Dolls(ドールズ)のレビュー・感想・評価
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とてもつまらない
まるで童貞の大学生が妄想する純愛を映画サークルで撮ったかのような薄っぺらい恋愛観だ。たけし映画はたけしが主人公だとナルシスズムがきつくて恥ずかしくなる。『キッズリターン』は出演していなくて最高なので、この映画にも期待したらひどく薄い。特に薄いのは深キョンとアイドルヲタのエピソードで、アイドルそのものにもヲタにも興味が薄く、熱が全くない。ホームレスの菅野美穂と西島秀俊がいかにもスタイリストが腕によりを掛けてチョイスしましたというようなスタイリッシュな衣装で興ざめする。
ダメなたけし映画の時に現れる変なセンスの合成場面がある。退屈で長い。今現在ワーストたけし映画第一位だ。
真っ直ぐに生きることの難しさ。
オープニングのシーンで赤いヒモで繋がれた2人が公園を歩く姿と、エンディングシーンでの雪山を歩く和服姿の2人の姿、最初と最後で見方が全く変わりました。
世間一般には、公園で影からヒソヒソ話しをしながら見て笑う人達みたいな冷たい目で見られるけど、愛の深さ、情の深さや純粋さでいったら、世間の皆の何倍もそこにはあるかもしれない。なにごとにも物事の確信には触れず見て見ぬふりばかりしてる様な、何の変哲もない暮らしをしてる幸せな奴らよりは、少なくとも真っ直ぐな選択をしてひと時でも真人間になった。
真実のすぐそばには墜落が潜んでいる。
その儚さを非常に分かりやすくストレートに表現されていると思います。
北野映画を見るといつも、現実でもなく空想でもなく真実を語ってるなと感じます。
出演者の細かい所までコーディネートされている服装や映像美、それに相まった菅野さんの演技が強烈で、映像として軽くトラウマになりそうなくらいでした。笑
いつまでも胸に残る作品です。
原色から白へ
【80点】
個人的には非常に好みの映画でした。サバサバしていて嫌みのない画面展開には北野監督の人柄が出ている気がします。人物を真正面から撮ったり、え? と思うような合成を使ったり、画面があっさりしすぎているところに、どことなく素人臭さが漂っているのが難点でもあり、また、その思い切りの良さがかえって独特のモダンな魅力にも繋がっている感じがしました。
この作品には中心となる西島秀俊の道行を含めて3つの恋愛物語がありましたが、それらの共通項となるものは障害者だと思います。まず、ヒロインの菅野美穂の役柄が精神障害者でしたし、深田恭子の演じるアイドルに想いを寄せるファンの武重勉は、盲目の身体障害者でした。そして、かつての恋人と再会する三橋達也は、ヤクザでしたが、ヤクザをこの位置にもってきたというのは、恐らく社会的な障害者としての意味合いだと考えられます。障害者がこの作品にとって重要な役割を担っていることは、実際の身体障害者であるホーキング青山を起用していることからも明らかだと思います。
映像に関して特徴的だったのは、西島秀俊の黄色い愛車や、ヤクザたちのカラフルなファッション、なにより二人の道行きの美しい色彩に表れているような原色の強調です。このような色彩にはどのような意味があったのでしょうか? 見たところそれぞれの色自体に意味づけはなさそうでしたから、これは強い色を使ったという行為自体に意味があると考えられます。つまり、これらの色彩は、最後に色のない白い雪景色で結末させるための伏線だったのです。物語が白いウェディングドレスから始まったことを考えると、白による始終の対応が意図されているのかも知れません。
ところで、放浪中の菅野美穂が小綺麗すぎることに違和感を覚える向きがあるかも知れませんが、この物語はあくまで浄瑠璃の道行だったのですから、人形はいつも綺麗で当然なのです。また、盲目のファンもヤクザもあっけなく死んでしまうことに失望する方がいらっしゃるかも知れませんが、それは浄瑠璃のフィクション性に対する厳しい現実性の対照だから仕方ありません。
あるいは、結末で西田・菅野の二人がハッピーエンドを迎えることを前提として全体が構成されているのなら、他の二つの物語はバッドエンドでないと臭すぎて釣り合いが取れないということがあります。そんな話だったら照れるでしょう。つまり、二つの物語は西田・菅野の幸せな結末のための犠牲だったということです。監督に照れ隠しのような感情があったことは、浄瑠璃を使って観客に物語のフィクション性を意識させ続けたことや、大事なラストで二人に滑稽な命拾いを演じさせたあたりから、あり得るのではないかと思います。そういう謙虚さのある監督だから、軽薄な芸術ごっこに陥らずに実のある映画を創ることができるのだとも思います。
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