったのは、
私たちが見たそのまま、
つまり、
湯婆婆のいる迷宮と、そこに迷い込んだ千尋の奇譚そのもの
であったような気がしています。
「欲望とその果てにある汚物の山」はそこかしこに散りばめられたモチーフであるけれど
この寓話を通して、愚かな現実を比喩的に描きたかったとか
ましてや、警鐘を鳴らしたかったとか、
そんな解釈をしなくてよいような気がしました。
もちろんそういう解釈で、謎を解く楽しみを見つけたとすれば
それは、一つの楽しみ方ではあるのでしょうが。
よく考えてみると
寓話の世界にも、現実と相似形の出来事がなければ
私たちは楽しめない、というか、その寓話を何も理解できないことになってしまい、
寓話は必然的に現実の相似形になるのです。
『崖の上のポニョ』は、
誠に勝手ながら、私には破綻した作品にしか見えなかったのですが、
『千と千尋の神隠し』は、
破綻の手前きわどい所で踏みとどまった作品に感じました。
いろいろ盛り込みまくって、攻めまくって、ぎりぎりに踏み込んで。
で、とどまれた。
それって何?どこ?って、
いろいろありすぎるわけで、だから銭婆について詳細に描けなくなっているのじゃないかと。
でも、その結果生み出されたカオスが、面白さ、楽しさを倍増している稀有な作品、
それが『千と千尋~』。
と、これが私の印象です。どうでしょう。
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