仕立て屋の恋のレビュー・感想・評価
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フランス人の源流
少し前の作品
フランス映画の頂点かもしれない。
さて、
物語は嫌われ者の仕立て屋が、女性殺しの嫌疑をかけられるところから始まる。
彼は嫌われ者としての雰囲気を醸しながら刑事に突っかかるように嫌疑を否定する。
同時に彼の趣味がのぞき
音楽を掛けながら電気を消して向かいのアパートに住むアリスを毎晩のぞく。
アリスにはフィアンセがいて、でもなぜか思いはすれ違い、なかなか結婚に至らない。
この物語は視聴者の読みを外すように二転三転するのが見どころだろう。
フランス映画としてはかつてなく、いまでも超えられない作品なのかもしれない。
それは、
彼らの生活様式と文化、彼らという民族のオリジナルのみをこよなく愛し、他の文化を拒絶するような根源を持っているからかもしれない。
真似をするくらいなら受け入れない。
そんな感じもする。
面白いのは禿げた小太りの中年男が主人公であること。
彼は嫌われ者でありながらも自分の考えを毅然と守っていること。
そして、おろらくはそれがフランス人の美徳として考えられているのだろう。
禿げと小太りとだけが、物語の面白さとしてデフォルメされている。
そして余韻だ。
彼らにとって「他文化の真似」とは、それほど卑劣なことなのだろう。
さて、
この作品の最大の見どころは、いくつも結末があることだろう。
最初の結末は仕立て屋とアリスの駆け落ちだった。
しかしアリスは来なかった。
列車を乗り過ごしてしまった仕立て屋は仕方なくアパートへと帰ってくるが、そこにいたのは刑事だった。
アリスに裏切られたのだ。
アリスは最後までフィアンセを選択した。
全てのすべてを仕立て屋の所為にして工作し、刑事に売ったのだ。
そして仕立て屋が屋根に逃げ、滑って落ちて死ぬ結末。
彼が最後に見たのは、アリスの顔だった。
アリスは自分が招いたこの出来事をどう感じたのだろう?
自分を救おうと翻弄した男を犯人に仕立てて売るという行為。
最後に彼と目が合ったこと。
ここに残る視聴者の余韻。
さらにさらに、
実は仕立て屋は刑事に手紙を書いていた。
それは、決してアリスはフィアンセの共犯にしないでほしいという哀願書だった。
それと引き換えたのがフィアンセの血が付いたコートという証拠品。
そして一部始終を見ていた証言。
最後の最後までアリスを愛し信じていた仕立て屋だったが、思いもよらない裏切りによって死んでしまう。
しかし、結局彼の純粋な思いが神によって救われないわけはないというフランス人の考え方がそこにあるのだろう。
これがフランス人にとっての最大の美徳。
これを見た眼のデフォルメで完全に見る人を騙すことに成功している。
フランスやイタリアでは日本と大きく異なり、男性が女性にフラれたことを嘆く歌が驚くほど多い。
この作品の背後にもそのことが描かれているのだろう。
面白かった。
やがて哀しき仕立て屋の恋
サスペンスタッチのお話でしたね。もう少しイールの過去の出来事の描写があれば分かりやすくなったのではないでしょうか。アリス役の女優さんきれいな人でした。結末にはびっくりです。ラストシーンはイールの望みが描かれていたのでしょうか?
ピーピングトムとゴダイヴァ夫人な訳でしょ?気持悪い
『裏窓』の出歯亀オヤジの身の程知らずな暴走。
純愛ではない。切なくもない。
演出の上で一つだけ問題がある。最初に殺された女性と覗かれている女性の区別がはっきりしていない。だから、殺すまでの経緯を表していると見ていた。
兎に角、こんな変態親父は日本には少ない。問題は『オタク』をこの延長上と見るのが問題。孤独な者も孤独な老人もこんな理由分からない若者に翻弄される事はない。
恋をしてしまうような女性には見えないが。
『男は所詮肉欲でしかない。』と言ったことを表現したいのなら、女性をもう少しきちんと描いてもらいたいね。
こんな稚拙な女性もいない。
やはり、爺のダンディズムが払拭されていない。
さすが、フランス映画♥
悲劇のはずなのに滑稽
コミュケーション力が乏しく思い込みの激しい「覗き」男とクソ男と婚約している「覗かれる」美女の恋愛。サスペンス要素あり。
最後のアリスの表情がいい。「一生を捧げる」と言ったなら罪を被って、その言葉が嘘でないことを証明して欲しいと思ってるように感じた。
アリスの気持ちを聞かずに話を進めるイールといい、どちらも自分のことしか見えていない。だから悲劇のはずなのにどこか滑稽。
鼠の演出がいまいち理解できなかった。
あれってどういう意図なんでしょう?
