メメントのレビュー・感想・評価
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かなり理解が難しいがVODもあるので是非。
今年156本目(合計1,248本目/今月(2024年4月度)30本目)。
(前の作品 「異人たち」→この作品「メメント」→次の作品「トレインスポッティング」)
新テアトル梅田(旧シネリーブル梅田)になっていわゆる「昔の映画祭り」の一環で見に行ってきました。
うーん、なかなか理解が難しいですね…。いったいいつの話をしているんだろう…というもやもや感がありながらも100分くらいで終わってしまう映画です。
帰りにバスに乗るときにここのサイトを見て「時間が逆向きに描写されている」という書き込みがあって、そりゃわかりにくいよなぁ…というところで自宅に戻ったら、結構古い作品でアマゾンプライムでは無料で見ることができるので(プライム会員のみ)、その前提でみてもよくわからないという…。「時間が逆向きに描写されている」ことはともかく、具体的な日時の描写がない、「逆向き」であることを具体的に示唆できる描写があるわけではないというところも難易度をあげているんじゃないのかな…というところです。
ただ、テネットほかより難易度が高い同監督の方よりは(理解の)難易度は低いということですが、さすがに難しいなぁ…というところです。高難易度(ここでいう「難易度」というのは、コナンみたいな映画のタイプではなく、映画の趣旨自体を理解するという意味)の映画が好きな方にはおすすめといったところです。
映画館では期間限定ですが、アマゾンプライムほかで補助的に復習できることも考慮して映画自体の問題でもないしスコア上考慮はしませんでした。
記憶って何?時間て何?的な
我々は主人公のレナードに感情移入しながら、複雑な状況を理解しようと画面を追って行く。この主人公、最愛の妻を殺された上に、それが原因で10分間しか記憶が持たないというとんでもない障害を負っている。となると感情移入もより深いものになる。
我々もレナード同様の記憶障害を患った状態で、時系列が分断された映像を見せられる。何かが起こる。その原因は…。レナードの記憶障害を利用しようとする者も現れる。だからレナードのメモそのものが本当なのか、だんだん怪しくなってくる。レナードに感情移入していた自分が記憶って何?的な状況に。記憶がなければその人にとって時間の経過なんて意味のないものになる。だから時間て何?的な状況にも陥っている。時間とは人間の妄想に過ぎないと大真面目に主張する物理学者もいるわけで、訳が分からなくなるがそれがまた面白い。結局、レナード自身が一番ヤバい奴だったということなのかな?
斬新な手法
見せ方で主人公と同じ感覚に
状況の説明は十分してくれるのについていけない
めちゃくちゃ面白かったけど、結局理解が追いつかず頭がこんがらがったまま、突然終わってしまった、、、時系列が逆行して描かれるので、必然的に我々観客も、主人公と同じく「先のことがわかっていて過去のことが分からない」状態になるというおしゃれな演出方法。
主人公はじめ登場人物がよく喋るタイプの作品なのでその辺の置いてけぼり感はなかったけれど、時間が反対に進むせいでかなり複雑な構成になっていて凄い。結局、あれだけ主人公に感情移入させておいて、実はこいつが1番やばい奴だった?「記憶は思い込みだ、事実とは異なっている」が特大ブーメランだったってこと、、??理解しきれなかった部分も多いけれど、作り込まれすぎた内容に大満足です。
何度も同じ場面を少しずつ異なる見せ方をすることで、全体像が見えてくる!
