ザ・バニシング 消失のレビュー・感想・評価
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愛と悪は無限大
何がどう凄いのか分からないけれど、これは観なくてはと思っていた作品。(リメイク版も未観賞)
百聞は一見にしかず。
大方想像がついたとしても、見てみたい、体験してみたいという欲望。
凡作と知りながら度々貴重な時間を浪費させる好奇心を抑えられない自分と、3年間恋人Saskiaを捜し続け、絶望的な真実に身を投じてしまうRexが重なりました…。
「結局Saskiaはどうなったのか」
その一点だけに引っ張られ、引っ張られ…
…え〜ぇ!!… ∑(゚Д゚)… 。
もう一回観て、細かい所まで作り込まれていることに感心。
とにかく凄いのは、Rexが真相に執着する心理と、ソシオパスRaymondの心理が丹念に描かれている所です。
トンネルでのハプニングがなければ、恋人達が愛を一層深めることもなかったし、Saskiaを独りにしたことにRexが罪悪感を抱くこともなかった。捜索時に妻と呼んでいたのは、コインの誓い?で結婚を密かに決意したからではないでしょうか。
一方のRaymond。女性を誘拐するため、入念に予行練習をし、何度も撃沈する犯罪者予備軍の姿は滑稽にすら映ります。
アブナイことは、想像だけで実行しないのが当然なのか?
そこで行動に移す自分は異常だと「発見」した16歳のRaymond。
その26年後、彼が思い付いた新たな「実験」とは?
川で溺れていた少女を助けたことで娘からヒーロー視されるが、「手放しの称賛」より、もっと嬉しいことに気付く。
溺れていた少女は、川に落ちた人形を拾おうとして、自身も川に落ちたか飛び込んだのでしょう。自分の危険は顧みない所と人形をビデュルと名付けて呼んでいることから、余程大事にしているのだと分かります。
少女は助かるも、彼女にとっては親友ビデュルを永遠に失ってしまったという後悔と喪失感が心に刻まれたことを知り、彼女からむしろ「恨まれる」ことにRaymondは快感を覚えているのです。
「殺人は最もひどいとは言えない」
ならばRaymondが辿り着いた、最もひどい悪事とは…。
大切な人から永遠に引き離すこと。
その大切な人が苦患の末に壮絶な最期を迎えること。
これこそただの殺人より残酷なことだ。
だから身寄りのない貧しい娼婦を更に不幸にしても面白くない。
生き生きと、幸せに暮らしている女性が良い。
恋人や夫に愛されて、生活に満足していそうな女が良い。
愛する人と突然離れ離れになり、それまで想像したこともなかった冷たい土の中、孤独と絶望で発狂するがいい。
何の落ち度もない人を、満たされた人生から、一気に地獄へ突き落とす。
Raymondは化学教師。
最大の悪事を働くという実験成功のためには、綿密な準備が欠かせないのです。
別に棺桶でなくても良いのでしょうが、Raymond自身が閉所恐怖症のため、彼の思い付く一番の恐怖が閉じ込められることなのかなと。
Saskiaの最期はRaymondのみぞ知る訳ですが…、結構彼は正直に話しているのではないかと思いました。Rexの好奇心に賭ける。全ての真実を手に入れない限り、きっとRexは自分を殺さないだろう。ギリギリまで引き付けて封じ込める。派手な捜索活動によって二度と心が乱されないように…。
劇中繰り返される様々なサイン。
◇2
夢で現れる金の卵。
金の卵のように光る車のヘッドライト。
2台の自転車(二輪車)。
2つのコイン。
コインの誓いでSaskiaが立てる2本指。
ボールやフリスビーで遊ぶ2人組の子供達。
子供のRaymondがバルコニーから見下ろす2つのマンホール。
Raymondの2人の娘。(はっきり言って1人でもいい。)
Rexがコーヒーを飲む前に、2本の木の周りを走る。
Raymondの別邸の2本の植木。
Saskiaの夢や会話では、最初金の卵と木はそれぞれ1つ。
◯8
Saskiaの好きなナンバー。
Infinity ∞ の暗示。
RexとLienekeの交際も8ヶ月で終了。
もしくは8も⚪︎2つの意味?
