殺人の追憶のレビュー・感想・評価
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オリンピックでなかなか映画が見られていない。久々の鑑賞。 連続婦女...
オリンピックでなかなか映画が見られていない。久々の鑑賞。
連続婦女子暴行殺人、実際の事件がモデルのようです。証拠捏造、取り調べでの拷問、こうして冤罪は作られるの典型。戦前戦後の日本を彷彿とさせます。ソン・ガンホの相棒、日本のあの俳優に似てるな。あー、名前が出てこない(笑)
スリリングな展開、結末、面白かったです。
本作のモデルとなった事件の犯人は特定されたようですが、日本にもあるぞ、重大未解決事件が。
北関東連続幼女誘拐殺人、文庫Xを読んでその恐怖を味わって欲しい。映画化を望む。
BS12字幕版鑑賞
映画としては満点、テーマで減点
安定した映像美が魅力的
あくまでノーブルなパク・ヘイルとソン・ガンホの充血した目。
個人的には。
超濃密な映画体験
【1980年代の韓国の片田舎で起きた連続殺人事件解決に取り組む”杜撰な”刑事達の捜査を描く苦いテイストの作品。】
ー1986年10月 韓国の片田舎、テリョン村で、連続女性殺人事件が起こる。被害者の女性”ヒョンスク”は田圃の脇の”側溝”で発見される・・。-
・地元警察の”パク刑事”(ソン・ガンホ)は恋人ソリュンからの情報で、知的障がい者の焼き肉屋の息子グァンホを犯人と決めつけ、手荒い取り調べをしていく。
・だが、ソウルから来た”ソ刑事”は、その方法に疑問を持ち、真犯人は別にいると考えて・・。
◆序盤は、コミカル要素も含ませながら、当時の韓国の田舎の粗い捜査方法を描く。
だが、雨の降る夜、新たな犠牲者が出てしまい・・。
雨の夜になると、”憂鬱な手紙”のリクエストがラジオ局に”テリョン村の寂しき男”から届く。そして、そのたびに起こる女性殺人事件。
韓国報道機関からは、杜撰で、拷問による”パク刑事”や、直ぐに被疑者に対して飛び蹴りをしてしまう”ヨング刑事”達への捜査方法への批判が高まる。
◆そんな中、”パク・ヒョングン”という村の中にある工場の事務員 ー穏やかな表情。柔らかい手を持つ ー への疑惑が急速に持ち上がり・・。”ソ刑事”は彼こそが、真犯人であると思い、追及していくが・・。
・DNA鑑定が自国内で出来ず、米国に依頼せざるを得ない状況や、”パク刑事”達の操作方法を批判していた”ソ刑事”も、”パク・ヒョングン”が真犯人に違いない・・、と”決めつけ”拳銃の銃口を付きつけ、そして発砲しながら、追い込んで行く姿・・。
◆時は流れ、2003年。
パクは刑事を辞め、サラリーマンとして生活をしている。ソリュンとの間に子供が二人いる、安定した生活をしている。
が、ある日、”あの”側溝”の脇を通りかかり、車を止め、中を覗き込む。そこに通りかかった女の子からの”この間も、男の人が同じ事をしていたよ・・”と言う言葉。
”どんな顔だった!”と聞くパクに対する答えは ”普通の顔をしていたよ・・”
- 絶句する、パクの表情・・。-
<多くの被害者のみならず、韓国の田舎の刑事達の人生を変えた、連続殺人事件の犯人は、杜撰な捜査の結果見つからず、
”20数年後も”普通”に韓国のどこかで暮らしている・・”
と言うラストが、この映画にモチーフになった事件の当時の捜査陣たち及び韓国社会への強烈な皮肉と批判を現した作品。
現代日本でも、過去の杜撰な捜査による犯人にさせられた人々が次々に無罪判決を勝ち取っている事実からも、決して隣国だけではない問題である、という認識を新たにした作品でもある。>
事件の残酷さと警察への憤り
今まで気になりながらも見逃して来た映画、やっと観れた😅実際の未解決事件で、残忍な手口に犯人への怒りは勿論、警察のずさんな捜査や容疑者に対する取り調べの酷さに驚き。フィクションとして大袈裟に表現したのかとも思ったが、、、。
観終わった後にこの事件のことを検索してみた。犯人は特定されていた。この連続殺人で10人を殺害した後結婚し、1994年に義理の妹に対する殺人で無期懲役で服役中との事。服役中に自白し、過去14人を殺している。検察関係者、警察官も9人が違法捜査で検察に引き渡された。映画の中で捜査のいい加減さや取り調べ中の強引さも事実に近いということか。酷い。死体発見現場でも野次馬から被害者を隠していないのも事実なんだろうか?だとしたら、被害者がとても気の毒だ。亡くなっているとはいえそんな扱い方は酷い。
映画のラスト、女の子の話を聞いた主人公がカメラ目線なのは、監督が犯人がこの映画を観ているとしたら、、、との意図があったらしいけど、公開された頃犯人は刑務所の中だった。
