シザーハンズのレビュー・感想・評価
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バートン色と大衆性との絶妙なバランスが図られたファンタジー
30周年を迎えた本作は、ティム・バートンが幼少期に着想し、スケッチブックにデザインしたキャラ設定が原案となっている。人付き合いが下手で、疎外感や孤独感を抱きながら暮らしていたバートン自身が投影されているのはもちろんだが、それでいうと「バットマン」や「ナイトメア」を始めとするその他のキャラたちもまた、バートン自身だ。彼はそうやってぐるぐると自分について鏡の角度を変えながら描き続けている。
改めて鑑賞すると、パステルカラーの街並みにゴシック調の城、そこに炎をイメージする赤やオレンジの色合いが徐々に増え始めていく緻密な配色の構成に驚かされる。これは「フランケンシュタイン」をはじめとするモンスター・ファンタジーで民衆がたいまつを持って城へ押し寄せてくる描写の現代版か。バートン色をいかんなく発揮しながらも、あえて伝統的な物語運びや話法を用いて、大衆性と絶妙なバランスが図られた一作と言えるのである。
不条理物語
ファンが多い作品なのは知っているので辛口すみません…🙇♀️
①山から連れ出したのは母の同情心&好奇心からやよね。勝手に山から連れ出しておいてトラブルになったら手に負えなくなり、やはり元の場所に戻そう!ってあんた無責任すぎるやろう…
髪切ってもらうのもちょうどええわ〜って感じでほんまやることがせこい😡この作品の一番罪深い人やと思う。
②ありがちなのが、本人の話をよく聞かんと自分の考えで説教するシーン。これは父親やけど、お金を見つけたらどうする?なんて質問ええから、ちゃんとエドワードがなぜそんな行動をしたのか話を聞きださなあかんやろ!!とイライラ。
③ヒロイン!ちゃんと説明せえへんから殺人まで起きてるやない!中途半端な態度のせいで、エドワードも傷つくし騒動大きくしたのはあなたの責任重いよ!自宅侵入の件も恋人には怒っていたけれど、結局親に説明してへんし、悪者になりたくない偽善者。
④ファンタジーにはつきものだが、現実ではあり得ないこと(人の手がハサミになっている等)を周りの人がごく当たり前に受け入れている、ほとんど前触れなく恋に落ちるなどご都合主義というかなぜそうなるのかが理解できない。家主が亡くなった後手続きはどうしたのか?とか最後見逃した警察官は上にどう報告するんやろ?とかそんな無粋なことを考えてしまう…そんな細かいところ気になるやつがファンタジーみたらあかんのやろうな😅
観終わった後も感動ではなく、もっと上手く対処できたやろというイライラモヤモヤしか残らないそんな作品やった。
(追記)
とはいえ、長々と書いた後にふと思う。あれ?私、エドワードにめっちゃ感情移入してへん!?ここまでエドワードに感情移入してるのって…監督の術中にはまってるんちゃうか!?笑
古き良きアメリカの町で繰り広げられる
切ないラブストーリー
郊外にある典型的なアメリカの町
古き良き時代のオールディーズが聞こえてきそうな町。
そんな明るくポップな家並みと対比する
バートン得意の暗い悪魔的な城
明るい町に住む明るい人たち
城に住む悪魔のような風貌のエドワード
光と闇
正と邪
一見そう見えるものは、真実なのか?