短くて見やすいけど、見ても見なくてもいいかな。
【”人付き合いの苦手な中年男の密やかなる愉しみと、それ故の深い深い哀しみ。”悲し過ぎる「裏窓」ヒューマンバージョンである。中年男が愛した女性を想うが故のラストには涙が零れます・・。】
<Caution!内容に触れています。>
■仕立て屋のイールは、腕は確かだがアパートの住人との人付き合いが上手く出来ない中年男である。
彼の密やかなる愉しみは、向かい側の部屋に住む女性・アリスの私生活を覗き見ること。
ある日、突然イールは若き女性の殺人事件の容疑者にされる。
彼を問い詰める刑事。
だが彼だけが、犯人はアリスの婚約者エミールであることを知っていた。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作はとても切ない、孤独な中年男のラブストーリーである。
・イールは、自宅近くで若き女性が殺された事件の犯人を知りつつも、向かい側の部屋に住む女性、アリスを愛するが故に真実を刑事に話さないのである。
■イールが行く、所謂、娼婦宿。
だが、彼はアリスを知ってからは娼婦たちとは肌を重ねないのである。
・イールはそんな事情を知りつつ、アリスに別の土地に逃げようとその家の鍵を渡すのであるが・・。
ー イールのアリスに対する”そんな男と一緒に居ては駄目だ!”という想い。
だが、それはアリスには伝わらなくって・・。
彼が、無実なのに、追われて屋根から落ちるシーンはちょっと、いや、かなり涙が零れます・・。ー
<今作の存在は知ってはいましたが、恥ずかしながらの初鑑賞であります。
(正直に言えば、観ていたと思っていた。)
イールを演じたミシェル・ブランの抑制しつつも、アリスに対する想いが籠った演技には涙が溢れる作品です。>
監督は「『仕立屋の恋』は、愛の欲望について…『髪結いの亭主』は、欲望の成就を描く…」と語ったが…
新宿TOKYU MILANOビルに建替られる、
かつての旧新宿ミラノ座ビル内にあった
“シネマスクエアとうきゅう”での
約30年前のロードショー以来の鑑賞。
また、奇しくも同じ原作者による、
ルコント監督作品「メグレと若い女の死」の
公開新聞記事も目の当たりにして
興味深く再鑑賞し始めた。
ロードショーで購入したパンフレットには、
ルコント監督自身の解説として、
「『仕立屋の恋』は、愛の欲望について…
『髪結いの亭主』は、欲望の成就を描く…」
とあった。
恋愛に縁遠い仕立屋が、覗き相手の女性が
寄り添ってきても身を引いていたのに、
彼が積極的になった途端、
犯罪者の恋人との間で気持ちが揺れる彼女に
裏切られて死に至る、という、
何とも哀れな結果の愛の欲望物語だった。
冒頭では、仕立屋は異常人格者かも
との匂わしもあったが、
内向的ではあるが、実は実直で
真面目な人生を送っていたのかも知れない、
覗き見ることになった
向かいのアパートの女性を目にするまでは。
だから、異性関係の薄かった男性が、
たまたまの女性に盲目的に恋心を抱いた悲劇
と言わざるを得ないが、ラストシーンでの
彼の彼女への「少しも恨んでいない…」
という科白と、
逃げて転落死する展開なんて、
とても私の理解を超えているし、
どこにも、そして誰にも
救いのない皮肉なストいーリー展開に、
共感出来る要素は何も無く、
ただただ特異なルコントタッチを
感じたままだけで
鑑賞を終えてしまった印象だった。
1990年頃にはこれが純愛で健気というか仕立て屋の献身的な愛見えた...
1990年頃にはこれが純愛で健気というか仕立て屋の献身的な愛見えたのか?
私には拗らせオヤジのキモキモ勘違い映画に見えるで
特に公共の場でのお触りシーンなんて鳥肌モノやし
どの場面でも下心がなんとなく垣間見れてキモポイント多め
利用されてて可哀想というよりかは、
勝手に盛り上がって先走り過ぎてて怖〜って思ってまうな
世界共通
フランス映画はたいてい意味わかんないものが多いですが、
これはとてもわかりやすい内容になってます。
仕立て屋の男が、ストーカーする映画です。
恋に不器用な男がする行動がまんまストーカーで、お手本のようです。
果たしてストーカー男の恋の行方へは?