◯主要人物達はほぼ常に1対1。
SaskiaとRex。
SaskiaとRaymond。
RexとLieneke。
RexとRaymond。
RexにRaymondが近付くとLienekeは去る。
なぜ ”pair” にこだわるのか…。
恋愛やスポーツなど、相手が居ないと出来ない事柄だけでなく、善悪、明暗、上下、勝敗といった対義的存在も含めて、片方がいなくなることで成立しない関係の象徴なのかなと思いました。
◇青いトラック
RexとSaskiaが離れ離れになるサイン。
ガス欠の時と誘拐時に現れる。
◇バラ
Saskiaの好きな花。
Raymondの妻が別邸の庭で水をやっている植木は白いバラ??
◇昆虫
ナナフシ?は、RexとSaskiaのドライブシーン直前に登場。
クモとカマキリはRaymondの別邸で。
クモやカマキリはナナフシを食べる。
Saskiaの笑顔は、まるでNorma Jeanのように愛くるしいのですが、Rexの思考能力の欠如が著しくて、もはやSaskiaの呪いのように思えてきます(^_^;)。Raymondはごく普通に見えるソシオパスですが、Rexは異常な執着心が瞳にも行動にも現れ、ちょっと普通に見えない普通の人。両者とも「イカれている」と言えるかも?
…もう独りにはしないで。決して私から離れないで。
コインの誓い、恐るべし。
せっかく犯人と待ち合わせ場所にいるのになぜもっと策を練らないのかとか、コーヒー飲むフリくらい思いつけよとか、教師はそんなに暇なのだろうかとか、ツッコミたくなる点も幾つかあります。
君は知りたいことを知らないままにできるかね?
本作も、観客の好奇心にかなり賭けてます(^^)。
キューブリックの評価は観賞後に知りました。そのキャッチコピーだけに釣られて観ると、かえって期待値が上がってしまうのかなという気もします。
しかし地味にすごい、隠れた良作です。
***
「忘れるのに必要な時間は、一緒にいた時間の半分」
この台詞、SATCでもそっくり出て来ました。“It takes a half the total time you went out with someone to get over them.”
本作を参考にしたのかな。
「入念な計画もたったひとつの偶然で変わる。」
『パラサイト』でも類似の概念が出て来ましたね!
3つの「知りたい」が交差する最悪の追体験映画
妻を誘拐された男と誘拐した犯人、そして観ている側の3つの「知りたい」が交差する最悪の追体験映画と言うべき作品。
旅行中に妻サスキアがサービスエリアで急にいなくなってしまうという悲劇に襲われるレックスは諦め切れず、その後3年間、新しい彼女がいてもサスキアを探し続けて、メディアの力を借りて犯人に呼びかけたりしているうちに犯人と思われる人物から手紙が届く…
一方でもうひとつの視点として、ある男の姿が映し出され、その男レイモンは犯人なのである。この映画は、犯人が誰かということがテーマではないため、早い段階でおそらく犯人だということをバラしてしまう。
レイモンは、山小屋で叫んでみることで声が聞こえたかを近所に聞いてみたり、女性を車に連れ込む話術や眠らせ方の練習をしている。ときには自分で薬品を使って何分眠っているかを計っていたりと…何やらよからぬ実験を繰り返していて、時には失敗しておバカな部分が見え隠れするその男の願望は純粋に「悪」を「知りたい」というものだった。
レイモンの屈折した願望はどう生まれたかと言うと、皮肉なことに溺れていた子供を助けたことで「正義」とされたことがきっかけであった。「正義」は知ったから、その対照的存在の「悪」を追求したくなったというのだ。