暗闇の中にある一筋の光と
それを見つけた人の物語
鋏から人間の手に変えてもらう寸前に
博士が死に
その哀しみを胸に美しい彫刻を作り
町に雪を降らせる最後のシーンが
哀しくも美しい。
エドワードの心には
愛をくれた人たちと、そしてキムが居る
手がハサミ大喜利映画NO1
現代のお伽話とあったがまさにそんな感じだった
なんせ語り部おばあちゃん物語だから
案外簡単に下界に降りてきたシザーハンズにも、すんなり受け入れた近所も抵抗とかないんかい
だってエドワード遠くから見たらほぼリュークだし
ティムバートンはウィリーウォンカもそうだったけど、ジョニーデップを青白い肌にしたいらいい
病的な白さだった
手がハサミになってるやつあるあるを大量にやるんだけど全部に共感できなすぎて面白かった
・ズボンが履けない
・すぐ顔切る
・グリーンピースが食いづらい など
もう途中から手がハサミのやつ大喜利みたいになってた
レタスみたいなん給食くらいの量きったり、トリミングしたり、BBQの串にされたシーンが一番良かった
ゾロリみたいな話
終盤に行くにつれて雲行きが怪しくなってきたところは切なかった。切ないと感じてるのもちょっと悔しかったけどだいぶ感情移入してた
ただツッコミどころが1000個くらいある楽しい映画だった
スピってるスリリングなご近所さんとか結局なんだったんだよ
人の醜悪さが際立ち、再鑑賞をためらう気持ちと、クッキーマシン等に惹かれる気持ちの葛藤。
ヒロインが、良い人っぽくなっているけれど、一番醜悪。
小学生だって、もっとましな道徳観を持っている。
エドワードを思っているように描かれているが、エドワードを利用しようとするジムを非難して、一見、善人なのだが。
自分が逮捕される、犯罪者として見られるのが嫌だから、エドワードの冤罪を晴らさない。エドワードに「逃げて」とうやむやにする。
その時の気分に流されて行動するだけの、超自己中。
街の人たちの勢いに押されて言えなくても、ジムの問答無用のハラスメントに対抗できなくても、両親に告げることはできるはずだ。そのチャンスはあった。
だのに、やらない。やれない気持ちは理解できる。
でも、その罪悪感を愛と勘違いし、かばってくれた優しさに漬け込む。
最悪なのが、キムは自分のその醜悪さに気づいていない。
エドワードに合わせて「拾ったお金でプレゼントを買う」ことの正当性を主張する。
盗んだお金で買ったプレゼントを喜べない私とは価値観が違う。というか、価値観が違うで済ませてよい問題なのだろうか?
ジョイスも醜悪。
自分の思い通りにならぬからと言って、虚偽の噂をばらまく。
でも、これは一般社会でもよくあること。エドワードに事実を皆に暴露されて、自分が責められないように、先手必勝。
街の住民だって、長年知っているジョイスと、知り合って間もないエドワードの言うことのどちらを信じるか。長年知っていて、かつ敵に回したくない方の言い分を認めるふりをするのは、社交的なスキルの一つ。それを知っていて、やっているジョイス。
そして、エドワードの駆逐に一番熱心になるのもジョイス。自分の汚点を知っている人は排除したい気持ちも共感はできるが。
そして、すべて自分の欲求耐性の無い、問題解決スキルの無い、人への思いやりもないジム。
パワハラ男がそうであるように、自分より上と思う人には逆らえない。
ついでに、キムの想いが、エドワードに移ったことを認められないストーカーぶりも披露する。キムへの愛と言うより、自分のもので自分を飾るアクセサリーだったものを取られたから取り返す。
街の人の反応をひどく言うレビューが多いが、ジョイスを除いて、私にはごく普通。
街の人は、”セキュリティを壊して家宅侵入した”エドワードを見ている。裏事情は知らない。
街の人は、怒りに任せて、街のオブジェを切り倒しているエドワードを見ている。
街の人は、ケビンの顔を傷つけているエドワードを見ている。それが、本当は助けようとしたとしても、実際には傷ついている。
最近、不審者情報がメールで送られてくるようになった。
たとえ、それが知り合いでも、情緒不安定で、よく切れる刃物を振り回している姿を見たら、安全を確保してほしいと願うのは、いけないことなのだろうか。当然の反応かと思うが。
それでも、魔女狩りのように積極的に排除しようとする人々と、ことの成り行きを見守ろうとする人々が混在して…。
それに対して、エドワードを街に連れてくるペグ。
この妻にして、この夫ありのビル。
そして、素直な反応で、たぶん、一番エドワードをニュートラルに見て受け入れていたケビン。
自分たちの常識の壁はなかなか破れないし、ちゃんと事実を確認せずに勝手に決め込んだりするが、その中で、みんなWinWinになるように、心を砕き、方法を探し、行動する。
そして、エドワードを心配する警官。
エドワード。
手が鋏というハンディキャップが目立ちやすいが、本当に、エドワードを社会から疎外させているのは、その知識の無さ。イノセントと言えば、ファンタスティックだが、社会ではやっていけない。
社会で生きていくためのルールや、感情のコントロールや、マナーを知らない。問題解決スキルもない。ジョイスが仕掛ける罠だって、街で暮らすティーンエージャーなら、気が付いて防御できるだろうに。あの修理屋のように。
創造主は、自分の趣味のスタイルで、エドワードを教育するが、エドワードに合わない。
マナーを学ぶのなら、実技だろうに!
