ロスト・イン・トランスレーションのレビュー・感想・評価
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おもしろい視点
観ていてテンションがあがらない映画だったけれど、ユニークな視点がおもしろかったかな。
日本の描写は、いまいちだけれど、もともとこの二人は日本を楽しもうという動機はないまま訪れているのだから仕方がない。むしろ、せわしく多様で雑多なものが氾濫している都会では取り残された気分になるのは無理もないかと。
二人の取り合わせは面白い。
年齢も離れ、携わってきたことも異なり、特に共通点もない、おまけにそれぞれ既婚者。でも、お互いを同類だと、くんくんと嗅覚で嗅ぎ分けた。
二人が結ばれなかったことは正直物足りない。
でも、プラス志向ではない者同士が結ばれても、どうせいいことにはならない。それを二人は直感的に理解していたのだ、と思いたい。これでよかった。ふたりが距離を保ったところに、作品の底力というかプラス志向を感じる。
時には踏みとどまることって大切なのだろう。
カラオケ大好き!
2022年5月4日
映画 #ロスト・イン・トランスレーション (2003年)鑑賞
タイトルが、「翻訳することにより失われるものがある」的な意味で、文化、言語、ビジネス、夫婦間の喪失とか溝とかをテーマにしてます
外国の人には日本は異質に見えるんだろうな
はっぴいえんどと平成ポップカルチャー
個人評価:4.0
ビル・マーレーとスカヨハの東京大冒険。とてもプラトニックな恋物語で上品な仕上がり。ウディ・アレンとも一味違う趣きがある。また非常に邦画的な間と笑いのシーンもあり、ソファア・コッポラが監督とは思えない演出。
東京の街と日本人を、2人に疎外感を与えるツールとしか使ってないので、そこは少し寂しいが、あのスカヨハが東京の街を活歩するのがとても嬉しく、また楽しく観る事ができる。
HIROMIXなど時代を象徴する人物も効果的に配置し、日本の2000年代ポップカルチャーを上手く交差させている。
【”異国の地、東京で眠れない二人”ハリウッドスターだが、ミドルエイジクライシスに直面している男と、写真家の若き妻との交流をドキュメンタリータッチで描いた作品。醸し出す風合が、とても良い作品でもある。】
ー ウイスキーのコマーシャル撮影のために来日したハリウッドスターのボブ(ビル・マーレイ)と、フォトグラファーの夫の仕事に伴って来日した若妻のシャーロット(スカーレット・ヨハンソン)。
同じホテルで偶然出会い、打ち解けたふたりは、見知らぬ土地東京で時間を共有するうちに、いつしか惹かれ合っていく・・。ー
◆感想
・今作をBSで観たのは、何年前であっただろうか。
センスの良い映画だな・・、と思った事を覚えている。
・改めて観賞すると、ハリウッド映画にありがちな、コテコテの”それは日本ではないよ!”と言う感は全くなく、”本当にハリウッドスターが東京に初めて来て、慣れない土地の中で眠れない日々を過ごす様をドキュメンタリー作品として描いたのではないか・・”と思ってしまう程、東京の中の異邦人の二人、ボブとシャーロットが異文化に触れ、イロイロと戸惑う様が極、自然に描かれている。
・カメラワークも印象的で、忙しい夫ジョンが仕事に行った後、独りホテルの窓の縁に座り、東京の街並みを見下ろすシャーロットの寂しげな姿を切り取ったショットや、コマーシャル撮影の際のカメラマンからの矢継ぎ早のリクエストに言葉が分からず、戸惑うボブの姿。
そして、遠き米国に居る妻からの、一方的な電話や届け物(カーペットのサンプル・・)に、ミドルエイジクライシスを実感するボブの姿。
・そんな中、ボブとシャーロットはホテルのバーで出会い、お互いの孤独を癒すかの如く、言葉を交わし、夜の東京の街に出掛けて行く。
カラオケでボブが”これ、難しいんだよな・・”と呟きながらタドタドシク歌う、”ロキシー・ミュージック””の”More than this”(やや意味深・・。)や背景で流れる、はっぴーえんどの”風をあつめて”(エンドロールでも流れる。)も印象的である。
・シャーロットが一人訪れる、京都の南禅寺、平安神宮のショットも作品のアクセントとして、良い。
<異国の地東京で夫々の孤独感を抱えながら、恋未満の、ハリウッド大スターと、結婚2年目の若き女性が交流する姿をドキュメンタリータッチで描いた作品。
醸し出す風合が、とても良い作品でもある。>
日本人がハッキリ言って欲しくないこと
話は平坦で何のケレンもありません。主役二人はすごくいいです。
何となく見ていて気持ちがいいので私は好きですが、10人中5人は退屈するでしょう。
日本びいきのコッポラ君が力まずに自然に東京の町や生態を描いているので、こういう風に客観的に見せられると、東京の町って東南アジアみたいな猥雑さもなくて、単にコセコセしてて実に画面映えしないなあとか、結局日本人って粋がってやたら英語使いたがるけど話せる人なんて全然少ないじゃん、みたいな日本人のダサさをハッキリ突きつけられたようで妙に恥ずかしいです。
コッポラの前作『ヴァージン・スーサイズ』にはがっかりしたが、今回...
