さらば、わが愛 覇王別姫のレビュー・感想・評価
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比類なき誠実さと残酷さで、人を描いた作品。
◯作品全体
凄まじい映画だ。2時間50分という長尺の本作だが、あっという間だった。見終わったあと、感嘆のため息をついてしまった。
違う国、違う時代に生きる登場人物たちだけれど、それぞれの感情と心の根幹にあるものの生々しさに、誇張でなく目が離せなかった。
登場人物が心の奥底に作る「核」を描き、その「核」を再び抱きしめるような作品が好きだ。
他人からすればどうでもいいように思えることも、その人物にとってはとても大切なもので、いろいろなものを手にして、失ったあとに「核」に触れることで自分自身を見つめ直すような、そういった主観的な風景を大切にする作品が好きだ。
本作における主人公・小楼と蝶衣の「核」は、辛く苦しい幼き日々だ。家族もいなければ金もない彼らにあるのは、厳しい環境で励ましあう仲間との日々と京劇役者となって成り上がる未来への渇望しかない。大人になって地位や名誉、家族を手に入れた後はそれらが隠れてしまうが、最後の最後に残るのは「核」の部分。ラストシーンで二人が語る幼き日の思い出と、二人で舞う覇王別姫、そして倒れた蝶衣に対して幼名である「小豆子」と呼びかける小楼の姿こそ、二人が大切に抱えていた「核」と言えよう。
残った「核」を映した刹那、エンドロールが流れるのも素晴らしい。「これ以上残ったものはなにもない」と、エンドロールが非情に、強烈に語る。
二人の絆と、大切に抱えたものを語るラストが、あまりにも、あまりにも素晴らしかった。
「核」の演出と合わせて凄みを感じたのは、主要な登場人物を記号化させない徹底っぷりだ。それぞれの持つ特徴をデフォルメせず、「覇王」でも「妃」でもない、一人の人間であることを感じさせる。
例えば小楼。面倒見の良い兄貴分として、気風の良さが印象に残る人物だ。短気な部分もあるようだが、その勢いの良さは長所でもあるし、人に囲まれたその姿は「覇王」役としてふさわしい。娼妓出身の妻・菊仙のこともとても大切している好漢だ。こういう人物が窮地に陥っても「覇王」たる堂々とした姿を見せるのがセオリーだろう…しかし、本作では違う。彼は「覇王」ではないのだ。それは小楼自身が何度も蝶衣へ話すように、「覇王」は「芝居の話」なのだ。彼は貧困出の一役者に過ぎない。せっかく苦しい時代を生き抜いてきたのに、「自己批判」によって命を落とすなんて選択肢はできないのだ。小楼は菊仙や蝶衣を批判し、秘めた本性をぶちまける。そこに人物の軸のブレはなく、人として当然の弱さを見せただけなのだ。
とても苦しく、小楼からすればみっともない場面だが、これほどまでに人を人として描いている作品はないと感じた。物語としては潔く口を閉ざして死ぬほうが「綺麗なストーリー」だろう。でもそうはさせなかった。その徹底っぷりが、本当にすごい。
この作品はどこまでも誠実に、そして残酷に人を描いている。その情熱に、ただただ感服するほかない。
〇カメラワークとか
・全体的にモチーフを反復させることが多い。京劇の会場を舞台側から広角に映すカットが一番印象に残った。蝶衣がスターだった時の活気ある会場から、日本軍に接収された後の日の丸が広げられた厳粛な空気、秩序のない国民軍が支配する空間、儀式の一つとされてしまった共産党時代。同じようなレイアウトで映すことで時代の移ろいを強調していた。
・モチーフでいうと、小楼の煉瓦割りとか菊仙の飛び降り、口移しで酒を飲むとかも、二度目にその行為をする時には別の意味になっていたりした。
・登場人物のフィルターとなるようにガラスや布、水を最前で映すカットが多かった。画面の不自然さがそのまま精神の不調を示唆する演出になっていた。
・ファーストカット、逆光の中歩いてくる二人のカットの演出も巧い。威厳を感じる姿として登場するけど、実は古びた体育館で練習をしようとする二人で、用務員にも腰が低い。シーン終わりで照明により影が小さくなっていくところもそうだけど、「虚像」という言葉を印象付ける演出だった。二人は覇王でも妃でもない、という虚像。
