さらば、わが愛 覇王別姫のレビュー・感想・評価
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公開30周年、レスリー・チャン没後20年、再上映
京劇に全く興味なく、中国映画にも興味ないので、最初は観る気なかったのですが、評価が高いので観てみました。 日中戦争前から始まる物語で日本は悪的に描かれていて、噂に聞く抗日映画っぽく、ウサンくさく思いかけましたが、 まあ許容範囲かな、プロパガンダ的な映画じゃない、 中華視点から観る当時の日本は、日本人として勉強になります。 この映画は、中国、香港、台湾、の合作です。 途中から、評判ほど良くないな…ビミョーだな…と思ってたけど、 そんな気持ちは、最後で、ひっくり返されました。 終わり方が秀逸、なるほど…と。 最後まで観て、もう1回観たくなった。 京劇と京劇役者を変わりゆく時代と共にスケール大きく壮大に描く映画です。 京劇を実際に目の前で観ている感覚にもなれるので、映画館で観たい、映画館で観るべき、演劇的な映画だと思います。 映画館で上映されたら、ぜひ映画館で!! PS.172分の長さは体感的に気になりませんでした。
レスリー・チャン!
京劇の美しいお芝居はもちろん、 嫉妬でぷりぷりしているところも、 とにかくレスリー演じる程蝶衣に魅せられる。 単純な恋物語でなく、生い立ち、時代に翻弄される一生を描いた大作。 菊仙とはただの恋敵でないところがまた複雑で、 何度も観たい映画。
別格
絶対的に星5。 こんな映画があるとは…知らなかった。 京劇という芸術も知らなかった。 リバイバル上映に感謝。 約30年前に上映された映画で、それなりに古い映像なのだろうけど、そんな事関係なく美しい。 政治・時代に翻弄され、目を覆いたくなるような暴力や残酷なシーン、裏切りの連鎖だったり、本来は美しいとは程遠い出来事が繰り広げられるが、とにかく美しい。 美の化身なんて言葉を思い起こさせる主役のレスリー・チャンがそのように魅せているのか… そこに私利私欲が全く存在していないからか… 特に主役クラスの3人の内2人は、その時代を自分の置かれた境遇の中で必死に生きただけなんだよな。純粋に。 演技には疎いが、この映画におけるレスリー・チャンの凄さを形容できる言葉が見つからない。 まだまだ自分の知らない、このように素晴らしい映画があるのだろう、あって欲しい。 そして、同じように映画館で上映して欲しい。 そんな事を思う映画だった。
美しくて残酷
こんなに美しくて残酷な物語、滅多に出会えない。 とにかくレスリーチャンの美しさが終始とんでもないことになっている。舞台上でも日常でも、所作や表情のひとつひとつに虞姫が宿ってしまっているし、小樓(大王)への思いはずっと消えない。これが彼の名役者たる所以でもあり、悲劇でもある。 盧溝橋事件や日本降伏、共産党政権樹立に文化大革命と、中国の激動の時代に翻弄される様が本当に悲しい。 いつだって同じ京劇を美しく壮麗に演じているだけなのに、最前列の観客が誰か、劇場の外で何が起こっているかによって、思うように芝居ができない。そのもどかしさや悔しさ。 序盤から色んな意味で目を覆いたくなるシーンが続くけれど、なかでも終盤の文革のシーンは壮絶。これまでどんなときも歯を食いしばって支え合ってきたはずなのに、暴言を吐き合ってしまう。炎越しで見切れつつもチラッと映る蝶衣の悲しげな表情が何とも言えない。その中で小楼は絶対に超えては行けない一線を超えてしまい、取り返しのつかない結果になってしまったときの半狂乱で後悔する場面も辛い。 時代に翻弄され、11年ぶりに会えた2人の最後の舞台でやっと本当の虞姫になれた蝶衣(小豆)を見つめる小樓の笑顔、ぐっと来る。
レスリー・チャンを閉じ込め永久保存する映画
蝶衣の波乱の人生と悲しい最期が自殺を選んだレスリー・チャン自身の人生に重なる部分もあり、なんとも言えない気持ちになる。 それと共に、レスリー・チャンがこの映画を残してくれた事が本当に尊い。 映像は閉じ込められ、永遠だ。 クリストファー・ドイルの撮影する作品は全部好きだ。視点が美しすぎる。この映画であれば阿片と金魚のシーンが特に。 ストーリーは幼少期からの一生をかけての愛憎劇でもあるし中国の歴史の変革に弄ばれる運命を描いた大河ドラマ的でもある。 職業俳優は舞台は舞台、私生活は私生活と切り離すことが出来る。 しかし、役が憑依する俳優は、私生活がどうであれ、舞台の上にいるのが本当の自分で舞台の上が人生だと、舞台の上で生きて人々を魅了する。 この映画を観てレスリー・チャンに魅了されない人がいようか! 美しい身のこなしに、その声に、その眼差しに。 4Kで蘇らせてくれてありがとう!