ヨーロッパ映画が苦手な人はこれから見るのがいいかも。
イタい人生だけれど
印象に残る映画だった。
最初は変質者の話かと思って引き気味でみていたけれど、見ているうちにサスペンスのように怖くなってきた。そしてラストでなんとも言えない気持ちに。
主人公はハッキリ言ってイタい。風貌も言動も、ちょっと見ていられないレベル、と私的には思う。(俳優さんの顔立ちだけはいいと思うけれど)そんな彼が、どんな過去を持ち、どのような心情を抱いている人間なのか、後半になると少しずつ露呈してくる。それにつれ、彼を応援、とまではいかないけれど、先がどうなるのか気になってきてしてしまった。
彼は、正直で、ピュアで、ひどくナィーブな神経の持ち主かと思う。娼婦の前でのおしゃべりからすると、大人の女については特別に複雑な思いがあり、自分の中のジレンマに苦しんでいるらしい。
そのナィーブさは彼の世界を狭くしてしまい、人の心情には疎くて、結果的には彼女の心情をミスリードし、自分に都合の良い妄想を先走らせ、不幸を招いてしまった、と思う。
最後まで得られなかった幸福。暗い人生、悲しい最期。観ている方も辛い。
二人とも、幸せになりたいと考えて思い切った行動をしただけ。でも、女のほうが、よりしたたかだった。一方、仕立て屋の方は、女の心理や好みに疎かった。
彼は、あれほど警戒していたはずの「女」にヒドイ目に合わされることになってしまった。現実は厳しかった。
それでも「幸せを少し感じられた」と彼女に告げる。あの場面は、痛々しい。
でも、人生は、たとえ傷ついても、何もしなくて何も残さないより、思い切ってやってみて何かを少しでも得た方がいいのだ、と、仕立て屋の行動がイタいと思いながらも、彼の選択と心情に納得もできる。
メンタルがいまいちな人に丁寧に焦点をあてているという点で、このストーリー、そしてこの映画は、優しさを感じる。
うだつが上がらない規範
古今東西において、ハゲでチビで陰キャな中年男性はうだつが上がらないものらしい。そんな典型的な主人公が、向かいのアパートに住む女性の日常を覗いていることから事件に巻き込まれ、非業の死を遂げるお話。
日本で公開された当時、私は大学生でした。当時交際していた彼女と映画館で見た記憶があります。彼女がパトリス・ルコント監督に心酔していた時期でした。それから30年近くの年月が流れ、一人で鑑賞しました。まるで心に響くものがないのは、当時と相変わらずでした。おそらく、淡々とした感じの映画が好みではなく、官能的と言われるジャンルも得意ではないため、この作品に心動かされることが無いのではないか、と自己分析しています。
中年男性の描き方がわざとらしい。
禿げでチビでうだつのあがらない中年男の演出があまりにもわざとらしく感じました。
美人に恋して、うまく利用されて、って昔からあるパターン。
切なさを通り過ぎて、いらいらして...........泣けてきた。
あの頃、ルコントを追いかけた
かれこれ四半世紀近い昔、学生時代にVHSをレンタルして以来の鑑賞。
思えば、映画というものにはまるきっかけになったのは、パトリス・ルコントのこの時代の作品群であった。この頃のルコントの映画が、スピルバーグやルーカスの映画にはないものを教えてくれた。最近は観る機会もめっきりと減ったが、このサイトの「よく観る監督」でもいまだに上位にランクされている。
ドニ・ルノワールによるカメラの動きが淫靡である。サンドリーヌ・ボネールはそれほどの美人ではないのだけれど、とてもエロティックに映し出されている。
そして、主人公のイール氏ことミシェル・ブランが、引きこもりの中年男であるだけなく、非常にエロい。特に、ボネールに覗き見を知られてしまってからの、開き直ったかのようなエロ全開には脱帽である。性愛の対象にここまで率直に自分の欲望をさらけ出せる彼が羨ましい。
しかし、そこはフランス映画。甘い香りに包まれたショコラは、実は苦かったりするものだ。イール氏にとって、このチョコはほろ苦いどころか、極めて強い苦みを湛えいた。
この頃のミシェル・ブランは俳優として乗りに乗っていたと言ってよい。ルコント作品の常連であるばかりでなく、「他人のそら似」を自ら監督したり、「可愛いだけじゃダメかしら」でイザベル・アジャーニとも共演している。
すごい上手い。くせのあるハゲチャビンで最初はなんだか嫌なんだけれど...
