「何も言えない」誰も知らない R41さんの映画レビュー(感想・評価)
何も言えない
2004年の作品だが、「普遍的概念」に満ちている。
当時は賞を取ったことで有名になった作品だが、今回初めて見た。
物語は実際の事件をモチーフにしているが、製作者はその根底に感じたものを我々に提示している。
冒頭 アキラが大きなキャリーケースを持ってモノレールに乗っているシーンがある。
これは最後のシーンとなっているが、アキラの衣服のほころびと、キャリーケースを撫でるシーンが彼らの結末を表現しているものと気づいた。
そしてタイトルが現れるが、その右半分の余白は大きく空けられている。
この後この手法を取り入れた作品が登場しているが、つまりこの作品そのものが視聴者へ向けられたメッセージとなっていることが伺える。
私が見終えた後に感じたその余白は、
誰も知らない「誰も知ろうとはしないから」だった。
さて、
この物語に見られる「変化」
母親の存在と仲睦まじい兄弟たち。
それなりの訳アリだとわかるものの、彼らに暗さはない。
それが次第に変化していくのがこの作品の見どころだろう。
長男のアキラの明晰さにかこつけて、母親はすべてを彼に任せてしまっている。
これが母親のだらしなさの元凶になっているのだろうか?
アキラを見て、母親は「もう彼らだけで生きていける」と判断したのだろうか?
また、
大家はあの状況から無理に家賃を取り立てないことにしたと思われるが、それは、やさしさだったのだろうか?
毎日毎日公園で水を汲み、トイレをそこでして、洗濯もする。
誰もが使っている公園での彼らの日常に気づかないはずはない。
実際に事件ということが明確化されなければ、当時の東京は、かなり他人に無関心な場所だったのかもしれない。
この現状が、製作者の心を動かしたのだろうか?
「お葬式ごっこ」という当時流行った新しいじめ。
そのターゲットにされたサキ
近所に住んでいた彼女と、この家族らの距離が次第に縮まっていく伏線の貼り方はよかった。
そしてアキラはとても気丈だ。
彼が憧れた「普通の生活」
普通に学校に行って、普通に友達と遊びたい。
それでも彼には善悪の区別がはっきりと付き、だからそそのかされても万引きには手を出さなかった。
だから、サキが「大丈夫、一緒にカラオケしただけ」というお金をもらおうとはしなかった。
アキラには何が人をダメにするのかよくわかっていたのだろう。
ここが事件と一線を画す場所であり、人間としての誇りを失わない砦になるのだろう。
おそらく監督は、誰にも助けられなくても、人間としての誇りだけは失うなと言いたかったのだと思う。
ここに仕掛けたフィクションこそが、実際の事件のもう一つあったであろう道を描いている。
しかし、
物語の現実も残酷さを突き付ける。
アキラはユキの具合の悪さからドラッグストアに行き、ついに万引きをした。
サキにもお金の相談をした。
アキラには万引きに至るまでの決心があり、その決行は正しかった。
頼みの綱である母に電話をかけたが、手持ちのお金が無くなってしまう。
ダメな母親もアキラに連絡手段を残しているのは、この作品における監督の趣旨が、「誰が悪いのか」というところにないからだろう。
彼の判断基準と葛藤がいくつものシーンで描かれている。
今ある彼の知識と今までの判断
そばが食べたいという弟が遊びに行ってしまったこと。
公園でトイレに行かなかったユキがトイレに行きたいと言ったこと。
家計のやりくり
妹たちの鬱憤 そして眼
もうこれ以上支えられなくなってしまったアキラの判断 万引き
誰にも責めることはできない彼の万引きで、
彼は、自分の中の誇りを失ってしまったのだろうか?
さて、
冒頭のシーンが最後のシーンに繋がっている。
キャリーケース アキラとサキ
ユキが大事に食べていたアポロチョコを大量に買ってケースの中に入れたのだろう。
何も知らない「何も知ろうとしない」コンビニ店主の能天気な言葉
あれは城南島あたりだろうか?
穴を掘って墓標を立てる二人
大都会東京で精一杯生きている子供たち
一晩かけてユキを弔う。
「何かすごく… 何かすごく…」
自分の気持ちを言葉にできないアキラ。
泥だらけになった服で早朝の電車に乗る二人。
流れる歌の歌詞「誰も寄せ付けられない異臭を放った宝石」
そして
やっぱりそれでも同じ生活が続く。
空を飛ぶ飛行機
アキラはそれでも上を向いて生きていく。
さてさて、、
酔った母が、「昔アキラがひとりでモノレールに乗って、羽田空港で働いている父に会いに行ったことがある」という話があり、アキラは「覚えてない」という。
アキラは二人の父に会いに行ってお金をもらう。
アキラは何故本当の父親を訪ねなかったのだろう?
アキラがモノレールに乗って父に会いに行ったのは、おそらく母がお金をもらって来いと言ったからだと思われる。
だから二人の父に、そうしたのだろう。
アキラは、羽田空港で働く実の父の姿に感銘を受けたのではないだろうか?
シゲルもユキも憧れる飛行機
この飛行機が飛んでいるシーンがいくつか登場するのは、子供たちに向け「はばたけ」と言っているのではないだろうか?
その言葉そのものがアキラを突き動かす原動力となっていると思った。
「決してくじけない」
その姿を見たアキラは、いつか父の様な男になりたいと強く思ったのではないだろうか?
だから、絶対父にだけはお金をせびるような姿は見せられないのだ。
やがて、
ユキが死に絶え、ユキも憧れていた羽田に埋葬する。
飛び交う飛行機の轟音は、この世界に対する嘆きだろう。
父と同じ羽田の地にいて、この違い。
これがアキラの口から漏れ出た「何かすごく… 何かすごく…」という言葉に込められている。
「普遍的概念」とは、時代が変わってもなお解決されない弱者と貧困に対するもので、これを普遍的とするならば、政治など不要で、これが人類つまりホモ=サピエンスであるならば、本当は人類を表現する言葉は「ホモ=インサピエンス」と呼ぶべきだろう。
私は、この作品を見て何も言えないが、この現実に対してできる精一杯を心がけたい。
普通であれる幸せのありがたさを感じた。