劇場公開日 1993年1月15日

「自転車泥棒?あー、まあいい映画だよね、暗いけど」ザ・プレイヤー 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5自転車泥棒?あー、まあいい映画だよね、暗いけど

2022年10月14日
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カチンコが切られたかと思えば即座に室内からグワーっと遠ざかるカメラ。画面端から現れた車を横移動で追いかける。あ、これどっかで見たことあるな。そうか!オーソン・ウェルズの『黒い罠』だな!と心の中で小さくガッツポーズした次の瞬間、その場を横切った映画関係者の男が「『黒い罠』の長回しはいいよ」などと得意げに語り始める。

あるいは長回しの最中に意図的に画面の一部分をズームアップし、周囲の情報を遮断する手法。これはヒッチコックの『ロープ』だ。『ロープ』の頃は長回ししようとしてもフィルムの長さに上限があったから、ズームアップしている間に次のフィルムに入れ替えるというやり方で擬似的なワンシーンワンショット映画を作り上げた。しかしまたもやここで先ほどの男が現れ「『ロープ』は脚本は微妙だけど撮り方はいいね」などとのたまう。

シネフィル的欲望をことごとく粉砕するこの意地の悪さ。ロバート・アルトマンの映画が始まったんだな…という緊張感をもたらしてくれる。

本作ではハリウッド商業主義とイズムなき製作態度が彼らしい舌鋒で揶揄されている。

映画製作会社重役のミルは最低限の映画史観こそ備えているものの、そのせいでかえって己の浅薄さを露呈させてしまっている。彼がハリウッドセレブが一堂に会する式典で「次なるJ・ヒューストンやO・ウェルズやF・キャプラを輩出し〜」などという誰でも言えるようなスピーチを行うシーンは傑作だ。それに対して会場全体から拍手が沸き起こるのも軽率きわまりない。

そんな彼だが、ある日誤って一人の脚本家を殺してしまう。彼は来たるべき罰を恐れるものの、審判の日はなかなか訪れない。彼に嫌疑をかけ続けていたのはロス警察が無能だと嘲る隣町の警察たちだけだった。

一方ミルは20世紀フォックスから天下りしてきた新重役のリーヴィが気に食わず、彼に「無辜の女が策謀によって死刑に処される」というネオ・レアリズモ的映画の企画(しかも俳優は全員無名)をぶん投げる。こんな映画がハリウッドで成功するわけねえ!途中で頓挫して痛い目見やがれ!というほとんど小学生じみた悪意を新人に容赦なくぶつけるミルの愚かさに閉口する。

警官たちはミルをどうにか逮捕しようと躍起になるが、最後の切り札であった事件の目撃者はミル以外の人物を犯人だと断定した。これによりミルは晴れて自由の身となった。

月日は流れ、リーヴィは押し付けられたネオ・レアリズモ的脚本をハリウッド的ご都合主義でメチャクチャにしたゴミに作り変え「オスカー間違いなし!」と騒ぎまくる。はじめこそリアリズムが大事だと主張していた当の脚本家さえもがこの金のかかったゴミに手放しの賞賛を惜しんでやまなかった。

ミルはいつしか映画製作会社のトップに上り詰め、自分が殺した脚本家の元恋人と幸せな家庭を築いていた。美しい花と植物に囲まれた大きな白い家に高級車で帰宅したミルは、膨らんできた彼女の腹を優しくさすりながら家の中に入っていくのだった。〜THE END〜

ハリウッドなるものの圧倒的勝利を描き出すことで逆説的にハリウッドの空虚さを浮き彫りにした挑発的な作品だった。しかもこの映画全体を通してみたとき、「ミルが自分が犯した殺人の罪を償う」というハリウッド的カタルシスは何ら達成されておらず、きちんと作品そのものが反ハリウッド映画として成立している。

思えば序盤の『自転車泥棒』リバイバル上映のシーンは全てにおいて示唆的だった。貧乏な親子の辿る悲しい結末を沈痛な面持ちで最後まで見つめる脚本家と、終盤も終盤になってからヒョロッと現れ「いい映画だった」などと言ってしまえるミル。ここには映画というものに対するリスペクトの有無がはっきり現れている。そして脚本家は死に、ミルは会社のトップに上り詰めた。さて、ハリウッドの明日はどっちだ?

因果