コッポラの前作『ヴァージン・スーサイズ』にはがっかりしたが、今回は自分の体験を基に自然体で描いたことに大成功。もちろん、彼女の手腕よりも俳優陣に助けられたことの方が大きいと思うが、幾分ドキュメンタリー風の撮影と音楽(特にはっぴいえんど)のチョイスも光っている。
アメリカと日本における言葉の壁、文化の違いによる疎外感以外に、二組の夫婦間の疎外感をも表現している。同じ境遇であるからこそ出来た「孤独の共有」を綺麗に描いていたと思う。
LとRの発音は身につまされる思いで、今後気をつけたいものだ(ripとlipという脚本はわけわからんが・・・)。しゃぶしゃぶのくだりでは文化の違いを感じさせられました(笑)
【2004年6月映画館にて】
日本が舞台なのがノイズ
日本でのCM出演のために来日しているハリウッドスターのおじさんと夫の仕事で日本についてきた若い奥さんが日本での間だけ2人で過ごす話。
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日本人が見るのにはこの作品、日本が舞台になっているのがすごくノイズ。アメリカ人から見た日本なんてダサいから、オシャレな雰囲気のソフィア・コッポラの作品は日本とは相性が合わないんだな。
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でも建前上のおもてなしをする日本人がどこか変で馬鹿っぽいのに比べて、仔細の人達はユーモアがあって人間味が溢れているのが面白い。
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ひとときの出会い、そして永遠の想い出
どこかに1人でポツンといるのも孤独ですが、大都会にポツンというのも孤独ですよね。僕自身が夜に街に繰り出すというタイプではなく、暗くなったら家にいたいタイプなので(笑)、ナイトクラブなどに行く場面より、ホテル内のバーや部屋、廊下などでの2人の時間が好きです。 切ない気持ちになりますが、いい物語でした。 特別な絆というか、最後キスをしてもお互いの伴侶を裏切った感じがしないのがよかったです。 できればシャーロットが日本を発つまでいてほしかったですが、それだと作品の質が少し落ちちゃうのかな(笑) どちらかが先に帰っちゃうからいいのか(笑) 僕も誰かとゆっくりお話しをしてみたいです。 家族と暮らしていますし仲はいいですが、それとは別に全くの他人とゆっくりお話しをしてみたいです。 僕は独身なので誰かを裏切ることにもなりませんし(笑)
バーガンディ
スカーレットの抜群のスタイルに目がどうしていってしまうが、同時にその持て余している感じがよく伝わってくる。街でヘッドホンをする彼女。この街にいる理由が分からない、でもそこで浴びる情報量。実に海外旅行感。ビルマーレイとの心の通じ方は純愛っぽく、控えめであるが、若い女性監督の妄想か?男はそうはいかぬもの。
海外から見た日本アルアル的なジョークが散りばめられる。好きなのはしゃぶしゃぶのくだり。確かに違いが分からない。倦怠期ジョークも秀逸。
日本人はどう評価するか。
日本で生まれ育った人と外国人とでは、
全く感想が変わってくると思う。
ソフィアコッポラが表現したかった"孤独感"。
私たちには分からない。
というより、それが常。
トウキョーは孤独と共にある。
それになれている我々は
あの映画で改めて孤独に気づくことは出来ないのかもしれない。
そして旅の道中にあんな出会いがあるなんて
羨ましい限りです。
ミドルエイジクライシスを笑わず、それに寄り添う映画
ビル・マーレイ演じる主人公が
ミドルエイジクライシス(中年の鬱)を迎え、
なにもかもめんどくさくなっているところに
スカーレット・ヨハンソン演じる
夫に同行して東京にやってきて、ホテルの部屋で過ごす若い妻と出会い
親子でもない、愛人でもない、
それでいて、なぜか互いにシンパシーを感じたのか
年の離れた友人として
ゼロ年代初頭の東京を過ごしていく映画です。
映画のストーリーに大きな浮き沈みはありません。
『異国の人らから見た、日本の風景』に二人が溶け込み
少しずつ、ミドルエイジクライシスで『満たされない何か』を
取り戻していくお話です。
外国の方から見える、ちょっと変わった国 『日本』を見てみてはいかがでしょうか。
JUST LIKE HONEY
(これは2019年6月ごろ書きました。)
ここ数年で富にテラスハウスの海外人気が固まってきたようです。たしかに誰が見ても面白いと思えます。ただ、わからないのが翻訳です。
