Dolls(ドールズ)のレビュー・感想・評価
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作家性が溢れ出すぎてる。
○作品全体
『HANA−BI』、『菊次郎の夏』、『BROTHER』と、少しずつ作家性ある映像演出が増えてきたあたりで、本作みたいな作品がいつか出てくるだろう…と思っていたので「ついにきたか」という感じ。
モチーフ重視の映像作りは『HANA−BI』の絵とか『菊次郎の夏』の絵日記とか、今までの北野作品でも見られたけれど、本作も文楽というモチーフを使って様々な人間模様に一本の筋を通すようであった。
それぞれの人物には欠けた部分を作る。心が欠け、過去の約束が欠け、目が欠けている。文楽も人形という魂の欠けた道具を操り、命を吹き込む芸術だ。欠けているからこそ、注がれる魂が特別なように感じる。その特別感と重ねた物語、というのが作品の冒頭と終わりで映す文楽によって、よく伝わる。
欠けた感情への寄り添いというのは今までの北野作品でも深く描かれている要素だ、ただ、その欠けた感情のリアリティある暗さだったり、突如爆発する欠けた感情の恐怖みたいなものが巧いのであって、欠けた感情を抱えて彷徨う人物の描写は少し幻想的すぎて、個人的にはなかなか理解し難いものだった。
特にアイドルとその追っかけの物語は、なんとなく表層をなぞっているような印象を受ける。売れ出したアイドルとそれに魅了されるオタク。ただそれだけの関係で、そこに特別な感情は見つけづらい。目を潰してでも会いにいくオタク、という北野節溢れる展開だけれど、その強烈な行動以上の演出はあまり感じられてなかった、というのが正直なところだ。
他の人物の物語が語られる間、メイン二人はほとんど歩いてるだけ、というのも少し勿体なく感じた。「歩く」という情景は確かに北野作品の持ち味だけれど、使いすぎ、という気がしなくもない。「繋がり乞食」のモチーフも最初はインパクトあったが、慣れてしまうとなんとなく紐がくっついてるだけのように見えるし、場面を変えて絵力あるカットを作りたいという制作側の意図が前に出てしまっているカットも多かった。
序盤にあった羽の折れた蝶や途中で出てくる電動車椅子の兄弟分の息子などなど、強いモチーフで作家性溢れる画面なのだが、そうした演出を使いたいっていう気持ちが少しオーバーヒート気味だった。北野武は本作を「今までで一番暴力的」と語ったらしいけれども、全員が不幸になるラストということでそれを語ったのであれば少し残念だ。どの人物も積極的に幸せになろうとしていないように見えるから、悲しいラストもなんとなく悟れてしまって、悲しくはあれど暴力的ではないと感じた。
個人的には、北野作品における「暴力的」は予期しない悲劇や日常の中にある狂気だと思っているので、そういうところに北野節を期待したい。そんなことを思う作品だった。
○カメラワークとか
・繋がり乞食の紐の垂れ下がりをうまく使った演出があった。地面に散らばった紅葉を垂れ下がった紐で引きずり、雪の上に点々と落ちていく。遠目から見ると足跡のようにも、血痕のようにも見える演出が巧い。一方で明るく咲く黄色いたんぽぽは引きずることができず、紐で撫でるだけで終わってしまう。ネガティブなイメージの作り方が上手だと思った。
○その他
・途中で唐突にヤクザの話し始めるところはちょっと笑ってしまった。北野武、どんだけヤクザ好きなんだ…。というか、不慣れなラブストーリーだけでは不安だから得意分野を置きにいった感ある。守りに入った結果のヤクザパートっぽい。
・文楽が元になっている話みたいだし仕方ないっちゃあ仕方ないんだけど、ヒロインが一度捨てられても相手を慕っていて、裏切られたことについても自分だけで受け止めて自死を図るっていうのが「都合のいい女」感あってモヤる。ただただ、悪い意味で脚本上都合の良い人形になってしまっている、というような。
とてもつまらない
まるで童貞の大学生が妄想する純愛を映画サークルで撮ったかのような薄っぺらい恋愛観だ。たけし映画はたけしが主人公だとナルシスズムがきつくて恥ずかしくなる。『キッズリターン』は出演していなくて最高なので、この映画にも期待したらひどく薄い。特に薄いのは深キョンとアイドルヲタのエピソードで、アイドルそのものにもヲタにも興味が薄く、熱が全くない。ホームレスの菅野美穂と西島秀俊がいかにもスタイリストが腕によりを掛けてチョイスしましたというようなスタイリッシュな衣装で興ざめする。
