Dolls(ドールズ)のレビュー・感想・評価
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とてもつまらない
まるで童貞の大学生が妄想する純愛を映画サークルで撮ったかのような薄っぺらい恋愛観だ。たけし映画はたけしが主人公だとナルシスズムがきつくて恥ずかしくなる。『キッズリターン』は出演していなくて最高なので、この映画にも期待したらひどく薄い。特に薄いのは深キョンとアイドルヲタのエピソードで、アイドルそのものにもヲタにも興味が薄く、熱が全くない。ホームレスの菅野美穂と西島秀俊がいかにもスタイリストが腕によりを掛けてチョイスしましたというようなスタイリッシュな衣装で興ざめする。
ダメなたけし映画の時に現れる変なセンスの合成場面がある。退屈で長い。今現在ワーストたけし映画第一位だ。
天才北野武VS天才女優菅野美穂
監督と脚本は『菊次郎の夏』『TAKESHIS'』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』『龍三と七人の子分たち』の北野武
近松門左衛門の人形浄瑠璃「冥途の飛脚」がベースになっている
北野作品で最もアート色が強いと僕は思う
特に菅野美穂と西島秀俊のパート
例外に漏れずこの作品も日本では興行的に振るわなかった
国土が広いせいもあるだろうがロシアではおよそ2年間のロングラン
同時進行の三つのオムニバス
佐和子は頭がおかしくなり松本を認識できなかった
良子は親分を見てもかつて工場で働いていた恋人だと気づかない
盲になったヌクイは春奈を見ることはできない
佐和子と松本は事故死
親分は殺し屋に殺される
ヌクイは春奈ファンのおっかけに轢殺される
菅野美穂の怪演に尽きる
北野監督は具体的に名前を出して批判しているわけではないので菅野美穂だと断定できないがもし本当なら最初で最後なんて勿体無いな
たけしも小さい男だな
西島秀俊は髪型のせいだけでなく顔つきがだいぶ今とは違う
声は西島秀俊だが
深キョンも北野作品に出ていたんだな
「キミノヒトミニコイシテル」懐かしい
そして気恥ずかしい
なにこの歌詞
そしてなにあれあの振り付け
配役
婚約破棄のショックで自殺を図り精神障害者になった佐和子に菅野美穂
佐和子を捨て社長令嬢と結婚することになったがそれも辞めて佐和子と放浪の旅に出る松本に西島秀俊
若い頃に良子と付き合っていたヤクザの親分に三橋達也
親分の若い頃に津田寛治
毎週土曜日お弁当を持ってベンチで親分を待っている良子に松原智恵子
良子の若い頃に大家由祐子
交通事故で左目を失い引退したアイドルの山口春奈に深田恭子
春奈に会うため盲目になったアイドルオタクの温井に武重勉
親分の兄弟分の息子にホーキング青山
息子と佐和子を無理矢理別れさせ社長令嬢との結婚をゴリ押しする松本の父に清水章吾
息子と佐和子を無理矢理別れさせ社長令嬢との結婚をゴリ押しする松本の母に金沢碧
松本の同僚に大森南朋
松本の友人に大塚よしたか
佐和子の父に野村信次
佐和子の母に中村万里
佐和子の友人に西尾まり
佐和子の友人に矢川純一郎
春奈の母に吉沢京子
春奈の叔母に岸本加世子
春奈のマネージャーに大杉漣
春奈のおっかけの青木にアル北郷
文楽の梅川に吉田蓑太郎
文楽の忠兵衛に吉田玉女
文楽の大夫に豊竹嶋大夫
文楽の三味線に鶴澤清介
親分を射殺する殺し屋にモロ師岡
ヤクザに桐生康詩
バイオレンス抜きの北野映画
劇場公開時鑑賞。
当時は菅野美穂と比べて西島秀俊が見劣りするなあと思った黒歴史。何様だったんでしょう。菅野さんの鬼気迫る演技に圧倒されたのは確か。
熟年純愛パートは…いや好きだけど、ちょっと背中がむず痒くなるような。
深キョンパートは『春琴抄』が連想されたが、そう見てしまうとエロスが足りなすぎる。
やっぱりでもなんかこういうの撮るの気恥ずかしくならないのだろうか、とは思った。
名作
日本人形とか着物のイメージで、
難しそう…とっつきにくい…と思う方も、いるでしょうが、
決して、そんな事はなく、観やすいです。
誰と誰が付き合って、三角関係になって、喧嘩して、色々あって結ばれる…みたいな、
安っぽい薄っぺらい、ドラマみたいな、ラブストーリーでもなく、
もっと本質的に“愛”について描いた映画だと思います。
色んな職業や色んな境遇の人の、人それぞれの“愛”
西島秀俊さん菅野美穂さん2人だけの話ではなく、オムニバスの様になっています。
素晴らしい作品だと思う。
たけしさん天才!さすが!!と思いました。
多くの人に観てほしい名作だけど、ここでの評価って低くないです?
