エリ・エリ・レマ・サバクタニ : 映画評論・批評
2006年1月31日更新
2006年1月28日よりシネセゾン渋谷ほかにてロードショー
そのとき私でないモノに私は満たされている
人は誰もがいつかは死ぬ。自然死、病死、事故死、自殺、などなど死に方はそれぞれだ。自殺病が蔓延する世界というこの映画の設定は、それらの死の区別をなくす。事故死も自殺であり、自殺は自殺病という病死であるのだから。死に方はひとつである。ただ死ぬだけ。それらの区分けにまつわる面倒だったり美しかったり感動的だったりする物語もない。人は死ぬ。しかし死ぬまでは確かに生きている。その普通さ=生と異常さ=死の突然の断絶の中に、音が響く。
主人公たちはミュージシャンである。音の出るさまざまなモノから音を収集し、増幅・変容させて音楽を作っている。「死=モノ」から「生=音」へ、と言ったらいいか。死者も音を出すのだ。だからそれは、不滅の音だ。死は終わりではない。その音が映画館全体に響く。それが私たちの中に注入される。つまりそのとき私でないモノに私は満たされている、ということになる。計り知れない多くの音と、それがもたらす時間と空間とに。私たちの一瞬の生は、それらの音によって生命の歴史と未来へと、極限まで引き延ばされるのだ。だから私たちがここに生きていることにこそ、未来のすべてがある。そんな可能性をこの映画は示す。つまりこの映画によって、私たちの人生は果てしなく広がることになるのだ。
(樋口泰人)