メトロポリスのレビュー・感想・評価
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ディストピア未来都市
手塚先生にしては分かり難いと思ったら、元々の原作はフリッツ・ラングのメトロポリス(1927年の映画)、手塚先生の脚色版の出版は1949年でした。
フリッツ・ラングの作品は100年後のディストピア未来都市を描いておりSF映画黎明期の傑作とされている。当時の資本主義と共産主義の対立をベースとし摩天楼の上層階に住む限られた知識指導者階級と、地下で過酷な労働に耐える労働者階級に二極分化した徹底的な階級社会の抗争を描いている、その抗争の火種となるのがアンドロイド・マリア。本作のティマはまさにアンドロイド・マリアでしょう。アトムの手塚先生ですから労働者でなくロボットに振り替えています。今でこそ人類とAIやロボットとの抗争、ヒューマノイドとのロマンスなどはSFの定番ですが、そのはしりの映画ということでしょう。
製作期間5年、総制作費10億円、総作画枚数は15万枚というアニメとしては超破格、アメリカでの評判も高くジェームズ・キャメロン監督は「CGによる映像世界と伝統的なキャラクター・アニメが見事なまでに壮観に融合した、アニメのまったく新しい金字塔、傑作だ」と絶賛とか。
それでも、子供向けアニメという視点ではロックの残酷さは目に余るし、こんな政治問題を子供たちが理解できるとは思えませんし、おじさんが観ても難解な展開、ギブアップでした。
ケンイチ少年の声
人類の未来は明るいのか、暗いのか、それは人の手に掛かっている。
戦争が終わってすぐのこと
手塚治虫はこの漫画を世に出した。
多くの人が傷ついた戦争を目の当たりにし
世界の未来を憂いたのかも知れない。
地球に暮らす全てのモノ達には必ず「心はある」
それが手塚の作品の根底に有るものだと思う。
ジュール・ヴェルヌやH・G・ウエルズ
彼らが考え見てきた人類の未来の姿を
手塚なりの手法で表現したメトロポリスは
悪にもある優しい心、善の普遍的な美しい心
それが随所に見られてとても心地いい。
さて、この映画。
すごく魅力的なキャラクターと世界を描いている。
ただ、誰がメインなのかが見えないのである。
選曲と効果音のバランスや、それに関わる演出、
また中途半端なシーン変わりがいくつか続いていた。
それを打ち消したのは作画の力
声優達の力なのだと強く感じた。
原作者の「心」
伝えたい「心」
それは存在した。
※
後世まで手塚の功績を伝えるどころか
これほどがっかりした映画も珍しい。手塚治虫の名作とは言え、初期の中編で、テーマ性をうまく抽出して見れば、古臭さも感じずにむしろ新鮮な驚きが期待できそうだったからだ。当時はテレビゲームの映像が飛躍的な進化を遂げ、映画に使われる特殊効果も含み、映像の進化は目を見張るものがあった。そんな時代に、あえて手塚をぶつけるミスマッチが、本当にクールに映ったのだ。
ところが、ソリッドな未来都市はやっぱり非現実的で、人が生活している生命感とか、躍動感みたいなものが感じられない。人工知能というか、人造生命というか、デジタルと、アナログの融合に、新しい可能性を見せてくれ、というような期待感が、音を立てて崩れていく。
そして、この頃から、なぜかパッケージソフトを手に入れただけで満足し、開封せずに未消費という現象が目立ち始める。レンタルビデオで、大量に借りてきて見ないまま返すとか、惰性で買い続けていたコミックの新刊を、読むこともなく、また同じ本を2冊買ってしまったりとか。
映画も、ご多分に漏れず封を切らないまま棚に眠っているDVDが部屋にたまっていった。時間の、やりくりが上手くいかない。そして、好奇心が追いついてこない。あれほど見たいと思っていた映画が、オープニングが始まったとたんに眠気に襲われる始末。だから、余計に、見終わった後の徒労感はひどかった。思えば、この時期、ジャパニメーションは本当に曲がり角を迎えていたのだ。
手塚先生
作画の素晴らしさは95点、脚本がマイナス200点
冒頭から作画の緻密さ、エネルギッシュさで圧倒されて「何が起こるのだろう?」と期待させるが、その後の展開がご都合主義と登場人物の非合理的かつ非論理的な行動で頭を抱えるしか無い作品。
まずは主人公のケンイチの声がひどい。抑揚がなく、訴え掛けるものがない。脇を固めるベテラン声優が素晴らしい演技をしているだけに、ケンイチのひどさが際立ってしまう。ジャズ歌手らしいが、誰が選んだのか…
加えて、ヒロインのティマの性格付けがまるで空っぽで感情移入ができない。ティマを付け狙うロックは、なぜかあらゆる所にいてあらゆることが可能な万能人間なのに、これまたなぜか失敗する残念な男。レッド公だけは力強い演技と一貫した行動原理があり、印象に残る。
何より残念なのは、素晴らしい作画を使うのが、素晴らしくある必要が無い場面ばかりだということ。力を入れるシーンを間違えている。「技術すごいだろー」ぐらいの感覚でしか作ってないのだろう。
絵は素晴らしくきれいなのだが、不思議なくらい、訴えてくるものがない。これも脚本のひどさのなせるわざなのだろう。
曲と映像と世界観は調和、しかし脚本が致命的に後れを取っている
