劇場公開日 2001年11月3日

「【書き換えられる記憶】」メメント ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5【書き換えられる記憶】

2020年9月24日
iPhoneアプリから投稿

弾丸が銃口に戻る場面は、確かにTENET を彷彿とさせる。
また、記憶を断片的に過去に遡る手法は、単に時系列に従ってストーリーを追うのと異なり、僕達の記憶にチャレンジしてるかのようだ。

そして、結末を知りながら、大元となる事件に辿り着き、また、それが結末であるという仕掛けにハッとする。
こうしたところがクリストファー・ノーランの独自で独特な手法なのだと思う。
映画の様々な手法は、ほぼ出尽くしたのだと言われて久しいが、クリストファー・ノーランはTENET などで、なお挑戦を続けているのかもしれない。

真実とは何だろうか。
僕達の長期記憶の中にある「真実」と信じているものと、10分間の記憶の繰り返しの中でしか生きられないレナードが「真実」と信じているものに決定的な差はあるのだろうか。

心理学者によると、人は、3度同じ嘘をつくと、その脳は、それを事実として認識し始めるようになるらしい。
僕達の記憶が如何に危ういのか。

僕達も自らの都合に合うように記憶を書き換えていないか。

(以下ネタバレ含みます)


ストーカーも実は似たようなものかもしれない。
あの人は、自分に優しい。
あの人は、きっと自分のことが好きに違いない。
あの人は、自分のことが好きだ。
絶対好きだ。
だから、自分を拒絶はしない。
しかし、
何かの間違いだ。
誰かに騙されているんだ。
他に誰か好きな人が出来たんだ。

これは決して精神障害ではないだろう。

レナードもたった10分の間に、自身の感情にそぐわないものを消去したり、改竄していく。

きっと、重要なのは、感情なのだ。
レナードにとって、それは妻を失った深い悲しみだ。

僕達の記憶は、自ら改竄されていないか。
深い悲しみのほか、怒り、一時の喜びなども記憶を書き換えているかもしれない。
苦い記憶も楽しい思い出も様々あるだろう。

この作品の実はプロローグとなるエピローグは切ない。

妻を直接死に追いやったのはレナード自身なのだ。
妻はレイプされ、自分は殴られ短期記憶に障害を負う。
妻は、10分しか続かない記憶を利用して、糖尿病のインスリンの注射をレナードに何度も打たせ、命を絶つ。

なぜ、妻は死を選んだのか。
レイプ?
レナードの障害?
将来への絶望?
もしかしたら全て?

僕が想像するに、妻が去り、決して答えの得られない深い悲しみは、たとえ短くても記憶を改竄するには十分だろう。

いつのまにか、自分や妻以外に原因を求めても不思議はないのだ。

自分の記憶を奪ったのは誰だ。
そいつが妻を殺したのだ。

妻が亡くなったストーリーは他人に置き換え、自分の物語を構築していく。

復讐しなくてはならない。

記憶は長短に関わらず、感情によって書き換えられてしまうのではないのか。

レナードは、彼の短い記憶の障害もあって、ループした世界に止まらざるを得ない。
特定の記憶に囚われて生きるのは悲しい。
しかし、もし人が特定の感情に囚われて生きているのであれば、レナード同様、悲しい存在なのではないか。
クリストファー・ノーランは、こうしたことも示唆しているのではないか。

そして、よく考えてみたら、歴史もそうだ。
古い歴史は為政者によって、大きく書き換えられてきた。
そして、悲劇も繰り返されてきた。

僕達も、その時々の感情によって、レナードがメメント(断片や記念物)に少し手を入れるように書き換え、歴史もその時々に都合よく書き換えられ、皆、大きなループの中に止まって生きているに過ぎないのかもしれない。

ワンコ