シザーハンズのレビュー・感想・評価
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バートン色と大衆性との絶妙なバランスが図られたファンタジー
30周年を迎えた本作は、ティム・バートンが幼少期に着想し、スケッチブックにデザインしたキャラ設定が原案となっている。人付き合いが下手で、疎外感や孤独感を抱きながら暮らしていたバートン自身が投影されているのはもちろんだが、それでいうと「バットマン」や「ナイトメア」を始めとするその他のキャラたちもまた、バートン自身だ。彼はそうやってぐるぐると自分について鏡の角度を変えながら描き続けている。
改めて鑑賞すると、パステルカラーの街並みにゴシック調の城、そこに炎をイメージする赤やオレンジの色合いが徐々に増え始めていく緻密な配色の構成に驚かされる。これは「フランケンシュタイン」をはじめとするモンスター・ファンタジーで民衆がたいまつを持って城へ押し寄せてくる描写の現代版か。バートン色をいかんなく発揮しながらも、あえて伝統的な物語運びや話法を用いて、大衆性と絶妙なバランスが図られた一作と言えるのである。
傑作だ
この映画は奥が深い。
先ずは「モダン・タイムス」と「フランケンシュタイン」が頭をよぎった。それは最初の方の場面で、エドワードが作られて行く過程で「モダン・タイムス」の主人公が翻弄される機械が逆に人間の命令に翻弄される。出来上がる物は同じ形をしたクッキー。足で踏みつけたり、美味いはずがない表現だと感じた。
さて街へ出ると同じ様な形の家が並ぶ。カラフルに見えるが、形は、車も家もほとんど同じ。
さて、言わずもがなの非対称の美を彼は追求していく。
つまり、画一的商業主義への痛烈な批判に見えた。
そして、フランケンシュタインの如く贖罪を胸にいだきながら、神への領域へと入って行くのだ。
血を流すのはホルモンバランスの悪い男の中の男。
だから、お話を聞く子供も小さな少女。突き落とす場面を少女にどうやって話したのだろうと思った。
そして、最後は「美女と野獣」ですね❤
1990年制作1991年公開作品 2度目の鑑賞 今回はU-NEXT...
1990年制作1991年公開作品
2度目の鑑賞
今回はU-NEXTで
初見は母校の視聴覚室でVHS
91年の12月頃もしく92年1月に鑑賞か
英語の授業で
それ以来34年ぶりの鑑賞
生の英語を聞かせる意図があったのだろう
少なくとも自分は英語力高まらず
その他マイケルJフォックス主演『摩天楼はバラ色に』やシガニー・ウィーバー主演『愛は霧のかたなたに』も観た
英語の授業じゃないが視聴覚室で男子女子全員同じクラスで『超神伝説うろつき童子』も観た
高校時代はそんなことばかり覚えている
監督は『ビートルジュース』『バットマン』『フランケンウィニー(1984)』『スリーピー・ホロウ』『ビートルジュース ビートルジュース』のティム・バートン
脚本は『アダムス・ファミリー(1991)』『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』『マーウェン』のキャロライン・トンプソン
配役
両手がハサミの人造人間のエドワード・シザーハンズにジョニー・デップ
ペグの娘のキムにウィノナ・ライダー
化粧のセールスレディのペグにダイアン・ウィースト
キムのボーイフレンドのジムにアンソニー・マイケル・ホール
ジョイスにキャシー・ベイカー
ビルにアラン・アーキン
ケヴィンにロバート・オリヴェリ
エドワードを造った発明家にヴィンセント・プライス
ヘレンにコンチャータ・フェレル
ジョージにビフ・イェーガー
マージにキャロライン・アーロン
巡査のアレンにディック・アンソニー・ウィリアムズ
エスメラルダにオーラン・ジョーンズ
ティンカにスーザン・ブロンマート
テレビ司会者にジョン・デヴィッドソン
隠居老人にスチュアート・ランカスター
ダフィールドにアラン・ファッジ
心理学者にアーロン・ラスティグ
孫娘にジーナ・ギャラガー
ヤマアラシのジレンマを騙った胸糞物語。
初めて観た子供時分…私は何故だか哀しいよりも、悔しくて悔しくて堪らなく泣いた記憶がある。
寂れた山城で一人静かに暮らしていた純真無垢な«彼»を、【可哀想】と云う薄っぺらい博愛精神で、後先も考えず捨て犬を拾う感覚で街へ連れてきてさ…
最初は物珍しさから…周りも«彼»を退屈な日々の鬱屈から解き放してくれる体のイイ暇潰しのオモチャ感覚で持て囃したクセに、
«彼»に少しでも違和を認めた途端に、コロッと秒で掌返し。
タダでしてもらった庭木の剪定…ヘアカットはソノママに文句だけは一丁前。
つか、最序盤のエドワードをチラ見した後の所作なんて…ド田舎の部外者を視認した時のソレでゾワッとした😰
人間と人造人間≒非人間との悲恋みたいな括りになっているだけどもさ…
あのキムチみてぇな名前をしたバカ娘…アイツ!マジ何なん!🤬
そもそもオマエやオマエのバカ友が引き起こした事件に、彼を巻き込んだのが、エドワードバブル🫧崩壊の発端だろ!