絢爛に輝く摩天楼の下に労働ロボットと貧民の蠢く地下街が広がる階級社会「メトロポリス」で、
己の正体を知らぬまま来訪者ケンイチとともに彷徨う高性能ロボット、ティマの運命を追う物語。
ジャジーな音楽が絢爛さと空虚さを併せ持つメトロポリスの空気を確かに表現しており、
全体のスローテンポも空疎な雰囲気を強く意識させるなど一面では効果的に働いている。
ヒロインティマを「美しく」描写するのはやや演出過剰なところが否めないが、
彼女を取り巻く人間たちの醜悪・愚昧(これを滑稽味として表現できるのは手塚デザインの妙であろう)との対比と捉えればそれも一つのギミックとして好意的に捉えることも出来る。
また、最終盤の「崩壊した」ティマの異形ぶり、それをカメラ視点の妙で状況ごとに印象を変えて見せる技など、映像としては唸らせるものが随所にある。
ただ、それを考慮してもあまりにも脚本の間延び、薄さが擁護しがたく、
演出のスローテンポも相まって映画全体の印象が非常に弛緩したものになっている。
間延びした展開が邪魔してクライマックスに「何を今更チンタラやっているのだ」との感想が沸き起こってしまうのは、この脚本が悲劇である以上は致命的であろう。
自分とは何かの答えを出せないまま、その翻弄されつくした生涯を終えたティマ。
その最期の画が印象的だっただけに、それを納得して受け止められないことが非常に哀しい。
手塚治虫トリビュート
革命・クーデターと反革命。秩序と野望が交錯する中で、ロボットだけが粗末にも人間によって惨殺される。ロボットの性質、ロボット三原則を踏まえていることがよくわかる。
手塚作品には必ず登場するヒゲオヤジやランプ。一番うれしかったのは『鉄腕アトム』にも登場するペロだ。ロックという存在も『火の鳥』に出てくるし、政界や軍部のキャラクターの相関がわかりやすい。人間描写がこのアニメだけでは薄っぺらで乏しいのだが、手塚漫画を知っているほど性格が理解できて、ストーリーさえどうでもよくなってくる(実際、手塚初期作品のためか、つまらないストーリーだと思います)。
はっきり言って、ストーリーからは何も得るものはなく、ただ単に故手塚治虫氏へトリビュート(特にキャラクターに対して)しただけのアニメなのであろう。しかも、背景画や音楽などは手塚作品らしくなく、FFのゲームのような感覚にも陥ってしまった。
音楽は全編通してジャジーでいい雰囲気なのだが、レイ・チャールズだけはいただけなかった。絵に関しては、中国の下請け会社にまかせてあるらしく、どことなく中国アニメっぽかったな(よく知らんけど・・・)。
以下、主なキャラクターの登場作品(公式サイトより)
ケンイチ 『鉄腕アトム』アトムの級友
ティマ 『火星博士』
ロック 『少年探偵ロック・ホーム』『来るべき未来』『バンパイヤ』『火の鳥』
レッド公 『メトロポリス』『鉄腕アトム』
ヒゲオヤジ(伴俊作) ほとんどの手塚作品
ランプ ほとんどの手塚作品
アトラス 『鉄腕アトム』アトラスの巻
ペロ 『鉄腕アトム』ホットドッグ兵団
ヒョウタンツギ・・・隠しキャラ(ドアのノブ)
手塚治虫のキャラクターがそのまま動きだしたかのような、オシャレで上品なアニメーション。
ロボットと人間が共存する街「メトロポリス」を舞台に、私立探偵の助手ケンイチと人造人間ティマが街の有力者レッド公の陰謀に巻き込まれていくというSFアニメーション。
脚本を担当するのは『アキラ』『MEMORIES』の、日本が世界に誇る天才クリエイター、大友克洋。
原作は1949年に発表された手塚治虫による同名漫画。これは未読です。
手塚治虫といえば、漫画家としてはもちろんのこと日本アニメ界の草分けとしても有名です。
しかし、常軌を逸した仕事量を抱え込んでいた手塚治虫にとって、アニメーションとはいかに製作費・製作時間を短縮するかを考えて作られたリミテッド・アニメーションというものであり、お世辞にもクオリティが高いとは言えなかった。
残念ながら手塚の憧れたディズニー・アニメとはクオリティにおいて雲泥の差があった。
そのことを踏まえて考えると、このアニメーションのクオリティこそ、手塚治虫が実現したかったのであろうレベルなのではないでしょうか。
『ピノキオ』や『バンビ』を思い出すクラシックながらもぬるぬると動く丁寧で上品なアニメーションは正に芸術品。
3DCGも随所に使われているが、まるで違和感はなく、凄く効果的に使われていると感じた。
製作陣が手塚治虫を尊敬しているのがわかる、手塚絵に忠実なキャラクターデザイン。
手塚のキャラクターはアニメとの相性が良いのだということを改めて思い知らされた。
ジャズを基調とした劇伴もオシャレで上品。クライマックスでレイ・チャールズが流れるアニメなんて他に知らない。
日本アニメ史に残る凄まじいクオリティのアニメーションであることは素人目にも明らかなのだが…
正直言ってあまり面白くない。
全体的にゆったり静かな作品なので退屈するところが多い。
シナリオは真面目で堅実な作りなのだが、型にハマりすぎているような窮屈さを覚える。
その上詰め込みすぎているところもあり、愛着が湧く前に退場してしまうキャラクターが結構いたのは残念。
革命の場面とか丸々カットしても良かったのでは?