クリストファー・ノーランの凄さをあらためて感じることができた作品です。
10分しか記憶が保てない主人公って設定だけで、どういうストーリー&オチを持ってくるんだろうと
すごくワクワクしながら観ました。
冒頭からミスリードさせまくりなんですね。
ミスリードすることで鑑賞者の認識を、今後の展開で徐々に裏切っていく&変えていく、
そして事実が明らかになっていく・・・ということの面白さ。脳みそフル回転しながら観るので
大変疲れはするものの、それが楽しい映画ですね。
時間をいじるノーランはこの時からすでにそうだったのかと。
本当によくこんなの考えるなぁと、あらためてすごい監督だと思いました。
今観ても全然色褪せない、名作だと思います。スクリーンで観ることができてうれしかったです。
ラストが衝撃
斬新で難解で主人公に傾倒してしまう
携帯電話登場以前の作品だが、作品そのもののクオリティに関し、古臭さはみじんも感じさせない斬新さが漂う。
しかしこの作品は、主人公レナードの記憶がすぐになくなる症状と事件と現在地のつながりが、レナードの記憶に合わせて作られているために、非常にわかりにくく描かれている。
彼は記憶障害となり、妻は糖尿病。この事実をサミー夫婦という主人公の作り上げた架空の人物に置き換えて生きている。
そしてレナードの記憶では、彼は保険会社に勤務し、サミーの症状は外的要因ではなく精神的要因からくるものなので保険金は下りないという報告書を作成したことで、自分自身がサミーと同じ症状になって初めて彼らの苦しみが理解できたとしている。
またレナードは、彼の介護に疲れインシュリンを打たずに風呂場で倒れた妻が、何者かに襲われて死んだことにして、その犯人であるジョンGを探しているのだ。
彼の行動に付き合っているのがテディで、彼は元警官だ。レナードは1年前にジョンGを殺害しており、精神病棟へ。しかし彼の症状では法律上裁くことができなかったと思われる。テディはレナードを利用して麻薬取引のお金を盗み出そうとしていた。
モノクロシーンが時系列で、カラーシーンは時系列とは逆になる。
つまり最も新しいシーンは、冒頭でレナードがテディを打ち殺した場所になる。
記憶のない彼がなぜテディを殺したのか? 視聴者はその謎を彼のよみがえった記憶とともに探しに行くのである。
レナードの泊まるモーテルには幾度となく電話がかかってくるが、それはおそらくテディだろう。
ナタリーはドットと別れたいがため(?)にレナードを利用している。
なんとなくわかったように思うが、まだまだ隠し扉がありそうに思う。
この作品について誰かと話せば、それぞれ違った意見が出ること必至だろう。
かなりの低予算、だけど10年に1本、稀有な雰囲気を持つ映画
難解ではなくて、覚えてられないだけ・・・
クリストファー・ノーラン監督の実質上の長編劇映画デビュー作、20年以上前にこのプロットを作り込んでいる事に感服します
時系列が崩され、ラスト→始め→ラストのちょっと前→始めからちょっと進んだ所→・・・というストーリー展開が理解できればストーリー自体は全然難しい内容ではないのですが、いかんせんその時系列で起こることを順列で整理しながら覚えていられないので、結果“難解”と言われるんだと思います
先日のアカデミー賞受賞式にて「オッペンハイマー」で監督賞を受賞したノーラン監督ですが、これまでの監督作品「インセプション」「インターステラー」「テネット」といづれも“時間”をテーマにした傑作群、その原点がこの作品というのが、元来おそろしい感性の持ち主だなあとあらためて感心しました
何にしても、一回観たら直ぐにもう一回観たくなる中毒性のある作品だと思います
いやこれ思ってたのと違う・・・
タイトルなし(ネタバレ)
惹きつけるものがある。集中してみる映画。
時系列で進まない、ちょっとずつ戻る仕掛けが効いてる。
最初のポラロイド写真が、ちゃんと写ってたのがだんだん消えていっておかしいなと気づくと、時間が戻るのだとわかる。
巻き戻しで銃に弾が戻り、銃声がして、この場面にどうやって向かうのか集中して見た。
この映画を昔見たことがあって、所々覚えてるけどほぼ忘れてて、主人公の擬似体験をする作りだけど、実際に体験してる気がした。