それをよくもまぁ、事実を親や周りに打ち明けて誤解を解く事もせず、ヌケヌケと「私は貴方の味方!」「愛してる!」なんてほざけたな!えぇおい。
両手がハサミ故に、大切なモノを抱けない悲しみを持って生まれたエドワード…
つか、博士!いや、ジジイ!……有ったろ!ハサミよりずっとマシな代替案!絶対有ったろ!なぁ?
“フランケンシュタイン”みたいに生命を創造する天才的頭脳は在ったのに、何故に手をハサミ✂にしたんだよ!
もう、、嫌がらせの域だろ。
どいつもこいつも身勝手で傲慢で嫌な連中ばっかり。
街にさえ降りてこなければ、、一人を独りと知る事も無かったろうに。
無責任で中途半端な善意や優しさは、最早…悪より酷い極悪だ。
切なく美しいラブファンタジー
ティム・バートン監督の歴史の残る代表作で発明家に作られた人造人間エドワードの切なく美しいラブファンタジー。
未完成のまま発明家に先立られたため、エドワードはハサミの手を持っていた。ペグに連れられて家に住むことになり日常生活を送ることになるが、いろいろな試練が待ち受けていた。やがてペグの娘・キムに一目惚れするが思いもよらぬ事件に巻き込まれていく。
ストーリーももちろん面白いがそれ以上に映画音楽が素晴らしく心に響いてくる。「これが映画だ!」と語り継ぎたい名作です。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2025-189
ジョニー・デップ×ティム・バートンによる奇妙で儚い御伽話
《午前十時の映画祭15》にて鑑賞。
【イントロダクション】
両手がハサミという特異な姿の人造人間・エドワードが、街の人々との交流の中で、とある少女に恋をする様子を描くファンタジー。
純真無垢な人造人間・エドワードを『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのジョニー・デップが演じる。監督は『チャーリーとチョコレート工場』(2005)のティム・バートン。脚本に『アダムス・ファミリー』(1991)のキャロライン・トンプソン。
【ストーリー】
ある冬の雪の降る夜。部屋で孫を寝かし付ける老婆が、「どうして雪が降るの?」という孫の問いに答え、ある昔話を披露する。
昔々、街外れの山の頂上に古びた屋敷があり、とある高齢の発明家が住んでいた。彼はあらゆる発明の末、人造人間の製造に着手し、エドワード(ジョニー・デップ)という1人の人造人間を発明する。しかし、エドワードの身体は未完成であり、その両手にはハサミが取り付けられていた。発明家はエドワードに人間の手を与えようとした矢先にこの世を去ってしまい、エドワードはハサミの両手のまま屋敷に取り残されてしまった。
ある日、屋敷にペグ(ダイアン・ウィースト)という化粧品セールスの女性が訪ねてくる。屋敷に1人取り残されて生活するエドワードを不憫に思ったペグは、彼を自宅に連れて行く事にする。両手がハサミのエドワードは、服を着るのも食事をするのもおぼつかないが、植木や動物、女性のヘアカットでは類稀な才能を発揮し、街の人々に受け入れられていく。
エドワードはペグの自宅に飾られていた写真の中にあった娘のキム(ウィノナ・ライダー)に一目惚れする。キムは仲間達とのキャンプに出掛けており、エドワードはキムの部屋のベッドで日々を過ごしていたが、夜遅くにキャンプから帰宅した彼女を驚かせてしまう。キムにはジム(アンソニー・マイケル・ホール)という金持ちのボーイフレンドがおり、エドワードは次第にジムに対する嫉妬を募らせていく。
やがて、キムもまたエドワードの純真さに次第に心惹かれていくのだが。
【感想】
漫画『DEATH NOTE』のリュークのモデルにもなったというエドワードのビジュアルは、1度目にすれば強烈に印象に残る優れたデザインだと思う。演じたジョニー・デップの演技も相まって、純真無垢なエドワードの持つ愛らしさと奇妙さの共存バランスが絶妙である。