すごい上手い。くせのあるハゲチャビンで最初はなんだか嫌なんだけれど、アリスに対しての恋心が本物とわかると一転して感情移入してしまう。落としどころもきちんとしていて良い。
デバガメ潔癖禿男の偏愛に涙
前科者の陰キャで近隣住民から毛嫌いされてはいるが、生業の仕立て屋の腕前は超一流。
そんな人間嫌いで異様なまでの潔癖症のイールの楽しみは、プロ級の腕前のボーリングと、毎夜向かいの家の女性アリスを覗き見るコト。
明かりを消し、常にブラームスのピアノ四重奏曲第1番ト短調をレコードで聴きながら、恋心を抱く彼女の部屋を覗き見る...青っ白い小太りの中年禿男に似つかわしいルーティン。
したたかなアリスに嵌められるも、愛した女性と一時でも同じ時間を共有できたと「笑うだろうが、僕は君を恨んでいない。死ぬほど切ないだけだ。でもかまわない、君は喜びをくれた」と刹那に散っていくイールの漢気に涙。
マイケル・ナイマンのピアノの旋律も物悲しい。
愛は自己愛
ある女性の部屋を覗き見している男。
男は覗き見していた女のことをいつの間にか愛するようになります。
男の愛は日に日に大きくなり、「私の人生を捧げる。」というところにまで膨らんでしまいました。
男は女への「愛」という思い込みにより自滅し、女は男からの「愛」という思い込みを利用します。
なぜそれほどまでに、男は女を愛したのでしょう。なぜそれほどまでに、男は女に執着したのでしょう。
パッとしない人生を全て捧げるほどの原動力を男は欲していました。原動力は「自己愛」を満たしてくれます。女は自分の人生を変えてくれます。
だからこそ、彼は女への愛が必要だったのではないでしょうか。
ルコントは一貫して、愛は「自己愛」であるということを描いてきました。男女は潜在意識の中で、自己愛を満たす道具として存在しています。
愛という幻想によって、男は一瞬だけ夢が見られました。一瞬だけでも夢が見られるのも、愛がなせる技なのです。
官能を感じるとすればナイマンの音楽だけ。
本当にごめんなさい。
切ない恋、純愛とか言われる「仕立て屋の恋」なんですが。
官能とか、耽美とか言われる「仕立て屋の恋」ですが。
主人公が健気で、愛嬌があるとか、可愛いとか言われたりする「仕立て屋の恋」ですが。
ごめんなさい。
もう、何度観ても鳥肌しか立たない。
今日も観なくちゃいけなくて、観たけど。
やっぱ、鳥肌。うわわわって思ってしまう。
特に、イールがボクシング観戦中に、アリスの腕とか、ブラウスの隙間に指を入れるところとか、もう、本当に、本当にぞくぞくする。
生理的に、無理。
本当にごめんなさい。
あと、イールが娼婦とのエッチの仕方とか語るとこ、もう悲鳴しか出ない。
ごめんなさい。
好きな男の為とはいえ、アリスよく我慢できたなぁ。
酷い女とか言われますけど、いやだってイールだもの。
頑張ったって!
官能を感じるとすれば、ナイマンの音楽だけです。
覗きの代償
偏屈な仕立て屋のイールは周囲と馴染めず孤独な毎日をおくる。
そんな彼の唯一の喜びは、美女アリスの部屋を覗くこと。
出来心で覗いた彼は、彼女の秘密を目撃してしまう。
そこから、彼はアリスへの愛と共に転げ落ちてゆく・・・
彼のたたずまいはハゲで背が低くてどこか微笑ましい。
本能的に愛せなと前提された男でも女は賛辞を甘んじて受ける。
虚栄心を満たしてくれる男に対価として女の中を泳がせるのだ。
アリスは女を総動員し、彼を愛の喜びで満たし翻弄する。
まるで食べない獲物を弄ぶ猫のようだ。
彼自身の屈託のない愛に満足し、悔いはなければ良いが。
ラストは観客の心臓を直にわし掴むような疼きで支配される。
映像・音楽・演出が秀逸で監督のこだわりを感じる。
恋に殉じた男
思いを貫く男とも言える。外見は物静かで普段着のトラディショナル・スーツ姿が彼という人を物語っている。ある事件から周囲の人にも受け入れられず、一見人間嫌いのような風情でいて、しかし内面はそれとは裏腹に、静かに決して消えることのない慕情を人に対して抱き続けている、そんな印象を受けた。
アリスとのこともそうだが、大切に飼育していたハツカネズミを、線路の上に餌をばらまき、ケージの扉を開けて逃がしたあのシーンが強烈で、忘れがたい。彼はそういう人なのだと思わせてくれた。
この作品は殺人の犯人探しのサスペンスが絡んではきているが、それ故にアリスも仕立て屋もその犠牲の悲劇性を拭えない。
が、そんなことはこの際どうでも良い。
ひとりの男の恋の在り方に観客は打ちのめされるのだから。
窓を介しての「見つめる」「見られる」この繰り返されるシーンがどきどきしながらも、美しかった。ブラームスの静かな音色にのせて、冷たい空気感の中に身を置く男、あるいは女の悲しみが美しかった。
ルコント作品、やはり良いです。(3.8点)
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