エドワードがかわいいのは画面から溢れてくるが、自分が死んでから、エドワードがどのように暮らすのかは考えていない。必要な躾は行っていない。
エドワードを見ているうちに、本人の特性に合わない教室にいて、本当に学ぶべきことを学べない子どもたちを思い出してしまう。
人生に大切なのは偏差値・学歴だけではない。ワークシートをこなすばかりで人生経験が足りず、生きる力がない。
見通しを持って行動できないから、その場の気持ちで、損な役目を押し付けられてしまう。
自分を認められて大切にしてもらう感覚がないから、信頼できる人・信頼できる行動をとれる人を見極められずに、利用されやすい。そして、貧困や犯罪に堕ちていく。
そして、エドワードは引きこもる。
世にたくさんいらっしゃる引きこもりしている人達ともかぶる。現実に引きこもっている人達も、エドワードのように、世間からどれだけ傷つけられているのか。
そこに、ペグやビルやケビンのような人がいれば、まだ、一緒に暮らせるのか。でも、最終的にペグも、近所の人たちの動向に、「どうなるか考えなしに、やっぱり連れてくるんじゃなかった。」と言っていた…。
街ははパステルカラー。家のインテリア・エクステリアも、女性たちの衣装も、基本、パステル色調の、ワンカラーか、バイカラーが主流。家具等には最小限の差し色はあれど、服に飾りや模様等の差し色はない。
エドワードが住む城との対比かと思い、最初はその色合いにもファンタジーの世界観と思っていたが、物語が終盤になるに従って、パステルカラーが、内に醜悪なものを隠し、表面だけ美しく見せている象徴に見えてきて、異臭を放つような醜悪なものに見えてきてしまった。
監督は何を描きたかったのだろうか。
ハンディキャップがあるもの/コミュ障の純粋さ?傷ついた心?
盗んだお金でプレゼントすることを、あれだけ尊いと主張されても、それを純粋な気持ちとは思いたくない。尤も、エドワードには落としたものを使う=盗みとは思えないだろうけれど、少なくともキムにはその判断は欲しかった。
社会で、やっていい悪戯・ズルと、やってはいけない悪戯・ズル。
聖人君子では生きられないが、それでも、人が人と一緒に生きていくためには、その線引きはあるはずだ。
人柄が良いから好きになるわけではないところが妙ではあるが。
それでも、エドワードのように、自分を傷つける人を好きになると、こういう結果になる。
そして、キムが、自分がどれだけエドワードを窮地に陥れているのか、それを解消する方法があるのに取らないでいる自分の卑怯さに気が付かずにいるところが悲しい。
★ ★ ★
それでも、心くすぐられるシーンは多い。
誰が掃除するの?と突っ込みながらも、見ていて楽しいクッキー製造マシーン。
鋏の手で皿の料理を食べようとするエドワードは、ギャグの演出?ナプキン使いまであって、”マナー”をおちょくっているのだろうか?
そして、ペグを演じるウィーストさん。声、ふるまい、お姿。あのスーツと帽子も、おとぎ話の世界を作り出してくれる。
ビルを演じるアーキン氏の包容力がありながらもすっとぼけた常識。強いお酒を「レモネード」と言って、ストローで一気に飲ませる父!
