男たちの大和 YAMATOのレビュー・感想・評価
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大和ミュージアム行く前の鑑賞がおすすめ
呉に行くので。
ひとつ強く覚えていることは、大砲(機関銃?)座って打つんや??!!ってこと。
呉に行って模型を見たとき、当たり前だが座るところきちんとあって感動した。
今までたくさんこういう映画見てきたが、
今になってようやく、きちんと仕組みを理解したわ。
函館の摩周丸を見たばかりだから、船内の様子おもしろかった。
こんなに料理人いるんだ、とか、船員多過ぎん?って思ってた。
初耳シリーズ↓
戦艦に護衛が必要。(戦艦って無双状態のめちゃくちゃ強いものだと思ってた。)
戦艦大和撃沈。(大和負けるんだ?!)
戦地に向かう途中に沈む。
有名アニメ(宇宙戦艦ヤマト)になるくらいだから、
超つよつよで、負け無しの戦艦だと思っていました。
なんで数ある戦艦の中で、大和ってこんなに認知度あるんだ?
一番巨大だから?(アルキメデスの大戦の知識)
神尾の恋人が広島で原爆の被害に遭う未来がわかって
広島行かんといて…!!って願ったわ。
簡潔に感想言うなら、
中村獅童、反町隆史が、雄々しく守ってくれそうな強い男性でかっこよかった。
ざわつく金曜日の印象強くて、長嶋一茂が出演していて、演技もするんだと違和感。
松山ケンイチの弟感いいね。
呉でお昼ご飯を食べた、呉ハイカラ食堂に
映画のパネルがたくさんあり、ファンならもっと楽しめるだろうな、と思った。
個人的にはちょっと長いし、眠くなった場面が多く、
リピートは無しかな。
24.8.9 レンタルDVD
生き残ることの苦しさと希望
戦争を背景にした映画には「反戦」と「賛美」しかないのか。いい加減、二極化した思い込みばかりで、既視感のある文章ばかり読んでると目眩がするね。
映画のレビューではないかもしれないけれど、自分のおじいちゃんから聞いた話を書いてくれてる人の方が、その人にしか書けない良い文章を書いてると思うよ。
苦言はさておき、想像したよりも色々な面で面白かったね。
観る前は大和が沈むシーンに長渕剛の歌声を被せちゃうような、しょっぱい仕上がりの映画なんじゃないかとずっと疑ってたわけだから。
そんなことはなかった。ちゃんとしてたね。
これの前に「アルキメデスの大戦」を観てるんだけど、CGにはCGの、実物には実物の良さがある。当たり前だけど、質感とか物や人がぶつかる音、コントロールを逸脱した動きが画面の端から端に至るまで映りこむダイナミックさは、やっぱりオープンセットで撮っている「男たちの大和」の方が上だった。
確かに同じ爆破シーンを何回か使い回してる事には気づいたけど、そんなことはどうでもいい。
監督本人が「反戦」をテーマに掲げているわけだから、戦争の悲惨さ云々を感じるのは別におかしいことではないけれど、この映画の興味深いところは「散っていった男たち」ではなく「生き残った男たち」の苦しみに焦点を当てているところだ。
戦争だけでなく災害でも、「生き残ってしまった」事を罪深く感じてしまう事は多いと聞く。
「死んでいった人たち」と「生き残った自分」を分けたものとは、徳の高さでも体の強さでも頭の回転でもなく、ただの「運」としか言いようがない。
「愛する人がいたのに」「まだ若かったのに」「将来を期待されていたのに」死んでしまった人たちに対して、何故自分みたいな人間が生き残っているのか。
同じ釜の飯を食い、苦労を共にし、背中を預けあったのに、自分はみんなを裏切って生きているのではないか。
そんな苦悩が、生き残った二人にはある。
そこに意味を見いだして、戦災孤児を育て上げてきた内田。
大和乗船時の内田を演じていたのが中村獅童だったんだけど、演技面では完全に中村獅童無双だった。中村獅童に全部持っていかれたと言っても過言ではないでしょう。
観客目線のキャラクターは松山ケンイチ演じる神尾だったんだけど、内田が出てくるとどうしても内田に注目してしまう。
テーマ的にも内田という男の生きざまが重要だし、そんな内田に息吹を吹き込んだのは、間違いなく中村獅童だ。
もう一人、生き残った神尾の「どうして自分は生きているのか」という問いに答えてくれるのも内田である。
長い間、自分が生きている意味を見出だせずに生きてきた孤独な老人となった神尾を導き、自分の生を全うすることを伝え、男たちの思いというバトンを渡す。
戦争の記憶、仲間の記憶、死んでしまったからこそ覚えていて欲しいことを伝える、という意味でも、内田は最後まで闘い続けてきた。
大切な人に生きていて欲しい、生きていて良いんだ、というシンプルさがこの映画の良いところだ。
苦しみではなく、希望に満ちたエンディングの戦争映画があったって良いじゃない。
今更ながら観ましたが、とても感動、胸をうたれた 戦死したものは英雄...