また忘れて、ワクワクして見たい。
認知症もこんな感じかなと思った。
アンソニー・ホプキンスの「ファーザー」は認知症体験映画だった。
うーん…ノーランぽい感じではあった。
ノーラン作品って最初何も分かんなくて、主人公も何も分かってないから、主人公の混乱と視聴者の混乱がシンクロする面白さがあると思うんですよ。
本作品も、何も分からない混乱と、結末がどうなるか分からないワクワクは序盤確かにあった。
でもなんとなく「主人公が犯人パターン」「全部主人公の妄想パターン」はありきたりで萎えるし、流石にそこは外してくるだろって最初から思ってたから、結末の答え合わせでガッカリしちゃった。
物語の結末として面白くないのに、「人間ってこうだよね」「深い!」みたいに絶賛するのももはや食傷気味だ。
なんか、「記憶を失う男」の視点を視聴者にも共有させて、最後巻き戻す見せ方も、
TENETとか最近のノーラン作品を観てると「ああ、そういう感じね」と変に斜に構えて観てしまった。
そんなこんなで、過程も結果もそこまで楽しめなかったかな。
記憶と取捨選択と意思
クリストファー・ノーラン監督の映画は、『インセプション』『インターステラー』『TENET』は見たことあったが今のところはこの『メメント』がダントツで難しかったように感じた。
展開の構造的には『TENET』と似ていて(制作順で考えると『TENET』が『メメント』に似ているというのが正しい)、カラーの場面が時系列的には未来から描いており、モノクロの場面が過去から描いていた。そして物語終盤で二つの時間が交差してエンディングに差し掛かるという形だった。
序盤に物語の答えだけを知り、次第に事件が起こった原因が分かっていくという形で描かれていて、謎を解いても新たな謎が出てくるため鼬ごっこをしている気分になる。そのため最初のほうの場面は忘れていて、観客である私たちもメモを書きながら鑑賞したいという気分になる。
このように観客にレナードの体験を追体験させることが、この難解な展開の目的だったのだろう。
物語のテーマは記憶はどこに内在するのか、どう保持するのかという問題であり、記憶は記録ではないというセリフが印象的であった。そのためレナードは出来事をメモに書き起こし、記録として頼っていたが、書き起こされる出来事は取捨選択されるため、その記録も信用することが出来ない。
では人は何を信用すればいいのだろうか。
ただ一つ言えるのは、記憶なんかに惑わされない自分の信念のようなものを頼りに行動するべきなのではないかと感じた。実際、良い悪いかは置いといて、作中のレナードは「復讐」という信念のもとに行動を続け記憶を改ざんしていた。
ノーラン作品の原点...のちの作品の構成要素が凝縮
自宅に忍び込んだ強盗によって妻をレイプされた男
殴られたことによって脳に障害を追い、「前向性健忘」を患ってしまう
これは「事故前の記憶はあるが、事故後の記憶は10分間すると忘れてしまう」というもの
何か新しいことを見聞きしても、10分間しか覚えていられないのだ
彼は妻をレイプした犯人を探し出し、復讐を遂げる
ところが障害によって、復讐を遂げたことすらも忘れてしまった主人公
妻を襲われた記憶と、復讐心だけが残り、「妻を殺した犯人を探し出しては殺害する」復讐鬼と化してしまう
実は妻はレイプされた後、命に別状はなかった
しかし記憶を保持できない主人公が、彼女の持病である糖尿病の症状を抑えるインスリン注射を何度もしたことによって妻は亡くなってしまう
主人公の記憶が保持できないことを信じられず、彼を試すために、彼の記憶を呼び覚すために、妻は何度も注射を頼んだのだ...
・主人公はすでに復讐を遂げており、記憶を保持できないために何度も殺人を犯す
・実はレイプ後に妻は生きており、彼女を殺したのは主人公自身
という二重のネタバレ。
妻を殺した罪悪感に苛まれてか、主人公は「サミー」という別人の話にすり替えて、記憶を失った男と、彼によって殺された妻の物語を何度もするようになる
※主人公は記憶を保持できないのに、無意識裡あるいは潜在意識・深層心理のどこかで妻を殺した罪悪感を抱えているということだろうか...?それとも設定上の粗か?
