ドッグヴィルのレビュー・感想・評価
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衝撃が強すぎて忘れられない映画
観たのはもう14年程前になるか…。
それでも内容と映像が衝撃的で印象に残るシーンがいくつも頭の中に断片的に残っている。
小さな村で起こる醜い出来事。
出てくる村人がとにかく醜悪で、そんな人達を受け入れ続けるニコールキッドマン。
そして最後は…
また観たいけど観たくない。
でも、これだけ忘れられずにいる作品だから十数年経った今、観たら何か自分の中で消化出来るのかもしれない。
考えさせられる映画が好きな方には一度観てみていただきたい映画です。
言葉を失う圧倒的な感動と重さ
実験的で前衛的でありながら、これ程の言葉を失う圧倒的な感動を与えられるとは!傑作中の傑作だ
エンディングにあのような明るい曲を持って来なければ誰も見終わった後に席に座りこんだまま動けなくなってしまうだろう
本作の重さはそれほどの感動の重さだ
まず、セットに驚かされる
建物の壁もドアもない、黒い床に引かれた白線が建物の輪廓を示し誰の家か明示されてあるのみ、最小限の家具だけが置かれているのみなのだ
風景もまた無い、美しいと台詞で語られる山や谷は昼は白く夜は黒いのみだ
俳優達はなにもない白線の内側の家の中でそれぞれの行動を演技する
なにもないドアををノックして開き出入りするのだ
しかし効果音はあり確かに建物は存在していることをしめしている
何故見えないのか?
一体何の為にこのような舞台を用意しているのだろうか?
パントマイムのような前衛舞台の真似事?
とんでもない、これは神の視点なのだ
神の目からは何も隠し通すことはできない
それを映画として表現しているのだ
それを監督はチャックがグレースを初めてレイプしたシーンで私達に気付けるように、それまでの図面のような上からでなく、横からの町全体のショットで明らかにする
神の視点で有ることを理解できたならば、あとは全てがつながり恐るべき結末までもが起こるようにして起こる
グレースはキリストであり神であった
トムはユダであり、町の人々は私達人間の全ての暗喩だったのだ
キリストはユダに裏切られてもなお人間の罪をみな許し、その罪を背負い昇天する
しかしキリストをローマ人に売ったユダヤ人には神の怒りの鉄槌が振り下ろされるのだ
主の怒りと罰は神が操るローマ人の手によって下されたのだ
衝撃のラストシーン
やはりそうであったかと、これから起こることに戦慄を覚えながら、実際にその凄惨な殺戮シーンが始まったときに我々の胸中に去来するカタルシス!
それに驚かされてしまうのだ
このカタルシスは一体何だろうか?!
口だけで正義や道徳、平和や平等や人権を語る偽善、自らへの欺瞞
それを神が裁き完膚なきまでに叩きこわしてしまわれた
主の怒りが裁きが行われ、人間が正しく導かれ罪を償った
そのカタルシスだ
田舎だから?育った環境の問題?貧しさがそうさせたのか?
充分な教育が与えられなかったから?
人間の弱さ、不完全さからのこと?
だから許す?
そんなことは神が判断なさることだ
神の権限であり、人間がそれを語り許し赦されるなどと考えること、それこそ恐るべき傲慢な考え方なのだ
罪は罪だ、罰されなければならない
つまりグレースの父が語る言葉こそが本作のテーマであったのだ
悪を正す勇気のなさによって、自らの良心を偽善によって騙すことによって、人間が人間を許した
その傲慢さがこのドックヴィルをこの様にしてしまった根本的な原因なのだ
それこそが人間の弱さだ
このような結末にならないように私達は自らを常に律して、自らに厳しく、間違っていたことは直視して自らを罰しなければならない
そして罪を犯した他者は正しく罰するべきだったのだ
その勇気をもたなければならなかったのだ
良心を偽善でだましてはいけなかったのだ
さもなければ、人間という弱い被造物はこのドッグビルの住人にたちまちなってしまうのだ
愛、正義、平和、平等、差別、博愛、偏見、人権・・・
そのような美しいご立派な言葉を口にするとき
自分は今、犬畜生の町の住人になっていないか
それを私達は自らに問わなければならないのだ
それは自分の良心への欺瞞ではないのか?
間違っていることを正す勇気がないだけではないのかと?
神は全てを見通しておられるのだ
そして必ず罪を裁かれるのだ
2度と観たくないけど大好き
最初に観たので最後。あれから1度も観てない。レイプシーンがつらすぎる。
でも、とても大切で、とても好きな作品。
人の偽善、悪意、醜さ、憎悪がどんどん出てきて、子どもまで悪。でもそういう醜悪さって、見て見ないフリすると善意が殺されていく。自分がされたら絶対我慢できないことを、なんで他人にやってしまうんだろうこの人達という疑問が、観ている間ずっとつきまとう。特殊な人達じゃない、狭い社会の人間関係の中で、当たり前に生きている人達の姿が描かれている。
全編スタジオで、しかも特殊なセットで撮られているのが視覚的には非常にインパクトがある。余計な物を全部そぎ落として、頭がっちり掴まれて瞬きさえも許さない、みたいな雰囲気で、ものすごくシビアなシーンが展開されていく。
精神状態の良い日に観たって、観終わったあとはしばらく口を開けないかもしれない。とにかく重い。でも、傑作。
強い憤りを感じる作品
暗いスタジオ、チョークの白線。
絶望 さらなる深い絶望
この監督は、恐ろしい
Trier監督、恐るべし。アメリカ三部作という位置づけながら、ひたすら悪行に耐え続けるGraceには「ダンサー・イン・ザ・ダーク」に近いものを感じ、黄金の心三部作に近い印象を受けた。しかしあれからは主人公の心の美しさを感じたものの、こちらからはものすごい不気味さを感じた。
一見アメリカにある排他的な田舎の社会と見えたドッグヴィルは、その牙を美女Graceへ向けてゆく。しかし誰もそこに違和感を覚えない。Graceすらもが、全てを受け入れてゆく。それを観る私たちは、彼女の代わりに怒りを募らせてゆく。これは「ダンサー」にも言えるかもしれないが、Selmaが息子という人質を取られていたのに対し、Graceはいくらでも怒りを表現することができるはずだった。我々はここに違和感しか覚えないのだ。しかし、これは監督の思うつぼなのかもしれない。人間の善意とは、悪意とはなんなのか。怖い、怖い作品だった。しかし、長い、長い作品だった。
そういうとこHeneke監督の「ファニーゲーム」に似てるかも。
これ嫌い、でも好き。
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