ペグが屋敷を訪れる最初の出会いからして、全編ツッコミ所満載のストーリーではあるが、そもそもが御伽話であるので、そこはご愛嬌といったところか。それにしても、エドワードの両手のハサミは、義足の住人が登場した点も含めて、案外手術で義手に出来そうな気もするのだが。
普通のストーリーテリングのセオリーと逆で、異形の存在であるエドワードを多少訝しがりつつも、街の人々は先ずはエドワードのハサミの才能を見出して受け入れていく。そして、そこから人々の“悪意”によって、住人達からは次第に嫌われていく中で、キムだけが彼の本質を理解していく。
ただし、住人達のエドワードの歓迎ムードも、「自分達にとって都合の良い存在だから」という思いが根底に存在しており、その部分に私は住民達に対する悪感情を抱いた。また、欲求不満の人妻であるジョイス(キャシー・ベイカー)が、美容室オープンの内見の際、エドワードをレイプしようとした点について、被害者であるエドワードが女性達の井戸端会議であたかもジョイスを襲おうとしたかのように話しをすり替えられてしまっている点は、現代では確実にアウトになりそうだと感じた。
分かりやすい敵役であるジムは、エドワードの純粋な嫉妬心を煽り、彼とキムの間に障壁として立ちはだかるが、クライマックスで唯一エドワードの明確な殺意によって命を落とす点は、少々やり過ぎにも感じられた。分かりやすく立ちはだかる敵役より、街の住人達の集団心理でエドワードを排斥していく様の方が、余程醜悪に感じられたので。
また、屋敷でジムの遺体を目にした住人達が、キムの機転による嘘をアッサリと信じて、警察に連絡するでもなく屋敷を去って行く展開は、流石に都合が良過ぎると感じた。彼が金持ちの家の息子である点から、親は大枚叩いてでも徹底的に調べそうな気もするのだが、やはり御伽話らしく「意地悪な青年は死んで、めでたしめでたし」なのだろうか。
ダニー・エルフマンによる音楽が素晴らしく、特にラストシーンで雪の中踊る記憶の中のキムと、屋敷で美しい氷の彫像を作り続けるエドワードのシーンを彩る音楽が良い。
主演のジョニー・デップは、この頃から既に突飛な役への適正を示しており、本作の成功が後の『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズのジャック・スパロウや『チャーリーとチョコレート工場』のウィリー・ウォンカといったキャラクターに繋がっていくのかと思うと感慨深い。
当時まだ10代だった若き日のウィノナ・ライダーの美しさと可愛さが炸裂しており、エドワードとの恋模様には儚さが溢れている。老婆となった姿の特殊メイクも見事である。
冒頭の山の上の屋敷の様子や、上空から見下ろした街並みのミニチュアセットの手作り感が今となっては愛おしく感じられ、その手触りに好感が持てる。また、当時の「20世紀フォックス」のロゴにも、雪の降る特別演出が成されている点もポイント。
ラスト、毎年氷の塊を削って美しい氷像を作り上げる中で、削られた破片が雪となって街に降り注いでいる事が、物語の語り部である老婆となったキムによって明かされる。
「あの人には、美しいままの私を覚えていてほしい」という、愛する人の中で美しいまま生き続けたいというキムの乙女チックな思想には疑問も抱くが、エドワードにとっては“唯一愛する人だけが、街に雪の降る理由〈ワケ〉を知っている"という事なので、その切なさに胸を撃たれる。2人にとっては、あの夜、あの瞬間こそが永遠に続く愛の姿なのだ。
【総評】
エドワードという優れたキャラクターと、若き日のウィノナ・ライダーとのロマンスは、名作として語り継がれるだけの魅力があった。個人的にストーリーやキャラクターの行動に対するツッコミ所の多さには眉を顰めてしまうが、この奇妙で儚いファンタジーを一度は劇場のスクリーンで堪能する事が出来て良かったと思う。
なぜ承知したの?