個人的にテラスハウスの主品目はむしろスタジオにあって、本編は副次品と見ていますが、あのスタジオの会話が翻訳し尽くせるのかが非常に興味深いのです。試しにNetFlixを英語字幕にすると英字が凄まじいスピードで流れていきます。これ、解るんだろうか、という速度です。それ以上に心配なのがスタジオで多用されるスラングです。正確にはスラングではなく、日本人にしか解らないフレーズや時事や業界事情ですが、山里さん徳井さんが発する笑いのツボは、ほぼその「スラング」を用いた例え話にあるので、それが外国人に伝わっているのかが非常に興味深いのです。
Redditにr/terracehouseという板があります。私は英語が得意ではありませんがテラスハウスに対する海外の注目度を知ることができます。およそ、そこでは「スラング」に対する質疑応答も盛んに立っています。
先日、So many things are lost in translation on Terrace Houseというスレッドが立ちました。スレ主は薦められてテラスハウスを見たのですが10分と見ていられなかったそうです。理由は「スラング」が解らないこと、またその逆に、本編での出演者の貧しい語彙力──住人たちのつねに平凡な日常会話に辟易した、とのことでした。その後テラスハウスを通じて日本に興味を持った人に出会い、再度、こんどは過去作のAloha Stateにチャレンジしてみたそうです。結果的にそれは面白かったようですが、ただし彼がもっとも興味を持ったのは、住人の恋愛ではなく、翻訳によって失われたことについてでした。
『Joke often didn't make sense if you don't know a specific TV programme in Japan / commercial etc. I wonder if non-Japanese-speakers have no problem understanding all the jokes. Do you have any particular examples that you didn't understand or find weird?
ここにある笑いは、日本の特定のテレビ番組やコマーシャルなどを知らなかったら、意味を為さないんだけど、それじゃあ困るんだよね。誰か他に理解不能や違和感の例あったら挙げてみてよ。』
スレッドは呼応して伸びましたが、ふと誰かがこんなことを言い出しました。
『Off the topic but the title just reminded me that the movie ‘Lost in Translation’ was actually filmed in Japan lol
板違いだけどタイトルがロストイントランスレーション思い出させるね。確かにあれは日本が舞台だったし。』
→『One of the best movies ever - especially if you know Japanese. It's hilarious. I laughed through the whole whiskey commercial scene :'D
最高の映画だね。日本知ってると更に楽しい。ウイスキーのコマーシャル爆笑したっけ。』
→『I agree! For me the hotel scene with the ... hired lady was epic af lol
同感。デリバリー女シーン、サイコーだわ。』
スレ主が言うLost in Translationとは、翻訳し尽くされなかった部分のことです。それは日本のコアな業界事情=「スラング」なので、能動的に省かれたのでしょう。あるいは別の汎用な笑いに置き換えられたのかもしれません。いずれにせよ、翻訳が失われたために、失われた部分への興味がつのったというわけです。
しかしソフィアコッポラのロストイントランスレーションは言語だけのことではありません。
主人公、ボブハリスの妻はホテルにファックスを送りつけ書斎の棚やカーペットをどれにする?などと、ボブの現況とはまったく無縁のマイペースな日常を伝えてきます。
もう一人の主人公シャーロットはカメラマンである夫に随行してボブと同じホテルに滞在していますが、夫は仕事に夢中でいつも忙しなく、シャーロットの気分を理解しません。
互いにEnglish-speakerの夫婦といえども全く意思疎通できていないのです。
それに加えて、場所は東京です。そこにいる日本人たちは恐ろしいまでに疎通ができず理解もできません。超ハイテンションなマシュー南。でたらめばかり教えるいいかげんな通訳。ストッキングをリップしてと注文してくる性接待の女。気合いだけのCMディレクター。選挙カーのウグイス嬢。病院の待合にいるお婆ちゃん・・・。