悲しくて儚い…
30年前の公開当時に鑑賞してたが 内容あんまり覚えてなかったです でも最後あたりの 石頭が「全く愛してない」 と菊仙へ言うシーン その絶望的な悲しい表情が 強く記憶に残ってます 4Kリマスター すごく綺麗で良かった
実らぬ愛の儚さ
映画『さらば我が愛/覇王別記』そのスケール、激動の中国近代史中で、京劇役者として必死に生きる主人公。そして、決してみのることのない愛。すべてが悲しいのだけど、ひたむきに生きる人間だけが到達できる境地をみせてくれる。人間のはかなさ、弱さを見せつけられる。
芸人という哀れさ
職業で、差別してはいけないという。
確かに、今の時代は、そうなのですが。
そうなったのは、ほんの僅か前のこと。
それまでは、あきらかに職業による上下関係は、存在していた。
いまだって、なくなったわけではない。
建前として、なくなっただけのことに過ぎない。
おおよそ、芸で身を立てるとは、どんなことか。
それは、この映画を見れば、すべてがわかる。
つまり、他に売るものがないという、最下層の人の従事するもの。
『覇王別記』は、親に捨てられた子供は、どうやって生きてゆくか。
そこに、芸能というものが存在する。
彼らは、最も弱い立場にいる。
芸も売れば、体も売る。
これが、芸能というものの長い歴史。
ジャニーズを見れば、一目瞭然
いま、世を騒がす、ジャニーズ問題。
少年にたいする、性的加害。
彼らは、被害者だと、盛んに声をあげている。
そうだろうか、彼らは、その場に進んで加わったはずだ。
そんなことがあるなんて知らなかったと、彼らは皆口を揃える。
ホントだろうか、噂にしろ、暴露本にしろ出ていたはずだ。
親たちだって、うすうす知っていたはずだ。
スターになる夢と引き換えに、受け入れていたはずだ。
いやなら、なぜ拒否したり、逃げ出さなかったのか。
スターになっていたら、今回のような暴露をしただろうか。
例えば、養護学校の先生だとか、相手が逃げられない状況にいる者に対する行為は、大いに問題だ。
でも、彼らの場合は違う。
芸能人として生きてゆくというのは、そのような危険が、あるということ。
それは、今も昔も本質的には、変わらない。
ただ、現代では、青少年に対する性的加害が、国際的に厳しく糾弾されるという流れが、あるということに過ぎない。
京劇の役者になる以外、生きる道がなかった。
この映画の素晴らしいところは、いくつもあるが、あえてあげれば、オープニングとラスト。
まるで、計算されたかのように、出だしで、一気に聴衆を引き込んでおいて、ラストまで突き抜けてゆく。
映画とは、こうあるべきとでも言いたげな、見事な流れ。
親に捨てられた少年が、役者としての生きる道しかない。
それも、自らの性とは、反対の女形として。
やがて、彼の人生の長い戦いが、描かれてゆく。
決して実ることのない愛が、じつに悲しい。
そして、激動の中国近代史。
まさに、一人の人間が、歴史に翻弄されながらも、自らの歩みを結実させようとする。
そんな、ひたむきさと現実の残酷さが、見事に、物語になっている。
誰でも、自らの人生において、この作品はどうしても外せないというものがある。
まさに、『覇王別記』は、そんな作品の内の一つである。
さんざしの砂糖漬け
レスリー・チャンの程蝶衣の子役時代の名前は小豆子。遊郭で働くシングルマザーが子供をどうにか引き取ってもらおうとする冒頭のシーン。その子役の子はどう観ても女の子。手の指が一本多くて、母親(ジァン・ウェンリー)に料理包丁で切り落とされるあの子です。あの子のややつり上がった強い眼差しがとてもよかった。石頭が淫売の子といじめられる小豆を庇うシーンになると、すっとした顔の細身の華奢な中性的な男の子になるので、あれっさっきの娘は?ってなってしまいました。コン・リーの演じる菊仙の子供時代だったのかな?としばらく混乱してしまいました。この映画のコン・リーは百恵ちゃんに似た雰囲気でちょっとたまりません。
石頭の機転で脱走してしまうもう一人の子供(小癩)はさんざしの砂糖漬けを頬張れるだけ頬張って首を吊って自殺してしまいます。うんと悲しいです。1920年代の中国の京劇学校は雑技団やサーカスのよう。親が手放した子供やストリートチルドレンを訓練させていたんでしょうね。たくさんのエキストラを使った前半から、芸術的な映像とテンポのいいカットでどんどん引き込まれました。レスリー・チャン死後20年での4Kレストア版を劇場で鑑賞しました。