最大のライバルは手塚治虫作品ではお馴染みのロックなのだが、こいつの行動原理にいまいち共感できない。結局お父さんの足引っ張りまくってるけど…?
手塚治虫という誰もが知っている原作者の作品であり、大友克洋という超有名な漫画家が脚本を描いており、凄腕のクリエイターが集結してすごいレベルのアニメーションを作っているのにも拘らず、このアニメの知名度がほとんどないというのは勿体ない様な気もするが、映画のつまらなさを考えると妥当なのかなぁとも思ってしまう。
もっと面白くなりそうな題材だっただけに惜しいです💦
人間とロボット
日本アニメでは死に絶えた様式美の最後の残夢
シナリオについては特に言及しない。描いているテーマは別段独自性があるわけでもないし、ややご都合主義的に尺を詰めたように感じるところもある。真摯で普遍的でシナリオは、褒めるほどでもなければ貶すほどのものでもない。
そんなものはどうでもいい。どうでもいいのだ。
見よ、圧倒的な、素晴らしく、凄まじい才気に彩られた未来世界を!背景の美術センスはまさし筆舌に尽くしがたく、人々の活気に溢れる上層の街並み、スラムのゾワゾワしてしまいそうな多重居住スペース、小さなバー、巨大な空間を見渡せる裏道、下水道の果ての巨大な空孔部。わずか数秒しか使われないカットひとつひとつが鳥肌ものの美しさを秘めている。
それはピクシブあたりによく転がっている、表層だけをきれいに飾り付けた、既視感に塗れた偽物の架空の情景とは全くもって違う。全てに、そのモノと空間がそれまで経てきた時間や、匂いや、温度すらも感じられるような説得力に溢れている。
最近ちやほやされている新海誠の写真にパキパキのCGを盛ったような無臭の色彩の背景が「現実にありそうなのに、決してない作り物の世界」なのだとしたら、本作はその対極の「現実には決してありえないのに、まるで本当に存在するかのような世界」だと言える。
これは現在の日本のアニメーションがセル画とともに忘れてしまったセンスであり、技術だ。世界が見惚れたクールジャパンの最後の残夢こそがメトロポリスなのだろう。
・ティマとても可愛い
・小物のデザインにも一切手抜きがない。食べ物も美味そうだ
SF世界に絶妙に練りこまれたレトロ感も馴染んでいる。伝声管ステキ。20世紀初頭のような労働者の服も。
・ティマとケンイチのぶかぶかの労働者風の服が可愛い
・悲劇的な最後がなければ本作は締まらないだろう
最後までどこか助かって欲しいと思いながらも、こう帰結することはわかっていたしどこか望んでいた
・しかし原作とまったく違うやんコレ
映像、音楽、キャラクター
日本が描くブレードランナー
素晴らしい。
レトロヒューチャーな世界観にハードなSF、そこに鳴り響くジャズ。人間の存在を問うテーマ。このアンバランスな素材が見事にバランスを保ち、画面内を心地よく支配している。
お話自体はさほど新しさや奇を衒ったものは感じず、むしろ世界観を形作る設定や背景、ビジュアル面での描き方に斬新さや挑戦が見られた。テーマについてではなくともブレードランナーに通ずる点であろう。
お話は、テクノロジーが進化していずれそれを生み出した人間そのものが必要なくなる未来が訪れるという決してハッピーな終わり方ではない何か不穏な空気を残したラストも最高である。
ラストで、選ばれし存在であったロボットの残骸を他のロボットが持ちよって集まり、選ばれし存在の名前を高らかに連呼する。その光景を涙を浮かべながら眺める人間の主人公。物語を締めくくる感動のエンドであると同時に、やはりなにか暗い未来を暗示しているような苦い後味もしなくもない。
下手で鼻持ちならない教訓めいたことばかりでないのもこの作品の大きな魅力の内だと思う。
設定や人物説明などもう少し飲み込みやすいように展開や話運びを設置して欲しかったが、総じてかなり楽しめたのも事実。
1度で全てが理解と納得が出来る作りでは全然ないので、後複数回見ようと思った。
まぁまぁ
映像はすごく綺麗。
手塚治虫の漫画の感じがよく表現されていて見ていて楽しかった。
内容はありきたりに感じてしまった。
ケンタロウくんの人物像をもっと深堀って欲しかった感も。
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