ボブとシャーロットは年も性別も経験値も違いますが、お互いに人生に疲れている東京の異邦人です。くわえて、茫漠たる東京で会話が通じた唯一の人です。果然、ホテルのバーで出会うとすぐに意気投合するのです。
いわば相棒になった二人でいるとき東京はにわかに楽しい異世界に変容します。眠らない街へ繰り出し、チャーリーと眠らない酒徒に会い、カラオケでニックロウのWhat’s So Funny ‘Bout Peace, Love And Understanding?を歌います。
それを見ながら観衆は自分がボブとシャーロットの側であることを望んでいます。ほんとうは、特に日本人の私たちは、訳の判らない東京人側にいるはずですが、翻訳能力を失った二人に強く共感しています。
ときどき私たちだって、ボブやシャーロットのように、周りの言っていること/やってることが全然判らなくなってしまうから、だと思うのです。
すなわちロストイントランスレーションとは翻訳ではなく、なにかを切っ掛けに理解能力を失ってしまった人間の鬱状態のことを言っているのです。
だけどボブはシャーロットを見つけました。シャーロットはボブを見つけました。落ち込んでいるとき、言語よりも深いところで感応する相棒を見つけ出したわけです。
とはいえ二人には男と女の「愛」も「性的欲求」も「恋心」もありません。しかし、たとえようもない感覚で強固に通じ合っているのです。
あなたは愛/性/恋愛感情のない、でも深く惹かれ合う男女関係を、映画で発見した経験がありますか?
この映画の絶対的なさわやかさは、そこにあります。
舞台が東京なのも合理だったと思います。いち地方人である私も東京へ行くとまるで他の星に来たように「いったいここで繰り広げられている、かまびすしい過剰は何なのだろう」と思うからです。何度訪れても消えない感慨です。
とりわけロストイントランスレーションが映し出す東京はきらびやかで風変わりで生活臭のない街です。それは「&TOKYO」の東京であり、セレブのインスタに載る東京であり、業界人の不実体な東京であり、そしてテラスハウスの東京です。
筋書きが有るにせよ、無いにせよ、箱に閉じこめられ大勢の人々が見るなかで愛を交わすなんて不条理な話です。そんなショーを楽しむわたしたちはもっと不条理ですが、ただそんな虚構の世界の言葉を訳せるはずがありません。日本語を解するわたしたちでさえ不可解なのですから外国人の『So many things are lost in translation on Terrace House』は当然です。
それが映画ロストイントランスレーションと重なった──という話です。
ところで、この映画が忘れられない理由にはエピローグの首都高もあります。
とんでもない景色だと思います。厖大な人の営みの景色です。文明という言葉を説明できる景色です。46年前、タルコフスキーが使った景色です。
上京するとき、わざわざ車を使うのはジーザスアンドメリーチェインのJUST LIKE HONEYを聴きながら首都高を走るためです。この世にふたつとない気分になれます。
自分にとっての現実世界が、だれかにとっての夢世界になり得るのだと気づけた映画。
ソフィア・コッポラ監督作品。
東京を舞台に、最盛期を過ぎた初老のハリウッドスターと、夫の仕事に同行して東京にやって来た若い人妻が出会い、別れるまでの話。
題名にもなったロスト・イン・トランスレーション(翻訳における何らかの意味伝達の抜け落ち)は人間同士の相互理解の難しさを表した典型例であり、異国でのこの経験が、2人がお互いの気持ちを伝える上での困難さを強調する役割も果たしている。
アメリカの画家ジョン・カセールから着想を得たという冒頭のシーンはすごく印象的で、このケツがどんな伏線になってんだ?と訝しながらの初鑑賞。
結局伏線とかではなかったのだけど、この映画を象徴するシーンであることは間違いなかった。
まあ強いていえば、あの割れ目が埋めようのない2人の心の隙間を表しているんでしょうかねえ。笑
わずか16年前の日本はまじか、こんな感じか、という悲惨さで、たとえ写実的ではないにしても少なくともコッポラからの印象が此れなのだからまじか、これか、という感じ。
そんな日本で、夫からも相手にしてもらえず、なのに夫の前では強がって気丈に振る舞ってしまうスカヨハ演じる若妻の憂い、疎外感、虚しさ。漂う空気はミッドナイト・イン・パリに近いものを感じる。
あと当時20歳のスカヨハは確かに若いんだけどもうすでに完成されてて、なんでこの雰囲気が出せるのかな。日本人だったら吉高由里子かなと思ったけどスカヨハはアクションもやるからなあすごい役者だ。
