プルートで朝食をのレビュー・感想・評価
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可愛らしい
ピーキーブラインダーズにハマったので、キリアン・マーフィ目当てで見た。
普通の女性よりもめちゃくちゃ可愛らしかった。
というか振り幅がでかくてビックリした。結構男臭い映画ばっかりに出てるイメージだったけど、最初の方はこういうの多かったのかな。
ピーキーブラインダーズにも出てきたIRAが今作にも出てきた。アイルランドの情勢を扱うと必ず出てくるのだろう。
キリアン・マーフィといえば青い目。とっても引き込まれる。
途中までは、親に捨てられた女装家(?)が母親を探し求めるストーリー。父親はリーアム・ニーソン神父。2人とも現実でも作中でもアイルランド出身。母親を探しに眠らない街(ロンドン)にやってきた。
親子ほど年が離れているということに驚いた。
扱いはひどいが、主人公がどこまでも前向きなおかげで温かい気持ちで見れる。
女友達もめっちゃいい人だった。
キリアン・マーフィにハマらないと見つからない映画だった!
キリアンビューティー
私はこの作品が好き過ぎて3回も観て
しまった。 キリアン君の顔と声とスタイルと表情の美しさと切なさ儚さが、
私のツボに嵌ってしまったのです。
何年か前に観た時はこれ程心落ちして
いなかったのに不思議です。
不条理と自分の世界の違和感、
暗いのにコメディ。
せっかくやっと出会ったかのような
同世代マッチョ男は直ぐに消滅
幼馴染との友情は永遠
ニールジョーダンはいつも泣かせてくれる お馴染みのレイさんは老けましたが
健在 マジシャンで味わい有り
素敵な忘れられない作品ありがとう。
ニールさんキリアン君また違う作品で
楽しませて下さい。
チョコとバラ
色々な困難が訪れる中、主人公はいつでも自分を見失わす、ブレる事なく突き進む。もちろんLGBTが浸透していない1970年代はあからさまに主人公達は差別されていた時代、北アイルランド問題もあり生きていくしんどさを感じる。
各章ごとにサクサク話が展開していく。主人公は出会った人達にそれでも助けられながら母を探し続ける。結局母より父が最後は救いになるのだが、前向きになれる終わり方も素敵でした。
オカマの主人公を気色悪いと言ってたインディアンのバンドメンバー達であったが、彼らのバンド名が“モーホーズ”というのはどういうわけだ?!
冥王星(プルート)が太陽系の惑星じゃないと定義されて早2ヶ月。それ以前にこの映画を観ていたら、まだ太陽系の家族なんだという気持ちにもなったのでしょうけど、今は違います。革命気運も高まっているアイルランドにあって、主人公のパトリック・キトゥン(キリアン・マーフィ)はどこか自分の存在が宇宙の彼方にあるような性格の持ち主。かつての友達も革命戦士になっているし、簡単に言うと“浮いてる”のです。
シリアスは嫌だ嫌だと言いつつも否応なく爆弾テロに巻き込まれたりする波乱万丈の人生。そもそも教会に捨てられて普通の家族に育てられたにも拘らず女装癖が身についてしまった経歴の主人公なのです。家を飛び出してからは母親探しのためにロンドンへと向かうのですが、複数の男性を渡り歩く経歴が面白かったです。特にスティーヴン・レイが演ずるマジシャンのエピソードは不気味なアングラ系の映画に変化したような独特の雰囲気、母親にたどり着く直前の覗き部屋で働く姿も面白い。男に純粋に尽くす性格は『嫌われ松子の一生』をも思い出してしまいます。
しかし、彼の脳内は銀河系の彼方に飛んでいってしまっているので、爆弾犯と間違えられてもMの性格になったりして、「もっと牢獄にいたい」と言ってしまうほど。基本的には人を傷つけることなんて出来ない平和主義者のようなので、男たちを困らせてしまうけど憎めないキャラ。何とか母親に会わせてあげたいと応援したくなってきます。そして、最初はメイクもひどいものだったのに徐々に女らしくなっていくキリアン・マーフィが凄い。ラストには完全に綺麗な女性となっていました。
オープニングから大ヒットしたルーベッツの「シュガー・ベイブ・ラブ」。全編に渡り懐かしい曲のオンパレードでしたが、シルバー・コンベンションの「フライ・ロビン・フライ」が流れたときにはどんな選曲してるんだとビックリしてしまいました。『慕情』とか『南太平洋』を知っている方ならもっと楽しめるのかも・・・
【2006年10月映画館にて】
映画を楽しむニール・ジョーダン
ニール・ジョーダン監督らしいミステリアスなお話とキリアン・マーフィの女装芝居の上手さ、そして淡々とした軽いタッチがマッチした映画。「南太平洋」「慕情」といった映画の音楽を使用して、楽しみながら映画を制作している。主人公のしたたかな生き様を見ていると、トニー・リチャードソンの「ホテル・ニューハンプシャー」を想起させる。リチャードソンほど辛辣ではないが、ジョーダン監督のイギリス人作家の側面が良く出ている作品。
愛すべき、愚かな人たち。
セクシャルマイノリティ系な映画にしては
すごく、ゆったりとした時間の流れた映画です。
チャーミングでキュートで残酷で、人生を何度もやり直す主人公がとても健気だった。愛すべき、愚かな人たち。
DVDのラベルも鮮やかですてき。
自分の居場所を探して
20年前に映画ファンに衝撃を与えた『クライング・ゲーム』のニール・ジョーダンが再び《キトゥン》と言う名の女性像を作り上げた。
あの頃では表現出来無かった事も今では自由に出来る時代の為か?ストレートな内容の『クライング…』と比べるとあちこちに枝派が飛ぶストーリー展開になっています。
それでも寓話的な箇所もあり監督としてキャリアを積んで来て成熟した演出を観せてくれます。
だけど少しヴィム・ヴェンダースの有名な‘あのシーン’に似た場面だけはちょっと苦笑しましたが…。
彼女は母親を探すのですが、実際は【自分探しの旅】であり、当時の社会事情から【自分の居場所】を探していると言えます。
そして相変わらず音楽の使い方のセンスの良さは見事ですね。
「フィーリング」や「煙が目にしみる」、「キャラバン」、「慕情」等のあまりにも有名なベタな曲でさえ作品の一部分として溶け込んでしまうのですから。
(2006年6月14日シネ・スィッチ銀座1)
ウソをつかれているのを悲しんでる最中よ
映画「プルートで朝食を」(ニール・ジョーダン監督)から。
女装が趣味の青年パトリックは、自分が孤児であることを知り、
母親を探す旅に出る。
彼(彼女?)には、誰にも打ち明けられないような秘密・悩みを、
親身になって聴いてくれ、いつも心配してくれる女友達がいた。
そんな友人を誤魔化すために彼は旅の途中に電話して
「こっちは、すべて順調よ、そっちはどう?」と話を振ったのだが、
相手は全てお見通しで「ウソをつかれているのを悲しんでる最中よ」
と応えたシーンが気に入ってメモをした。
相手の口調やトーンで、状態を判断するのは、電話でなければできない。
決して、メールなどでは分からないことである。
だから、こんな携帯メール全盛の時代でも、
映画やテレビでは、電話のシーンがよく使われるのかもしれないな。
以前「会話とは合って話すこと」と定義したが、
電話も含まれることと再定義したい。
このフレーズ、調子を崩している友人の、カラ元気を見破ったら、
使ってみようかなぁ、と思っている。
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