「そばにいてくれるだけでいい by フランク永井」きみに読む物語 カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)
そばにいてくれるだけでいい by フランク永井
アリー(レイチェル・マクアダムス)は高校の夏休みに家族と別荘に来ているお嬢様。ノア・カルフーン(ライアン・ゴズリング)は地元の材木商で働く青年。若者たちとバカンスを楽しむアリーを街中で見かけたノアは猛アタックを仕掛ける。デート中のアリーの乗った観覧車に飛び乗り、交際をせまる。軽くいなされると観覧車の車輪の鉄棒に飛び移り、デートしてくれないと手を放すと脅迫する。ゴズリング、顔に似合わない強引さ。幼顔のレイチェルがベーリーキュート。屈託のない笑顔、えくぼが素敵。ふたりは深夜まで遊び呆けるようになっていきます。無邪気にかつ大胆に振る舞うふたりを見守る家族。ひと夏の恋には寛容な感じ。アリーのお父さんは魔法使いサリーちゃんのパパみたい。ノアはウィンザー農園の住人のいない古いお屋敷にアリーを誘い、いつかこの土地を手に入れて、家を改修する夢を話します。アリーは白い家がいいと言う。向かい合って立ったまま、脱いでゆく様はなんか高校生無頼控を思い出してしまいました。帰りが深夜になったアリーにノアは相応しくないと言う両親と言い争うアリー。それを聞いてしまうノアは冷静だが、思いっきり取り乱してしまうアリー。アリーの両親はふたりは早く離して、諦めさせようと予定より一週間繰り上げて次の日の朝、別荘を後にしてしまいます。アリーは材木工場に寄って、ノアの親友フィンに伝言を託す。「ただ一言、愛しているとだけ伝えて」
ノアは一年間365日毎日手紙を出すが、返事はなしのつぶて。アリーの母親がすべて隠してしまっていたのでした。ノアと親友のフィンはアトランタに着いた出稼ぎに出ますが、第二次世界戦争が始まり、ノアとフィンは徴兵され、北アフリカの同じ隊に配属になります。しかし、フィンは戦死してしまいます。アリーはニューヨークの大学に進学し、看護学を専攻します。傷ついた兵隊さんを世話していながらも、ついノアを思い出してしまう。全身ギプス固定なのに、アニーをデート(散歩)に誘う兵隊さんがいます。「治ったらデートしましょう」とアニー。看護婦姿のレイチェルも素敵。その後何年かして、街でアニーに声をかける青年がいます。「治ったよ~」ビシッとスーツを着こなして、高級車に寄りかかって。これがハモンド財閥の御曹司ロン・ハモンド。婚約話がトントン拍子に進む。戦争が終わって、ヨーロッパ戦線から故郷に帰ってきたノア。たった一人のお父さんは家を売って、ノアの復員兵手当とあわせて、あの農場を買おうと言います。ふたりで、古い屋敷を修理しますが、ほどなくして、お父さんは死んでしまいます。ニューヨークに出てきたノアはバスの中から、街を颯爽と歩く着飾ったアリーの姿を見つけてしまいます。アリーが新聞に載ったノアの白い家の記事を見て、ノアを訪ねて行く。
ひとりになったノアは時々戦争未亡人マーサ・ショウと夜をともするような生活。マーサは感じていた。自分の中に他の誰かを見ている。見透かされていたノアは正直に謝ってしまう。それでも、このふたりの関係は思い遣りに満ちていたと思う。マーサはアリーとノアを見て、私もこれからは本気で誰かを愛せそうと言う。切ないね。この場面はなかなか好き。
アリーの母親がアリーを追ってくる。工場で働く初恋の相手のおじさんをアリーに見せる。このおじさんが母親の初恋の人。ノアが出した365通の手紙をおいて、正しい選択をしてと言い残し、車で立ち去る。カヌーボート、無数の白鳥、雷雨の中でのキスシーン。
2日間の合瀬を過ごすことに違和感を感じる人もいるだろう。彼女の行動はただケジメをつけたかっただけだったかもしれないし、揺らいでいた自分がほんとうにわからなかったからかもしれない。ノアは40年後の自分たちを想像して欲しい。君のそばに居たい。と、はっきり言うが、アリーは引き留めるノアを振りほどくように帰ってゆく。しかし、幾日かして、アリーは再び、ノアのもとをボストンバッグを2つ持って訪れる。
さて、語り部のデュークが認知症のアリー・カルフーンに若き日の物語を読んであげる。子供たちはパパ帰って来て。何も思い出さないママにそこまでしなくてもと言うことは、ちゃんとした結婚生活があったに違いない。実の子供にも他人様の振る舞いのアリー。さらに、アリーはアリー・ハミルトンからアリー・カルフーンになっているので、デュークはノアだと確信。デュークは愛称なのでしょう。ジョン・ウェインだってデュークなんだから。
デュークはほんのいたずらで、「アリーはロンと末長く暮らしました」と話すと、一瞬、違和感を覚えて、それは違うと思い出す。私はアリーで、あなたはノアだとはっきり思い出す。この物語は元々アリー・カルフーン著で、これを読んで聞かせてと遺言のようにしたためたもの。自分で書いて、すっかり忘れているアリー。しかし、その数秒後にはデュークが誰だかわからなくなり、興奮して、鎮静剤を打たれてしまう。その後、デュークは心臓発作にを起こして、救急病院に搬送されてしまう。それをぼんやりと見送るアニー。回復して、施設に戻ってきたノア。アニーに会いに夜中に別の病棟にきたノアを当直の看護師はコーヒーを飲みに階下に行くけど、馬鹿な真似はしないでねと言って、見過ごすのだ。こういうシーンが堪らなく好きだ。翌朝、ふたりは手を繋いで、ともに息絶えていた。「私たち一緒に死ねるかしら・・・・おやすみなさい」・「大丈夫だよ」がアリーとノアの最後の会話となった。
デューク役のジェームズ・ガーナーは実際にこの映画の10年後に心臓発作で帰らぬ人になってしまった。ジーナ・ローランズはまだご健在。
「43年後のアイラブユー」を観賞するにあたり、この映画を見直す必要を感じました次第です。
アメリカは歴史が浅いからか、身分の格式の差はすなわち、お金があるかないかに寄るみたいです。実に分かりやすい。
男って本当に一途な人は一途ですね。女はきれいに忘れてしまうのに。
この映画のあと、ゴズリングとレイチェルは付き合います。すぐに別れるけど。そのすぐ前には完全犯罪クラブで共演したサンドラ・ブロックと付き合っていたゴズリング。ちょっとね~映画とギャップがありますなぁ。しかし、ライアン・ゴズリングはその後も着実に仕事も私生活もステップアップを続けてゆくのでした。お・わ・り