創造主を演じるプライス氏。エドワードがかわいくって仕方がない表情。クッキーマシンを見ているときのわくわく感。こちらも楽しくなってくる。
私はこの映画、好きです
ペグの天然さが爆発。あんなに気色の悪いお城に営業に行く?!。
オバケ見たいのが現れても平気でおまけに持ち帰る?!
銀行にお金を借りにいくときに同席し断られると「市長の散髪依頼書がある」と変に抵抗する?!
すべてこのおばさんから始まったのではないか?
結果的に一人死に一人の少女が傷つき近所の住民を不快に陥れてしまう。
こう書くと全然良い映画ではないようだけれど、エドワードの雰囲気がもの悲しさを誘うストーリーにマッチしていて立派なファンタジー映画になっていた。
エンディングに流れる音楽も余韻たっぷり感が味わえる。
冒頭、おばあさんが昔を思いだしながら語るシーンはタイタニックを、警官が発砲し「彼は死んだ」と言ったシーンはレ・ミゼラブルを思い出した。
不思議なのはエドワードはお城で一人どんな生活をしてたのか?
食事は?入浴は?トイレは?
深く追求しないのがファンタジーのええ所やね
監督の人間不信と自己憐憫
この映画を純愛モノと感じる人は人生習熟度が高い。。。。私、感じないもの(T_T)。
【監督の人間不信と自己憐憫】
バートン自身が抱いている、両親や同級生など身近な他人に対する "イヤな感じ" が濃厚に滲み出ていて、ひどく痛々しい。
母親係のペグは、両手ともハサミのエドワードにナイフとフォークを与え、グリーンピースを摘まんで食べろと強要する。人付き合いが上手になるようにとパーティを開き、知らない人ばかりの只中にエドワードを置き去りにする。彼の向き不向きなどお構いなしに、社会規範を押し着せようとする。それが正しい母親の態度だと信じて疑わない。
父親係のビルは、エドワードの特殊性にある程度は寛容だけど、騙して酒を飲ませたり、タバコを吸わせたりする。男同士のつきあいを息子と持ち、距離を縮めたいのかもしれない。でも、酒が苦手なエドワードは目を回して倒れてしまう。
そして気になる同級生、キム(いじめっ子ジムのガールフレンド)。
この女、エドワードと二人きりの時は彼を憐れみ、彼を庇護すると自分の身も危ないと感じた時は、口をつぐんで何もしない。
キムには罪悪感がない。だから謝らない。己の薄情さにとことん無自覚なのも、非常に女子的。
さらには、映画としての「悪役」側にまわらないよう巧みに立ち振る舞うので、私たち観客にすら嫌われない。
(デルトロ監督「ヘルボーイ2」のヒロインは庇ってくれたのに・・・中2監督両者の夢と絶望が比較できて興味深い)
・・・こんなに容赦なく苛む人達に囲まれて、可哀想なボク。
こうして、青年ティム=バートンの化身たるエドワード=シザーハンズはたった一人、ゴシック調の屋敷に引きこもり、氷像やトピアリーなどの作品作りに没頭する人生を送りましたとさ。
私には、彼が撒き散らす雪が、みっともなく哀しいエドワードの恨み言に聞こえて切ない。
そしてその雪を眺めて、「綺麗・・・エドワードの心には今でも私がいるのよ」と幸せそうに眠るキム。このズレ、わかってねェ通じてねェ感、もう最高(痛)。
このズレこそが人間関係の現実で、ズレを含みながら通じ合う心情こそ恋愛であると感じる人は、オトナな立場から本作を嗜まれることでしょう。
・・・私もそういう境地に立ちたいねぇ(呟)。
チョキチョキチョキ
シザーハンズって怖い話だと思っていました!
冬のおすすめ映画と勧められて視聴。
最初やっぱり怖い〜〜と思いながら観ていくと、結構ハートフルなお話!
