劇場公開日 2006年9月30日

レディ・イン・ザ・ウォーター : 映画評論・批評

2006年9月26日更新

2006年9月30日よりサロンパス・ルーブル丸の内ほか松竹・東急系にてにてロードショー

シャマラン映画史上最もちっぽけだが、最も壮大かつ深刻な作品

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ミステリーサークルが出現した農場(「サイン」)や外界から隔絶された村(「ヴィレッジ」)と、このところ舞台限定型スリラー&ミステリーを紡いできたM・ナイト・シャマラン。そんな彼の作品中で最も小さな空間内で物語が進行するのが、この「レディ・イン・ザ・ウォーター」だ。アパートのプールから傷ついた水の精が現れ、住人たちは彼女を魔物から守り、神話の世界に帰してやろうとする。異星人を妖精に置き換えたシャマラン版「E.T.」ともいえるファンタジーである。

しかし夢と感動いっぱいの「E.T.」とはまったく異なり、本作は沈痛なトーンに覆われている。アパートの住人はスパニッシュ系やインド系、労働者やインテリなど人種も職業もバラバラで協調性などなきに等しい。TVは遠いイラク戦争のニュースを報じている。このままではいけない。君たちにはきっと何かができる。今こそ行動を起こすべきだ……。「どの作品もその時に自分が感じた疑問をテーマにしてきた」。そう語るシャマランは頑ななまでにカメラをアパートの敷地内に留め、世界を守るために変わりゆく平凡な人々の物語を撮った。

草むらに潜む魔物の描写が異様なサスペンスを醸し出す一方、妖精をめぐるさまざまな秘密が東洋の昔話によって明かされていく下りはご都合主義的だし、正直中だるみも感じた。しかしシャマラン作品としては最もちっぽけなこの映画は、実は最も壮大で、最も深刻なテーマを扱った作品といえる。シャマランお得意のどんでん返しは炸裂せず、ボブ・ディランの「時代は変わる」のカバー曲とともに、映画は厳かに幕を閉じる。

高橋諭治

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