人を選ぶのかな?
観たあとに、色々と検索して調べてみたら、
タイトルも深いな…
浜崎あゆみさんが、この映画に感銘を受け、同タイトルの歌を作ってます。
西島秀俊さんは、この映画がキッカケで本格的に売れ、たけしさんに非常に感謝しているそうです。
ロシアでは2年間のロングラン、この映画で、たけしさんは、ロシアにおいて、確かなステータスを手に入れたそう。
邦画ギライの僕が選ぶ、多くの人に観てほしい、素晴らしい邦画。
名作です。
抑制の内に胎動するコメディ
たまには愚直な映画を撮ろう、という北野武の志をぼんやり感じた。登場人物たちは誇張的な話法で平凡な言葉を語るし、物語の山場と受け手の期待は気持ちいいくらいピタリと符合する。『ソナチネ』のような暴力的な緩急はほとんどみられない。場面と場面は言葉こそ少ないが明示的なモンタージュによって接続されていて、とにかく見やすい。いい意味でも悪い意味でも。監督お得意のアイロニーも今回ばかりは焦点が大きすぎるというか、わかりやすく大雑把だった印象。
あと、やっぱり北野武という監督はコメディアンとしての宿命のようなものを背負っているのだなとも思った。たとえば殴殺された盲人の男の血液が警察によって拭き取られているとき、うっすらと男の顔が画面に浮かび上がるシーン。あれなんか編集しながらゲラゲラ笑っていたに違いない。ラストカットの雑すぎる合成映像も同様だ。
これだけ平坦なトーンにもかかわらず、物語の随所で不謹慎にもコメディがちらつく。これはもう北野監督の抗い難き本性というか、コメディアン魂ゆえなんじゃないかと思う。思えば社会に背を向けて貧しい遁走生活を送る二人が山本耀司の洗練されたモードファッションに身を包んでいるというギャップからしてコメディそのものだ。
とはいえコメディであれば本作以外の北野映画のほうがよっぽど洗練されていて完成度も高い。この作品でなければならない理由、みたいなものは残念ながら感じ取ることができなかった。
純愛と狂気って紙一重
この映画純愛ととるか気持ち悪く感じるかほんとみる人次第だなって思った。3組ともちょっと変わってるんだけど、.
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結婚を取りやめにしたせいで彼女が自殺未遂でおかしくなってその彼女と自分を赤い紐で結んで生きるホームレスに、
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何十年もヤクザの恋人を待ち続けてるおばあちゃんに、事故で顔に後遺症が残ったアイドルに会うために自分で目を潰したファン。
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いや、全員重すぎるよ。絶対もっと他に良い人いるよ?ずっと待ってるおばあちゃんに関しては認知症でわかんなくなってるだけじゃないのかと疑うわ(笑).
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話はわりと理解に苦しむんで、この映画結構色に凝ってるからその色使いを楽しむのが一番かな。そもそも映画の3分の1は菅野美穂と西島秀俊が歩いてるだけの映像が続くしね。
真っ直ぐに生きることの難しさ。
オープニングのシーンで赤いヒモで繋がれた2人が公園を歩く姿と、エンディングシーンでの雪山を歩く和服姿の2人の姿、最初と最後で見方が全く変わりました。
世間一般には、公園で影からヒソヒソ話しをしながら見て笑う人達みたいな冷たい目で見られるけど、愛の深さ、情の深さや純粋さでいったら、世間の皆の何倍もそこにはあるかもしれない。なにごとにも物事の確信には触れず見て見ぬふりばかりしてる様な、何の変哲もない暮らしをしてる幸せな奴らよりは、少なくとも真っ直ぐな選択をしてひと時でも真人間になった。
真実のすぐそばには墜落が潜んでいる。
その儚さを非常に分かりやすくストレートに表現されていると思います。
北野映画を見るといつも、現実でもなく空想でもなく真実を語ってるなと感じます。
出演者の細かい所までコーディネートされている服装や映像美、それに相まった菅野さんの演技が強烈で、映像として軽くトラウマになりそうなくらいでした。笑
いつまでも胸に残る作品です。
原色から白へ
【80点】
個人的には非常に好みの映画でした。サバサバしていて嫌みのない画面展開には北野監督の人柄が出ている気がします。人物を真正面から撮ったり、え? と思うような合成を使ったり、画面があっさりしすぎているところに、どことなく素人臭さが漂っているのが難点でもあり、また、その思い切りの良さがかえって独特のモダンな魅力にも繋がっている感じがしました。