〇その他
・明確な悪役を作らなかったところがすごいな、と思った。主人公二人にとって危害を加える登場人物は何人も出てくるんだけど、その人物たちは明確な悪であったり、「倒すべき相手」ではない。蝶衣を汚す張翁は二人が成り上がるのに必要な悪だし、袁世凱も二人の仲を引き裂こうとする素振りはあれど、逆に救い出す立場にあったりする。蝶衣が拾った小四も蝶衣たちを貶める行為はしたが、最後には恩を感じて涙を流していた。小四をはじめ、共産党の党員たちは時代が作り出した悪であり、個人による悪ではなかった。そうすることで物語の軸を「悪との戦い」ではなく「主人公二人の生きざま」で一貫させていた。ブレない物語だから、心に響くのだと思う。
・日本軍の映し方も印象に残った。それこそ悪として誇張されてもおかしくないけど、京劇の理解を示そうとするような存在だった。でも決して善人ではなくて、中国人を虐殺する姿もしっかりと映す。日本人だからどうこうでなく、その時代の日本軍という異常さを映したかったのではないか、と感じた。
・小楼の妻・菊仙の存在もステレオタイプな要素がほとんどなくて、キャラクターの造型が見事だった。単純に主人公二人の仲を妨害するわけではなく、自身が幸せになることを考え、最良であると判断したうえで行動していることがわかる。菊仙の「核」は「普通の幸せ」であることは作中でも語られていて、その幸せが担保されているのであれば、周りの人をいたわる感情も常に持ち続けている。
小楼と対立するシーンを作れば中盤の山場になったのかもしれないし、小楼の挫折を描けるのかもしれないが、そういった安直な悪女としていないところに、巧さを感じた。
・「女方」とか同性愛という題材は、個人的に正直一歩引いてしまう題材なんだけど、それでもこれだけ刺さったと言うことは、間違いなく傑作なんだな、と思ったりもした。
流転の只中で、変わらぬ愛を
1920年代から1970年代の中国を舞台に、京劇の古典「覇王別姫」を演じる程蝶衣(チョン・ティエイー)と段小樓(トァン・シャオロウ)の愛憎を描いた作品。
彼らの愛憎は、必然的に当時の政治状況とも絡み合い、何度も流転する様は諸行無常の響きあり。
程は遊郭で働く母に身売りされ、幼年期/幼少期は京劇の芸を習得するために過酷な修行をする。段も似た境遇だと思うが、二人の修行は師匠らの体罰を含む虐待でしかない。しかし彼らは必死に芸に励むことで「覇王別姫」の大役をつかむのである。彼らが演じる「覇王別姫」は凄い。いや京劇自体が凄い。絢爛な衣装とメイクで浮世離れしているが、セリフとしぐさと音楽と舞台装置で確かな世界観を築いている。まさに「唱・念・做・打」の表現。カットのテンポのよさもあって、スクリーンに釘付けにされる。
1920年代から1970年代の中国を舞台にすることは、パンフレットに記載される藤井省三のコラムに則れば、「軍閥政府期」「統治期」「盧溝橋事件後の日中戦争期」「戦後の国民党統治期」「中華人民共和国・建国」「文化大革命」の時代を描くことでもある。時代によって統治権力は変わり、戦争や紛争が起き、彼らの人生や京劇のあり方も変わる。
段は日中戦争期、日本軍の軍人の命令で彼らの目の前で演舞をする。それは彼が生き延びるための苦渋の選択であるが、戦争が終わり国民党統治期になると、逮捕の対象となり裁判で糾弾されることになる。このように時代の変遷によって、統治権力が変わると称賛から糾弾の対象になるのはあまりにも不条理だ。それは京劇にも言える。京劇は中国の古典芸能であるはずなのに、「文化大革命」では労働者のための芸術ではないと迫害の対象となる。さらに彼らが保身のために、彼ら同士が非難を言い合うことに転じるのだから尚更、理不尽だ。
彼らが悲劇的な結末に向かうまでを辿ってみる。
程と段は舞台上でのパートナーである。しかし段は遊郭の女・菊仙(チューシェン)を妻にすることで、綺麗な三角関係になっていく。程と段に関係は儚い。彼らは舞台の関係でしかないと言えばそうではあるが、幼年期や幼少期は生活を共にしたほど私的な関係