8回くらい江頭2:50に見えたビル・マーレイとは初めまして。
スカヨハと2人で醸し出す妖しさ危うさに惹かれる。
2人でホテルを抜け出した夜、カラ館の通路ではっぴいえんどの”風をあつめて”が漏れてくるのを聴きながら優しく肩を貸す。最高。
全く年代の違う両者に特別な関係が成立していく過程自体が観る人たちにとって十分に魅力たり得ているわけだが、そのことで、社会生活を同い年との関係に限定させる学校制度を批判している人の話を思い出した。彼が望んでいたのはまさに、こういう混ざり合いがもたらす思わぬ発見や面白さなのだろうなあ。同い年だとこうはうまくいかないか。明らかな違いがあったほうが、共通点の発見や、お互いを理解するための意欲を考えれば好都合ということなのか。
パークハイアットと新宿、そして、しゃぶしゃぶ
表記のとおりであります、ただ、それだけです。
外人は、しゃぶしゃぶ、すき焼き、焼き肉、みたいな自分でやるのは、料理ちゃう、思うらしいです。
パークハイアットTOKYO泊まりたいですね。
ヨハンソンエロいですね。
主役誰やねん、みたいな感じですが。
スカみたいなストーリーです。
好き好んで来たわけではない日本で感じた孤独な心理を読み取る
総合:60点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:70点 )
興味があったわけでもなく好きで来たわけでもない東京で、寂しさと虚しさを抱えたまま異文化に馴染めず戸惑いながら過ごしながらも、お互いに何かを感じた男女を描く。話題になったのが記憶に残っていたから数年前の作品かと思っていたらもう14年も前の作品だった。
誇張された日本が時々登場して日本人としてはしらける部分も多々あるが、外国人から見た彼らと異なる日本への印象という点ではそんなものなのだろう。そもそも日本について何も知らない彼らが所用があって滞在しているだけなのだから、異文化を理解しようとか楽しもうとする動機づけが最初から登場人物には弱いし、予想と異なり文化の違いを浮き彫りにすることが映画の目的でもないようだ。家族から離れて知らない町で何をすればよいかもわからないまま放り出された孤独さが異文化の中で強調され、そんな共通点を持つ2人が出会って共感を感じたことを描いている。
はっきりとした物語の流れがあるのではなく、映画は共通点を感じた2人のちょっとした交流と心情を日常の生活の中に散りばめて表現する。視聴者はその彼らの間接的な心の動きと感情を読み取る。そんな作品の意図はわかるし、ある意味での面白みはあった。
でも同時に退屈さとしらけた退廃的な雰囲気を感じて、それらはある程度は作品中の登場人物たちが感じたのと同じような感情にも感化されて、観ていて楽しいものではなかった。物語がはっきりせず動きが少ないのも、登場人物が努力をしているように見えず好感を持てないのも高く評価出来ない。
退廃的という点では雰囲気が『甘い生活』に似ているとずっと思いながら観ていたら、作品中のホテルの部屋でその甘い生活がテレビで放送されていて「マルチェロ」と呼んでいる科白があったので、製作者としてもやはり意識していたのだとわかった。スカーレットヨハンソンの美しさと、彷徨いながら我が道を探そうとする姿が映画では一番印象に残った。でも自分の進む道を失ったまま流され続けた甘い生活に出てきたマルチェロと彼女が重なる部分がある。東京に迷ったのではなく、彼らは自分たちが迷っていた、それを言葉の通じない異文化の東京に来たことで見つめなおし気づかされたのだ。
東京の憂鬱
ただただもう身もだえするほどに悶々とする一日が明日も明後日もつづく
誰かと死に別れたわけでもなく
何かに挫折したわけでもない
お金に困っているわけでもなく
友がいないわけでもない
知らぬ街に取り残され
何をするにも刺して困ることもない
満たされた生活のはずなのに
若くて貧乏だった頃はそんな生活に憧れて夢見たいたのに
「生きていながら死んでいる」とは
志村喬さんのセリフ
人間に生まれると欲望にまみれ満足を知らずもっともっと欲しがる呆れた生き物だ
最後のシーンに荒んだ心が救われる
こう見えるんだろうなあ、東京
自分たちが外国の街に行った時に感じる、何となく薄皮一枚挟まって見える感じの街並み。渋谷のネオンって、外国人にはこんな風に映るんだろうなあと素直に思えます。ビ・マーレイを迎える日本人ビジネスマンの立ち居振舞いも、ああ、そうそうこんな感じだわと、我が振り直せです。
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