娼婦を誘拐するのは簡単だが、それでは理不尽さが足りない、裁かれるべきではない人間が最悪の理不尽体験をさせられることが「悪」の所業だと考えていた男にとって、狙うべきは旅行客であったのだ。
家庭のある普通の男が人とは違う願望によって動かされて、純粋に「悪」になろうとする様子や過程を観ることは怖いのだが、気づくと観ている側もこの続きを「知りたい」と思ってしまっているのだ。
ついにレックスとレイモンは対面することになり、レックスは怒りからレイモンを殴るがひと段落すると、レイモンに「真実が知りたいなら車に乗れ」と言われ、強要されたわけではないのにノコノコと車に乗ってしまう。
普通だったら、妻を誘拐した犯人の車なんかに乗るわけはないし、対面したときに警察に通報することもできた余裕もあったのに、それはしなかった。つまりレックスは犯人を捕まえるということよりも、サスキアに何が起きたのかということを「知りたい」という願望の方が勝ってしまったのだ。
犯人との不思議な長距離ドライブで感じることのできる何とも言えない距離感や緊張感は、なかなか体験できるものではないし、途中でレイモンがパトカーに止められるシーンがあるが、ここでも警察に言うわけでもなく、逆にここで捕まって真実がわからなくなることの方がありえないと考えてしまったのである。
サスキアが誘拐されたサービスエリアで休憩をしながら、木の棒をいじいじしたりして「何だこの時間は」と思わされるのだが、これこそ「焦らし」であり、観ている側もまんまと「知りたい」という欲求を掻き立てられてしまっているのだ。
そして「このコーヒーを飲めば目が覚めた頃には真実がわかるし、サスキアと同じ体験ができる」と言われ、睡眠薬入りのコーヒーを飲むかどうかという、最悪の選択をさせられる。つまり殺されていたら自分も殺されることになるのだ。
このコーヒーを飲むかどうかの選択後の結末は是非、映画で観てもらいたい。文章で説明してしまったら簡単だが、物語の流れで知らされる「真実」は、何ともいえない余韻を残すことは間違いないだろう。
丁寧な伏線も見事
3年前に失踪した恋人を探し続けるレックスのもとにある人物が現れ…。
高い評価を受けるサイコスリラー映画。主人公のレックスの視点と殺人鬼の視点を描いたパートに分かれ、途中までどこか間抜けな殺人鬼に苦笑していたが恐ろしすぎるラストに一気に度肝を抜かれました。
陳腐すぎ。自業自得の救われない映画
これだけ聴衆がいたら犯人見つかるだろ、と思うのだが、気づいたら30年以上前の映画。当時は防犯カメラもデジカメもなかっただろうから、死角というか盲点つかれたのかな。
いやいや、3年も警察なにしてんのというか、主人公の好奇心と犯人の精神病で話を片付けるなよという後味だけでなく歯切れの悪さ。
ことの顛末は、主人公が最後自分で種明かししたようなものだが、偶然ではなく必然の結果。最初から奥さんの言うこと聞いてスタンド行っていれば…
世の中には似たような事件があるかもということを彷彿させるには十分だが、悪趣味だね。
それが彼女に起きた真実とは限らない
飛び降りる事を「想像」する。
誰が飛び降りないと決めた?
飛び降りてみなければ分からない。
普通はしないであろう事を想像する。
何故、それは「普通しない事」なのか?
「それをしない」のは「危険」だから。
「危険」か否かは、してみなければ解らない。
だから「する」。
普通は人を殺さない。
何故か?