今更ながら観ましたが、とても感動、胸をうたれた
戦死したものは英雄、生きて帰ったものは「よくも生きて帰ってこられたな」と罵声を浴びせられる時代。今の時代では考えられないのではないでしょうか。
空からの援軍もなし、片道の燃料のみで出発
死ぬことを覚悟の上でお国のために戦う。僅か15歳の少年でさえも、そんな人生の選択があっても良かったのだろうか
命を懸けて戦い抜いた英雄は死んでも生きてても格好良い。だけど、戦争は絶対にあってはならない
誰一人死んでよかった人なんているわけがない。
反戦の思い、命の尊さを考えさせられました
映画としては大変迫力のある映像と少々グロテスクなシーンもあり、見応えがあります
エンドロールの長渕剛さんの曲は、映画を観てから聴くと尚、心に染みました。
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
恐らく、2005年の映画だから、敗戦50周年での記念作品なのだろう。
しかし、日本がアメリカから自由を奪われた理由の様な映像だ
さて『最後まで戦います』と宣言するのはいっこうにかまわない。でも、それでも、負けた訳である。だから『さっさと白旗をたてて私は逃げます』って言葉も必要だ。
さて、1945年から1947年位までに生まれた人達を『団塊の世代』と揶揄することがあると思う。それは少子高齢化の今言われ始めた理由では無い。僕が生を受けた頃(昭和32年)から言われていた。親父(昭和5年生まれ。戦争に行けなかった最初の世代)の言葉を引用する。
『お国の為に戦った本当の兵隊さんは、お国の為に死んだんだ。運良く生き残って帰って来た奴ら(ママ)がやる事無いから本能に任せたんだ』と言っていた。団塊の世代はそんな風に思われていたのだ。根性がひねくれた親父ではあったが、間違いではないと思う。しかし、理由は『平和になって死ぬ事が無くなったから』である。言うまでもなく、彼等団塊の世代は、日本の高度経済成長の下支えをしてきた世代である。こんなアドレナリンもコントロール出来ない戦前、戦中世代とは違う。ある意味戦後の冷静な日本人の元になった世代なのである。もっとも、脱亜入欧は色濃く残り絶滅危惧種大和民族になってしまったが。
こう言ったアナクロでエキセントリックな映像を冷静に鑑賞出来る『精神の自由』を磨こう。
『ぬけぬけとよう帰ってきたのう』
上野の山には片足が無い白装束の兵隊崩れ(ママ)が戦後15年以上経っても沢山いた。我が亡父は『国から金もらって、働きたく無いから障害者のふりしているだけだ。戦争に負けて恥かいて、根性までひねくれているんだ(ママ)』さて、親父はJAZZとアメリカ映画が好きな脱亜入欧野郎だったが、多分地獄にいると思う。
戦艦大和その壮絶な最期
2005年。佐藤純彌監督。原作・辺見じゅん。
製作費25億円。興業収入50億円の大ヒット作。
映画は、戦艦大和の乗組員となった10代の少年兵神尾の姿を通して描かれます。
少年期を松山ケンイチ、60年後の神尾を仲代達矢が演じています。
戦艦大和の沈没地点。鹿児島県坊ノ岬、北緯30度42分東経128度04分。
そこまで船を出して連れて行って欲しい・・・そう言う女性真貴子(鈴木京香)の
頼みを引き受ける神尾(仲代達矢)
神尾の回想で、エリートでも将校でもない名もなきイチ少年海兵隊員の目を通した、
「男たちの大和/YAMATO」の沈没までの壮絶な運命が描かれます。
先に観た「アルキメデスの大戦」では1兆円(今の金額で)を超える建造費の戦艦大和を
建造に反対する山本五十六と、対抗する軍部の攻防が数学者・櫂(菅田将暉)の計算力、
を利用して阻止を図る映画でした。
その理由は、今後の戦争は空母こそ建造すべき(つまり航空機を多数搭載出来る航空基地の役割)と言うことだったのです。