であった。だから程は舞台の延長として生活でも親密な関係を求めるが、段は大人になって舞台と生活を切り離す。さらに菊仙の関係の介入は、舞台上でしか男女の関係を演じられない程とは対称に、法的にも身体的にも男女の関係になれる「女」の優位を際立たせる。
三人の関係は、師匠や袁世凱、軍人、大衆との関係とも絡み合っていく。それにより、各人の思惑や誰が権力を把持しているかによって愛憎が流転することも見事に描くのである。
印象的なのは程と段の弟子の存在だ。彼は程や段と1世代ぐらい年が違うが、同様に幼年期は厳しい修行に励む。しかし大人になって程や段の端役で演じていると反発していく。程や段は自分を主役にするつもりはないと言ったり、厳しい修行は時代遅れと言ったり。両者の言い分は理解できるのだが、実際に彼が程の役を奪うことは驚きだった。彼に能力がないとは言わないが、それ以上に時代の政治状況が運命を分けることを痛感した。さらに彼は「文化大革命」の時、共産党に加担し程や段を糾弾するのである。権力への迎合。世代間で意志を引き継ぐのは困難なのである。
彼らは「覇王別姫」と同様に悲劇的な結末を迎える。それを回避する手立てはなかったのか。時代をひとりの個人が変えるのは難しい。しかし時代をつくるのもひとりの個人たちであるのだから、京劇としての「覇王別姫」にある古典的な本質を見据えて懸命に生きていくしかないのではないだろうか。愛憎は流転してしまう。政治もまた流転してしまう。しかしその流転の只中で、変わらない「愛」を私は迎えたい。
レスリー・チャンの全ての仕草に魅了される172分
今回の4K版には、公開30周年、レスリー・チャン没後20年という副題が付いている。それは実に理に適っていて、時代に翻弄されても、演じることへの情熱と、最愛の相方に対する変わらぬ思いを体全体、目線、仕草、台詞、笑顔、憂い、涙で表現するチャンには、改めて魅了される。30年前の公開時、自分はいったい何を見ていたのか?という気持ちになるほどだ。それだけ、中国の激動期を生き抜き、散っていく京劇俳優の蝶衣を演じるチャンの、魂を投入したのような熱演には、独特の美しさと儚さと、凄みがあるのだ。
蝶衣と相方、小楼を通して描く、日中戦争から文化革命へと流れていく中国のリアルな現代史には、文化革命当時に多感な少年時代を過ごした監督、チェン・カイコー自身の体験が投影されているとか。そんな監督の創作意欲を全て映像に結実させるには、172分の上映時間は短いという意見もある。しかし、改めて見てみると、展開はスピーディで、かと言って短すぎるとも、端折っているとも感じさせない。これは、演出と演技に加えて、編集のペイ・シャオナンが的確な仕事をしているからだと思う。
中国でアートシネマが自由に作れていた時代を代表するチェン・カイコー渾身の歴史絵巻は、映画の尺についても改めて考えさせられる傑作だ。
映画的な迫力と美しさに圧倒される傑作
京劇の古典「覇王別姫」を演じる2人の京劇役者の愛憎と人生を、国民党政権下の1925年から、文化大革命時代を経た1970年代末までの約50年にわたる中国の激動の歴史とともに壮大なスケールと映像美、音楽で描いた一大叙事詩です。
遊女である母に捨てられ、京劇の養成所に入れられた少年・小豆子が、厳しく過酷な稽古に耐えかねて逃げ出した町中で、初めて本物の京劇を目撃するシーンの映画的な迫力と興奮に、まず鳥肌が立つことでしょう。また、スターとなった主人公の2人が一転、文化大革命時に反革命分子として大衆の前で糾弾されるシーンは圧巻。実の父親を裏切って糾弾した苦い体験を持つカイコー監督自身の思いも込められており、その不条理な描写に圧倒されます。
そして今回の4K公開で最大の見どころは、やはり主演のレスリー・チャンの美しさです。小豆子が成人し、姫を演じる女形となった程蝶衣。覇王を演じる段小樓へ秘かな思いを寄せる程蝶衣をレスリー・チャンが、狂おしいほどの妖艶さと儚さで演じています。
こんなのパルムドール取るに決まってるだろ!