重い映画だけど、高評価なのは納得の良作❗️
ポン・ジュノとは知らずに、、、
韓国映画にハマる切っ掛けになった作品
じとっとした映像、追い詰められるもどかしさ
この映画の功績は、映画史上最高のものであることを説明します
まず、事実に基づくのだけど、映画ではDNA鑑定してるけど、実際はこの段階でしてなくて、映画が科学的な手法を誘発してDNAによって犯人が見つかった。
それと、警察は拷問で何十人も殺して、えん罪で何十人も投獄して、犯人は野放しで殺し放題だが、この事件を含めて、韓国警察のやり方を劇的に変える風潮をもたらしたのがこの映画だということ。
よく、これだけの政府側の闇を事実を映画にして、監督は殺されなかったと、そう感じている欧米の映画人も多いと聞きます。
また、映画の手法として、二人の刑事を英雄風に仕立てることで、あるいは、ナイキの靴をナイスの靴で代用するようなお笑いを含めながら、本当の事実である拷問とか、無茶苦茶な捜査手法を、世界に知らしめることに成功したこと、普通に描くと公開できないからね。
顔について表現が多いけど、いかに主観的か、ということを言いたいわけ。
最後の、普通の顔、というのは、子供やたいていの人にとっては、顔は何らかの決定的な判断材料にならないという象徴的な示し方だよね、愕然とした。
印象に残ったのは、あの冷静な刑事が、DNAで無罪と分かってるのに殺そうとしたこと、韓国警察って、そうなんだよね、恐ろしいね。
今日も誰かがヒッソリと
映画学校の教材に充当
80年代の韓国。よく知らないが、激動期であったと思う。不人情で、旧弊で、権柄づくで、澱んでいる。ペパーミントキャンディの空気感。陰気な時代の陰惨な事件。暗い。暗いけれど惹かれる。ぐいぐいからめ取られる。恐怖映画と言っていい。迫真だった。
ソは未開地にさした光明のような人物だが、構造として良心を牽引するのはパクだと思う。
──人はいいが単純。恫喝で物事を丸め込む。横着をルーティンとする韓国映画によくでてくる武闘派の私服である。そのキャラクターを呑むと、観る者はそこから動けない。だから、たいていの映画が動かない。ところが市警から派遣されたインテリ、ソの執念に感化され──おれたちはたしかに無為なことをしていた、と改心する。映画のキャラクターが動かないことを知っているとき、パクの改心はほとんどパラダイムシフトである。パクが素直になることで、映画に良心と理知がそなわる。──からだ。
今日多くの邦画にここを目指した痕跡を見つける。が、気配を模倣しただけでは殺人の追憶にはならない。
側溝を覗く。通りすがりの子供の述懐。そのときソンガンホの顔。時を経てよみがえった諸々。それらが怒濤のようにこっちへ飛んでくる。
ずっと韓国映画は鯨とりだけだった。比較する必要はないが、そもそも比較する対象がなかった。90年の終わり頃から数年でコンテンツを底上げした。いつのまにか邦画は後塵を拝した。比較は無用なのは知っているが、ぜんぜん負けたと思った映画だった。
ほぼ教科書だと思う。
ポン・ジュノ監督の映画監督としての力量と、一貫した批判性を十分に理解することができる作品。
本作は1986年に韓国の農村地帯で発生した、実際の連続殺人事件を基にしています。事件の途中経過を切り出して物語化しているため、観客の視点は警察側にほぼ固定されています。そのため、ソン・ガンホ演じる刑事と同様、観客も犯人に翻弄される焦燥感を味わうことになります。この、どこに出口があるのか分からない緊張感を、トンネルの内部や夜道を映し出した映像が視覚的に強化しています。
事件がどのような経過を辿ったのかは諸々の解説が示すとおりです。犯人の狡猾さが警察を翻弄したのは確かですが、本作では警察の捜査方法に大きな問題があったのではないか、という疑問を投げかけています。当時の韓国は軍事政権下としては比較的治安が良かったようですが、事件発生の三年前には大韓航空機撃墜事件が発生するなど、軍事的緊張が続いていました。そのため警察力を国防関係に転用するなどの人員不足が生じており、それが現場の捜査不徹底に繋がったようです。さらに軍事政権の影響からか、当時の警察は自白重視、拷問黙認の捜査手法がまかり通っており、むしろ事件の究明を遠ざける場合もあったようです。
こうした韓国の暗部を描き出す姿勢はもちろん『パラサイト』に至るまで一貫しており、ポン・ジュノ監督の作家としての揺るぎなさを思い知る一作でした。
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