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妻を殺された主人公は、犯人探しのために警察の伝手を頼るのだが、記憶を保持できないが故にだんだんと利用されるようになる。
本物のレイプ犯を殺したあと、麻薬捜査官に騙されて売人を殺すのだが、その売人の彼女もまた主人公を利用し、麻薬捜査官を殺すように彼を仕向ける。
愛した女が実は自分を利用しており、胡散臭いがそれなりに無実な男を相手に罪を犯す。
ノワール調で開始する物語だけれども、「情報の錯綜」によってシェイクスピアばりの悲喜劇が繰り広げられていたことがわかる
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こういったネタバレは、物語の内容を整理したうえで執筆されたものであり、実際の映画は「時間を逆行させる」ことによって構成されている。
1本の映画を撮影したあとで、フィルムを分割し、順番を並び替えて未来から過去へと遡るように上映することを想像するといい。
より正確には、逆行から成るカラーパートと、順行によってなるモノクロパートの「2軸」によって映画は構成されている。
この「カラーパート」と「モノクロパート」は接続点を持っているので、映画全体はあたかも「U字構造」を持っており、『メメント』こそが『TENET/テネット』の原点となっていることがわかる。
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さて、「逆行」パート(カラーパート)においては、事件が発生した順序を入れ替えることによって因果関係が逆転する。つまり、物事の「結果」が先に提示されたあとで、「原因」が後から明かされるという構造をとるのだ。
このような細かいネタバレの連続は、『プレステージ』へと継承され、(時間の逆行は伴わないもののネタバレの連続という意味で)『ダークナイト』で結実する。
『ダークナイト』がハラハラする展開の連続となっているのは、『メメント』で養われた手法に基づいているのだとわかる。
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物語の冒頭、主人公が男を殺害したのは、彼を殺すように主人公自身が仕向けたものだと終盤で明かされる。
主人公は記憶をなくし、メモだけを事実・真実だと信じる。
けれども彼は、自分に都合のいいことだけを記録に残し、都合の悪い内容は破棄する。都合のいい書き方でメモを残すし、都合のいいようにメモを解釈もする。
主人公のこの間抜けさの理由には、もちろん物語の書き手の意思もあるのだけれども、女を信じて胡散臭い警官を信じない描写などには、人間の心理に関する洞察に基づいているし、観客の期待に沿いながら後々で裏切る=どんでん返しをするために利用していることでもある。
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このように、主人公が自分自身に対してついた嘘によって映画は始まり、嘘に嘘を重ねることによって物語は結末を迎える。
この物語は嘘をつくことによって始まったものであり、本来、嘘がなければ存在しなかったものであるとも言える。
そして主人公自身が物語を作り上げているとも言える。
その背景には、「映画自体が広義で『嘘』なのだ」というノーランの視点が反映されているように思う。
映画とは、現実ではない仮定を置くことによって始まるストーリーだ。
最初の仮定にどんどん新たな仮定を重ねていくことによって物語が展開していく。
「もしもXがAだったとしたら?」「YはBだろう」というように
仮定のはしごを空に掛けるようにして高みへ登っていくのが映画だ。
このように、映画を作る人物たちを投影するようにして、主人公は自らに嘘をつく、自分自身を騙すことによって物語を作っていく。
それは自分自身にとって都合がいいからで、のちのノーラン映画で「嘘が暴かれる」という要素が何度も登場するのも、『メメント』という原点があるからだとわかる。
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映画制作という行為は一般に作品の外部に置かれがちであるが、『メメント』では主人公自身が嘘によって物語を作るという形で、作品の内部に埋め込まれている。
例えば『インターステラー』では、主人公たちを宇宙へと誘うワームホールを設置したのが未来の人類であり、主人公がしばしば目にするいくつかの異常現象も、その正体が主人公自身であったと明かされる。
ここには「物語を発生させるのが自分自身だ」という映画の作り手自身の意識が反映されているように思える。
映画を作るためになくてはならない作為性。その作為性を発生させるのが映画の作り手自身であり、映画は作り手による自作自演なのだ...という意識の投影として。
『インセプション』のラスボスが主人公の心の中に潜んでいるのも、『TENET』の黒幕が主人公自身だと判明するのも、映画を駆動する「神」たる映画製作者の存在が、「物語を作る主人公」という形に投影されているのではないだろうか。
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