カナリア : 映画評論・批評
2005年3月1日更新
2005年3月12日よりアミューズCQN、新宿武蔵野館ほかにてロードショー
僕らの世界は無数の誤解の交錯で成立している
地下鉄サリン事件など一連の“オウム真理教事件”から10年の歳月が経過した。まだ10年しか経ってないの、と感じる人もいれば、もはや遠い過去の話と思える人もいるだろう。前作「黄泉がえり」のヒットで大物監督の仲間入りをした塩田明彦監督にとってあの事件は衝撃的なもので、いかに映画化するかが長年の懸案だったようだ。
あの虚構よりも虚構じみた「現実」に対抗しなければならない今回の映画化に際し、“オウムの子ども”たちが保護されるときに見せた鋭い眼差しを監督は思い浮かべたのだという。ただし、調べれば調べるほど彼らの“その後”は(本作でも頻出するような)濃い霧に覆われ、歴史の暗部に包み隠されていくのだが……。
本作を見て、あの事件について何らかの“正解”が導き出されると期待しない方がいい。そうではなく、長い旅の過程で出会う大人たちの勝手な言い分に耳を傾け、その上で自分たちなりの人生へと歩みを進める子どもたちの“その後”がここでは語られる。僕らの世界は無数の誤解の交錯で成立し、矛盾に満ちた断片の集積としてあるのだ。そんな意味で、この映画が孕む不透明さを僕は積極的に評価する。映画を見る観客にも濃い霧の中での混迷をしばし共有いただき、やがてそこから、かすかに芽生える奇跡じみた希望の生成を目撃してもらえればと思う。
(北小路隆志)