あのお城に1人で営業しに行くなんて、なんて肝っ玉座ってるんだ!
そしてあんなにハサミな人(?)が出てきても逃げずに、しかも連れて帰るなんて!すごすぎる
服を着せるシーンは、上から着るなんてちょっと無理あるだろう〜と思いながらも今まで観たことない映画のストーリーで止まらず視聴!
スタンドバイミーのような雰囲気を感じました!
特に髪の毛チョキチョキして、髪が舞っているシーンとか!
ちょっと恋愛要素もあったりして、手がハサミなので抱きしめられないところ、ぐっときました🥺
人のおすすめは自分で観ないものがたくさんあっていいですね〜〜!!
若かりし頃のジョニーデップ、エドワードがちょっと陰のキャラクターてこともあってよりアンニュイな感じーー!
さすがイケメンですー!!
悲しいメルヘン
ティム、バートンファンの私なのに、なぜかこの映画は最近(2023年)に見ました。なんと共演が若い時のウィノナ・ライダーだったのですね。
彼を悪魔の使いと言った女性を除けば、中盤までは意外にも彼に対して好意的な人がほとんどだったので、逆に後半はきっと悲劇になるのではないかと思い、見続けるのが切なかった。
案の定、悲劇となったが、最悪の事態とはならず、メルヘンチックにまとめたのはさすがティム・バートンだ!
いずれにしてもツッコミどころ満載なので、好き嫌いが分かれる映画だと思う。もちろん私は好きです。
変わった人を差別するな
ハサミの手を持った人造人間が主人公(ジョニー・デップ)、廃屋のような屋敷で人のいいおばさんに見つけられ、家に連れて行かれる。
天才的なハサミ技で、たちまち街の人気ものになる。
おばさんの娘(ウィノナ・ライダー)の彼氏が不良で、厄介事を引き起こし・・・。
公開時は「ホーム・アローン」と二本立てで、子供と一緒に満員の映画館で観た。
子どもたちは暴れることもなく、大いに楽しんでいた記憶がある。
エドの純粋さが心に突き刺さる、美しく儚い王道の悲恋…。
2022.55本目
観てから30分くらい大号泣。
世の中はキラキラしててカラフルで綺麗にみえたけど、実際は汚かったねぇエド😭
エドの心が綺麗過ぎて、純粋無垢だからこそ、人の悪意に耐性がなくて、、、
報われない世の中を呪いたくなった😭
エドのそのままを受け入れてほしいけど、やっぱりうまくいかない。
「周りとは違う人」に対して、最初は「ユニーク」としてうけいれられても、少し違和感を感じたり害性を感じたら排除しようとする、そんな昔ながらの社会を生々しく描写している気がした。
社会のあり方や町の人々の反応は全部否定できないけど、現実を見せつけられたような気がしてただただ悲しい。
彼の小さな世界の中に、大事な場所ができて、友達だと思っていた人たちに、大切な人たちに誤解されて、気持ちを想像するともう耐えられない😭
エドを持ち上げて持て囃していた人たちが、手のひらを返していくのは、やっぱりか、という気持ちもありつつも、見たくなかったなぁ😭
前半の、街での日常が微笑ましくて、エドの優しく愛おしい仕草にいやされて、だからこそ後半の展開が効いてきたんだと思う。エドへの感情移入がハンパではない。
映画の全体として、
・現実でありながら昔話であるかのような不思議な雰囲気が良かった。随所でのティムバートンみにちょっと笑ってしまったり。(オープニングやお城の雰囲気、謎のクッキー工場の描写等)
・昔話のような雰囲気があるのに、現実の生々しさや人間の嫌な部分をこれでもかと描写しているのが良かった。
・女優さんが美しかった。
・最初の語りと最後の語りの繋がりが、美しい構成だった。伏線回収も綺麗だった。
・カラフルな街と、モノクロの城と雪…絵としての、意味としての対比が美しかった
・愛しているけれども傷つけてしまうから別れる…王道でありながらも美しく儚い悲恋…。心に突き刺さりました…。
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