息子の部屋 : 映画評論・批評
2002年1月15日更新
2002年1月19日より丸の内ピカデリー2ほか全国松竹・東急系にてロードショー
自作自演の作家モレッティの新たなる一歩
自作自演の作家モレッティは、映画に自分の分身や同名の監督として登場し、個人的な視点で社会や時代をとらえると同時に、ユニークな自己分析を試みてきた。新作では、そんなスタンスを半ば封印し、自分と主人公に距離を置くことによって、分析的な視点をより普遍的なものにしている。半ばというのは、距離を置きながらも、この監督の資質に通じる“精神分析”を生業とする主人公を分析してしまう構図に、彼らしい自己言及的な要素を垣間見ることができるということだ。
この主人公の苦悩は、悲しみに沈む家族にさらなる負担を強いる。彼は、生前の息子が自分だけの世界を築きつつある兆候を見せていたことに気づかなかった。そのために息子の死の責任をひとりで背負い込んでしまう。彼を救うのは息子の恋人だが、それは単純に彼女の存在によって知らないうちに息子が成長していたのを確認するということではない。
分析医として確実性を生きてきた彼は、ヒッチハイクという不確実性に身を委ねる彼女の姿に息子を見出し、徹夜のドライブというむちゃな行動を通して息子に歩み寄る。そして、自分を責めることは息子を認めていないことだと悟り、その死を受け入れるのである。
(大場正明)