この作品には中心となる西島秀俊の道行を含めて3つの恋愛物語がありましたが、それらの共通項となるものは障害者だと思います。まず、ヒロインの菅野美穂の役柄が精神障害者でしたし、深田恭子の演じるアイドルに想いを寄せるファンの武重勉は、盲目の身体障害者でした。そして、かつての恋人と再会する三橋達也は、ヤクザでしたが、ヤクザをこの位置にもってきたというのは、恐らく社会的な障害者としての意味合いだと考えられます。障害者がこの作品にとって重要な役割を担っていることは、実際の身体障害者であるホーキング青山を起用していることからも明らかだと思います。
映像に関して特徴的だったのは、西島秀俊の黄色い愛車や、ヤクザたちのカラフルなファッション、なにより二人の道行きの美しい色彩に表れているような原色の強調です。このような色彩にはどのような意味があったのでしょうか? 見たところそれぞれの色自体に意味づけはなさそうでしたから、これは強い色を使ったという行為自体に意味があると考えられます。つまり、これらの色彩は、最後に色のない白い雪景色で結末させるための伏線だったのです。物語が白いウェディングドレスから始まったことを考えると、白による始終の対応が意図されているのかも知れません。
ところで、放浪中の菅野美穂が小綺麗すぎることに違和感を覚える向きがあるかも知れませんが、この物語はあくまで浄瑠璃の道行だったのですから、人形はいつも綺麗で当然なのです。また、盲目のファンもヤクザもあっけなく死んでしまうことに失望する方がいらっしゃるかも知れませんが、それは浄瑠璃のフィクション性に対する厳しい現実性の対照だから仕方ありません。
あるいは、結末で西田・菅野の二人がハッピーエンドを迎えることを前提として全体が構成されているのなら、他の二つの物語はバッドエンドでないと臭すぎて釣り合いが取れないということがあります。そんな話だったら照れるでしょう。つまり、二つの物語は西田・菅野の幸せな結末のための犠牲だったということです。監督に照れ隠しのような感情があったことは、浄瑠璃を使って観客に物語のフィクション性を意識させ続けたことや、大事なラストで二人に滑稽な命拾いを演じさせたあたりから、あり得るのではないかと思います。そういう謙虚さのある監督だから、軽薄な芸術ごっこに陥らずに実のある映画を創ることができるのだとも思います。
北野映画史上、もっとも痛い映画。
“痛い”とは決してハズしてしまったという意味ではない。
とても心が痛くなる映画です。
登場人物三組出てきますが、
やはり菅野美穂&西島秀俊が映画の核を成しています。
他の二組はどうも尺がもたなかったため
付け加えたかのような印象が・・・。
かと言って映画全体の評価を落とすほど余計とは感じなかったです。
過去の北野作品は大抵
“ビートたけし”が虚しさを抱え、
“死に場所を求めてさまよう”という図式がありました・・・。
今回もひたすら人生に虚しさを感じ、さまよっていますが、
今回なぜ最も心が痛いのかというと
二人が主体的に何もしようとする気すら起きずに
延々とさまよっていることです。
死に場所を求める、その目的すらなく
失ったあの頃が断片的に蘇り・・・泣く。
北野監督は1年後、「座頭市」を撮りますが
「座頭市」という企画が無ければ
北野武の陽の部分が間違いなく崩壊していたのではないかと思います。
それぐらいのパワーがある作品です。
ドールズ(人形たち)の物語。
一本の赤い紐でお互いの体を結び、当てもなくさまよう男女。
老齢のヤクザの親分と、彼を何年も待ち続ける女。
事故で片目を失った元アイドルと、それでも彼女を慕い続ける孤独な青年。
3組の男女の物語を「文楽」の「冥途の飛脚」の物語になぞらえ、
それぞれの「ラブストーリー」を描いています。
この映画のタイトル「ドールズ」は、
冒頭に登場する「文楽人形」のことであると同時に、
限りなく「人形」に近い3組の男女のことでもあります。
主人公達は「文楽人形」のように無表情です。
それが逆に、「豊かな表情」を感じさせます。
この映画は「人形達(ドールズ)」の物語です。
ですから、普通のラブストーリーと思って見ると、
あまりにも「浮世離れした」物語に感じるかも知れません。
この辺りが、この映画の評価の分かれ目のような気がします。
僕は、この映画を観て、「やっぱり、北野監督は凄い」と思いました。
この映画で監督が言いたかったのは、
「愛こそ、究極の『暴力』だ。」
ということだったんじゃないかな?
そう、僕は思います。
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