人を殺せば我が身にも不利益が及ぶリスクがあるから。だから普通は殺さない。誰が決めた?殺してみなければ分からない。だから殺した。
レイモンに倫理は通用しない。まず、16歳のレイモンは、本当に自らの意思でベランダから跳んだのかさえ疑ってしまう。全てがレックスを「嵌めるための詭弁」で無い保証は?全てがフェイクかも知れないとは思わないのか?劇中、レイモンの表情を見ていると脳裏に浮かぶ疑問が怖い。
永遠に私を一人にしない事。浅く埋めた2枚のコイン。山荘の土中、プレゼントされたライターで酸素を浪費するレックス。これじゃ、まるで呪いじゃないか。
いずれにしてもレイモンのサイコパス振りが忌まわしい。考える力を自らの感情で流し去ってしまったレックスが惨め。真実を知った、その先の事など、何も考えていなかったのですか?真実を知った時、そこで自分自身にどんな感情が生まれるのか、考えなかったのですか?
リメイク版含めて初見。キューブリックは名作と評したそうですが、マジか?
胸糞悪い心理劇は、1988年の作品。レックス達が乗ってたプジョー、古過ぎるよ。ってのは置いといて。なんか、マジ胸糞悪い。何が胸糞かって言うと、レックスの自己陶酔型思考 without 知性が。これは何かの暗喩ですか?
俺ならコーヒー飲まない。警察へも行かない。時間を掛けてレイモンを研究し、復讐します。
純正サイコパス映画とはこうういうもの
オランダから自動車でフランスに来たレックス(ジーン・ベルヴォーツ)とサスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)のカップル。
道中、多少のいざこざはあったもののフランスのサービスエリアまでやって来た。
これまでの運転の労をねぎらおうとサスキアは売店に飲み物を買いに出るが、ぷっつりと行方がわからなくなってしまう・・・
というところから始まる物語で、行方不明の彼女は、フランス人男性レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)に拉致されたことが早々にわかるが、勧善懲悪からは程遠く、そんなものの彼岸に達してしまう映画である。
とにかく、スリラーサスペンス映画という枠組みの定石のようにはじまるにも関わらず、ほっとするとか、ああ良かった・・・というようなカタルシスは皆無。
評するのが難しく、恋人の行方不明になった男に共感する間もなく、その女性を拉致する犯人の描写になり、かつ、犯人の過去や拉致を成功させるためのリハーサルまで丹念に魅せられる。
ま、捕まらないようにと、念には念を入れて、という領域を超え、なんだかバランス感覚が著しく欠如しているようにもみえる。
けれど、終盤、犯人側に立ってみると、なるほどとも思う。
が、思うのは実際的にはよろしくない。
多分に、この映画、娯楽映画から無意識に純文学的映画にシフトしていると思うのだが、シフトしたあとの描写に、観客側がとまどってしまうからかもしれない。
「純文学は特別なひとが遭遇する普通の物語を描くが、わたしが書くようなエンタテインメントは、普通のひとが遭遇する特殊な物語だ」とは敬愛するスティーヴン・キングの言だが、最終的には、特別なひとに落ち着ていしまうとしても、特別でないような感じがして、すこぶる居心地が悪い映画でした。
なお、監督自らが本作をハリウッドでセルフリメイク(『失踪』)しているが、こんな絶望的な結末ではなかったと記憶しています。
主人公以上に何があったのか気になる!
すっぴんのシネマストリップで映画ライターの高橋ヨシキさんが推していたのを聞いて、ずっと見たいと思いながらもポケモンGOを優先させていたけれど、ポケモンも飽きて来たし明日までなので急いで見て来た。
旅の途中で忽然と姿を消した恋人を、執念深く探すレックスの元に謎の手紙が届く。
その手紙の主はいったい何が目的なのか…
この映画の嫌な(褒めてます)ところは明らかにどうかしている犯人につい肩入れしてしまうところ。
練習と失敗を繰り返し、上手くいくかなとドキドキさせられ、上手くいった時にはちょっと嬉しくなってしまう。
それに振り回されるレックスの方が狂人に見える。
スタンリー・キューブリック監督が今まで見た映画で一番怖い映画と褒めたのも分かる緊張感のある映像であっという間に106分が終わってしまう。
伝説の未公開映画を見られるのは今だけ!