京劇のセリフを間違え体罰を受けるシーン。尼僧が緑の黒髪を・・・男として生を受け・・・のくだり。女の子なのに男子と偽ってもぐりこんだから、わざと間違えるのかな?と思ったりしました。
ブエノスアイレスが公開された1997年にカミングアウトしたレスリー・チャン。歌手でデビューして、吉川晃司のモニカや百恵ちゃんのさよならの向こう側のカバー曲がヒットしたんですね。折しもジャーニー喜多川問題が国連で取り上げられることになったこともあり、国民党の有力者で京劇界の重鎮(袁)などと幼い時からそっちの関係に引き込まれたことがダブってしまいます。ジャーニーのおかげでまるで日本が○○天国みたいに思われるのは嫌ですね。フォーリーブス(おりも政夫、北公次)のことはは私はかなり衝撃を受けたのですが、当時のマスコミは腫れ物をさわるようにスルーしてしまったような記憶があります。
戦前戦後の内乱から文化大革命を経て50年にわたる程蝶衣と段小楼の生涯を菊仙を交えて描いた作品ですが、単なる三角関係というよりも、アヘンからの離脱に苦しむ蝶衣を母親のように抱擁する菊仙を観ていると、なおさらこの三人の関係は悲し過ぎます。個人的には後半は政権の移り変わりや文化大革命前後の時間経過がとても早いので、前半の部分のほうが好き。
レスリー・チャンに酔いしれる…
レスリー・チャンがあまりにも美しく、あまりにも儚いので…その姿を見ているだけで泣けてきます… 心が震えます。 映画好きの友達が「映画館で見られるチャンスあるんなら絶対見て欲しい‼️‼️」と激推ししていたので、 初めての観賞。 見る前は 3時間長いな…集中して見られるかな…と不安でしたが、なんのなんの、 長さなんて全く感じず、それどころか まだ終わらないで、 まだ見ていたい…とさえ思いました。 レスリー・チャンの息をのむほどの儚い美しさは ずっと見ていられます。 母親に捨てられ、 有無を言わさず入った京劇の世界… そこで生きるしか選択肢はなかった。 そんな過酷な運命の中で、かばい、優しくしてくれたお兄さんに、いつしか特別な感情を持つ… どんなに辛く苦しい人生であろうと、 お兄さんへの想いはぶれることなく 一途に持ち続けていた。 レスリー・チャンの、 幸薄い蝶衣を演じる全てが 儚く、壊れてしまいそうにあやうい… 胸が締め付けられる思いでした… こんなに苦しくなるのに また見たいと思う映画です。 しばらく作品の世界から抜けられませんでした。 あの儚く美しい レスリー・チャンにまた会いたくなります。
見るたび視点と感想が変わる秀作
覇王別姫は、何回観ても色褪せない。
初見は大学2年生のとき。当時は【蝶衣の嫉妬】という限られた視点でしかこの映画を味わえてなかったことに気づく。
アラフォーになった今、あらゆる人物に感情移入しながらの鑑賞で心が忙しい。
人生を賭けて打ち込んできたものへのプライド、守るべきもの、憎き相手が実は自分を投影した瓜二つの存在と気づいたときの引き返せなさ。大切な物を裏切らないと生きていけない世界。
嗚咽しました。
何より、美しいレスリー・チャンをもっともっとたくさんの映画で観たかった。息を呑みました。
天才は早くに天国に呼ばれてしまう…。
今このタイミングで観劇できて本当に幸せでした。また10年後に観たい映画です。
傑作を劇場で観られる幸福
公開時は、田舎でトンボ追いかけてザリガニ釣りしてました。 成人して映画が趣味になり、もちろん作品自体は知ってましたが、お目にかかる機会がなく。 恥ずかしながら、これほどの傑作とは存じ上げませんでした。 久しぶりに余韻が消えません。 京劇を観たくなりますね。 レスリー・チャンの他の映画も観てみます。 水野晴郎氏の言葉が頭に浮かびます。 映画って本当にいいもんですねぇ。
最後は?
どうなった?サブ・メインタイトル通りになったのかどうか、観客に委ねているのか?ま、いずれにせよ、文化大革命が治安維持法並みに酷いということが改めて再認識された。戦争や革命に翻弄され、保身に走り、昼ドラ以上にドロドロになっていった模様。よくもまあ中国が合作に参加しましたなぁ、というくらい容赦ない描き方!