自宅で鑑賞中、思わず「こんなのパルムドール取るに決まってるだろ!」と突っ込んでしまいました。まさに中国映画の金字塔。堂々たる大作にして傑作です
鑑賞して驚いたのは、本作がその壮大なスケールにもかかわらず感情移入しやすい等身大のドラマ性を持っている事。物語は京劇スターに上り詰める主人公二人の幼少期から始まる、いわゆる「バディもの」「スポ根」としてのツボを押さえた作りです。娯楽性に富み、かつ最後までこの二人の人生を追いかける物語なので非常に見やすい!
美術、撮影、演技のクオリティは極めて高く、芸術性を堪能出来る仕上がりです。歴史ドラマとしての深み、感情移入しやすい人間ドラマ、視覚的な美しさ、そして余韻を残す読後感。全てが見事に調和した本作は、まさに傑作と呼ぶにふさわしい。出来ればもう一度、今度は劇場で見たいと思わせてくれる作品でした
【全世界に対し政治は制服されど、文化は征服されず固有文化である京劇が伝る様を描いた逸品。小豆子は女役、石頭は男役として「覇王別姫」で共演し、スターへと上りつめる魅力を伝えた作品。】
■1925年の北京。
孤児や貧民の子が集まる京劇の養成所に入った少年・小豆子。
いじめられる彼をかばったのは、兄のような存在である石頭だけだった。
成長した2人は、小豆子は女役、石頭は男役として「覇王別姫」で共演。スターへと上りつめる。
◆感想・・になってません。
・学生時代に中国を3カ月放浪したが、京劇を見るのは大変苦労した。チケットが取れないのである。
で、粘りに願ってチケット入手。日本でも歌舞伎座の席を確保するのは、裕福な叔母様方である。
・今作が面白いのは、京劇の養成所に入った少年・小豆子を始めとした見習いたちが厳しい修練を受ける様であろう。
ー 今で有れば労働基準法に引っ掛かるであろう。-
・そして、大人になったレスリー・チャン、グォ・ヨウが京劇で踊り舞うシーンは、きっと海外の著名監督達を惹き込んだのは、間違いないであろう。
<今でも、面々と続く京劇、及び日本であれば歌舞伎と狂であろうか。
今作は、貧しい出自ながらも、京劇に依り人生を開いて行った少年たちの物語である。>
圧巻
映画.com登録前の鑑賞。
この作品は知っていたが、何でスルーしてたんだろう。
京劇をよく知らず興味がなかったからか、もっと早く見ればよかった。
4K版上映で見に行ったが、とても素晴らしかった!!