ダメなたけし映画の時に現れる変なセンスの合成場面がある。退屈で長い。今現在ワーストたけし映画第一位だ。
真っ直ぐに生きることの難しさ。
オープニングのシーンで赤いヒモで繋がれた2人が公園を歩く姿と、エンディングシーンでの雪山を歩く和服姿の2人の姿、最初と最後で見方が全く変わりました。
世間一般には、公園で影からヒソヒソ話しをしながら見て笑う人達みたいな冷たい目で見られるけど、愛の深さ、情の深さや純粋さでいったら、世間の皆の何倍もそこにはあるかもしれない。なにごとにも物事の確信には触れず見て見ぬふりばかりしてる様な、何の変哲もない暮らしをしてる幸せな奴らよりは、少なくとも真っ直ぐな選択をしてひと時でも真人間になった。
真実のすぐそばには墜落が潜んでいる。
その儚さを非常に分かりやすくストレートに表現されていると思います。
北野映画を見るといつも、現実でもなく空想でもなく真実を語ってるなと感じます。
出演者の細かい所までコーディネートされている服装や映像美、それに相まった菅野さんの演技が強烈で、映像として軽くトラウマになりそうなくらいでした。笑
いつまでも胸に残る作品です。
原色から白へ
【80点】
個人的には非常に好みの映画でした。サバサバしていて嫌みのない画面展開には北野監督の人柄が出ている気がします。人物を真正面から撮ったり、え? と思うような合成を使ったり、画面があっさりしすぎているところに、どことなく素人臭さが漂っているのが難点でもあり、また、その思い切りの良さがかえって独特のモダンな魅力にも繋がっている感じがしました。
この作品には中心となる西島秀俊の道行を含めて3つの恋愛物語がありましたが、それらの共通項となるものは障害者だと思います。まず、ヒロインの菅野美穂の役柄が精神障害者でしたし、深田恭子の演じるアイドルに想いを寄せるファンの武重勉は、盲目の身体障害者でした。そして、かつての恋人と再会する三橋達也は、ヤクザでしたが、ヤクザをこの位置にもってきたというのは、恐らく社会的な障害者としての意味合いだと考えられます。障害者がこの作品にとって重要な役割を担っていることは、実際の身体障害者であるホーキング青山を起用していることからも明らかだと思います。
映像に関して特徴的だったのは、西島秀俊の黄色い愛車や、ヤクザたちのカラフルなファッション、なにより二人の道行きの美しい色彩に表れているような原色の強調です。このような色彩にはどのような意味があったのでしょうか? 見たところそれぞれの色自体に意味づけはなさそうでしたから、これは強い色を使ったという行為自体に意味があると考えられます。つまり、これらの色彩は、最後に色のない白い雪景色で結末させるための伏線だったのです。物語が白いウェディングドレスから始まったことを考えると、白による始終の対応が意図されているのかも知れません。
ところで、放浪中の菅野美穂が小綺麗すぎることに違和感を覚える向きがあるかも知れませんが、この物語はあくまで浄瑠璃の道行だったのですから、人形はいつも綺麗で当然なのです。また、盲目のファンもヤクザもあっけなく死んでしまうことに失望する方がいらっしゃるかも知れませんが、それは浄瑠璃のフィクション性に対する厳しい現実性の対照だから仕方ありません。
あるいは、結末で西田・菅野の二人がハッピーエンドを迎えることを前提として全体が構成されているのなら、他の二つの物語はバッドエンドでないと臭すぎて釣り合いが取れないということがあります。そんな話だったら照れるでしょう。つまり、二つの物語は西田・菅野の幸せな結末のための犠牲だったということです。監督に照れ隠しのような感情があったことは、浄瑠璃を使って観客に物語のフィクション性を意識させ続けたことや、大事なラストで二人に滑稽な命拾いを演じさせたあたりから、あり得るのではないかと思います。そういう謙虚さのある監督だから、軽薄な芸術ごっこに陥らずに実のある映画を創ることができるのだとも思います。
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