午前10時の映画祭で鑑賞してきました🎬
エドワードにはジョニー・デップ🙂
人造人間の彼は屋敷からでたことがない。
ペグに連れられ、外の世界に触れていくのですが…戸惑いと希望が混じった複雑な表情と、どこか寂しさを宿した瞳をみせる。
デップの演技は感情がこもっており、彼の心情を観客に理解させるに十分でした👍
ペグの娘キムにはウィノナ・ライダー🙂
この手の映画の典型的なヒロインですな🤔
例によって、ある人物に振り回されるものの、確かに可憐さが目立ちます🫡
バートン監督はおとぎ話系を描くのが本当に上手いですね🤔
デップの演技が秀逸で、話しているときのうつむき加減と、両手のハサミを駆使するときの活き活きした感じの対比が見事でした👍
バートン監督のファンのみならず、ファンタジー好きには見て頂きたい1本です🎬
評価は苦手な自分の感想
朝10で映画館で観ました。
タイトル通りで、考察やらが苦手な自分の感想です。(何の参考にもならんかも)
ヒロインに惚れる感覚は解りませんでした。
おまわりさん、いい人だなあ。
台詞少ないのに表情やらで魅せるジョニデ凄いなあ。
そして、
また映画館で観て、色々感じ取れたらいいなあ。
この監督の他の映画も観てみたいなぁ。
ホント、参考にもならん感想でごめんなさい。
ジョニー・デップの演技は楽しいけれど
ギュッと詰まった不思議な世界観と時代感覚
ティム・バートンらしい如何にもヘンテコな作品ではある。ただし「ビートルジュース」や「チャーリーとチョコレート工場」のようなぶっ飛んだ感じはない。それはひとえにエドワード・シザーハンズという主役が純粋で、人への愛を十分持ち合わせていて、でも自分や他人を意図せず傷つけてしまう手を持っている、存在の哀しみが強調されているから。考えて見れば、この二律背反って奴は人間の営みには必ず付きまとうもので、その点、エドワードを創り出したのがマッドサイエンティストではなく発明家であるというところが興味深い。多分、発明家は悪意ではなく、人間の進歩を目指してこのようなものを造ったのだろうが、それが時として人間を不幸にもしてしまうというところ、例えば原子力なんかにも一脈通じる。
それはそうと、この作品の舞台、1950年代のアメリカの郊外がイメージされているんだろうけど、普通の街並みの隣に古いお城がそびえ立っているところ、これは「アダムスファミリー」なんかもそうだけど独特の世界観ですね。こちらの世界とあちらの世界が半径500m圏内に併存する宇宙ということになる。それとこの話はおばあさんになったキムが昔話を孫にしてやる設定なんだけど、じゃあ、今という時は何時なんだ、と時間のひずみも感じられる。面白いですね。この時間も空間も凝縮して押し込められたような感じ。ティム・バートンのヘンテコな感じというのは根本的にはそこに由来するのかもしれないね。
頭の中の世界を手作りで
静かな優しさが胸に残る物語
だいすきなこの作品を劇場のスクリーンで観ることができて、超超超感激しています!