事実、戦艦大和は最終決戦地区・沖縄を目指すものの、鹿児島県の沖・坊ノ岬までしか行けず、米軍の航空機300機の集中砲火に合い砕け散ることになります。
素人目に考えても、動かない的(大和)が大き過ぎて、アメリカからみたら「楽勝」ですものね。
1945年4月7日。
乗組員3332名。そのうち生存者は276名。
神尾は生きて帰っても、母は空襲で爆死しており、恋人(蒼井優)は広島の原爆で死に、
天涯孤独の身になります。
同じく少年海兵隊員の友達の死を母親に告げると・・・よくも一人オメオメと帰って来れたものだ・・・と罵られる始末。
神尾たちにとり、戦艦大和に乗船するのは憧れ・夢・・・だったと思います。
(お米のご飯も最後まで食べれたみたい・・・)
結果、乗組員の大多数は死に、戦艦大和は巨大さ故に彼らを守ることは出来ず。
戦争の虚しさを強く感じる映画でした。
噛み締める、託された想い
レンタルDVDで2回目の鑑賞。
原作、ノベライズ共に未読。
松山ケンイチ演じる年少兵を通して戦争の悲惨さを描き、感情移入を容易にしているところが本作の良さだと思いました。
前途有望な若者を死地に送り込み、愛する者のために命を賭して戦わざるを得なくさせた戦争と云う状況が本当に憎い。
それぞれの想いが胸に迫る。大切な者を守りたい一心で戦艦大和に乗り組んだ彼らの姿に涙を禁じ得ませんでした。
高畑淳子演じる母親が息子におはぎを食べさせようとするシーン、明日戦場へと赴く我が子に心をこめた料理を食べさせてやりたいと云う母心に胸を締めつけられました。
送り際の「体に気をつけてな」「死んだらいけんよ」に涙が止まりませんでした。愛する子を戦地に送る心痛や如何ばかりか。二度と世の母親にこんな想いをさせてはならない。
生き残った松山ケンイチは「何故お前だけ帰って来た」と罵詈雑言を浴びせられてしまう。生き残った意味とは。命を懸けて貫こうとした想いを次に託すためかもしれないな、と…
今、私たちが生きていること。その根底には様々な人々の想いの積み重ねがあると感じました。平和の礎となった命の重みを今一度噛み締め、その意味を考えなければならない。
[余談]
多くの人々を飲み込んで海底深く沈んだ大和。まるで墓標のように海底に身を横たえている。壮絶な戦闘の痕を生々しく残し、痛烈なメッセージを発信し続けているように感じます。
※修正(2024/04/24)
「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」
映画「男たちの大和 YAMATO」(佐藤純彌監督)から。
「戦艦大和」「第二次世界大戦」を題材にした映画は
数あれど、悲しいだけではなく、男気みたいなものを
感じることが出来た作品であった。
「大和」が、最終決戦の場となる沖縄に向かう戦場、
兵士が、上官に尋ねるシーン。
「『武士道』と『士道』の違いは何ですか?」
長島一茂氏演じる上官が、落ち着いた声で
なんと答えるのか、興味津々でメモを片手に待った。
「武士道とは、見返りを期待せずに死ぬ覚悟。
「士道とは、死ぬ覚悟を内に秘めて、
人に恥じない生き方をすることだ」と定義し、
その答えに部下は「死ぬ覚悟」と「生きる覚悟」ですね、と
悟るように言い放った。
今まで、なかなか理解できなかった「武士道と士道の違い」。
難しいことを簡潔に説明する士官は、最後にこう付け加えた。
「覚悟を決めるということは、誰にも生易しいことではない」
辞書によると「覚悟」とは、ある事態を予期して心を決めること。
心を決めるって、生易しいことじゃないよなぁ。
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