明日までだけど、劇場で見て欲しい。
キューブリックが傑作というほどではないと思った
うーん、最も恐ろしい映画というほどではない。
というか、じわじわと苦しめられ命の危険を感じるような分かりやすい〈怖さ〉は全く無かった。
80年代の映画の割にはカメラワークも映像の質感もチープだし、全体的な雰囲気が昼ドラ。
最初から犯人視点で物語が展開されるというのも怖さが半減した要因。殺人鬼の犯行の手順が余りに稚拙過ぎて、途中からただのコメディかと思った(笑)
ただ、「謎」について「知りたい」という人間の欲求、またはそれにより生じる苦しみを改めて考えさせられた映画ではあった。
また、一見社会的に成功した人物がサイコパスであった場合、それをどうやって人に知らしめればいいのか?という疑問もわく。
以前、監禁された少女の事件を思い出す。10代の女性が犯人のいない隙に外に出て公園にいる女性に助けを求めたら、「力になれない」と言われ、絶望してどこに行けばいいかわからなくて、結局また部屋に戻ってしまったという(再び意を決して逃げ出したが)。
助けを求められたほうは、少女を「頭のおかしい子」だと思ったのだろうか。
例えばレックスが車中から沿道の人に「こいつは殺人鬼なんだ!」と訴えても、変な目で見られるだけだろう。
そういった意味での〈怖さ〉は感じた。
とはいえ、レックスは早々に、サスキアも自分も生きて帰されることは無いと悟り、車を降りて警察に「犯人だと名乗る者が接触してきた」と通報すればよかったのに。殺人鬼の横で睡眠薬を飲むなんて、手の内で転がされるにも程がある。
ラストは、閉所恐怖症だと話していた犯人が、あえて自分が恐怖する行為を獲物に与えたというところだろうか。
近年なら『ゴーン・ガール』『アメリカン・サイコ』など、いくらでも傑作はある。わざわざこの映画を見に行く必要はない。
古い映画でも、ヒッチコックや『何がジェーンに起こったか』など名作はいくらでもある。
自分の気づかない視点があるかもしれないので、墓から叩き起こしてキューブリックに「どこが怖かったのか」と問うてみたい気持ちになった。
あ、犯人が「サスキアをレイプしたのか?」と聞かれて馬鹿にするな!と逆ギレしたときはこいつやばいな、とは思ったけどね。
徹底的に無駄が削ぎ落とされて非常にソリッドだ 画面に映るもの全てに意味がある
これは面白い
なるほどキューブリックが三回も観たわけだ
無駄なシーン、意味のないショットは一つもない
徹底的に無駄が削ぎ落とされて非常にソリッドだ
画面に映るもの全てに意味がある
漫然と撮ったカットは皆無だ
プロフェッショナルの中のプロフェッショナルの仕事だ
途中からその製作姿勢が分かるに従ってのけぞるようなシーンが連続してくる
何から何まで神経が行き渡っているのだ
ヒッチコックが生きていて、もしこの映画をみたならどうだろう?