最初の養成所のほぼ虐待な指導は凄まじかったが、グーっと画面に引き込まれながらストーリーを追い、レスリー・チャンの美しさに魅了され、悲しい愛のラストまであっという間だった。。
いつまでも余韻が残る。
新文芸坐
素晴らしい映画。
芸術表現、文学としての脚本、音楽、衣装や建築物などの美術、役者の演技だけでなく歴史、政治、法律まであらゆる要素を抱合した総合芸術としての映画として、最高峰の作品。
キャスティングも素晴らしく、もちろん演技も素晴らしい。
何かマイナスポイントを、と思っても、何にもない。
新文芸坐の大きなスクリーンで4K上映、音響も素晴らしく、至福の3時間だった。
20240225 新文芸坐
レスリー・チャンは凄かった
ラストの哀愁やら表情やら
凄まじく良かったのだけど、
なにぶんストーリーがなぁ…
劇の内容自体を知っていたらまた変わったのかも知れないけど
ラストは、
裏切られた二人が手を取って欲しかった。
いわゆる京劇と呼ばれるタイプの映画。
今年435本目(合計1,085本目/今月(2023年12月度)36本目)。
(参考)前期214本目(合計865本目/今月(2023年6月度まで))
今日はこちらの作品が見たくて、いわゆる年末年始の休みをとって実現しました。
インド映画でもないのに3時間級ってどういうことなんだろう…と思ったら、京劇(中国における古典的な演劇の類型をいう)なのですね。
映画の中の字幕がかなり丁寧とはいえ、20世紀に入ってからの中国がたどった歴史をある程度知っていることが前提になる作りなのかな、という点は否めません。これら難しい語句についても原則として特別の補助字幕が付くことはないし、基本は京劇7割といったところがあるからですね(なので、京劇の見方の入門編みたいな感じでも推せる…が、3時間級…。京劇系ってどれ選んでも3時間級なんでしょうか…)。
まぁしいていえば高校世界史の日本から見た場合の第一次世界大戦以降の中国大陸がどうであり、また戦争を経てどのようになったのかといったことに関する知識があると有利です。一方、映画は「作品を見せる」ことを優先したため字幕が抜けているであろう点もありますが、京劇パート等で出てくるセット舞台(?)に漢字が書いてある場合、ある程度類推ができるという有利な点もあります。これら踏まえてどこまでの扱いとするかは個々分かれそうといった感じです。
個人的には休みを調整してまで見た価値はあったと思うし、俗に「3時間級映画」の代表として言われるインド映画「以外」にも「この手の長い映画があるんだ」ということ(京劇ということはある程度は知っていたが、見たのは本作が初めて)を知ることができたなど文化の吸収という概念が大きいです。
なお、採点上特に気になる点まで見当たらないのでフルスコア切り上げにしています。
・中国史に興味があったので楽しみにしてみた ・シネリーブル梅田マナ...
・中国史に興味があったので楽しみにしてみた
・シネリーブル梅田マナーの悪い客(音ビニールカサコソ)3時間 受付の人に上映後苦情同情してくれて言ってよかった
・中国文化の厚さしょっぱなからすごい(芸人千鳥の大悟のような子供たち人人人)でもこの監督チェンカイコ―(撮影監督チャンイーモウ)二人とも(中国第五世代)文革の時に青春時代を送り父母や上の世代を否定し下放で労働また戻って体制側(共産党) 彼らに筋など期待しては無理なのだ 彼自身混乱のただなかにいるのだから(アル中カサヴェテスの千鳥足のように 最後はイメージビデオのようだった) 彼らの作る映画のあらすじはちょっと眉唾物として距離を置いてみること ただ彼らの作る画面から出てくる文化を楽しむ
・ブログ素人の映画館感想サイトあてにならない 袁世凱自身だと勘違いしてる 同姓だが別人だろう
・レスリー・チャンよりももう一人の男チャン・フォンイーに惚れた 芸人パンサーの尾形みたい 愛情深い男そのもののような役者さん 違う映画で曹操役してる!似合いそう