久しぶりの京劇
3時間。そんなに長く感じなかったですが。内容の歴史が自分が勉強不足だからきっちり理解はできなかったです。が、数年前に3回観に行った京劇を思い出して感動でした。また、京劇みにいきたいです。歌と生演奏と踊り、衣装が素晴らしいです。
ジャニー問題を感じさせるなぁ
狭い芸能の世界で起こる愛憎劇は、所々ジャニー問題を思い出した。
レスリー・チャンの演技が艶めかしくて良かった。
何で小楼は最後奥さんを裏切ったのか分からなかった。
覇権に翻弄される京劇の主役達
近代中国の変遷の度に上手く饗応され、 伝統芸能で世渡りする技芸達。 その生き様は、耐え難い辛苦の思いで習得した何百年も伝わる芸妓なのだ。 その周到さは、親友や恋女房の娼婦さえ裏切れる役者として生きる執念が凄まじい。 それにしても、 短期間に幾度となく覇権が180度変遷し、 生き抜いてきた今日の華人達が、 ただ成らない国家と言うことよく分かりました。 ( ^ω^ ) 2人の京劇俳優の波乱に満ちた生きざまを描き、中国語映画として初めてカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した一大叙事詩。 京劇の古典「覇王別姫」を演じる2人の京劇役者の愛憎と人生を、 国民党政権下の1925年から、文化大革命時代を経た70年代末までの50年にわたる中国の動乱の歴史とともに描いた。 デビュー作「黄色い大地」で注目され、本作の成功によって中国第5世代を代表する監督となったチェン・カイコーがメガホンをとった。 1925年の北京。遊女である母に捨てられ、京劇の養成所に入れられた小豆子。 いじめられる彼を弟のようにかばい、つらく厳しい修行の中で常に強い助けとなる石頭。 やがて成長した2人は京劇界の大スターとなっていくが……。 時代に翻弄されながらも愛を貫こうとする女形の程蝶衣(チェン・ディエイー)をレスリー・チャンが演じ、 恋敵の高級娼婦役でコン・リーが出演した。 製作から30周年、レスリー・チャンの没後20年の節目となる2023年に、4K版が公開。
172分は長いと思うはずが、長さを感じなかった
劇場ではないが、一度観ているはずの作品 ただ、あまり印象に残っていない だから、今回、再上映を知ったものの、最初は素通りした けれど、なにかが引っかかって、劇場に足を運んだ 素通りしたままにしなくてよかったと本当に思う エンドロールが終わると、すぐに立つ方なのだが、今回はしばらくスクリーンから目が離せなかった 最初から最後まで、引き込まれるように観ていた気がする 選んだ人生ではなかった 与えられた、というより、むしろ押し付けられた人生だったのではないだろうか それでも、生き残り、掴み取った人生 そこに、中国の激動の時代までもが襲いかかってくる 時代に翻弄され、生き残るために選ぶ道が、人によってはのちに仇になって返ってくる それほど価値観が次々と一変するような難しい時代 その中で、レスリーチャン演じる蝶衣が放つ存在感 子供時代の役者も素晴らしかったが、レスリーチャンの演技の素晴らしさにとにかく引き込まれる 彼が背負い続ける悲哀、ただそこには強さもある その一見すると相反する印象が、このキャラクターをさらに際立たせる ラストシーンの選択は、そんな蝶衣だからこその選択であり、舞台と現実の区別がつかないと言われた蝶衣の演じた虞姫、最初の方で語られた覇王別姫のストーリーを思い出させるものだった 文革はどうしても理解できないし、失われたものや人を考えれば、なぜこんなことが起きてしまったのかと思わずにはいられない歴史のひとつ 一部の人間たちの思惑でここまで民衆が動いてしまう恐ろしさ、集団化した人々の恐ろしさをまざまざと見せられる そして、追い込まれた小樓が吐露する過去、どこまで本音かわからない思い それにより、蝶衣も言葉にまではしなかった思いや過去を暴露する そうして、菊仙もまた追い込まれた 普段は隠すことができる、自覚すらしていないかもしれない人の弱さや醜さを吐き出させる こんなことが必要だったのだろうか 言わずとも、聞かずともよかったはずの言葉たち 文革の残した傷跡は、目に見えるものだけではなく、人の心にも及んでいる 小豆が預けられた直後、母を呼びながら振り返った時にはすでにその姿はなく、雪のちらつく寒風だけがその扉の向こうにある それほどあっさり子を手放した母を蝶衣はどこかで忘れない 満たされないなにかを、彼はずっと抱えたまま、時に阿片に溺れ、それでも自分の力で、脚で、生き続けた その強さと弱さが、観終わったあとも、どうしても胸を突いてくる レスリーチャンの選んだ最期が、なぜかここに重なって、なんともやり切れない気持ちになる 彼の演技の放つ存在感に、その悲哀があるとは思いたくないけれど
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