嫉妬することは間違いない
名作だと思います
今見るには手垢が付いてしまった印象
サイコパスの異常性の描写。
恐怖のラスト。
公開当時に見たら、ホント衝撃的だったと思います。
でも、30年の間にさんざん使われてしまったので、今みたところで特に目新しい衝撃はなく、そうかそうか、まんまとなあ…という感想になってしまう。
これが、サイコパスか
88年製作の映画でこれは衝撃だと思う。2019年の今、映画表現は多用になったけどサイコサスペンスにおいてこんなに明るく日常的に異常を描いてるのは当時異質だったのではないだろうか?と思った。
今見ると肩透かしに感じるのは私がもっと残酷でもっと衝撃的な結末を望んでいたんだと気づかされた結果だと思う。
自分にも起こりうる事件だと思うとゾッとするどころではいられない。
犯人の異常さは時に滑稽で笑いさえ起こる場面もあるけれど、本人は至って大真面目でそんな思考の人間が現実にも間違いなくいるのだろうなと思わせるくらい軽い。
これを見て全然怖くなかった。意味わからないと思った場合は間違いなく過激表現の映像作品に毒されて続けた結果だと思う。私も見終わって「あれ?これで終わり?」と思った側の人間なのだ。
気持ち悪いとはこういうこと
正直、ラスト10分の手前まではさほど怖くないし、あれこれまだるっこしく、カメラワーク含めて古くさい映画だなーとしか思わなかったのですが……
このラストは……
ヤバし。
いやはや、(映画的なキャラ造形って意味での)本物のサイコ野郎だったら、確かにここまでやるんだろうな、と。
振り返って思い出すと、隅々まで細々と【気持ち悪い】ことに気づく仕組み。
怖いんじゃなくて、 ひたすら気持ち悪い。
殺しの手口と、動機と、準備と、殺し終わったあとの状態が気持ち悪い。
シンプルクール
実録物風ミステリーファンはみておいたほうがいい。すごくクールに気持ち悪い話が端的に着地する。
被害者と被害者のフィアンセ、犯人、つまるところ異常な男と異常な状況に追い込まれた男の話なのだけど
何とも後味の悪いサスペンスでした。
犯行シーンと犯人の家族との団欒シーンを交互に描くことで、犯人の中で人を殺したい願望と良き家庭人としての人格が矛盾することなく共存していることが強調され、思わずゾッとします。だから、被害者が車の中で犯人と家族の写真を見て信用してしまう展開には、絶望感に打ちのめされます。
ストーリー展開のキレが悪い所やゆるい点もあるんだけど、犯行シーンはおろか死体すら見せずに、悪夢のようなエンディングまで繋げる監督さんの手腕は凄いです。
キューブリックのコメントは事実だろうか? 既に鬼籍に入ってるから確...
キューブリックのコメントは事実だろうか?
既に鬼籍に入ってるから確認のしようもないがキューブリックはこの手のスリラーを好むのかな?
この映画の落ちなんだけど、昔テレビドラマのヒッチコック劇場で視たことあるな、結構衝撃的だったからこの歳になっても覚えているんだよね。
立ち見で観た云々のコメントがあったのが以外だった。私は渋谷で観たが空き空きで劇場の空調が薄ら寒くて仕方なかった(決して映画のせいで寒いのではない)。
最後どうにかならんのかい
彼女が行方不明になってその行方を探す男と、その彼女を誘拐した男の話。
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この犯人、普通に家族がいて娘も2人いる。なのに女の人を誘拐しようとして色々準備してるのが気持ち悪いんだよね。
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サイコパスってこの映画みたいに普通に生活してるんだろうと思うと怖いな。誘拐された子が油断した理由も家族の写真を見たからだし。やっぱ男の人は誰であろうと信頼しないでおこう、うん(笑).
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最終的に2人は会うんだけど、睡眠薬入のコーヒーを飲めば彼女と同じ目に合うから真相がわかると言われて飲むんだよ、主人公。バカか?.
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とりあえず会うなら相手殺せるだけの武器持ってけよ~絶対彼女死んでるし、そいつに殺されてるの99パーだろ~.
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お立見
シネマート新宿、平日昼の回。
チケット買うとき既に残り三席しか無く、へぇ~なんてびっくりしたが、開演時に見たら満席ではなくお立見。
えっ、今時でも立ち見ってあるんだーと二度びっくり。
大昔は確かにあったの知ってたけど
今は休日の混んでる時には行かないので
知らなんだ。
しかし立ち見の人も料金同じなんだろか。
余計な話ししちゃいましたが
映画はとても良かったです。
つまらないという人の気持ちもなんかわかりますが
わたしは面白かったな。
真実を知りたいって気持ちはすごいわかるし
でも、いくら愛し合ってても一緒に生活してても
結局相手の本当の姿ってわからないのかも。
人間って怖い。
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