・すごい中国の文化の中で京劇はかなり底辺の娯楽のような でも劇の中で評論家いる 役者から煙たがられている存在
・愛とは重たい物 重い女は嫌いってことは好きじゃないということ 好きだったら重さが嬉しいし負担に感じない
マイ・ベスト・ワン。それぞれの愛の行く末に胸を打たれる
マイ・ベスト・ワンの映画が、製作から30周年、レスリー・チャンの没後20年ということで4K版が公開、となったら観に行くしかない。
4Kはそこまで鮮やかという印象ではなかったですが、109シネマズプレミアム新宿で鑑賞したこともあり、音響が美しく、銅鑼の音が響いたときには感動で鳥肌が立ちました。
幼少期の頃から折檻が当たり前の厳しい稽古を重ね、京劇の大スターとなって、もはや演じることでしか生きられない程蝶衣と段小樓。
そこに襲いかかる第二次世界大戦、文化大革命と近代中国の大きな歴史のうねりの中で翻弄される主人公たちの生き様と、それぞれの愛の行く末、人間の強さと弱さに胸を打たれます。
蝶衣のレスリー・チャンが妖艶で儚げで、とにかく美しい。何かが憑依しているような、神がかったような演技。
何度見ても素晴らしい映画。映画館で観ることができて本当に良かった。
暴力と芸
紛れもない傑作。
20年ぶりに見ました。その前に一度見ているので三回目です。しかしスクリーンで見たのは今回が初めてです。
20年前はレスリー・チャンの死去に際して、追悼の気持ちで見ました。
蝶衣の小楼の関係や、京劇という伝統芸能を中国の激動の現代史の波の中に置く重厚なストーリーに目を奪われがちですが、久しぶりに見て気づいたのは、これが「芸」とさまざまな暴力にまつわる話だということです。
師匠からの体罰に始まり、戦争や文化大革命へと、暴力が形とスケールを変えながら主人公たちを取り囲み続け、それが「覇王別姫」のストーリーと融合し(ラスト近く、まさに「四面楚歌」という場面に至る)、最終的には自己への暴力に集約されてしまう。
それは同時に蝶衣が虞姫に真に成り切る瞬間でもあり、
いわば彼の「芸」の完成の瞬間でもあるという、なんともやるせなくドラマチックな展開と演出です。
12月にブルーレイも出るということですし、今後も何度でも見直す作品になると思います。
しかし、この映画でも「戸田語」にはげんなりします。どうにかしてほしい。
引き込まれ過ぎてあっという間の3時間‼️
【2023/10/12✩⃛初回観賞】 評価:4.2
【2024/09/14✩⃛2度目観賞】 評価:4.2 ➡︎ 4.2
心から信頼し愛した男だったらば、あんな風に自分を裏切り、器の小ささを見せてきたとしても11年経ってもまた会いたいと思うもんなんだろうか……最後とゎいぇ。
そんなになるまで愛し抜いてみたいゎ〜
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『因果応報』……
それにしても目まぐるしく『移りゆく』時代を『伝統的で変わらない』京劇の観点から捉えるという非常にわかりやすくかつ美しい映画だったー✨✨✨
人間の心の弱さだったり、普遍的なもの、不変だと信じていたものにあっさり裏切られることもあるということ、自分が変わらなくとも外部要因が変わるだけで立場が大きく変わることがあること、その最たるまのが戦争なんだということ。今話題のジャニーさんみたいなご老人が出てたり、覇王がイノッチと坂本くんに似ていたり、見所は他にも様々😂
レスリー・チャンって初めて観たけどお化粧後の姿があまりに麗しくてビックリしちゃった💛中華の歴史をもっとちゃんと知っていたらより一層理解が深まったのかな〜。『人肉を軍用犬に食わせる日本兵』とか💦💦💦
惜しむらくは
母に捨てられ京劇の養成所で育った小豆子。彼が生き抜けたのは石頭がいたからなのだ。時には庇い時には泣きながら叱咤してくれた彼なくしては、そして京劇なくして小豆子には生きる意味がない。