午前十時の映画祭ありがとうございます!!
『シザーハンズ』は、何度観ても心の奥にそっと触れてくる不思議な作品です。
ハサミの手を持つ青年エドワードは、見た目の異質さとは裏腹に、誰よりも純粋で優しい存在として描かれます。その優しさが、必ずしも世界に受け入れられないという現実が、この物語に静かな切なさを与えています。
ティム・バートン監督ならではの、パステルカラーの住宅街とゴシックな屋敷の対比は、エドワードの孤独を雄弁に物語ります。派手な演出や説明的なセリフに頼らず、映像と空気感で感情を伝えてくる点が印象的です。
特に心に残るのは、エドワードとキムの関係性。互いを想いながらも、近づくほどにすれ違ってしまう距離感は、恋愛映画としてだけでなく、人と人との「違い」を描いた寓話としても胸に響きます。
本作は、分かりやすいカタルシスを用意してくれる映画ではありません。しかし観終わったあと、雪の降る静かな余韻とともに、「優しさとは何か」「理解するとはどういうことか」を考えさせてくれます。
時代を越えて愛され続ける理由が、確かにここにある一本です。
現代のおとぎ話
時は中世ヨーロッパ、場所は雪深い王国。
その国の人里離れた森の奥には丘に立派なお城があり、
そこには手がハサミで出来た、人とは相容れない人造人間が暮らしていた。
ふとした拍子にある女性がその城に迷い込み二人は惹かれ合い、そして……
――という美女と野獣ストーリー想像してました。
これ現代劇だったんですね!?
というところにまず驚くやら我ながら勝手なイメージに笑うやら。
ただ前段のイメージもそこまでおかしかったわけではなく
ハサミ男ことエドワードが暮らしていたのは人里離れたお城なのは事実、
そんな「おとぎ話の住人」を「現代」のパステルカラーが眩しい住宅街にお招きする。
そういう意味合いも込められているのだろう。
見る前はもっと悲劇的で切なくてちょっと哲学チックな話を想像していたが、
実際に見てみると人造人間が現代のとある一家の家に居候。
ママさんやパパさん、チビッコの男の子と仲良くなりつつ
田舎町はみんな彼に注目、そんな中で彼が起こす大☆騒☆動に街は大騒ぎ!
植木をチョキチョキやったり、テレビにまで出演してみたり、
みんなにも受け入れられてニッコリ♪
……ってこれ、そんなオバQみたいな話だったの!? と更にビックリ。
社会というものを知らない純粋すぎるエドワードは
自分の気持ちを表情にするのも言葉にするのも苦手だが、
だからこそひとつひとつの所作が非常にキュート。
好意を向けられれば好意で返し、敵意を向けられれば怒る、子供そのものだ。
そんな彼が、正体不明の隣人として、社会で生きるのはあまりに困難だった。
終盤にやはり相容れないのだとお互いに理解しあい別れが来るが、
これがあまりに切ない。
こいつのせいで上手くいかなかったのだと糾弾出来る悪い奴はいるが、
そんな奴は世の中にたくさんいる以上、どうしたって人の中で暮らすのは難しかったのだ。
「大衆の無責任な好奇心」も「異質なものへの恐怖」も社会から切り離せないのだから。
結局、それぞれの暮らしていた環境、
「中世ヨーロッパ風のお城」と「パステルカラーの住宅街」が示す通り、
暮らす世界の違いがお互いの断絶を悲しく表現してしまっている。
最後に語られる雪の降る理由だが、
これも事前にうっすら聞いていて私はてっきりエドワードの悲しみが雪を揺らすのだと思っていた。
だが実際は、きっと彼はあの夜、氷の彫像を作った時の彼女の喜んだ顔が忘れられないのだと思った。
今も喜んで欲しくて雪を降らす、それだけではないだろうか。
切なくて、残酷で、とても美しい愛の物語だ。
切なくて美しい
34年振りに劇場で観賞
全135件中、1~20件目を表示