この覇王別姫を貫いたのは、一振りの剣でこれさえあれば虞美人は自刃せずに済んだかもしれないといういわくのあるもの。この剣が、石頭を想う小豆子の運命を翻弄する。小豆子は女形として心も女にならなければならない。そうして成長した蝶衣は小樓(石頭)を愛しているしかけがえのない存在としてみている。しかし情愛の関係が成立するのは舞台でだけなのだ。蝶衣は自分の恋情を隠しただ指をくわえ見続けることしかできない。なまじ親しい近い存在なだけのほとんど罰を与えられているかのよう。
蝶衣の叶わぬ恋情の50年ではすまないのがこの作品の深さだと思う。世が世なら切ない恋の物語で済んだかもしれないが、時代が彼らにそれを許さない。日中戦争、国共内戦、共産政権樹立、文化大革命と時代と権力に翻弄され、裏切り、憎しみ、怒りを抱きあい、そして京劇すら奪われていくことになる。
この映画は、覇王別姫という王と愛妃の悲恋という劇を演じる蝶衣と小樓が描かれるが、それを演じるのはレスリー・チャンとチャン・フォンイーという俳優なわけで、ここがちょっと個人的には思うところがあって。レスリー・チャンのチャン・フォンイーについての発言を聞くと、香港と中国の俳優という価値観や演技スタイルの差もあったのかもしれないが、レスリー・チャンにとって小樓を愛する演技に微塵の影響もなかったのだろうかと。レスリー・チャンが雑念なく蝶衣になれるキャスティングで観たかった気がしてしまう。濃密な原作を踏まえた素晴らしい映画なことは言うまでもないので、そうであればもっとすごいものになったかもしれないなと。
二人の年月を大雑把に語る小樓と訂正する蝶衣が切なかった。最後の舞台のために、蝶衣は十分生きたとも言えるのかもしれない。
欠点のないのが欠点!?
コレは驚いた。
脚本、役者、映像表現全てが融合していて、
タイトルの評価となった。
名ばかりの中華民国(北洋軍閥支配下)の北京から、文革終了までの動乱の時代、そこを生きた京劇役者の話しといえば簡単だが、そうはいかない。長回しこそないが坦々とした映像表現、古典的なライティングや場面変換方法。今の流行り言葉でいうと完璧な伏線回収。とにかく上映中は画面と音声に釘付けとなった。米アカデミー賞を貰わなかったのが不思議である。
中国映画の致し方ない特徴として、映像表現における政府当局との腹の探り合いがある。
主題の男色や、侵略者、漢奸狩り、新中国成立後の絶え間ない政治闘争…。表現にギリギリのせめぎあいがあったものと思われる。それらを含めて見事に映像作品として破綻せずにまとめ上げた手腕はなかなかのもの。人に「面白い映画を見たい」と問われたら、本作を真っ先に挙げるだろう。日本軍の行儀の良さを褒めて問題になるシーンがあるが、日本にも歌舞伎や初期の無声映画では女形が存在するので、日本人も行儀よく受け入れたのだろう。
逆に中国の諺「良い鉄は釘にならない(良い人物は兵隊にならないの意)」を具現する、国民党軍の無秩序、紅軍の野暮さにはアーティストとしては耐え難かったのだろう。
チェン監督の最近の日本公開作は朝鮮戦争モノばかりだが、早くまたこのような文芸歴史大作が撮れる様になるのを願うばかりである。
愛憎の50年史
第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞作。
Amazon Prime Videoで鑑賞(4K修復版,字幕,レンタル)。
原作は未読。
レスリー・チャンの存在感に惹きつけられっぱなしの濃密な2時間51分。時代の流れに翻弄された愛と憎しみの50年の物語は、壮大な叙事詩的感動を齎してくれました。
背景となっている中国の歴史の知識が殆ど無かったので(特に文化大革命の部分)、もし知っていたらより深く物語を理解出来たかもしれないのにと思うと悔やまれます。
[余談]
小楼役の俳優、どこかで見た覚えがあるなと思ったら、「レッドクリフ」の曹操でした。今もあまり変わらないなぁ…
※修正(2024/04/13)
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